沼田 幸也、恵さん

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閖上生まれ閖上育ちの旦那様沼田幸也さん。奥様の恵さんは25年前に閖上へ。被災当日、旦那様は仕事で違う町へ行かれており閖上の状況をわからず、しかし奥様の恵さんは津波を経験。


昔の閖上

Q:昔地震来る前、昔の閖上がどのような町でしたか?
幸也さん:昔の閖上はやっぱ、まあ近所になるとやっぱ一つの家族みたいな感じになっちゃうんだよね。あっこあの、そのなんつうの半々ってあって同じあのなんていうんですかね、町内会でのこう隣組とかっつうのあって、まあそういう所はわげけてなく、えーなんかこう昔聞いてたのはここで醤油の貸し借りとかそういうのも隣近所でよくやってた、長屋みたいな感じだったっていう。私が生まれた頃はやっぱこう世代が変わってるのであのその、あのやっぱ町内会でなんかやるってなったら呼ぶ集まってはなんかかんか運動会にしてもお祭りにしても色々やってたんですけど・・
恵さん:多いね行事ごとはね。子供とお年寄りが一緒になってやる行事が多いよな。普通ね子供会は子供会だけなんだけど、お祭りは子供の見越し、大人の見越しまでとか。
幸也さん:そんな地区でやるんで、だあ先。。先月か?あの閖上の方で見越し担いでたんですけど、でそん時もあの上智大学の人達何人かが来ててあのインタビューさせてくださいって。あははは。でそん時はほら、うちらの年代結構いるが、下の子紹介してやってあげたらしてやったんすけど、あいう感じだと結局子供見越しあと大人見越しってこうやって一緒に出て行ったんですけど、実際はあの、その地区だが日和山地区とか紙町地区那珂市、あとそういう同じ地区の中でみんな子供見越しが子供会が出して、あと本見越しっておれら担ぐ見越しはもう一日中練り歩くみたいな感じで。


閖上への愛着

幸也さん:最初美田園見に行ったんですよ。海の方ね
恵さん:お父さんはやっぱ海がいいって
幸也さん:海、海がいい
恵さん:海が近いのがいい

Q:それは何でですか?
幸也さん:やっぱ海は涼しいっすもん。うん、あとなんか開放感あるっつうか。やっぱどっか閖上に戻りたいっつうのはあるんでしょうね。そっちのほうに。ただ市で計画してるようはかつ上げしたから安全だっていうのはちょっと納得いかないんですけど、だから俺らはもう閖上には戻らないと決めてこっち買ったんすけど。最初その美田園だと高波も来てなかったし、あの高くすれば床下までいかないんじゃないかっつう思いで言ったんだけど、息子に一言「ここ津波来てっぺや」って言われて。で、山しかないけど山でいいのかって「山の方がいいべや」って言われて、結局こっちに買ったんです。うん、俺はやっぱ山より海の方がよかったんですけど。
恵さん:やっぱしね、やっぱり海で育ってる人はどうしても海の近くっていうか、うーんあるのかな。やっぱね。うちも実家はほら海、海だもんね。
幸也さん:うん、海だよ。
恵さん:うん、ちょっと高いけど海の見える所にやっぱし再建してるから、やっぱしみんな、うーん海の近くで育った人は海、やっぱ怖いけどまあやっぱし海がいいのかな。ねえ、やっぱ違うもんね。うーん


近所付き合い

Q:何か言い残したとか、これだけは知ってもらいたいということはありますか?
幸也さん:あと、やっぱこう今家族になってるけど、やっぱうちらも今その状態なんだけども、やっぱ近所付き合いは大事にしたほうがいいかもしれない。
恵さん:そうだね。
幸也さん:やっぱ聞くとああ寝たっきりで例えばうちらが仕事いって子供達だけ残して、で隣近所が付き合いがあれば「ああ、誰々仕事行ってから子供達残ってんかもしれないね」ってそれで助かった人達も結構いたて聞いてるので
恵さん:うん、閖上はね。あそこはおばあちゃんだけとか迎えにいってあげたりとか
幸也さん:閖上はそういうの結構あったって。あのしんちゃんもそうだったね。友達で前NHKとかに出てた橋本真一さんとかも結構町内会長やってたから周って非難させたとか、あそこばあちゃんしかいねえからとか
恵さん:閖上結構それが多いの。年寄りが多かったから、結局それで亡くなってる人達、おばあちゃん残ってるから迎えに行かなきゃっつって亡くなってる人達も多いから。うーん、だから隣近所はね、今思うと大事にしなきゃいけないかな。
幸也さん:だってうちもやってたもんな、付き合い。あのほれ町内会の役員やるからって繋がり始まって、まだ3年4年ぐらいだもんな。うーん、隣近所はな。やっぱ、そう長屋、古きよき時代じゃないけど、そういうのがいいんだろうね。そういうのは大事にするべきだろうね。多分都会に行ってしまうとそういうのなくなっちゃいますよね、多分。逆に警戒しちゃってね、隣との付き合いもなくなってしまうし。


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相原 弘さん

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閖上で生まれ育った、相原弘さん。かつては肉屋を営んでいましたが、津波でお店が流されてしまいました。震災によって変わってしまった相原さんの暮らし、そして、閖上への想いを語ってくださいました。


交流の変化

Q:なんかこう、震災を経験したからこそ、その昔の交流が何か変わってしまったっていうのもありますか?
変わったわな。で、商店街なくなったっちゃあ、で、今再開市場でやってるの。その、そいつらその人らとの交流はねえ、全然ねえわ。
Q:その、逆に、新しく交流が始まった人とかっていますか?
この団地(仮設住宅)で。うん。ちょうどここ閖上一丁目の人が99パーセントな。だから、ほとんどみんな知り合いだっちゃ。だから、まあ助かってるっちゃあな。まるっきり知らねえではねえ。
Q:その残りの1パーセントの人っていうのは、どちらから・・・
どちら・・ってあの、福島のほう・・・。
Q:そういう方たちとは、結構交流が・・・?
は、全然、俺は、私はないね。
Q:それは、あの、交流する機会がないんですか?
そういう人は、なん、こういう、とこに来ないのね。ここは(仮設の集会所)、あの、交流の場だから。で、昨日飲み会やってさ。手ちょっと気になって。
Q:よく参加なさるんですか?
参加、ええ。参加100パーセント。参加することに意義あるもんね。
生徒:それでまたお互い団結しようっていう・・・


震災前の閖上について・相原さんの思い

Q:その、まあ、新しい環境にいらっしゃると思うんですけども、その震災前の閖上のこととかを思い出すことって多いですか?
思い出したくないな。うん。寝るの思い出すとさ、やっぱ帰る気になるわな。帰り・・・帰れないからっていうの・・・思い出したくねえわ。思い出しても、戻れるか戻れないかってのも分かんないっちゃあ今、現在。戻れんならばね、俺、もう一回やり直しましょうっていう気はあってもさ、戻れっか戻れねんのか分かんねえんだわやなあ。・・・だ、あの、道路のね、ちゃんと決まったさ、このようになりますよっていう説明があればさ、じゃあ戻りますかってのっけども、道路もなにもわけわかんねんだものさあの、戻ってもどうしようねっちゃな。ましてや・・・タイヤかわかんねえんわな。


伝えたいこと

Q:あの、これ僕たちが今日撮ったビデオを将来見る人とか、今の閖上、名取の実情を知らない人たち、名取だけじゃなくて、被災地の実情を知らない人たちに、何か伝えたいこととか、知っておいて欲しいことって・・・
うーん、こういうことは、二度と経験してもらいたくない。うん。できんならば。でも、いま日本でそっちこっちで地震が起きてっからねえ、なん、注意ってか、そういう注意だけはしてもらいたいなあ。きん・・仕事はわきまえてさ。いつ起きっか分からないんだからよお。そん直前をも見てっから。だ、やっぱあの北海道の釧路かな、あれん時もテレビ見てて、まさかと思ったよ、閖上もああなるとは思わなかったからね。だー来たから、ああ来たって、まず、まさかなあ、ほらああいう津波来るとは思わないっちゃ。だ、ああいう津波は二度と見たくないわ。まあ、経験者だから言えるんだけっども、ほんとあれはほんと、一生忘れられないね。


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遠藤 茂美さん、遠藤 利也さん

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もともと農家をやられており、震災後も農家復興を目指し奮闘している遠藤茂美さん。そして、もともと仙台空港に勤めていたが震災をきっかけに自分の地元である小塚原地区の農家復興に興味を持ち遠藤茂美さんと共に小塚原地区での農家復興を日々努力している遠藤利也さん。インタビューでは閖上独特の人付き合いやコミュニティーについてお話していただきました。


震災前の閖上

Q:では昔の閖上について教えていただいてよろしいですか?えっと人間関係といいますか、人との付き合い方だったり、そういうものを教えていただけたらなと。
遠藤茂美:どうだろう。ここはね、閖上の町とまた違って、なんていったらいいのべかな。ここえらな。閖上の町は町で漁業の町であって、ちょっと離れたここは農業っていうかたちになっているのかなって、で人付き合いは、ほら、あったかいっちゃ。やっぱ地元として、ここ閖上地区っていうのは、幼稚園から、幼稚園、小学校、中学校へずっーと同じなのね、みんながそのまんま、どっからも人が入ってこないのね、持ち上がりでずっと行くから、上下の先輩たちと後輩たちとの関係も仲がいいってことですかね。なかなか、名取はここだけだあね。閖上だけだな。だから仲間意識はすごくある町だね。


地元を盛り上げようと思った理由

Q:その地元を盛り上げていこうって思う1番、思った1番大きい理由を教えていただけませんか?
遠藤利也:1番大きい理由はやっぱりこの小塚原がというか閖上というか名取市が好きだからっていう。言うのちょっとこっぱずかしいんですけど。たぶんそれしかないかなあって。ですね。

Q:どういうところが好きでしたか?
遠藤利也:好きっていうだけでもちょっとこっぱずかしいのに。聞かれるとまた(笑)このおんちゃんたちも好きだし、この上の世代のずんちゃんばんちゃんも好きだし、同級生たちも。なんかやっぱりこの閖上っていう土地は独特みたいで、高校行くと高校の友達とか専門学校行ったら学校、大学だったら大学の友達っていうんで、やっぱりそこで新たな仲間が増えるじゃないですか。でもやっぱりなんか帰ってくるところがみんな閖上というか。もう珍しく幼稚園から、小学校から、正確に言えば、小学校から中学校ずっと9年間ずっと同じメンバーなんですよ。増えたり減ったりっていうのが、転校とかないと、あの、ない。だからもう9年間ずっと一緒なんですね。もっと幼稚園合わせれば11年間一緒みたいな土地で、ってなるとよその地区だといろんな小学校が混ざって中学校になったりするじゃないですか、あとは別れちゃったりとか、そういうのが全然ない土地で、ってなるとやっぱり繋がりも腐れ縁に近いですけど、同級生との繋がりもやっぱり大きいので。ってなるとやっぱり皆震災あってからも集まるのは閖上のみ。で震災も経って2年9か月ですか。経ちましたけどそれでもやっぱり集まって話すのはやっぱり地元の人間が多かったりだとか、よっぽど他所の行ってないと。他所に行っている人間も閖上最近どうなのって声かけてくれたり、たまに帰ってくるとやっぱり皆で集まったり。なんか繋がりがとてもあついというか太いというか。なのでそこがやぱっり好きなのかなと思いますけどね。


閖上に戻る・戻らない理由

遠藤利也:戻ってこない理由の1つでもありますよね。結局生活のなんていうか軸というか大黒柱というのが、僕たちの世代で変わっていたとしたら、わざわざ津波きたところで移転しなくてもいいんじゃない、子供たちの学校の関係もあるので今ここらへんの子達はバスで通っているのね。で通ってもその学校に例えばわかりやすいとこで言うと野球部あるんだけどサッカー部ない。サッカーやりたいからじゃあいっちゃうと。となるとやぱっりそういう新しく生活をスタートさせるっていうのも僕たちの世代だったらまあ簡単にできる。じいちゃんばあちゃんだとそこに行ったら近所も知らない人たちだけどってなることって多いじゃないですか。ってなるとやっぱ出歩かなくなったりとか。でも僕たちは子供たちがいれば、近所の人たちとコミュニケーションとれたりだとか。ってなるとやっぱり他所の行ってで学校が近くてとか、電車が近くてとかっていう所の方が僕たちとしては、考え方としては楽なんだよね。だから他所に行ってる理由もあったりとか。だからやっぱり難しい。難しいですかね。他所に行ってしまった方が楽な部分っていうのもあるので、やっぱり増えてくれるは、その増えてもとに戻ってくれればいいんですけど。


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佐々木 孝寿

佐々木孝寿さんはヤマサコウショウの代表と、元気復興委員会の一員としてご活躍されています。


震災前と震災後、変わった事

3.11以降は震災前より以上ですね、地域の、えー、活動て言うのにですね、積極的に、えー、協力していこうということで、震災前までは、どちらかというとですね、単独で行動することが多かったんですが、震災後はですね、同じ、同僚の皆さんと歩調を合わせてですね、協力できることはしていく、それから、石巻の、そのー、異業種の人たちなんかもお付き合いも積極的にするようにしています。

(震災前と震災後でいろいろ変わりましたか?)
あ、変わりました。私が一番変わりました。

(はあ、どういう感じで。)
ですから、先ほど言ったように、独立独歩であの、進むっていうだけじゃなくて、お仲間の人たちに、それから石巻で働いている、仕事をしている会社さんの人たちとかね、コミュニケーションをよくとって当社の事をよく知ってもらうのも大事。無効、先方様のこともよく知る、で、出来ることは手を取り合いながら、一緒にやろうよという風に。

石巻の良いところ、お客様から励ましの声

石巻の一番いい例、石巻の一番いいところはね、まずなんていうのかね、食べ物がうまいですね。魚は最高に上手いです。魚は美味しい。それから、お米も良いお米がいっぱい取れます。お水もいいです。野菜も美味しい、お肉も良い、食べ物が良い、良い食材がいっぱいあります。高くないです。東京と比べたら全然安いです。そういうね、石巻は食べ物の、食材の宝庫ですよ。景色も海を、太平洋を前にして非常にね、素晴らしいロケーションがあります。そういった良い点をね、今はみんな放射能とかで怖がってますけど、それが済めば、また石巻に来てもらえれば必ず満足してもらえるから。あります。それだけ美味しいですから。

(元に戻るには結構な時間がかかると思うんですけど。)
懸ります。しょうがないですね。あー、3年じゃ厳しいかな5年、もしくは10年かもわからないですね。

(必ず元には戻せると。)
はい、もとにっていうか、もっと仲良しになってよくなると思います。そうですね。地元、私はここで生まれて、ここで育ったから、責任ていうよりもここが好きなんです。責任じゃないです。好きなんです。それでいいんです。お客さんも待っていてくれてるんです。いっぱい励まされましたよ。頑張れ、待ってるから、いっぱい励まされました。そのお客さんたちが待ってくださっているから、頑張ろうっていう気持になれるんです。
(やはりそれは人が、)
人です。そうです。人です。