雄勝町は2005年4月に市町村合併により宮城県石巻市の一部になりました。
15の浜があり、そのうち小島、明神、熊沢、桑浜、羽坂を主な拠点とし私達は活動しました。
それぞれが自然に富んだ環境にあり、海も川も山もある浜がほとんどです。
そしてこの資源を大いに活用した産業が行われています。

雄勝は漁業と硯のまちと言われるように、銀鮭・ホタテ・ホヤなどの
養殖中心に盛んな漁業と、雄勝の山でとれる玄昌石を用いた雄勝硯で有名です。
雄勝硯は国内生産量の9割を占めており、東京駅の赤レンガ駅舎の復元の際には屋根に
雄勝の天然スレートが使用されました。
養殖中心に盛んな漁業と、雄勝の山でとれる玄昌石を用いた雄勝硯で有名です。
雄勝硯は国内生産量の9割を占めており、東京駅の赤レンガ駅舎の復元の際には屋根に
雄勝の天然スレートが使用されました。

震災前までは恒例行事の春祭りと秋祭りで神楽を奉納されていました。

町の約9割の建物が壊滅的な被害を受けました。人口は約4300名から700名に減少しました。
また小学校と中学校合わせて5校ありましたが、今では2校に減りました。
また小学校と中学校合わせて5校ありましたが、今では2校に減りました。

震災から3年以上の歳月が流れましたが、仮設住宅で生活する方はいまだ多く、
海の近くでは更地が目立ちます。平成29年までに高台を仕上げ、住民が雄勝での生活が出来るよう
目標をたてていますが、復興作業が遅く、住民は不安を覚えております。
しかし、民間が主体となり雄勝の復興のために活動している様子も多く見受けられました。
海の近くでは更地が目立ちます。平成29年までに高台を仕上げ、住民が雄勝での生活が出来るよう
目標をたてていますが、復興作業が遅く、住民は不安を覚えております。
しかし、民間が主体となり雄勝の復興のために活動している様子も多く見受けられました。

私達は1組3人ずつの2グループに分かれ、各グループ4回雄勝にインタビュー活動を行ってきました。
現地で活動をされている方と事前に連絡を取り、始めはナレーターの方を紹介をしていただきました。
時に全くナレーターがいない日もあり、その場合は当地で自分達から直接協力をお願いをしたりしていました。
また、ご協力していただいた方からのご紹介などもたくさんありました。
時に全くナレーターがいない日もあり、その場合は当地で自分達から直接協力をお願いをしたりしていました。
また、ご協力していただいた方からのご紹介などもたくさんありました。
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