20130706 折笠明憲 6

(これからの福島の農業について)
“自分4Hクラブの会長やっていて、今自分が思ってるのは、食育というか、これからの農業を担う人たち、これからの子どもたちに、自分たちは一体何ができるだろうなっていうのをすごく今考えて行動してるんですね。で、一つのことを・・・ただ農業やるっていうのは・・・今「後継者不足後継者不足」って言ってるのが、あの、60代70代のおじいちゃんおばあちゃんが、いきなり20代の人たちに、「やれよ、同じようにやれよ」って言ったってたぶんみんな「無理です」って言うのが多いんですよ。で、それが自分が年齢、今もう30近くになって、30になってから、じゃあ10代の人に伝えるよりは、もう20代って若手でうちらが集まってる中で、じゃあ、今のうちらから自分の下の若いやつらにどうやって伝えて、どうやって下を育てていってあげることができるかっていうのを、一つの方法として考えられればいいかなあって思って今やっていて、えー、子どもたちに、あの、この農業というのを知ってもらってそれの上で「安全なんだよ」っていうのをPRしていきたいなっていうのが一つの今これからの農業として俺が考えてることで、実際あの、保育園のほうに出向いて、野菜のほうを作って、あの、みんなで収穫やろうとか種まいてみようとか言うのもやってますし、あと高校生の受け入れもやってますし。今年は農業短大が、あの、矢吹っていう、白河に近い所にありますので、あそこでスポーツ交流会をして、短大生で、若い農業者、うちら20代30代の農業者が立派に「農業で飯を食ってるんだよ、これは普通の仕事なんだよ」っていうのを伝えることができればなっていうので交流会のほうも企画して、やったりとかして。その・・・上の人たちや消費者っていうのもあるんですけど、消費者にやんなきゃいけないのはもうみんなでやってることなんで、自分たち今20代30代手前、30代頭の人たちと、次の・・・本当にすぐ下の次の人らが繋がることでこれからのこの福島の農業をもっと大きく、もっと、あの、堅実なものにできないかなと思って、それに対しては色々やってみたいなと思って今活動してるというか、はい。農業やってますので、はい。ちょっとそこらは、今頑張ってるところですかね。”

20130706 折笠明憲 1

“特に、今でもよくわからない放射能とかそういうのに、他の人が全然知らない中、大きな・・・ぽっと本当に政府の方で「これだけのことが起きました、なになにしてください」っていうのが全国に流れると、やっぱりもうそれを信じるしかないんですよね。その時って。それを信じ・・・もう被災地の状態でそれを信じるかどうか・・・信じるしか、方法がないんです。あの、他のところに行って調べるとか、何かを情報を得るっていう、もう通信機器はほとんど麻痺してますし、うん、連絡を取りたくてもやっぱり取れない、電話をしても繋がりにくい状況の中で、うん、信じられるのはそれしか信じられなかったな。で、その後はもう放射能の話はもう二転三転するっていうのが結構酷くて、うーん・・・そこはもう今でも続いているようなもんなんだろうなあっていうのがあります。どうしても放射能っていう・・・すごく・・・なんて説明したらいいんだろう・・・目に見えないもの、と、今度はまた戦わなきゃいけないんだなあっていうのが、自分たち農業者の中ではやっぱり大きくありましたね。今までは、農薬や虫とかっていうのは目に見えるもの、ある程度目に見えるもので、それだけ自分で軽減すればなんとかなるものだったのが、今度は、どこにあって、どういう風に流れてくるのかわかんないものと戦わなきゃいけなくなる。で、それで「もうダメだ」って言ってやっぱ、あの、諦めてしまった人っていうのも、まあ何人もいますし、その、まあいわき市の中でも、あの、新規で入って三年ぐらいでやってたのが、ダメになっちゃって、京都とかあっちの方に行ってしまったっていう人もやっぱいますので。うーん、それに対しては、責めるつもりもありませんし、そこは自分の出した判断なんだから、それはどうこうっていうことはないんですけども、できるんであればいわき・・・まあ福島で農業をやって欲しかったなあっていうのは、うん、あります。”

20130526 渡部健光、小山要一、穴澤幸広、香坂敏也 1

小山さん:たぶん農業が、あんまりこう、そうだな、儲かる職業じゃなくなったってのもあるんじゃないですか。昔からすれば。昔この辺は米が主流で、えっと米は、それこそ、新潟県抜けば、日本で一番高い米作ってたんですよ。この辺は。だから、米農家であれば、何もしなくても生活できる。で、米農家って忙しいのは春と秋だけなんですよ。あとは、何もしないでいられると。だから、親父たちは結局、そういう世界で。うん。で、あの、まあ仕事もそんなに忙しくないから、息子にやらせようとは思わないし。で、息子はなんか職業作って、で、自分らは米で食ってくからいいぞって世界。昔は。で、今米はどんどん安くなっていて。で、まあこれからまた安くなるでしょうと。となると、やっぱり、まあ、お米って、毎年収量が違いますよね。収穫量とか。あと値段も毎年違いますよね。となると、まあ博打みたいなところありますんで。で、そういう職業に就くよりも、なんだ、一般の職業に就いた方がまあ生活が安定するだろうっていう発想なんですかね。まあだから、親の世代はたぶんそんなに「農家継げ」っては、今は言わないと思いますね。で、こっちの方の親の世代は、逆に言うと、米だけ作ってれば生活できるっていう世界で飛び込んだんで、おそらく喜んで飛び込んだんじゃないですか。農家に。親の世代は。ただ、まあ、私ぐらいの世代になると、もう米はもうどんどん安くなってきてたんで。やろうっていう人は、私のときはいなかったですね。私ぬかして。”

20130707 蛭田秀史 4

そうですね、はい。ここは特に観光地とかじゃないんで、レジャー施設もないんで。そういったところにこういうものを作って、お客さんに少しでも来てもらって、交流人口を増やして、田人を少しでも知ってもらえれば、って思って始めてやってますんで。他に行ってまでやろうとは思ってないですね。

20130707 加茂直雅 4

父の後を継ぐ、継ごうっていう決定をするに当たっては、やっぱり父たちの代が経営がうまくやっていて、で僕たちがその父のあとを継いだとしてもこれから先やっていく見込みがあるかどうかっていうのもやっぱり大事なとこだと思うんですよね。父がいくらいい仕事やってたとしても、もう先が見えないっていうような状況は継いでも本当に、ねぇ、大変な思いするのはもうわかっていることですし、だからもしですけど、僕が戻ってきたのが6年前で、震災前のことだったので、もしもその、まだ務めていて、震災があって、から戻ろうかなっていうことになったら、ひょっとしたら父の後を継がないで、父の代で終わったかも知れないですねぇ。

20130525 芳賀滋介、星健一 4

“だから、夢は一つもって。だから、農業になるには、やっぱり、あの、他の仕事について、ビジネスをやってね、情報を集めて、自分の目標が決まったら、それに向かってやるしかないですね。普段、あの、かっこいいあれじゃなくて、やっぱり、自然と共に行きたい人が最優先ってことだね。”

20130427 有馬隆文、梅谷勝義、柳瀬総一郎 2

「こっちに来て思ったのは、やっぱり結構年食ってるんだけど、こっちに入ると、あの周りの人見ると、自分より全然上の人ばっかしで、また若手に逆戻りになって、自分の気持ちはフレッシュなんだけどね。」

「自分は自分として、あの、農業選んだ訳だから、それを職業としてやっていけるように、頑張るっていうことしか今のところ頭にないですね。」