遠藤 茂美さん、遠藤 利也さん

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もともと農家をやられており、震災後も農家復興を目指し奮闘している遠藤茂美さん。そして、もともと仙台空港に勤めていたが震災をきっかけに自分の地元である小塚原地区の農家復興に興味を持ち遠藤茂美さんと共に小塚原地区での農家復興を日々努力している遠藤利也さん。インタビューでは閖上独特の人付き合いやコミュニティーについてお話していただきました。


震災前の閖上

Q:では昔の閖上について教えていただいてよろしいですか?えっと人間関係といいますか、人との付き合い方だったり、そういうものを教えていただけたらなと。
遠藤茂美:どうだろう。ここはね、閖上の町とまた違って、なんていったらいいのべかな。ここえらな。閖上の町は町で漁業の町であって、ちょっと離れたここは農業っていうかたちになっているのかなって、で人付き合いは、ほら、あったかいっちゃ。やっぱ地元として、ここ閖上地区っていうのは、幼稚園から、幼稚園、小学校、中学校へずっーと同じなのね、みんながそのまんま、どっからも人が入ってこないのね、持ち上がりでずっと行くから、上下の先輩たちと後輩たちとの関係も仲がいいってことですかね。なかなか、名取はここだけだあね。閖上だけだな。だから仲間意識はすごくある町だね。


地元を盛り上げようと思った理由

Q:その地元を盛り上げていこうって思う1番、思った1番大きい理由を教えていただけませんか?
遠藤利也:1番大きい理由はやっぱりこの小塚原がというか閖上というか名取市が好きだからっていう。言うのちょっとこっぱずかしいんですけど。たぶんそれしかないかなあって。ですね。

Q:どういうところが好きでしたか?
遠藤利也:好きっていうだけでもちょっとこっぱずかしいのに。聞かれるとまた(笑)このおんちゃんたちも好きだし、この上の世代のずんちゃんばんちゃんも好きだし、同級生たちも。なんかやっぱりこの閖上っていう土地は独特みたいで、高校行くと高校の友達とか専門学校行ったら学校、大学だったら大学の友達っていうんで、やっぱりそこで新たな仲間が増えるじゃないですか。でもやっぱりなんか帰ってくるところがみんな閖上というか。もう珍しく幼稚園から、小学校から、正確に言えば、小学校から中学校ずっと9年間ずっと同じメンバーなんですよ。増えたり減ったりっていうのが、転校とかないと、あの、ない。だからもう9年間ずっと一緒なんですね。もっと幼稚園合わせれば11年間一緒みたいな土地で、ってなるとよその地区だといろんな小学校が混ざって中学校になったりするじゃないですか、あとは別れちゃったりとか、そういうのが全然ない土地で、ってなるとやっぱり繋がりも腐れ縁に近いですけど、同級生との繋がりもやっぱり大きいので。ってなるとやっぱり皆震災あってからも集まるのは閖上のみ。で震災も経って2年9か月ですか。経ちましたけどそれでもやっぱり集まって話すのはやっぱり地元の人間が多かったりだとか、よっぽど他所の行ってないと。他所に行っている人間も閖上最近どうなのって声かけてくれたり、たまに帰ってくるとやっぱり皆で集まったり。なんか繋がりがとてもあついというか太いというか。なのでそこがやぱっり好きなのかなと思いますけどね。


閖上に戻る・戻らない理由

遠藤利也:戻ってこない理由の1つでもありますよね。結局生活のなんていうか軸というか大黒柱というのが、僕たちの世代で変わっていたとしたら、わざわざ津波きたところで移転しなくてもいいんじゃない、子供たちの学校の関係もあるので今ここらへんの子達はバスで通っているのね。で通ってもその学校に例えばわかりやすいとこで言うと野球部あるんだけどサッカー部ない。サッカーやりたいからじゃあいっちゃうと。となるとやぱっりそういう新しく生活をスタートさせるっていうのも僕たちの世代だったらまあ簡単にできる。じいちゃんばあちゃんだとそこに行ったら近所も知らない人たちだけどってなることって多いじゃないですか。ってなるとやっぱ出歩かなくなったりとか。でも僕たちは子供たちがいれば、近所の人たちとコミュニケーションとれたりだとか。ってなるとやっぱり他所の行ってで学校が近くてとか、電車が近くてとかっていう所の方が僕たちとしては、考え方としては楽なんだよね。だから他所に行ってる理由もあったりとか。だからやっぱり難しい。難しいですかね。他所に行ってしまった方が楽な部分っていうのもあるので、やっぱり増えてくれるは、その増えてもとに戻ってくれればいいんですけど。


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