20130706 折笠明憲 4 の内容の続き
“今もう復興だなんだっていうので、ある程度進んできてますだなんだって言ってますけども、そこの姿を見てしまうと、まだまだあれなんだなあ・・・まだ普通の生活ができるところまで戻ってないんだなっていうのがすごくよくわかるというか、目の当りにしてきましたね。だからとっても・・・うーん、なんて言えばいいのかなって。うーん、すごく自分のできることが小さいんだけども何かしてあげたいし、こういうのを人の・・・うーん、そうですね、その四国の人にも言ったんですけど、今まだ、まだ復活というか、復興も終わっていない状況というのを、そんな中でも私たち農業やってるんだよっていうのを、その四国の青年クラブの方々に、伝えてもらえればいいというので、あの映像だったり写真だったりいろいろ撮ってってもらって、はしたんですけども、実際来た人たちも、「テレビで見るのと現実で見るのはやっぱり違う」っていうのはすごく言われましたね。現実にその前にあるのと、テレビの画面で見るのでは全然迫力も違うし、思うところも違うんだなっていうのはありましたね。”
農家
20130427 佐々木光洋 5
“だからやっぱエサだけ注意すればいいって話になって、で、そのエサに関しても、まあ丸二年間福島の牧草をやらないっていうことによって、牛乳から出さないっていうようなことをやってきた結果、福島県産の牛乳からは出てないんですね。本当にここは徹底してやってるんで。”
“理屈ではそうなんだけどもね、あとは感情的にそこをこう、うまくわかってもらえるようなそういうあれがないと、その壁はなかなか越えていけないし、そういうのがやっぱりね、いわゆる風評被害の原因はそこでしょうから。”
20130427 佐々木光洋 4
“じゃあ出荷できますよっていう風になったときも、それはそれでやっぱり、ああよかったっていう風になったけども、一番はやっぱり、自分のとこの牛乳を測って、問題ないっていうその結果が出たときに、ああよかったって、本当に安心したというか。”
20130428 丹治新一、フサ 2
「うちの孫ね、今19なの。私ら子供産めないねって言われたとき、ショックだったよ。」
20130427 佐々木光洋 3
“そこさえなんとかすれば、とりあえずその、ここで牛を飼っていくということは続けていけるんじゃないかっていう風には、思い直すっていうかね。そういう風に気持ちをこう、立て直すことができるようになったのはそう遅くはなかったと思いますね。でもね、やっぱりね、その、一カ月、うちら程度で一カ月間牛乳を捨て続けてたんだけども、その頃に訪ねてきた友人に言わせると、その大分影をまとってたっていうか、顔の表情がないよって言われて。”
20130427 玉根清延
我々は、やはり生産者の立場で言えば、大丈夫ですって言うけど、問題は買う方が、ね。そこを理解してもらって、買っていただけるかどうか、っていうのが問題なんで。そこがやっぱり、損害賠償請求と繋がるわけですよ。
20130427 玉根清延 2
だけど現実的に(計測用の機械類を)持ってなかったんよ。だから、マイクロシーベルトやベクレルとかって言葉は全然わかんなかったし。どの程度やっぱり、果物の影響を及ぼすのか、あとは人間の体がどれだけ影響されるのか、っていうのは、全然わかんなかった。
20130427 佐々木光洋 2
”だからその、来てみて初めて分かることがたくさんあるし、来てみて「あ、やっぱりこれ危ないんだな」って思ってもらうことがあるのと同時に、「あ、これは大丈夫なんだな」っていう風に、あの、なんちゅうのかな、来ることによって他人事じゃなくなるっていうか、ちゃんとこう、五感・・・五感で感じてね、目で見て頭で考えてだけじゃなくて、五感で感じれて、で、例えばその人の、農家のとか、避難してる人の話聞いたときになんかこうぎゅっとこう心がこう掴まれるようなね、痛さを感じたときに、そんときに初めて、他人事じゃなくなんだと思うんだよね。”
20130427 佐々木光洋 1
”結局最終的にその農家にとって一番いいスタイルって、「誰々さんが作った何々が欲しい」って言ってもらえるようなことが一番嬉しいし、で、そういう関係性が、いろんな人と結ぶっていうのがたぶん収入的に安定していく方法だろうと。”