三浦秀子・三浦明美 8


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三浦秀子・三浦明美

クリップ 8

「これから物での支援じゃなくて、自分たちでなんとかして、自立してやっていけるから、もう物には頼らない」

三浦秀子・三浦明美 6


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三浦秀子・三浦明美

クリップ 6

「(東京の人たちが)何か支援をしたいけど、どういうふうな支援をしていいか分からない、っていう声を聞いた」「自分でできる支援は何か分からないけども、南三陸町で作った物を買った事によって自分は支援できたって」

三浦秀子・三浦明美 4


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三浦秀子・三浦明美

クリップ 4

「こっちに一回も来た事がない、テレビでしか見た事がないから、どういうふうになっているのか自分の目で見たいというのもあるらしいのね。だから観光気分で行ってはいけないって。自分としては…何を持ってこっちに来たいとか」

増子 理香さん

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増子理香さん
つながらろう!放射能から避難したママネット@東京


繋がりや情報共有の大切さ

http://www.youtube.com/watch?v=wUoiLn2LV6o

「2011年の..実質的にいうと6月に作って…でお母さんたちの繋がり、とにかく情報がなくて…で、私は自主避難者なんですね…強制避難の人と自主避難っていうのはコミュニテぃーの中で大きく分かれているんですけど…自主避難した人たちは避難先も自分で選ばなきゃいけないし、で、その…支援とかも本当に薄かったのでとにかく繋がりがなかったので…すごく孤独だったし不安だったんですよあの時..2011年…でとにかく「繋がりたい!!」って思って…それで1人で繋がって!って言っても仕方がないし…器を作ったらどうかなと思って作って…それで偶然立ち上げるきっかけになった時に、あの郡山って福島県郡山市っていう大きな市があるんですけれどもー…そこから避難したお母さんと偶然巡り合うことがあって、人の紹介で…で、その方とすごく意気投合して、「じゃ、その会を開こう」って言ってー…会場を探して定期的にその会を開いて」


自主避難者

http://www.youtube.com/watch?v=oV1ROxRDYVQ

「最初は私達避難したお母さんたちで、やっぱ避難できるってことはー..ごく一握りの人たちなわけですよ…福島の中で6万人の方が避難してるって言われてるんですけど、でも福島全体…福島の人口からみると強制避難じゃなくて自主避難で見ると…その人たちは恵まれてる人、タイミングも多少お金とか人脈に恵まれた本当にラッキーだったっていうしかないんだけども。」

避難するかしないかは人それぞれの価値観により選択される

http://www.youtube.com/watch?v=-Ma8eHWl3Yk

「関西の人からすると「関東なんて住む所じゃないよーじゃないんだからもう避難してきてよかったわねー」って東京の人が福島の人を迎えるかのように関西では関東の避難者も東北の避難者も全部同じ。沖縄になんか関西から避難してる人もいるもん。「関西なんて、本島なんて住むところじゃない、住めないよー、沖縄にいらっしゃいなさいよー」「本島は汚染されているわ!」みたいな、こっちオスプレーだけどーみたいな。うん、だから世界から見ると「日本になんか住んでないほうがいいわ」みたいな、これは大なり小なり違うんだけどもやっぱり汚染っていうのはね、、すごく避難を選択するっていうのは個人の判断になってくるとは思うんですけどねー」


親子供、学校、安全宣言、情報共有

http://www.youtube.com/watch?v=a6aY8BZAKGA

「日本の被ばく許容量ってあるじゃなですか、それが年間1ミリシーベルトだったんですよ。それ以上被ばくしてはならないって国が定めてて…それを11ミリシーベルトって超えてても避難区域ではないのね…で、ここ通いなさいっていうし授業中はマスクしちゃいけませんとか言うの、とか「学校の水道のお水は安全だから」ってうちの子はペットボトルの水を水稲に入れて学校の給食のときとかに持ってかせていたのだけども学校の先生に「学校の水道は安全だから水稲はだめ」って娘さんだけダメって言われて…で、子供はいろいろな情報の中…、私が結局はこういう風に避難したような母親なのでそれなりのそういう情報を与えている家庭にいたから、学校のお水も飲まなかったし水稲のお水も飲めなかったし、学校では一滴もお水は飲まないでおうち帰ってきたりとかしてたのね。そんなの可笑しいでしょ?小学校1年生、6歳ですよ6歳。そういうのが普通…だから親が抱えているような乳幼児だったら親が守るような事が出来るのだけれどもー小学校とかましては高校生だったら部活あったりこういう問題で…親が子供を守りたいと思うような気持ちがあっても思い通りになんなかったりーそういうのですね」


素直に話せない空気

http://www.youtube.com/watch?v=PIcF4d9_vaM

「おっしゃる通りで、親しい人ほど話せない状況であったりするので、私が一番話せない…放射能について話せないのは夫。
夫に相談ができないのが、不安を話せば「そんなこと…」ってなるし、「大丈夫だよ」って帰ってきてほしいから、で、「そんな困難があるってことだったらそこにいる意味ないじゃん」とか言われたりとか
「甲状腺がんが福島の子に見つかったみたいだよ」って言ったら「お前たちは東京にいるからがんにならないわけないじゃん、東京の郊外とかどうのこうの」だとかさーそりゃそうだよって思うけど…
どんどんこう話しをすり替えられたりとかなっちゃうから口論になるんですよねー。
だから話せないようになったんですよー。くだらない話しですけど、この間知り合いの娘さんが高校受験をするっていって
「公立受験するはずだったのが私立の大学に付属の高校から推薦を取れてすんなり入れたんだー」っていう話しをちょうど電話できたから
「何々さんの子供さんが推薦とれてうちの子もそうで来たらいいよねーー」って言ったら「それまでいるのかよ、何年先までいるのかよ」みたいな話しとかにスラっとすり替わって、
やっぱり当事者だからそうなっちゃうんですけどもー本当に喋り…喋れなくなりましたねー。実際向うに残ってる分家の親族とか子供の繋がりとか切れちゃいましたね…うん…たまに帰ったりするときとかにーカフェに行ったりとかするのだけどーなんかこう「避難どう?」っていうのはなくーで、言葉に詰まるから私が「最近どう?」とか聞くじゃないですか、そこにいる人達にー…「んー変わらない」とか言われて「この前もプールやったよー運動会やったよー」ってだからなんかこう、あえて不安じゃないわ的なオーラを出して…話す」



震災から3年経って…

http://www.youtube.com/watch?v=DevI2-O0gQs

「私今一応福島のお母さんたちのネットワークの、別に一応代表なんですけどー別に世話人をしているわけではなく…やっているんですけどー…福島から避難してる子供達のお母さんとか2011年から考えると大分..本当変化していって課題とかも不安点とかもやっぱりすごく変化していってるんですよね。で、最初のころはさっき話したんですけども2011年に自主避難している人たちは会えるだけで「私も避難者」「私も避難者」っていうだけで嬉しくて交流会あちこち..特に東京とか支援者が多く開いて…そこに行っては知り合って、巡り合いの喜びがある時期だったんですけどー2012年のやっぱ後半ころからだんだんやっぱり変わってきて、そのそこでもう楽しく交流するっていうよりかは、どうやって生活していくかとか戻らないだとか、得に自主避難者は勝手に避難しているわけだから勝手に帰るわけですよ。」



家族関係、お父さんの心理、震災離婚

http://www.youtube.com/watch?v=xj_FwfNv18E

「後は、ケースとしては残ってるお父さんが病んじゃったりで家に火を付けて自殺したお父さんもいます。本当に家が全焼しちゃって結局なくなっちゃんですね..「帰ってこないならば離婚するー」っていう夫と離婚しちゃった人もいたりー…とかどっちが寂しいか考えてごらんよって言いたいんですけど…かえって来ないよりは離婚を選択をする。とかたまに長期でたまに休みがとれたから福島にかえって福島の家を開けたらそこに離婚届けがあったりとかーあって、旦那さんの荷物全部なくなっちゃってたりとかでーとか結構“震災離婚”って聞くと思うんですけどもー本当に多いんですよ震災離婚が…本当に色んな家庭があるからー母子非難を支えてくれる旦那さんもいればーうちみたいに微妙な立場の旦那さんもいるしー..もう毎週毎週会いに来て支えてくれる人も、旦那さんも、もう本当色々なんだけどーとにかく、旦那さんたちもどっちかっていうとアンチの人がそれでお母さんと子供が選択を迫らなきゃいけない時期に、特に今3年たって、4年目になると結構節目じゃないですか3年って「もう3年」という言葉があるようにーようにどうするのって迫られていかなきゃいけない時期でもあるのかなーってなりますね。」



言える環境、避難者の感情、子供

http://www.youtube.com/watch?v=taShE37s0do

「皆が隠さずに言えるとね、色んな意味でもまた変わってくるとは思うんですけどもー…なかなか難しいかなーとは思う。だから支援者として何が出来るかってよく聞いてくださるんですけどー…ね、なんかね寄り添って忘れないでもらいたいですねー。なんかこう色んな事を相談したりとかする色んな所にで、例えば今までもあったかと思いますが、色んなことの相談とか愚痴だとかあった時に話す人って完結したいわけじゃなかったりするわけじゃないですかー…なんか…肯定…呼び止めてもらいたいときが多いから、だからそういうのが一番の支援かなって思いますよね、だからその手前にあるのは聞いてくれることなので、一番の支援じゃないですかねー。はい。今この人がどう生きていくことを支えるかっていう事に変わっていってますよね、で、私もよく色んな支援者とかに、「去年まではいわての方に毎日毎週毎月とか行ってたのだけども、もうやめちゃったとかって」言って。「なんで?」とかって聞くと仮設とか色々回ってたんだけどー…俺が言っても私達が行ってても変わらない。だから変化を求めていく人は変わらない事に疲れてくしー..でも変化…結果を求めるんじゃなくて、その個人のパーソナルをサポートしてあげることができる、あとはこの人がどうそれで力を得ていくかじゃないですか。だから結局判断するのはその人じゃないですか、いくら結婚しなさいっていったって判断するのは自分じゃない?海外で仕事があるからってそこに行くかはどうかはどんなに条件が良くても自分の判断。判断するまともの精神力とかまともな感性だとかまともな道徳的な考え、間隔がやっぱり被災地の人たち仮設に住んでる人達は保てないんですよね、だからそれはそれを支えてあげるのが一番、一番、いちばーん!!根本な支援かなと思うんですよねー、物をあげる支援は固定先の支援、段階があるんだと思うんですけどもー…私がどう強く生きていけることを支えて、守ってくれてるかって考えれるようなサポート。、その考えられる余裕を作ってくれるサポート。が一番かな。」


イジメ、子供、学校、

http://www.youtube.com/watch?v=9xETORgCz9c&feature=youtu.be

「一番初歩的な問題はイジメでした。新聞で見たことあるかもしれないけども、2011年辺りは避難してきた、得に原発から避難してきた“福島”ってついた名前の子供に石を投げたりとか入館拒否があったりとか、ホテルでの宿泊拒否もあった。本当に…ちょっとプチ避難みたいな事したでしょ?3.11のときって。そうすると関西とかで、何…受付のカード書いて福島って書いたときに「ちゃんと検査してきてますか?」とか「当館ではちょっと検査してないスクリーニングっていうんですけども、大分被ばくの検査してない方々にはちょっと宿泊できません」とか言ったりとか、関東では多分なかったと思うけど、いっぱい受け入れたと思うけど関西だとかだと新聞に結構出てたりとかして。ほとんどの子が避難して繋がってるお母さんたちの子供、ほとんどが小学生ぐらいからそういうイジメにあって、高校生ぐらいになるともうそれが気にならなくなって個人でちゃんと分かって、発言するけどー…小学校だと多分言葉を放った家庭でそういう、なんていうか、放射能のアンチ的な部分も危険性を伝えてるのはいい家庭なんだとは思うけどーそこ、それから先の教育が出来てなくって、ついつい親から聞いた放射能が危ないだとか危険だとかっていう言葉で接しちゃったとは思うんですよ、決して悪気は子供だからないとは思うし。だからそういうイジメは結構あるから我が子がいじめられたってのはありますね。それが言わない理由かなー..うんー…だからすごく考えるより複雑で親がどうこうとかよりも子供達本人の問題としてそれはもう幼稚園年中年長から理解は出来てるしそういう情報で溢れていたからね、当時は特に。まー親次第よ、親。親がどういう情報を流すかどうかだけどー、うん。」

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