三浦秀子・三浦明美 2


Screen Shot 2014-09-30 at 12.34.49

三浦秀子・三浦明美

クリップ 2

「反対に、何が欲しい?って聞かれるの」「今は服とかはある程度あるから」「震災後困ったのは、ミルクとおむつ」

三浦秀子・三浦明美  3


Screen Shot 2014-09-30 at 12.34.49

三浦秀子・三浦明美

クリップ 3

「受入れ側はもういっぱいしてもらったから、もういいよっていう気持ちになっている。もう皆に甘えていられないっていう気持ちになっている今は。でも、来てくれる人達は、いやまだまだ見る限りではまだ復興にはまだ先だから、これは本当に気持ちですって」

高橋 頼雄さん

インタビュー一覧へ戻る


雄勝町の仮設商店街の横にある雄勝硯生産販売共同組合で職員として働いている高橋頼雄さん。元々震災前は自分の所で硯を作る会社を経営しておりました。津波で家は流され、現在お母様と森林公園の仮設で暮らしています。


残る理由
私は最初っから雄勝に残るつもりで、仮設住宅も早い時期だったら石巻中心部も早かったんだね、そこにも入れたんですけど、私は最初からもう雄勝の仮設に住みますと。その後も継続して住むつもりでいたので、仕事はもちろんここなのでね、もうそういう意味では私は逆にまあ幸せだというか、やりたいこと、好きなことをやらしてもらってるんで、まだ恵まれてる方かなと思いますよね。みんなよく言われるのが、いやよくこんな不便な所でって、何も、それこそコンビニもない、何もないって、いや最初っからそんな求めてないので、車で30分走りゃ何でもあるし、ていう感覚で暮らしているので。

一番梱包はここでの仕事が一番ここに材料があって環境があるわけなんで、一番やりやすいのはまあ第一と。あとはやっぱりあの生活自体が豊かなんですよ。季節季節に海産物いっぱいあって、買おうと思えば安く帰るし、別に買わなくてもいっぱい貰えるしとか。そういった人もいっぱいいたりして。まあ近所付き合いもずっと、あのいっぱいあって。今でも仮設に移ってもみんな雄勝の人ばっかりいる、みんな顔なじみなんで。なんか作ってる人いれば持って来るし、まああの山菜時期だったから、今なんか本当山菜食べまくり状態。毎日民宿みたいな暮らしてますね。で、まあそういうのが季節感もたっぷり味わえるし、仕事もここでできるし。私にとって、こんな良い所はないので、やっぱ住みやすいね。


若者の受け入れ
一応、あの募集かけてやりたい人いませんかっていうので入ってもらったり。あとはあの今度は若い子1人入るのは、地元の出身の人で、大学でちょっとその物作りも学んで、元々やりたいって言ったんで、震災のちょっとお手伝いというかインターンというわけじゃないけど、夏休み使ってずっと手伝い、ボランティアでやってもらってたりしてたんで、であのその素材を使ってこういうのをやってるっていうのを理解してもらって、それで大学を卒業するにあたり、まあその勤めたいんですって言ったらそりゃもう受けるというので入ってきてもらってるんですよね。そういった形であの受けていけば、ただ何人もっていうのはまだね、そんなに水産体制とまあ売り上げも上げないといけないので、そのためにはまだしっかり売り上げをあの今よりもきちんと上げて、ちゃんとして自営をもってやればすぐ来たい人も受け入れられるんじゃないかなって。とにかく売り上げがそのまあ良い物作って、ちゃんとした物を売っていけば、必ずあの人は来ますと思っております。


伝えたいこと
震災から3年以上経て、えーまあただあの、ハード的な状況は変わってはないです、ま瓦礫片付いて、まあ少しずつは進むとは思うのですが、私らはあの仕事は切らさないつもりでずっと、まあ特に私らの硯の仕事ってもう600年以上続いているので、それはもうどうしてもここで終わらせるわけにはいかないというので元々始まって、あの色々本当に報道等で取り上げていただいてるので、注目度は前よりよく見てもらってますので、その中でちゃんとした物をこれからもここで作っていこうと思ってます。そのためには、是非あのいらない、無駄な物は作らずに、あのもうシンプルに生きたいんですよね。でここにあのぜひ来てもらって、まあ別にそんな災害がまあ頻繁にあるわけでなくて、来てもらって、安心して、何かあってもきちっと誘導等もありますので、何より私らの硯もそうですし、あのここ海産物、ホタテが特に有名であったり、まあ夏場だったらホヤだったり、魚とかとっても美味しいところなので、でそういうお店ももうちゃんと、仮設ではありますが、営業してるので、何かしらお手伝いにとか、何もしてねから申し訳ねえとかじゃなくて、行っちゃいけねえのは全然ないので、あの遊びにとにとにかく来てください。あの良いもんと美味しいもんはしっかり、それは雄勝だけじゃなくてね、あの東部沿岸部みんなそれでもう一回立て直すので、一生懸命頑張ってるので。普通にとにかく遊びに来て、まあ正直お金ちょっと使ってもらうのが一番早いので、お願いします。


インタビュー一覧へ戻る

佐藤 美千代さん

インタビュー一覧へ戻る


雄勝町のてなこ屋商店街(仮設商店街)の少し外れたところに、トレーラーハウスで八百屋さんを構える「八百清」の佐藤美千代さん。家族のお話や将来への希望についてたくさん話して下さいました。


お店の将来

この3月の12日にここに、このトレーラーハウスで商売して、そして、一日も早く高台になって、このトレーラーハウスを高台に持って行ってあのー、震災前のような店番がしたいのさ。というのは、ほらこういう生活慣れないんだ。朝に来て、夕方帰るって。そういう生活は今までしたことないちゃ。だから今までだと、お家とお店が一緒だから、お布団も干せたし、洗濯物もね、外に干せたし、そういうので夕方になっと夕飯作りながらお店番をするって。それがね、何十年も続いてたから、こういう生活、本当にこういてて、あ、今日は何をすっかなってこう考えるのが精一杯で何にも出来ないものね。


生かされた命
だから、私も震災で、叔父、叔母、それから従妹、近所のおばさん、あと義理のお姉さんとかって一杯亡くしたけっど、未だにあの上んない人もあるんだっちゃ。見つからない人も。だからね、自分がその時自分も、一応泳いだけれども、一応助かったから、何とかね、その、助かった命をもう少し、ね、みんなのためにねー。みんなだってさー亡くなった人はさ、もっともっとさーいろんなことをやりたいって思ってたと思うんだよ。で従妹の人は私と同級生だから年金の話なんかしたばっかりなのね。年金もらうか、早くもらうかーとか言ってね。そうしてる内に亡くなってしまって、、、とにかくね、「生かされた命だと思って」。
本当に3.11はさ、亡くなった人と生きた人が本当に紙一重で、本当に何メートルか先に車が走っていた人が亡くなったり、もうちょっと遅れた人が、すぐUターンして山の方に行ったりっていうような感じがあったから。


唯一の楽しみ
で今年はこのひな壇のそこの階段のとこで14人皆でとったの。それを撮って、あのー私が河北新報さ、7月から12月までのカレンダー、それに申し込んだから今写真ないんだ。で、毎年こう、私たち仮設で花見をしたりして、そういう何て言うのかな、みんな家族。自分たち二人っきりだったのがいつのこま14人になって、それが唯一の楽しみでねー。早く高台になって、その14人がみんなでさ座れるようなね、テーブル囲めたらいいなと思うし。今仮設さ行くと、14人なんか入らないからね。孫たちだんだん、だんだん大きくなってきて一回入ったの。ちょって、あと動かないでーとかって感じでとにかくね、狭いんだー


インタビュー一覧へ戻る

加納 竜司さん

インタビュー一覧へ戻る


雄勝町にある店子屋(仮設商店街)でお寿司屋さんを経営している加納竜司さん。長い修行を経て開店したお寿司屋さんは津波によって、流されてしまいました。雄勝町でお店続けようと思った理由や雄勝の現状などについてお話していただきました。


伝八寿司を続ける理由
あのね、まずはその、外にあるんだけど、うちの看板すか。伝八寿司って同級生に売ってもらった看板なんで木のね、それが流されてたんだけど、なんか見つかったっていうのがまず一つで、あとうち卵焼きに伝八って焼印をしてんだけど、それがほんと店の、流された店のところに、地面に刺さってたのね。あれ、これって。そういうのもあったし、包丁とかも残ってたし。んで、まぁ一番はあの、食べ物屋さんがね、誰もやらないって言うんすよ。他の。要はあの、みんな歳なんすよ、60過ぎる人たち…俺が飲食店で多分一番若かったんで、でみんななんか、いや俺は仮設店舗になんかはいらねー、今更やったって無駄だべ、とかみんな…でそれでまぁ、まぁ雄勝に残ってる人たちにも、雄勝食い物屋ねぇと大変なんだろうなっていう話もされてたから。もういっぱつ、じゃぁとりあえずで、最初はね、でとりあえずやってみっかって。そんだけ大変だって言うなら。まぁ最初の動機はそうだな、でやってみようって…まぁ俺もほら、家族いるから。食わせていかないといけないからね。無謀なチャレンジはできないっすよ。


雄勝町に残るか残らないか
あの雄勝に残ることに関しては、全然苦じゃないんですよ。まぁ自分が生まれ育った町なんで、全然もう、嫌だとかそういうのはないんです。ただ、うちの、なんていうんすか、家族がなんかまぁ、もう戻りたくねーっていうこともやっぱあるんすよ…うちの親とかは、その、一旦、今うちは俺ら雄勝にはいないんでね、河北町ってとこにいるんすけど、あの…その高台移転ってあるじゃないですか、そん時に、あんたら好きな方選んでいいよ、言ったんですよ、親に。雄勝に戻るのもいいし、こっちの河北町に残るのもいいし…そしたら迷わず河北町選んだから、なんでや、って言ったら、いや、もう今度あんな津波来たら逃げらんね、っていうのと、あともう病院もねーし、なにもねーし、大変、年寄には大変だと思う。


加納さんにとっての雄勝町
ああ、やっぱりねー。一番落ち着、落ち着くっていうのが一番かなぁ。でやっぱあの、やっぱり、昔っからいるし…で残ってる漁師さんとか結構残ってるし、別に雄勝いて、こう退屈するっていうことがそんなないすよね、うん。なんか普通にいる、みたいな。たのしい…楽しいわけじゃないですけど、まぁいて一番楽なところです。雄勝。その河北町とかにいるより、雄勝にいた方が楽だっていうことです。楽っていうか、気持ちが。まぁあんな津波とかもあったんだけど…一番いやすいところです。だから残ってるっていうところは、まぁそういう感じですか。


伝えたいこと
ぜひ、機会があったら雄勝にきてもらって、自分の目で見てもらって、まぁ雄勝のいいところとか、あ、こんなに復興とかがこんなに進んでないんだな、とかを見てもらって、まぁ…こうなんつったらいいんだろうね、言ってもらいたいつーかね。まぁ自分たちも言っていきますけど、外の人にもなんか知ってもらいっていうか、かな。


インタビュー一覧へ戻る

木皿俊克さん

インタビュー一覧へ戻る


閖上生まれ閖上育ちの木皿俊克さん。現在は東部愛島仮設の自治会で会計士をやっているそうです。


震災前の閖上について

二階だったんですが、流される家が二階だったんですけどほんとに海が見えてほんとにこう波の音が聞こえて、夏にはもう潮風が入ってきてクーラーが要らないくらい寒いくらい夏でも、そんな時もありました。

暮らしやすそうな、、
そうですね。暮らしやすかったですねー。今はある程度愛島にも慣れてこの生活にも慣れたんですけれど、でもやっぱり時たま閖上のことを思い出してあーもう朝になると散歩にでかけたり、こんな時だったら日曜日の朝頃からたぶん松林の所をぐるぐるぐるっと一時間くらいかけて散歩してたりしますね。

Q: 今思い返しても閖上という町は暮らしやすかった、、
木皿:暮らしやすかったですねー!はい。やっぱりこう愛島の東部仮設という形でこうだいたい地元の人というか、前四丁目っていうですけども、海の近く低山彫りっていう所があって低山彫りも東にあの四丁目、三丁目とひる山に五丁目、六丁目があってっていう形なんですけれども、そこの人たちの暮らしぶりっていうのは良かったっていう。遠藤会長と愛島東部仮設の遠藤会長とも町内会で一緒でしたもんですからそうゆう関係で結局地元のつながりがすごいこう深いっていうかそうゆう感じは思っていましたね。やっぱりこう暮らしやすかった。結構でかけても”おお”みたいな感じで。

Q: 出かけると顔見知りの方と、、
そうですね。挨拶とかするんで、はい、私はでも若い頃はそんなにこう町内会と仲良く付き合ったわけじゃないんで、逆に50代の頃から町内会の役員を始めていろんな人と仲良くなって、そういった面で暮らしやすい、私だけじゃなくってみんな言うんですが、コミュニティーというか、隣近所の仲が良いというそういった場所柄でしたね。


仮設での暮らし

Q: 最初こちらにいらした時は仮設住宅の印象はどうでしたか?
ああ!まぁえっと、良いのか分からないですけれど暮らしやすかったですね。最初に思っていた時は隣の人の声が聞こえるとか、冬寒くて夏暑いって言われてて、でもそんなことなくてすごく快適で、はい。愛島東部仮設は私としては暮らしやすいですね。一人で暮らしているんですが、暮らしやすいです。

Q: こちらにいらした時は昔からの閖上の知り合いの方はいましたか?
いましたね。遠藤会長をはじめ。こちらが知らないと向こうが知っていて、向こうから声をかけられてもこっちが分からないという、そういう恥ずかしいこともありますね。

Q: そういう方がやっぱりいらっしゃると、、
気持もやっぱり違ってきますね。大河原にいた時はすごい便利というか楽だったんですがなにも自分ですることもないし、でもやっぱりちょっと寂しいっていう感じはあって、やっぱりこちらにきて俺もしょっちゅう出かけてる方だからあんまりこう付き合いとかがある方ではないんですが、心強いですね。知っている人たちがいるってことは。やっぱり昔の閖上をちょっと思い出させてくれる。すごい大事な所かなと。

Q: そうすると以前と比べてご近所さんとのつながりと言いますか、というのはあんまりこちらでも変わっていないという、、
そうですね。ちょっとこう場所が変わっただけで、コミュニティー自体は変わってないという。

Q: 現在は仮設住宅にお住いになっていて何か特に困ったこととかありますか?
いや、ないですね。もうちょっと細かく言えばあるんでしょうが、まぁ暮らす分には本当にすごい暮らしやすいですね。会社も私は仙台の方にあるものですから近いんで、生活するにはもう、会社も近いんで、はい。通勤もしやすいですね。


神戸での経験

Q: 自治会に参加するにあたってその役員をするにあたって生活の変化というかありましたか?
変化というかただ楽しいですよね。自分でまぁあの去年たまたま、今年か。たまたま神戸に行く機会がありまして、冗談半分にちょっと去年の夏か秋ころに神戸に行かないかって言われて、行く行くって手を挙げて、だいたいそういう話って近くになってそういう話あったっけってなるんだけれども、具体的な話になってそろそろ神戸に行かなきゃ行けないんだけどってみたく言われてあー本当なんだって。そういう形で行かせてもらってすごい自分の今でもこう宝物みたくなっていて、それはすごい自分でも良かったなって思ってます。で、そういった声かけてくれた会長を始めみなさまに本当に感謝しているというか、それはありますね。

Q: 神戸に行かれたことでなにが一番大きかったですか?
あーまず一番はあのやっぱり神戸の人たちも同じ痛みっていったらなんですが抱えているっていうのが分かりまして、私自身も阪神淡路大震災の時はこうやっぱり人ごとだったですね。で自分たちがなってこうそんなにこう聞いたりなんだりしないけども、こう1.17の阪神淡路大震災のイベントを通じて、こういろんな人から聞こえたりしてみると、未だにやっぱり揺れたりなんだりすると心配なんだよね、って歩いていてもきこえるわけですよね。あーちょっとやっぱり同じこうやっぱり痛みを抱えてるし、やっぱり忘れてはいけないし、みたいな形でやっぱり、うーん、忘れるってことがやっぱり一番悲しい。まあ、忘れていいってこともあるけども、やっぱり忘れないでいてもらいたいっていのもあるし。そういったものを、すごい感じたし。いろんな人の、人との交流っていうのもやっぱりあったし。そういっためんでは、すごいこう、まあ、うん、阪神淡路大震災の教訓もあるし、今回の東日本大震災のやつもあるし。あとやっぱ人とのつながりっていうか、そういったものをすごい感じさせてもらった従う集いだったと自分では思っています。繰り返しになりますけど、そういったのに参加できたのがやっぱり自分自身のやっぱり幸せだなって感じてるんで、そういっためんではやっぱりすごいこう、自治会に入って良かったなって感じてます。


将来やりたいこと

Q: 今木皿さんご自身で、なんか希望っていうか、こうなって欲しいなっていう得に強い思いってありますか?
あー。やっぱりこう。上手くは言えないんですけども、やっぱりこう前向きなかたちっていうか、そういったやっぱりいろんなかたちで。私なんかもうテニスとかやってるんで、まあ先ほど、テニスをやってきたんですけども。友達とかとまーいろいろテニスの旅行に出かけたりとか、あと、そういった生活だけじゃなくて趣味とかの部分でもやっぱりこういろんな可能性あるじゃないですか。はい。そういう例えばカラオケが好きな人はカラオケやったりとか。そういった形でこう趣味とか、サークルみたいなの作って、やっていけたらなーって思ってるんですけども。


慰霊碑

Q: 先ほど、震災に関しての記憶というか、今後に伝えていくべきだど、ということをお話されたと思うんですけども、何かそういうものを形として何か残しておきたいってそういう思いっ慰霊碑でしたりとか、、
そうですね。できれば、まあいろんな考え方があって、具体的なものを残しておいたほうがいいって人もいるし、でもなんらかの形で残してもらいたいみたいな。それが、直接、間接かは分からないですけども、そういった形で、まあどっか忘れないような形で残しておいてもらいちなっていうのはありますね。まあ、いろいろ若者にしても、建造物にしても、残したほうがいいってなんかこう、賛否両論あるんですけどねー。でもやっぱりどういう形であれ、忘れないでほしいっていうのはありますねー。

Q: 賛否両論あるっておっしゃったんですけど、こう賛成の方と賛成ではない方の、どういう意見の違いがあるんですか?
やっぱりこう、あまりにも、残しておくことによって昔のことをトラウマにとらえちゃうと、それは結局マイナスのイメージになるみたいな形、で、やっぱり賛成の方にすれば、そういったやつのことでそういった大きなことがあったんだよって知らしめたいって2つありますよねー。だからねー。ある意味でそういった教訓にしたいって形のと、あとその、呼び起こすことによってトラウマの形ってそういう人たちのことを考えると、やってはいけないんだっていう2つの意見に分かれちゃいますよね。それは私はどうこう言うつもりはないですけど。

Q: 木皿さんてきには、どうお考えですか?
私的には何らかの形で残してもらいたいなーっていうのはありますね。それが直接じゃなくても、あるいはこうなんらかの形ではやっぱり残しておいてもらいたいっていうのはありますねー。


インタビュー一覧へ戻る