20130706 坂本和憲 3

「(さきほど、一度他のところの避難されて、4月ぐらいには戻ってらしたって仰ってたんですけど、戻ってらしたのはなぜでしょうか、そのお仕事の関係でしょうか?)仕事もあれだし、学校も始まるってときだったんで、子ども達が。それで戻ってきたしそれ別にそんな染量的に双葉郡内とか、福島郡山みたいに高いってわけでもなくて、原発でその一週間とかがいわきが高かっただけなんで、 あとはずっとその放射能のヨウ素のぶんがあって急に放射能の濃度があがってでも一週間たったら下がった。であのセシウムとかっていうのはいわきとはずいぶん上空を通り越して関東とかにいったみたいなんで( なるほど、その情報みたいのはってどちらから)それはあとですね。うちらもあっちにいっても何をするってこともないしただ普通だったら田んぼとか畑にいってれば良かったのも何もせず子どもらと公園で遊んでるだなんだって毎日同じこと繰り返してたし、こういうことやってたってて思って、その当時思えばなんですけど、あの当時思えばうちらこっちに帰ってきて仕事できるのか自分ちのうちからあと畑の財産どうなるのかなあっていう気持ちでむこうには避難してたんですけど。自分のふるさとはってもう戻れないのかなってそれを思うとなんつうんですかね、小さいころからずっと生まれ育ってきたじゃないですか、そうするとそっち地元のだった小さい頃からの友達なり近所のひとなりだでなんか寂しくて涙でてくる感じはありましたね(その避難してるときも) そうですね。で帰ってきたらやっぱりこっちのがいいなと」

20130706 折笠明憲 2

(質問)ご自身の健康に関してはどのように感じていらっしゃいますか?
“うーん・・・すごく笑い話かもしれないんですけど、なんか死ぬときは死ぬんだからそれまで精一杯生きりゃいいんじゃないのかなっていうのが・・・うーん、うちらの中ではそれが大きかったですね。で、少しはじめ・・・あの、放射能の話が始まって、まあ最初は作るのが不安だったりなんだりっていうのがあったんですけども、その、あと世界・・・ちょうどその、地震のある年の1月に、ニュージーランド行ってきたんですよ。海外派遣で。で、世界の方も見てきて、自分の中でこう日本だけじゃなくて世界でもこういう風にやってるんだっていうのをちょうど見た時期だったので、その時に日本に帰ってきて、原発が起きて。で、今日本で0.1ベクレルだなんだって騒いでるじゃないですか。その状況下で世界はどういう風なんだろうなって見たときに、世界ではそれより高いところで農業やってる人もいますし、はい、もともとの線量が高かったりするところで生活してる人もいるので、じゃあそれに怯えて健康がどうこうだって言って部屋から出ない方が、うん、死ぬ確率は高いだろうし、それにあの、自暴自棄になってタバコ吸っただ、ヤケ酒しただってなって体壊すんだったらば、それはそれだっていうので。もう自分は仕事して、汗水かきながら仕事して、で、それで具合悪くなったらそれのせいじゃなくてもう、うん、自分でやって全うしたんだからいいんじゃないのかなっていうので、あまり気にしない方向では、はい、やってきてます。

20130707 加茂直雅 3

食べ物に関しては、いわき市の放射能の状況っていうものを知ってますんで、意外とその浜沿いであまり蓋を開けたらいわき市はそれ程心配する程の放射能ではなかったこともわかってますんで、まぁいわき市内で検査してスーパーに並んでるものは検査済みのものがほとんどなので、そういった面では全く気にせず食べておりまして、実際健康面でも特になんかおかしいなとかそういうのは感じておりません。

20130706 草野城太郎 4

あの、まあ、まだまだ、放射能が高い地区がまだ福島県にはあって、たまたまいわき市は、まだ低いんですね。あの、低いんですけど、まあ、ちょっと、ガラスハウスの向こう側に山があるんですけど、山の裏はちょっと高くなっちゃってて、ここが低いのは、山があって、風がそこの山より下に抑えてもらって、そのおかげでたぶん低いんだろうって言われてますけど、まあ、そうですね、あの、食べ物に関しては、もう普段どおり食べようよ、と。水も、あの、検査して、問題ないんだから、飲もうよ、と。ただ、生活する場所が、人によっては、ちょっと放射能が高いとこもありますんで、まあ、やっぱ、うん。小さいうちだと、甲状腺の問題とかあると思うんですけれども、うちの5歳くらいになってくれれば、まだまだちょっと不安なところもあるんですけど、そうですね、食べ物が一番影響を受けやすいとは思うんですけれども、喉を通っていくんで、でも、検査して大丈夫だから大丈夫でしょう、っていうのが、僕らそういう感じでやってますね。ただ、あの、食卓に並ぶのがめっきり減ったのは、魚ですね。魚はだいぶ減りましたね。このいわきも含めて、福島県では、漁はできないんで。だいたいスーパーに並んでるのも、近くて茨城とか千葉とか。あとは上のほうだと、岩手辺りの魚が来るんですけれども、魚はまだちょっと控え気味というか、僕らは影響ないんで大丈夫だと思ってるんですけれども、子供にはもうちょっと考えさせてみようかな、と思ってる状態ですね。

一消費者としては、そういったことも考慮に入れつつ、食事とか、食べ物も考えてらっしゃる。

まあ、少しですね。

20130706 草野城太郎 2

お子さんは何歳なんですか?

子供は、うちのは子供3人居るんですけれど、女の子、男の子、男の子で。一番上が10歳になって、真ん中が、7歳、3番目が5歳です。

一姫二太郎ですね。(笑)

そうですね。たまたまなんですけれども。いま、忙しくやってますけど。僕ら生産者の子供として、あんまり間違った教育はしたくないな、ってのがあるんで、あの頃はこうだったけど、今こういうちゃんと検査して、安全なんだよ、って言うことで、子供らには、そういうことは言いながら、まあ、食事をさせてますけども。よく、いわきの農産物は、やっぱ、まだ危ないから、とかって、あの、敬遠されてる部分もあると思うんですけれども、まあ、これだけ日本全国で検査してる野菜も、まあ無いと思うんですよ。まあ、僕ら生産者みんなそういって、こういう結果が出てるんで、安全ですよって言って、出荷したり、あとは、直売所において貰ったりしてるはずなんですけれども、まあなかなか、その結果がまだ伴わないって言うか、なかなか反映されてないですね。

20130706 草野城太郎 1

やっぱり、あの、年間同じところで5回採れるんですよ、これは。で、5回採れるので、だいたい2ヶ月ちょこっとくらいで成るんですけれども、まあ、その間、やっぱ、これを出荷しようと思って作ってたのが、まあ、滅多にこういう捨てることなんかないので、だからちょっとがっかりはしますよね。まあ、お金にならないのがいちばん大きいかもしれないですけど、それ以上に、やっぱ、スーパーに並べてもらえないとか、あの、食べてもらえないっていうのが、僕ら生産者にとっては一番つらいところですね。はい。1635まあ、それでも、やっぱ、小さい子供なんか持ってる家庭、うちもまだ小さいの居るんですけど、だから、気をつけてもらわないといけないなあ、ってあの頃は思ってたんですよね。だから、うちの野菜が食べられないのも仕方ないなってそのときは思いました。

その時っていうのは、震災後。

震災直後くらいですね

今2年たってみて、その気持ちはどうですか

そうですね。その頃のは、あんまり思い出したくないのは確かですけど、でも、まあ、その、それを糧にもっとがんばろうと。今はまあ、平常どおり、平常心を持ってやってますね。

20130519 藤井祐二 5

…その当時このくらい被爆したところは、10年たったらこうなりました。農作物全然問題ありませんとか、やっぱ問題ありますとか、そこに住んでる人は発ガン率がこれだけあがりましたとか。そういう情報って大事だと思うんですよね。

生データでいいんですよ。誰かが判断している情報じゃなくて、とりあえずそういうデータだけでいいんです。そうすると、見た人が判断しますよ。考えて。そういう情報ですね。公開してほしいのは。

20130525 芳賀滋介、星健一 3

“アジア系の方がけっこう多くなりました。会津にもけっこう入ってます。ただ、果物狩りは多くはないんですが、それども外国人の方が、福島県だけでも嫌がるのに。(笑)それでも来てくださって、果物がりをして。”
“満遍なくだと思います。そんなに、若いから来ないとか、年取ってるから来るとかいうのではないと思いますね。”