高橋 武彦さん

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南三陸観光バス会社社長であり、奥様と雄勝町内の地区自治会もまとめていらっしゃいます。明るく「当たり前に感謝」とおっしゃる非常に前向きなご夫婦でした。


雄勝の町

高橋氏:生まれも育ちも雄勝町、震災にあうまで雄勝です。

Q:その中のどの部分

高橋氏:雄勝の中心で上雄勝地区、海岸から250メーター

Q:その町の様子っていうのは小さいころからどんな感じでしたか

高橋氏:小さいころから育ったんで海の幸も山の幸もいいとこ、ただちょっと田舎で不便なとこもあるんだけど、そこがいいとこで・・・だからやっぱり雄勝町ものもの私らもかえることにしたんですけど


ふるさと

Q:やっぱり3年すんで慣れてきたっていうことで、生まれ育った前の場所と比べてもどうですか

高橋氏:やっぱり遠く感じるね、雄勝の町たまにいこうとするんだけど、結構遠く感じるんだよね。同じ距離なんだけど。でもいけばねいいなって

Q:遠く感じるのは心の距離が遠くなっちゃったっていう感じですか

高橋氏:いやー1か月に1回私行くか行かないかちょっと今親戚がいて一か月休み・・・・て、だからちょっと雄勝はねようがないといかないんだよね、気持ちの中では遠くなったかもね、でもいざ帰るとやっぱりいいよね

Q:故郷っていう感じはしますか

高橋氏:しますね、やっぱり何じゅうねん60年近く、わし今63だから、60年も生まれ育ったところなんで、まぁなんにもなくなってしまうとこんなに狭いところだったんだなって、まえはうちぎっしりだったでしょ道路んとこまで、だから雄勝町広いとこだなと思ってたけど、いざなくなってしまうとやっぱり


夫婦の連携

雄勝に帰って好きなことやろっかって女房と言ってるんだけど、で、いま雄勝地区の中心地に30世帯くらいもどるんですよ、これからうちつくるんですけど、でそのことで今一生懸命動いてるのがうちの女房でして、わしは何もしてないから、最初は何年越しの計画立てて、会社どうやってって1年後にこうしよ2年後にこうしよ3年後にこうしよ4年後にこうしよって、ないよね、わしはその時の勘で、代表っていうのは決めなくちゃ、専務とかなら社長今いないからわかりませんて、ところが社長がいいかわるいかって決定しなくちゃいけない、勘だよ勘


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加納 竜司さん

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雄勝町にある店子屋(仮設商店街)でお寿司屋さんを経営している加納竜司さん。長い修行を経て開店したお寿司屋さんは津波によって、流されてしまいました。雄勝町でお店続けようと思った理由や雄勝の現状などについてお話していただきました。


伝八寿司を続ける理由
あのね、まずはその、外にあるんだけど、うちの看板すか。伝八寿司って同級生に売ってもらった看板なんで木のね、それが流されてたんだけど、なんか見つかったっていうのがまず一つで、あとうち卵焼きに伝八って焼印をしてんだけど、それがほんと店の、流された店のところに、地面に刺さってたのね。あれ、これって。そういうのもあったし、包丁とかも残ってたし。んで、まぁ一番はあの、食べ物屋さんがね、誰もやらないって言うんすよ。他の。要はあの、みんな歳なんすよ、60過ぎる人たち…俺が飲食店で多分一番若かったんで、でみんななんか、いや俺は仮設店舗になんかはいらねー、今更やったって無駄だべ、とかみんな…でそれでまぁ、まぁ雄勝に残ってる人たちにも、雄勝食い物屋ねぇと大変なんだろうなっていう話もされてたから。もういっぱつ、じゃぁとりあえずで、最初はね、でとりあえずやってみっかって。そんだけ大変だって言うなら。まぁ最初の動機はそうだな、でやってみようって…まぁ俺もほら、家族いるから。食わせていかないといけないからね。無謀なチャレンジはできないっすよ。


雄勝町に残るか残らないか
あの雄勝に残ることに関しては、全然苦じゃないんですよ。まぁ自分が生まれ育った町なんで、全然もう、嫌だとかそういうのはないんです。ただ、うちの、なんていうんすか、家族がなんかまぁ、もう戻りたくねーっていうこともやっぱあるんすよ…うちの親とかは、その、一旦、今うちは俺ら雄勝にはいないんでね、河北町ってとこにいるんすけど、あの…その高台移転ってあるじゃないですか、そん時に、あんたら好きな方選んでいいよ、言ったんですよ、親に。雄勝に戻るのもいいし、こっちの河北町に残るのもいいし…そしたら迷わず河北町選んだから、なんでや、って言ったら、いや、もう今度あんな津波来たら逃げらんね、っていうのと、あともう病院もねーし、なにもねーし、大変、年寄には大変だと思う。


加納さんにとっての雄勝町
ああ、やっぱりねー。一番落ち着、落ち着くっていうのが一番かなぁ。でやっぱあの、やっぱり、昔っからいるし…で残ってる漁師さんとか結構残ってるし、別に雄勝いて、こう退屈するっていうことがそんなないすよね、うん。なんか普通にいる、みたいな。たのしい…楽しいわけじゃないですけど、まぁいて一番楽なところです。雄勝。その河北町とかにいるより、雄勝にいた方が楽だっていうことです。楽っていうか、気持ちが。まぁあんな津波とかもあったんだけど…一番いやすいところです。だから残ってるっていうところは、まぁそういう感じですか。


伝えたいこと
ぜひ、機会があったら雄勝にきてもらって、自分の目で見てもらって、まぁ雄勝のいいところとか、あ、こんなに復興とかがこんなに進んでないんだな、とかを見てもらって、まぁ…こうなんつったらいいんだろうね、言ってもらいたいつーかね。まぁ自分たちも言っていきますけど、外の人にもなんか知ってもらいっていうか、かな。


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阿部 善規さん

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雄勝町熊沢で現在暮らしている阿部善規さん。もともと浜の麓にあった家は流されてしまいました。漁業を通して感じてきたこと、自然と共存することに対して、震災を通して阿部さんが感じてきたことを話してくださりました。


震災に強い漁業
だから災害に、私が思うのは災害に強いって言ったら、もう少しね、この自然を利用したおんなじその手を加えるのも自然に利用、自然を利用したそのやり方をね。それをやればほら、結局は最初は経費かかっても後後はいいと思うんですよ。だからもうちょっと自然に近いやり方でね。最初は手を加えても、自然にその近いやりかた。


震災について
だからその、津波もねー、あの私の、私らはその津波っていうのはおじいさんが昭和8年の津波を経験して、こううるさかった人なんですよ。ものすごいあの津波に対して、あの神経質で、ずいぶんと自分の親が神経質じゃないかと思うくらい神経質でね、地震のあれはとにかく、もう逃げることだったんですよ。もう逃げる、逃げる。地震になったらとにかくみんな起こしてね、もうテレビつけて、自分で起きてきて、テレビつけて、もう玄関もなにもみな開けてね、もうなんていうか早い話、車もなにももう全部エンジンかけなさいで、逃げるそういうね、神経質な親だったんですよ。だから、津波、津波になった時もやっぱり逃げるっていうことはどこか頭にはあったんですけど、ほれで一番うちは下にあったから、とにかく津波に対して神経質だったし、私らはほら、こういう土地であるから、あればこそ、いくら津波来たって、1メーター逃げれば1メーターあがるっていうのは感じたから、それこそ津波そこまで来ても、もうそりゃ命とられるようなことはないんですよね。ただ、結局親の言うことには、結局津波は3回目あたりには、大きいの来るから、っていうから、波が引いていけば、引いて行っただけ大きいのが来るなって思うから。もう引いて行ったとこさは、もう行かないんですよ。だから3回目だから、1回目ここまできたら2回目多分それより多いんだろうって上で見てるわけですよ。そういうなんていうか今まで経験はしていないんだけど、そういう親からなにされたことが自分ではわかってて、結局はほら、思うんですよね。だからまぁあまりこの部落には被害っていうのはないんですよ。船はなんかは流されたけどもね。大抵は流されたけっども、あの、人間が流されたとか、死んでしまったとか、この浜にはないんですよ。みんなそういうことをあれしてるからね。


住めば都
ああ、やっぱりねー。一番落ち着、落ち着くっていうのが一番かなぁ。でやっぱあの、やっぱり、昔っからいるし…で残ってる漁師さんとか結構残ってるし、別に雄勝いて、こう退屈するっていうことがそんなないすよね、うん。なんか普通にいる、みたいな。たのしい…楽しいわけじゃないですけど、まぁいて一番楽なところです。雄勝。その河北町とかにいるより、雄勝にいた方が楽だっていうことです。楽っていうか、気持ちが。まぁあんな津波とかもあったんだけど…一番いやすいところです。だから残ってるっていうところは、まぁそういう感じですか。


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佐藤 一さん

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雄勝町では若い漁師さんで、震災後は仮設住宅から海に通っている佐藤一さん。漁師としての仕事や震災後の復興についてお話していただきました。


雄勝で続ける理由

生徒: もしその外に出て、新しい生活を始めるとしたらどういうことをしてたと思いますか?その新しい生活を、どうなるかなっていう
佐藤氏: そうだね、漁業を再開できるのかできないのか。で雄勝で漁業をするのか、ほかの土地に行って漁業するのか、またはまったく漁業関係ない仕事につくのかで考えて。やっぱ6割7割ぐらいは雄勝に戻って漁業なの。それが駄目なんだったらどうしようなかみたいな。でまあ他の仕事をしてっていうのもあったけど、もうなここまで40過ぎまでやっちゃうとなんかほかのこともね、そういう自分がイメージできないっていうか。感じにもなっちゃってたなぁ。
生徒: そこまで雄勝にもどるってどういった、そこまで雄勝に戻りたいって
佐藤氏: うん、どうだろうなぁ。実際仙台に行って暮らして半月まあ向こうにいたわけじゃない。で、こっちにきて思ったのが、この浜の匂いっていうか、海の匂いっていうか、浜の匂いっていうかやっぱり落ち着くんだよね。でうん。ここで仕事したいなみたいな。それぐらいかな。


震災後の海の仕事
生徒: さとうさん自身はその震災前と後では、海で働くっていう気持ちとしての変化は?
佐藤氏: ないな。変わらず。淡々と仕事をしているというか。どうなんだろうな、津波がきて悔しかったといえば、悔しい。ただ自分の場合は、なんだろう、うん、どうだろうな、まあまあ。そこまでなんかこうまあ一応津波はくるくるって思ってたんで、だってまあ海の仕事をしてて津波でやられちゃうっていうことはある程度考えてたんで、半分しょうがないなって。なんか潔すぎるけどね。だからそういう覚悟があったからあんまり心折れるまではやられなかったのかな、たぶん。


漁と海
生徒: 海ってどういったものなんですかね、佐藤さんのなかで
佐藤氏: 海。どんなもの。難しいな。結局はこの天気が良かったり悪かったり風が吹いたり、なかったり。これは雨だの雪だのまあ自然と仕事を一緒にしてるよな感覚かな。あとはもう本当に結構一人で漁、漁に出てるときは疲れたなあ。やめようかな、もうちょっとがんばろうかな、みたいなぁは自分とのそういう感じで、あとはもうこの天気が悪くなってきた風吹いてきた強くなるなどが、そういうのがもうちょっと頑張ろうとか、もう早めに止めた方がいいなみたいな感じで見てる。海も一緒かな。なんか常にそばにあるというか、そこにあるっていうか。感じですかね特別なわけでもなく、なかったらやだなみたいな。


復興とは

生徒: 佐藤さんにとって復興っていうのはどういう状態で使うのか?復興を終えるということはどういうことなのかとか?
佐藤氏: うん。なんか。うん。微妙だよね、実際は。復興って。だって仕事はこうやって船持って、んで震災前とおなじぐらいのものができて、で当然船も自分のやれる範囲の自分のまわりはなんとか震災前の形に戻しました。でもあの漁港整備とか、宅地だとかっていうものは自分で頑張ってどうにかできるものじゃないじゃん。行政の仕事だから。だからまあ、自分的にはもう復興っていっていいんじゃないの。あとはもうどんどん稼ぐしかないし頑張るしかないし。って思う反面、そういう自分が手が出せない所っていうのはまだまだ復興にはほどとおい。復興できるのかみたいなっていうまだレベルでしょ。だからなんて言っていいんだろうね。自分の中でもまだよく分かっていない復興とは何か。だって完全に震災前に戻すぞと、でもそれは無理な話だから。人そのものが戻ってこないって言ってるし。実際にまあ、自分ら漁業やってるから海の近くに住みたいで海の近くに住みたいで、船の見えるところに住みたい言って戻ってくるけど、実際、サラリーマンとか会社員は実際雄勝に戻ってくる必要がないんだよね。今石巻だとか、町場にいた方が、雄勝にいた時よりも超便利だし、みたいな。まあ郷土愛あって、やっぱ雄勝だよねっていう人が中にはいるかもしれないけど、たぶんあれじゃない。高台移転して帰ってくるのってほとんど高齢の方じゃないかな。なんかこう産まれ育ったところで死にたいみたいな方々は戻ってくるかも知れないけど、ある程度、このなんだろう、40代五十代五十代より下はそうそう戻ってこないと思う。だって便利だもん。まああとはどんだけ雄勝を愛しているかみたいな。どうなのかな。


メッセージ

佐藤氏: まあ気軽に浜に遊びに来てほしいかな。結構ね震災前はさ、この浜に遊びに来る釣り人とかさ、あとは普通の家族づれでもそうだけど、なんかじゃまくさかったのね。で実際来た人たちは飲み食いしたゴミとかもそのままそこらへんに置いてくしそのマナー悪くて。。ですごい煙たがって嫌がってた人とかも結構多かったの、自分だけじゃなく。でもそれは自分の気持ちの受け入れ方ができてなかったっていうのもあったなとかって反省して。震災後も色んな人に手伝ってもらって、色んな人と知り合って、ってやったじゃん。で実際今度漁業っていうものを知らない。自分たちが作っておいしいもの届けようと思ってるのに、そのホタテがどういう風に作られてるのかわからない。ああそうかと、帰ってきてもらったら、来た人に気軽に声かけて話して、で漁業ってこうだよと、こうやって作ってるんだよって見せることによって、その人が興味を持って食べるようになれば。今魚介類離れとか魚離れとか言わるじゃん。そういうのをなんとか取り戻そうと、食育だとか力入れてやってるけども。そんなね、伝わってるのかどうかわからないことをするよりも、遊びに来てくれた人とこうやって話してた方がよっぽど効果あんじゃねえのかなって思って。しかもどんどんおいしいおいしいって食べてくれるとこっちも嬉しいし。これからは心を入れ替えてみなを受け入れようと思ったな。だから気軽に遊びに来てください。



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