会見
ボランティア, 避難所, 雄勝町, 残る理由, 人付き合い, 漁師の妻

佐藤 きみ子さん

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雄勝町大須で生まれ育った佐藤さんはご主人と結婚した際に羽坂へ越してきました。避難所での生活について、婦人防火クラブの会長として12年も役を務めてきた思いについて、話してくださりました。 


避難所での生活
Q. 避難所で、まとまりができたのはもともと浜で、みなさん力を合わせて生活していたからっていうことは関係ありますか。
A. ん、そんなことはなかった。うん、やっぱり自分のことでみんな…うん、自分は小さくなってね、足も延ばせないのに、なんであの人だけが足伸ばして寝てんだって思ったりね、やっぱり自分の個性が出てきたのよね、みんな。あの人はああいう人でなかったと思ったら、ああいう人だったのかなーって思ったりして、嫌な面、良い面いっぱい見ました。あれが本音なんだろうなーって思ってね。
Q. 何日くらいいらっしゃったんですか。
A. 私はあの、石巻にうちが二か所あったから、だからボランティアの方に、神戸のね、ボランティアの方に入ってやってもらってたから、最後までは、いれなかったのね。(中断)そうですね。うーん…やってきたのね。で私はね、なにもしないでみてるの。そうするとね、なんていうんだかね、あの、調子のいい人いるんだよね、やっぱり、ごはんの時とかそういう時はぱっとどっからか顔見せるんだけど、ほんでなにも自分はしないくせに、あれはこうしたほうがいいんだよ、こうした方がいいんだよ、って言ってるの。(中断)だから、こいつは、おかしいっちゃ。だから人の、私は仕事しないで、誰がどういうことしてるか見てるのね、でこういう目に余るようだから、で、30人態勢で、一回でみんなごはんの、あの、そういう炊き出ししたって、まとまんないから、これを3班に変えようと思ってるんだけども、どうしたらいいかね、って私が言ったのね。そしたら、できるわけねーとかでもなんとかなんの、って色々出たんだけども、やってみなきゃわかんないから、やってみて、だめだったら、また考えっぺ、って。一応この線でやってみたらどうだ、って、やってみましょ、ってそれが上手くいってね。やっぱり分担決めたから。10人なら10人つうとやっぱり1人でも少なくなれば、自分が人に迷惑かけるって意識をもつもんね、そうやってやって、そうすると2日休めるから、中二日休めるっちゃ、3班あれば、そうするとうちも後片付けもできるし、30人体制ってやっていつでも帰られないっちゃね、だからこれはうまくないなーって思って、やったらね、うまくいったんだよねーあれは嬉しかったね。うん。


周りの支え
でも震災したときは、ほんとにみなさん一生懸命ね、協力してくれたんだよね。私の方がかえって落ち込むような、わたし、あの、うちがなくなっても、家族がなくなっても、その方がね、「会長、わたしらが応援するんだからがんばっぺ」って。そういわれると、ああ、自分はしっかりしなくてはいけないんだなぁって。うん、みなさんに励まされてほんとにここまで来ました。だからいっぱいいっぱいこういうことしなければ、やっぱり、こういうこともわからなかったんだろうなーっと思ったりね、うん。これしたんだから、こういう勉強もできたんだなーとやっぱり教えられたこともいっぱいありますよね。


伝えたいこと
うーんそうだね。やっぱりこっちの雄勝の方知らない人もいっぱいいるだろうしね。やっぱりこういうのを通して知るっていうあれが力は大きいんですよね。さっきお話ししたみたいにりんかい、林間学校があるっていうこと知らない人もいっぱいいると思うのね。そういうものかねて広めてもらえれば私は嬉しいなと思って。今まで色んなことをしてきて、やってきたことが報われるかなって。


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