会見
自然, 雄勝町, 復興, 津波, , 漁業

阿部 善規さん

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雄勝町熊沢で現在暮らしている阿部善規さん。もともと浜の麓にあった家は流されてしまいました。漁業を通して感じてきたこと、自然と共存することに対して、震災を通して阿部さんが感じてきたことを話してくださりました。


震災に強い漁業
だから災害に、私が思うのは災害に強いって言ったら、もう少しね、この自然を利用したおんなじその手を加えるのも自然に利用、自然を利用したそのやり方をね。それをやればほら、結局は最初は経費かかっても後後はいいと思うんですよ。だからもうちょっと自然に近いやり方でね。最初は手を加えても、自然にその近いやりかた。


震災について
だからその、津波もねー、あの私の、私らはその津波っていうのはおじいさんが昭和8年の津波を経験して、こううるさかった人なんですよ。ものすごいあの津波に対して、あの神経質で、ずいぶんと自分の親が神経質じゃないかと思うくらい神経質でね、地震のあれはとにかく、もう逃げることだったんですよ。もう逃げる、逃げる。地震になったらとにかくみんな起こしてね、もうテレビつけて、自分で起きてきて、テレビつけて、もう玄関もなにもみな開けてね、もうなんていうか早い話、車もなにももう全部エンジンかけなさいで、逃げるそういうね、神経質な親だったんですよ。だから、津波、津波になった時もやっぱり逃げるっていうことはどこか頭にはあったんですけど、ほれで一番うちは下にあったから、とにかく津波に対して神経質だったし、私らはほら、こういう土地であるから、あればこそ、いくら津波来たって、1メーター逃げれば1メーターあがるっていうのは感じたから、それこそ津波そこまで来ても、もうそりゃ命とられるようなことはないんですよね。ただ、結局親の言うことには、結局津波は3回目あたりには、大きいの来るから、っていうから、波が引いていけば、引いて行っただけ大きいのが来るなって思うから。もう引いて行ったとこさは、もう行かないんですよ。だから3回目だから、1回目ここまできたら2回目多分それより多いんだろうって上で見てるわけですよ。そういうなんていうか今まで経験はしていないんだけど、そういう親からなにされたことが自分ではわかってて、結局はほら、思うんですよね。だからまぁあまりこの部落には被害っていうのはないんですよ。船はなんかは流されたけどもね。大抵は流されたけっども、あの、人間が流されたとか、死んでしまったとか、この浜にはないんですよ。みんなそういうことをあれしてるからね。


住めば都
ああ、やっぱりねー。一番落ち着、落ち着くっていうのが一番かなぁ。でやっぱあの、やっぱり、昔っからいるし…で残ってる漁師さんとか結構残ってるし、別に雄勝いて、こう退屈するっていうことがそんなないすよね、うん。なんか普通にいる、みたいな。たのしい…楽しいわけじゃないですけど、まぁいて一番楽なところです。雄勝。その河北町とかにいるより、雄勝にいた方が楽だっていうことです。楽っていうか、気持ちが。まぁあんな津波とかもあったんだけど…一番いやすいところです。だから残ってるっていうところは、まぁそういう感じですか。


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