20130706 草野城太郎 4

あの、まあ、まだまだ、放射能が高い地区がまだ福島県にはあって、たまたまいわき市は、まだ低いんですね。あの、低いんですけど、まあ、ちょっと、ガラスハウスの向こう側に山があるんですけど、山の裏はちょっと高くなっちゃってて、ここが低いのは、山があって、風がそこの山より下に抑えてもらって、そのおかげでたぶん低いんだろうって言われてますけど、まあ、そうですね、あの、食べ物に関しては、もう普段どおり食べようよ、と。水も、あの、検査して、問題ないんだから、飲もうよ、と。ただ、生活する場所が、人によっては、ちょっと放射能が高いとこもありますんで、まあ、やっぱ、うん。小さいうちだと、甲状腺の問題とかあると思うんですけれども、うちの5歳くらいになってくれれば、まだまだちょっと不安なところもあるんですけど、そうですね、食べ物が一番影響を受けやすいとは思うんですけれども、喉を通っていくんで、でも、検査して大丈夫だから大丈夫でしょう、っていうのが、僕らそういう感じでやってますね。ただ、あの、食卓に並ぶのがめっきり減ったのは、魚ですね。魚はだいぶ減りましたね。このいわきも含めて、福島県では、漁はできないんで。だいたいスーパーに並んでるのも、近くて茨城とか千葉とか。あとは上のほうだと、岩手辺りの魚が来るんですけれども、魚はまだちょっと控え気味というか、僕らは影響ないんで大丈夫だと思ってるんですけれども、子供にはもうちょっと考えさせてみようかな、と思ってる状態ですね。

一消費者としては、そういったことも考慮に入れつつ、食事とか、食べ物も考えてらっしゃる。

まあ、少しですね。

20130706 草野城太郎 3

お客様との関係っていうのが震災以前よりも強くなったという風に。

そうですね。まあ、一人一人のお客さんの顔っていうのはなかなか見える機会がないですけれども。うちみたいに、特に、こういうものを市場に出荷して、スーパーに並べちゃうと、誰かが買ってきてくれるのが、スーパーでこう、じーっとしてなきゃわからないですけれども、でも、震災後、まあ、電話掛かってきたりして、「やっとならんだね」と。スーパーに。そういう声なんかも、友達から聞いたりしてますし。あと、このねぎが、たまに、あの、市場の転送っていう作業で、東京のほうに行ったりしてるんですけど、そうすると、僕の弟が東京に住んでて、「あ、ねぎ並んでたよ」と。うちの。「並んでた。買ったわ。」なんていうから、「ありがとう」って。まあ、「やっと並んだね」とか、そういう話聞けるとうれしいですよね。

イベントなどに参加した東京の人など、そうですね。東京で、いわきの野菜を買ってくれた方たちから何か反応があったりしましたか?

そうですね。震災後、ちょっと、やっぱり、値段が安かったり、出荷できなかったりしたものを、もうちょっと、まあ、トマトやってる僕の友達が、応援しますよってことで、あの、ネットで、あの、販売してみませんかっていう誘いがあって、まあ、それで、あの、どのくらいかな。数量にすると、1箱3キロなんですけど、まあ、200ケースくらい、その、ネットでの注文があって、それをだいたい、日本全国に応募したところ、200ケースくらい注文来て、中には芸能人の人も居たんですよ。「いわきの野菜かいますよ」なんてことで、その人らからは、まあ、僕らも1箱ずつ手紙書いて、そしたら美味しかったよなんて。ただ、3キロなんでなかなか使いきれない量なんで、「ちょっと量が大変でした」なんて笑い話もありますけど、いろんな応援してもらった人からも、あの、諦めてやめちゃった人もいるんですけれども、辞めなくて良かったね、と。今続けてて良かったなと思いますね。

 やっぱり、そういうお客様からの直接のフィードバックというか、お声をいただけるっていうのは、ひとつの大きな励みになりますよね

そうですね。あの、直売所みたいに、まあ、自分で物を持っていって、お客さんに買ってもらえるようなところだと、けっこうやり取りがあると思うんですけど、僕らみたいに市場に出荷してるっていう場合だと、なかなかそういう話が聞けないんでけど、ここ2年くらいは、そういう機会があって、いろんな話が聞けるようになったっていうは正直な話で。あとは、そうですね。まあ、業務用に使うのが一番多いんですよね。お好み焼き屋さんとか、ラーメン屋さんとかでけっこう使ってもらってるので。それまで、あの、どこどこの店舗で使ってもらってますよ、っていう話もあまり聞かなかったんですけど、「うちで使ってますよ」、なんて話も聞きつけたりして、僕らも食べに行ったりして、そこから、ちょっと交流もできたりして。普段はもう、すべて、袋詰め、箱詰めにして出荷しちゃうんですけれども、直接うちに買いに来てくれるようにもなりましたし、まあ、少しずつ、あの、消費者が身近になったっていうか、あの、震災のおかげっていっちゃうと、ちょっと自信にあれなんですけど、まあ、うん。いいことだったな、っては思いますね。

 変化があった部分においては、良かった。

まあ、そうですね。あれがなければ、普段どおり今でもやってたんでしょうけども、あれがあったから、僕ら生産者の取り組みもみんな一丸となってできるようになったし、そうじゃなかったら、まあ、あそこで何々つくってる誰々さん、とか、それで終わってたのが、まあ、会って話したり、今度ああしようよ、こうしようよ、って言う話もできるようになったりして、震災のおかげなんですかね。それがなきゃ、本当にこうはならなかったですし。あまりいいものではないですけど、でも、結果としては、今、まあ、やりがいのある仕事だな、と思ってます。

20130706 草野城太郎 2

お子さんは何歳なんですか?

子供は、うちのは子供3人居るんですけれど、女の子、男の子、男の子で。一番上が10歳になって、真ん中が、7歳、3番目が5歳です。

一姫二太郎ですね。(笑)

そうですね。たまたまなんですけれども。いま、忙しくやってますけど。僕ら生産者の子供として、あんまり間違った教育はしたくないな、ってのがあるんで、あの頃はこうだったけど、今こういうちゃんと検査して、安全なんだよ、って言うことで、子供らには、そういうことは言いながら、まあ、食事をさせてますけども。よく、いわきの農産物は、やっぱ、まだ危ないから、とかって、あの、敬遠されてる部分もあると思うんですけれども、まあ、これだけ日本全国で検査してる野菜も、まあ無いと思うんですよ。まあ、僕ら生産者みんなそういって、こういう結果が出てるんで、安全ですよって言って、出荷したり、あとは、直売所において貰ったりしてるはずなんですけれども、まあなかなか、その結果がまだ伴わないって言うか、なかなか反映されてないですね。

20130706 草野城太郎 1

やっぱり、あの、年間同じところで5回採れるんですよ、これは。で、5回採れるので、だいたい2ヶ月ちょこっとくらいで成るんですけれども、まあ、その間、やっぱ、これを出荷しようと思って作ってたのが、まあ、滅多にこういう捨てることなんかないので、だからちょっとがっかりはしますよね。まあ、お金にならないのがいちばん大きいかもしれないですけど、それ以上に、やっぱ、スーパーに並べてもらえないとか、あの、食べてもらえないっていうのが、僕ら生産者にとっては一番つらいところですね。はい。1635まあ、それでも、やっぱ、小さい子供なんか持ってる家庭、うちもまだ小さいの居るんですけど、だから、気をつけてもらわないといけないなあ、ってあの頃は思ってたんですよね。だから、うちの野菜が食べられないのも仕方ないなってそのときは思いました。

その時っていうのは、震災後。

震災直後くらいですね

今2年たってみて、その気持ちはどうですか

そうですね。その頃のは、あんまり思い出したくないのは確かですけど、でも、まあ、その、それを糧にもっとがんばろうと。今はまあ、平常どおり、平常心を持ってやってますね。

20130706 白石長利 6

http://www.youtube.com/watch?v=RYYnQBqTu0I

5月くらいから農業が、田植えと農業スタートして、でそんな中でいわき市の農業振興課っていう役所の中にあるもので、何かやろう、風評被害対策とか。なにやりますかねぇって感じで、でちょうどその振興課の係長、若い係長だったんですけど、同級生に電通で働いてる人がいるってことで、で、その電通の人も地元いわきがこんなんなっちゃってなんか手伝いをやりたいつうことになって、じゃあCM、動画を作りますかっつって。うん、そうですね。見たことあります?CM。動画を作ったんです。動画というかCMを。関東圏宛てに。

-CM- 見せます!いわき 「宣言」篇

20130706 白石長利 5

http://www.youtube.com/watch?v=uATbpzOHXA8

全量全袋検査をしても個人の方は販売ルートが見つからなかった。他には、田植えも風評被害でどうなるかわからない。やっぱりキーワードが風評被害ってこう一つあると思うんですね。それについて、まぁちょうど震災直後から今に至るまで、風評被害がどのように変化していったか、あるいはどのようにお考えか、教えていただいていいですか。
白石: 風評被害はほんと、なんか、なんかっていうか、まぁ最悪、もういらない、いらないです、って言って取引停止。で市場でもそうなって、いわきの市場でも、もう市場に持って来ても、誰も買い手がいないから。

農家さんの持って来た物を、断っちゃうってことですか?

市場が。市場が、もう持ってこないでくれって。売れないからどうせ。で、僕の先輩でもある、こっから車で15分くらいのとこに、トマトランドっていうでっかいトマト屋さんがあるんですけど、そこで、普通トマトの一箱だいたい4キロぐらい入る。トマトがね。で通常だと1500, 1600円、平均単価。1500, 1600円で取引されるのが、一箱200円、で取引。でも200円だったら、出さない方がいいよね。箱代とその下に敷くものと、でおばちゃんらのパート代と、あと運送料と、で市場に持ってけば市場の手数料。ってなると、もう200円きっちゃう、赤になるから、もう持て来るなって言うので、捨てたって、10何トン。結局、出せば出す程赤字になっちゃうから余計に。それは多分ね、おっきい風評被害。

20130706 白石長利 4

http://www.youtube.com/watch?v=tWFmjZeLnTM

そのときに、どんな会話されたか、簡単にでいいので教えていただいて。

どんな会話。まぁでもね、意外とね、全然考えてなかったな。

原発問題とか地震に関して?

うん。まぁなるようにしかならないんでね。逆にもう、すべてを諦めてたかもしれない。どうにでもなれって。

どうにでもなれ。

うん。もう多分終わったなと思った。

それは福島が?それとも農業が?

まぁ両方だよね。ずっと眠ってたかった。飲んで、酔っぱらって。もう昼間から眠って、やることないんで。うん。ずーっと、朝起きてビール飲んで。逆に起きてるとさ、おなか減ったりとかさ、するでしょ。ずっと飲んで、体もう酔っぱらったまんまで、寝て起きて、寝て起きて。本当にやる事がなかったなんも。土もいじくれないし、そういうもう行政の指導がもう入っちゃって。動きがとれなかった。でガソリンも無い中で、ね。そんな、用事もなくどこにも、行っても、当然店も閉まってるし。

でもね、二週間ぐらい過ぎて、タバコが無くなったの。買いだめしといた。これは、まずいと。ほんとにそんなもんなんです。でそれでじゃあ俺東京行くからって。買い占めてくるタバコは。俺だけじゃない、こう周りの友達とかともね。で、まぁとは言うものの、調達、その食べ物の。で、ねだんだんいわきナンバーは拒否されるだとか、そういう話もあって。でも俺行ったとこはほんとみんないい人ばっかで。東京都内でも結構制限とかかかってたんですよ、行ったら。牛乳一人一本、二本までとか。でももう、免許証見せて、ちょっと調達しに来たんですけどって言ったら、じゃあ持てるだけ持ってっていいよってい言ってくれて。帰ってくるときなんかは自分が救世主になったような感じで。まぁ全然救世主でもなんでもねぇんだけど。でもやっぱこっち来ていわきに入って一軒一軒行ったら、みんなお金はあるわけさ使わないから。もうおつりなんかいいからさ、これいい商売になんなって思ったけど。でもほんとそれぐらい物がなくて。食べる物が無い。だからうちなんかこう物々交換とかでね、野菜とかあったけど、ほんと無い人って、困っただろうなって。スーパーだけで買ってる人は。ましてやね、専業主婦だと毎日買い物に行くとしたらそんなに余分なストックって買わないでしょ。

だから、逆にそういってこっちから出てって、東京の人たちに暖かくしてもらった、自分はね。でまぁガソリンも満タン、もうほんとたぷたぷのラインまで入れてもらったり。話に聞くともういわきナンバーは入ってっただけでもう出てってくださいって言われた人もいるとは聞いて、それはおめぇの態度が悪かったんだろって言って。でもなんかそっちの話しか出てこないじゃん。拒否されたとか。それがやなんだよね。確かに拒否されたのかもしんないっすけど、多分絶対応援してくれた人が絶対多いし。だったら逆にこっちの応援してもらったっていう話を誇張すれば、ほんと日本って良い国だなってなる、確かに、ねぇ、断られたのかもしれないけど。

20130706 白石長利 3

思い出したくない部分とかもあると思うんでそこはスキップして頂いていいんで、あの311が起こって、そしてそれから一週間、一ヶ月ですね、どのように心境が変化していったかどのようにイベントが進んだか、簡単にお話頂けますか。

震災、ちょうど震災あった日が、今、まぁ長女かな。生まれて、生まれたのが3月4日だったんですよ。でちょうど一週間後に退院っていう事で。で、退院して、ここで家族で飯食って、お茶飲んでるときに地震が起こったの。でまぁそれで地震になって、まぁでかかったなぐらいの勢いで、でもテレビつけたら津波が来るつって。で、一番心配だったのが、そのあの、草野さんのハウス。おんなじハウス。あれガラスでできてるから。で結構草野さんとかバリンバリンに割れたりして、で多分もうこの大きさじゃもうバリバリに割れてるだろうなと思って行ったら、一枚も割れてなくて。おお、と。ラッキーと思ったりして。で帰って来たら今度津波の映像見て、うわラッキーじゃねぇしって思って。じゃあいわきにも来んのかなって。んでも、行こうとしたら、目の前の道路が渋滞で、ダメだ行けないわっつって。当然電話も繋がんない状態だったし。

でまぁそれで、まその日はどうしようもないから。一番心配だったのはすぐ下の妹が宮城の多賀城っていうとこに住んでて、まぁ嫁で行って、で電話も連絡つかなくって、多賀城も津波でやられたっていう情報が入って来て、まぁ結局は玄関すれすれまで水来て、セーフだったんで。まぁ死んだ人とか怪我した人とか周りの身内にはいなかったんですけど。で、次だっけ原発が、ボーンて爆発したでしょ。でそれ見て、あぁもう終わったなと思って。でそこから、ちょうど次の日になったら、電話が使えるようになって、で爆発して急いで、折笠(農家仲間)とか状況とか電話して、どうなんだろうこっちねぇみたいな、全然情報無かったし、まぁでもヤバいよねって話で。で、一週間はずっとここで、うん、まぁ何もやらず。まぁ俺は近くのガソリンスタンドとか、ガソリンとりあえず集めれるだけ集めてで、一週間後に常磐道が、高速道路が、走れるっつうことになって、まぁでも、うん、赤ん坊もいるし、で嫁さんの妹が東京の葛飾区に住んでて、それでとりあえず送っていって。で、2,3日あっちのほうにいて、あっちで買えるものは買って、商品や食べ物とか。で、俺だけこっちに戻って来て。

そっから飲み会の日々。なんもやる事無いっしょ。だから友達と、呼んで。でうちは米あったんで、米とか、野菜はもうさすがに手を付けられなくて。まぁねやっぱ食べ物とか。うちの親戚が井戸水あって、水道も出なかったんで、水が。それでその井戸水は、もう原発爆発してすぐに調べてもらって、でその近所にでっかい老人ホームがあるんですけど、そこでもやっぱ水使いたいっつうことでこの井戸が多分いわき市で一番早いくらいに、水質調査をやってもらったのがあって。で、たまたまうちにあの、300リットルくらい入る黄色いタンクを新品で買っておいて、なんも使わなかったんで、それを軽トラに積んで、こっから15キロくらい離れたとこの井戸に毎日水汲みに行って、で、このへんの近所の人だとか、水、ね、用意できない人の分とかまで用意して、でねやっぱね、人間ね、頭洗わないとおかしくなってくるよ。風呂入んなくてもいいんだけど。頭洗わないとなんかもうイライラとか不快感。風呂入んなくてもなんとか。頭と、足が、洗いたくて。やっぱみんなもうだんだん。

20130706 白石長利 2

http://www.youtube.com/watch?v=8M30HuS5xM0

今頂いたお話の中で共通するのは対策、というキーワードで、例えば今政府が取り組んでいる、あるいは東京電力の賠償とかについては、どう思われますか?

まぁ勝手にやってなって、っていう話になっちゃう。もう、それは、政府の人もそうだし、なんでそんなことで、論議してる時間があんのって逆に俺は思う。首都直下型が来る確立ってのが出てんだから、まぁ当然ね、被災地の事考えるのはそれはもう当然のことであって、次の対策を練っとかないと、また、後手後手に回って、うん、まぁ自分のことしか考えてないっていうかね。被災地のことを考えているようで、結局は考えてないというか。だからもう、なっちゃったことはしょうがないし