会見
男性, 福島, 放射能

20130706 白石長利 3

思い出したくない部分とかもあると思うんでそこはスキップして頂いていいんで、あの311が起こって、そしてそれから一週間、一ヶ月ですね、どのように心境が変化していったかどのようにイベントが進んだか、簡単にお話頂けますか。

震災、ちょうど震災あった日が、今、まぁ長女かな。生まれて、生まれたのが3月4日だったんですよ。でちょうど一週間後に退院っていう事で。で、退院して、ここで家族で飯食って、お茶飲んでるときに地震が起こったの。でまぁそれで地震になって、まぁでかかったなぐらいの勢いで、でもテレビつけたら津波が来るつって。で、一番心配だったのが、そのあの、草野さんのハウス。おんなじハウス。あれガラスでできてるから。で結構草野さんとかバリンバリンに割れたりして、で多分もうこの大きさじゃもうバリバリに割れてるだろうなと思って行ったら、一枚も割れてなくて。おお、と。ラッキーと思ったりして。で帰って来たら今度津波の映像見て、うわラッキーじゃねぇしって思って。じゃあいわきにも来んのかなって。んでも、行こうとしたら、目の前の道路が渋滞で、ダメだ行けないわっつって。当然電話も繋がんない状態だったし。

でまぁそれで、まその日はどうしようもないから。一番心配だったのはすぐ下の妹が宮城の多賀城っていうとこに住んでて、まぁ嫁で行って、で電話も連絡つかなくって、多賀城も津波でやられたっていう情報が入って来て、まぁ結局は玄関すれすれまで水来て、セーフだったんで。まぁ死んだ人とか怪我した人とか周りの身内にはいなかったんですけど。で、次だっけ原発が、ボーンて爆発したでしょ。でそれ見て、あぁもう終わったなと思って。でそこから、ちょうど次の日になったら、電話が使えるようになって、で爆発して急いで、折笠(農家仲間)とか状況とか電話して、どうなんだろうこっちねぇみたいな、全然情報無かったし、まぁでもヤバいよねって話で。で、一週間はずっとここで、うん、まぁ何もやらず。まぁ俺は近くのガソリンスタンドとか、ガソリンとりあえず集めれるだけ集めてで、一週間後に常磐道が、高速道路が、走れるっつうことになって、まぁでも、うん、赤ん坊もいるし、で嫁さんの妹が東京の葛飾区に住んでて、それでとりあえず送っていって。で、2,3日あっちのほうにいて、あっちで買えるものは買って、商品や食べ物とか。で、俺だけこっちに戻って来て。

そっから飲み会の日々。なんもやる事無いっしょ。だから友達と、呼んで。でうちは米あったんで、米とか、野菜はもうさすがに手を付けられなくて。まぁねやっぱ食べ物とか。うちの親戚が井戸水あって、水道も出なかったんで、水が。それでその井戸水は、もう原発爆発してすぐに調べてもらって、でその近所にでっかい老人ホームがあるんですけど、そこでもやっぱ水使いたいっつうことでこの井戸が多分いわき市で一番早いくらいに、水質調査をやってもらったのがあって。で、たまたまうちにあの、300リットルくらい入る黄色いタンクを新品で買っておいて、なんも使わなかったんで、それを軽トラに積んで、こっから15キロくらい離れたとこの井戸に毎日水汲みに行って、で、このへんの近所の人だとか、水、ね、用意できない人の分とかまで用意して、でねやっぱね、人間ね、頭洗わないとおかしくなってくるよ。風呂入んなくてもいいんだけど。頭洗わないとなんかもうイライラとか不快感。風呂入んなくてもなんとか。頭と、足が、洗いたくて。やっぱみんなもうだんだん。

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