伊藤孝浩 |
クリップ1 「存在感がないと、何もできない」 |
復興
高橋 よし子さん
閖上生まれ閖上育ちの高橋よし子さん。旦那様の吉也さんと共に車で被災当日は逃げたそうです。
今の気持ち
http://www.youtube.com/watch?v=Hc0J_PxF_WY
Q:今底上げとか復興案をする予定の上、危険区域が増えたりとかする部分で感じられることはありますか?
やっぱりねあの今家残ってる人いるでしょ、そういう人達の気持ち私は分からない。やっぱり港のそばにいてる人達ら完全に新地、新地状態で流された訳でしょ、そんな人の気持ちもわかって、わかってもらわなくては閖上の人間としてはわかってもらわなくては駄目なことかなと私は思う。みんな一心同体だと思うね、そういうなったのは。残ってる人だって、あとそこから復興が遅れるんじゃないの。ポツポツと家があったんだよね。みんな同じように全額でお金貰ってるんだから。そういうことは考えるね見てるとね。あとやっぱり海の側にいた人が可哀想だったな、全部本当にきれいさっぱりないんだもん。ある人は感謝しなくちゃいけないんだよね。うん。。大変だから。うちの実家も橋渡ってこっちなんだけど、うち仙台市なんだけども、本当みんなきれいさっぱり流されたからやっぱり津波なんか来ると思ってなかったでしょ?だから2階にほらやっぱり残っててなくなったって感じなんだよね。まさか家がさっぱりねくなる思ってなかったからさ。きれいに、きれいになくなったのね。ただ一軒だけが一つポツーンとあったけど、なんか不思議とね、不思議と一軒だけがのこったのね。だけどあとは全部壊したけども。だからそういうの見てる、あっちの荒浜とかもみてるとやっぱ海の側全部きれい、きれいさっぱり流さってると、あぁやっぱり海の側って一番ぎせいが多かったよね。
今閖上の思い出
Q:今閖上の思い出、その他になにかそういうことありますか?
私は閖上の思い出っつうたって、なんもないね、別に。ちょっと物足りないかもしれないけど。ただほらあたしの場合はね、もう家から持ってくる物一つもなかったから、何も持ってくる物ないから、そこで思い出が終わったのよ。何も写真もなんにもないんだから。ね、子供達らの写真とかも全部。娘さ、アルバムとかの持って行き、小学校とか幼稚園のねあと高校そういうのアルバムとか持っていけばよかったなって思ってね。嫁さ行ったからわね。そしたらいいなんていうけどさ、なんにもないんだもんね。本当にそういうのがそこでは振り返った思い出の写真が見れないっていうのは寂しい、感じはするね。あとは私らのあの家からも全部、全部きれに流されたから、やっぱ写真、思い出の写真ゆうたって、全部なかったからね。だからそういうのはそこで終わったっていう、今からのスタートラインなんだわ。
Q:その新しいスタートみたいなのっていうんですか?
うん、そうだね私は。だって振り返ったってしょうがないもんね。
住みたい場所
http://www.youtube.com/watch?v=1spDHMQY9Qo
Q:もしもすべてが自分の思うようになるとしたらどういう所に住みたいですか?
私らはここの上だって言ってるだわ。あの市営住宅、元々あったところの、そこに建てたらいいんじゃないかなって思って。買わないって県だったかな。高いところ建てればこんなね、あとここに建てればなって言ってさ。やっぱりほらもう農家とかさ、知ってる人がここ買ってらいいのになって言う人もいるんだけどね。だからさ、待ってますただ。待ってるだけです、私達は。ただそれだけですね。
変わって欲しいこと
Q:何に一番変わって欲しいですか?そういう自分が住みたいという所に住めないというのもありますし、自分がこうなにかしたいけどやはり待ってる部分で何に変わって欲しいですか?
やっぱ市長が変わって欲しいと思うね。市長の市長のやっぱり自分って、なんていうの曲げらないんだよね。あの住民の意見を聞いてくれるような本当に市長であればいいのになって思うね、聞いてても。閖上の町っていうのをなくしたくないんだよね、多分ね。それはわかるんだけど、だけどだいたい家買ってる人はいっぱい十分の一でもだよ、十分の一だって戻りたくないのに建ててるっちゃ。ね。全体戻るとしたら100%の人だよね。でも十分の一だってさ、やっぱりあのそれだけの人が思ってるってことはさ、閖上を諦めてるってことだっちゃさ。諦めるってことは戻ってきたないってことだわ。だから、その閖上の町作りで作ったってどうしようもないんじゃない。名を残しとけばいいじゃないね。昔はこの、こういう町がありましたよって何百年先に灯を建てるとかさ。
復興案
Q:高橋さんにとって復興とはどういうものですか?
復興。。難しいな
復興
Q:市長の復興っていうのは勝つ上げしてみんなを閖上に戻したっていうことだと思うんですけども、高橋さん自信の何か復興っていうものはありますか?
やっぱりこういう仮設に住んでるよりはね、ちゃんとした落ち着いたところは住みたいね。それが目的だけど、ただ場所がわかんないだけの話。私らはもう何もできないからそういう所しか縋りようないから、そういうとこさ住むほかないからさ。それだけだよ
伝えたいこと
http://www.youtube.com/watch?v=rU5vCxTPiqs
Q:然震災の状況も知らない方になにか震災を通して伝えたいことはなにかありますか?
そういうことになったら逃げる事だわね。地震来たらわ。そして安全な場所っていうけど、自分で周り確かめてみてさ、ここだったら安心だとかっていうの確認しておくのも大切なんじゃないの。まあ一つのあれとして、参考として。もうやっぱり自分で地震で安全な場所っていうのはね、それを確かめる、ここさ避難しなさいとかあるけども、もっと別な場所があるんじゃないかとか覚えといたほうがいいんじゃないかな。
菅原 忠男さん
仙台市出身の菅原忠男さん。閖上出身の奥様とご結婚されてから震災まで30年間程住まわれていました。震災があった時も閖上でお仕事をされていたそうです。
閖上に戻りたいのか
http://www.youtube.com/watch?v=HUruHFvFrjQ
Q: もしも閖上に戻れるのなら戻りたいですか?
うーん、三割くらい。みんながさ、私も戻る私も戻るっていうなら戻ってやる。あの、孫おいてね。まごは絶対行かないって言ってるから。孫はひとり部屋ほしいだべがらまえそいなだったからね、なおさら。もどるったてね三割くらいだな。だってわたしだけ戻るったってね、戻んない人、隣近所にいないっちゃな。もどっても。津波あるんでないかなって。人がいて一番だと思うけど。
昔はね漁師町だからね、やっぱり良かったよ。あの、友達付き合いだの、家のばあちゃんだちも、女房も魚売りしったからね。あの魚かごに背負って仙台の町の方に。あの頃だのやっぱり閖上が最高だったんじゃないですか。私ちゃっこい時いなかったからさ。でも聞くと、閖上の町って言うの、なんて言うの、して漁師の町だからね。お金は、金持ちっていうか、金持ちの人結構いたんだよ。
あーもう、閖上っていうと一丁目から七丁目まであったのね。それで仮設っちゅうのきめらったっちゃ。この辺のこの仮設は三丁目と四丁目の人が集まったのね。あとたまにどっからか入って。だとやっぱりすぐ仲良くなったね。して別の仮設なのいろんなところからきてるから、全然合わないっていうかね。
町のつながりっていってもそうでもないんでね?私だも閖上朝市あるんだよね。毎週日曜。あと日曜祭日。毎週行ってたんだよね。だってうちから歩いて5分くらいで行けたから。やっぱり顔ぶれ見るとあんまり地元の人来ないのね。だから今なんてなおさらなんでないですか。あっちなったからね。だけど今また閖上に戻ったから。やっぱりそういうのあるとね集まるんですよ。朝市、閖上の朝市有名だったんだよ。80件くらい出たんだから。朝6時ころから。今はね遅くなったんだ。9時じから1時ころまで。前は10時から1時ころまで。今はね7時ころから1時までだからなんていうのお昼だのも食べさせてお金いくらかね。だから延ばしたんだよ。で結構そいなの食べれば金になっからね。町おこしっていうかねそういうの。
いまでも行かれますか?
たまに。ちょこちょこ。だから今度まえの市場んとこになったから、いってやっかなと思って。先週あたりからね、戻ったのね。
私たちもグランドオープンなった時たまたま行って。たまたま。
ああそうなの?なんちゅうか豚汁かせたりね。あとさんまだのね。さんまの季節の時はさんまかせらっだり。自分で焼きながら。
変わったっていうか亡くなった人たちが多いからなおさらでないの?だれだれさんなくなったってあっちこっちでいうから尚更あいなったんでねかなって思うのね。だってもうね、起きてしまったことなんだけどね。やっぱり今からがねあれなんだっちゃ。元気ださねとね。年寄なんてなおさらね。しょぼーんとしったってね、ますますあれなっから。私たちあれしたって、年寄のひと元気ならないもんね。年寄の人は一人でいるから具合悪くなって救急車で二回くらい助けてやったのね、救急車よんで。うちの棟の人まだ40くらいの人。風呂入って具合悪くなって。しておらいさ走ってきて救急車呼んでけろって。して頭の方手術して。でにかいぐらい手術して助かったけどね。やっぱり家さ閉じこもった人だね。やっぱりどうしても、そいな人なるんだね、やっぱり。そいな人ももっと、そいなのふえっと、もっとああなんでかのかなって思うよ。人の関係もね、もっと。
菅原 則子さん
閖上が大好きな菅原 則子さん。ご結婚されてから12年間は仙台で過ごされたのですが、やはり閖上がいいとなって旦那さんを引き連れて閖上に帰ってこられました。
閖上の人間関係
やっぱり隣近所、兄弟達よりもやっぱり隣近所がいいみたいで、よくお茶飲みに行ったりとか、よくそういう風にしてましたね。よく隣のうちでも、うーんと、何年か前に引っ越して来たんだけども、引っ越して間もなく、とけ込んじゃって、行ったり来たりお茶のみしたりとかしてますね。で、今もやっぱり津波になってからも、近所の人たちとおつきあい、ここにいないんだけども、その人達はみなし家庭にいるんですけども、そこにいってあそびに行ったりはしてましたね。
閖上の人たちが集まれば閖上に
http://www.youtube.com/watch?v=M8QsJn6b6AQ
そうだと思いますよ。やっぱり昔からの人たちだから、なんていうの、その、こう閖上の人たちの集まりって言うね、よそからあまり来ないでしょ結局、引っ越して閖上の方に。なかなね。閖上の人が地元に戻ってくるとか、だったらばあれだけど。あんまり閖上によそから引っ越してくるとか無いんじゃないかしらね。だから閖上の人たちが集まれば本当の閖上の町、になるんでないかしらね。
http://www.youtube.com/watch?v=Px0w-0gvbiw
やっぱりみんな閖上の人でないと閖上の土地って言えないんでないかしら。
清野和也さん
清野さんは山形県出身、大学生の時に福島に住みはじめました。現在は「NPO法人チーム福島」という団体の中にある「福島ひまわり里親プロジェクト」の事務局を担当されています。
福島の地域説明、風評被害について、影響
http://www.youtube.com/watch?v=-Yub4g6LnHI
これだけ広いから地域によって被害が全然違う。
大きく浜通と仲通と会津地方って分かれてます。浜通りは今日行かれたところが。いわき市ってのも浜通りで原発被害が一番大きかったのが浜通りっていう地域なんですけど。会津地方ってのが八重の桜の舞台になってるところで、ここはすごく放射線量が低い本当に東京とかと変わらないくらい低くて。なのでよく、福島の被害、放射能被害で風評被害って言葉使うと思うんですけど、ここは本当に風評被害って呼ばれている地域です。
今みなさんがいるのが仲通りって言って、ここは福島市とか郡山市とか新幹線とかで通ると思うんですけど。ここは風評被害の地域と実害被害の地域。というのは本当に放射能によって作物が採れなくなっている地域が地域によってバラバラな地域ですね。ですのでこのあたりも決して放射能が低い地域ではない。今日来る時に放射能測定器とかそこらへんにあったと思うんですけど、他の地域と比べればちょっと高くなってしまうって事でやっぱり子供たちもそういう事の中で生きてしまっているっていう。最後浜通りっていう地域が今日見て頂いたいわき市だったり、あとフラガールっていうのが映画でも、ああいうのの舞台になったのは浜通りっていう地域で。もともとは観光がメインだったので、どうしても震災の影響が観光に行ってしまったので。この地域は実害って言われてる地域です。でこういう風に広いんだなって事を分かってもらうと、福島って一色単に風評被害って言っても、ここも風評被害っていう考え方でもなく、逆に、福島ってひどいんでしょって考え方にもならないかなって思います。北海道みたいなもんなんで、北海道って言い過ぎなんですけど。北海道の端っこで起こった事は関係ないくらいじゃないですか。
3.11後の変化:人口の減少
http://www.youtube.com/watch?v=xzCCtbsmEBY
観光への影響
http://www.youtube.com/watch?v=y9k86F81YBc
福島ひまわり里親プロジェクト
http://www.youtube.com/watch?v=1rf5epzxIjw
これはですねNPO法人チーム福島っていう、福島県内の若手経営者、大体20代から一番上でも40代前半の方、計10名でさせて頂いているプロジェクトです。で、どんなプロジェクトかというと、全国の方々に知的障害者の方にパック詰めして頂いたひまわりの種っていうのを販売して、それを全国の学校だたりご家庭で育ててもらう。で咲かせた種を福島に送って頂いて、今度はその種を福島県内で咲かせる。そうする事で自分たちのひまわりの子供が福島で咲いているという事で、観光誘致と、あとは障碍者の方の雇用と、これを通して例えば学校さんですと復興に興味を持つということで風化と教育対策っておいうことでやらせて頂いているプロジェクトです。2011年に始まって何年目、3年目になるんですけれど、全国で10万員以上の方がこのプロジェクトに関わって下さっていて、 福島県内2012年が9千カ所で、今年が1万6千カ所で復興のシンボルとしてひまわりを咲かせて頂いています。
まあ流れとしては今の通りなんですけれども、ひまわりの種を購入して、全国でそだてて、って。最初の年は育てる種がないので2011年は完全に全国たで。全国で育ててくださいってやって、大体ひまわりの種が5トンくらいと、あと一緒に『頑張ってね』っていう応援のメッセージが全国から届いたんですね。それがこのプロジェクトに届きました。
で2012年には福島県内の観光地だったりあとは行政だったり学校だったりっていう所に届けてもらって、ひまわりをさかせる事で観光の名所というか、ひまわりの迷路を作ったりとかで、ひとつの観光地ということで作らせて頂きました。そして2013年は入ってないんですけど、2013年も同様に2012年に送っていただいた種を1万6千カ所で咲かせたという事になっております。
福島ひまわり里親プロジェクト:目的
http://www.youtube.com/watch?v=GdN6hmmFJQ4
ちょっと話したんですけど、最初この雇用対策っていう話をさせて頂きました。 で、二本松市ってところが福島のとなりにあるんですけど、そこの障害者施設が震災によってお仕事全然なくなっちゃったんですね。っていうのはその人たちがやっていたのがおまんじゅうの箱入れのお仕事。と、野菜作りだったんですけど、野菜作りはやっぱり放射能で二本松は作っちゃダメだったので、それでダメになったのと、まんじゅうの箱入れっていうのが、結局震災があって観光がダメになっちゃって、観光がダメになっちゃうとおまんじゅうも売れなくなっちゃうんです。でお土産の箱売りっていうのをやっていたんで、ちょっと障害者さんに出す余裕っていうのがなくなってしまって、障害者さんの仕事がなくなってしまったんです。このかた達は作業所に来るのは良いんだけど、仕事が全然なくなっちゃってるっていう状況で、家の代表とかは、だっから違う地域に移動して仕事されたらどうかっていう事も提案したんですけど、結局霜害を持ってるかたっていうのは、そこに通うのでも2年も3年とかかけてやっと自分でその土地で暮らして行けるようにるっていう状況で、いきなり新しい土地でまたゼロから始めるってなるとまたたくさんの労力だったり時間がかかってしまうっていうのがあるんdねすね。なのでっこで出来る事はなにかないかなっていうところでこのひまわりの種のパック詰め。種は海外産なんですね。なのでその種を買って、その種をスプーンで救って袋に入れて販売しているんですけどそういう作業だったり、ちょっと見づらいんですけどこういう種と一緒にひまわりのラベルをつけて送ってて、こいうラベルの書き方とか。あとは全国で届いた種の仕分け作業とか。そういうのをお仕事としてさせて頂いてます。で、種は1パック500円で販売してるんですけど、そのお金がこういう作業代っていう事で、使わせて頂いております。(だいたい何名くらいいらっしゃるんですか?)
ここが今40名くらいでしたかね。その40名の中でプロジェクト担当っていう方もいて、今は震災とかでいろんなプロジェクトも増えてきたので担当でお豆腐を作ったりもされているので、そういう事をされている人もいて。で今は野菜とかも普通に作れるようになったので農業担当って事もされてます。
清野さん自身のプロジェクトによるご自身の変化
http://www.youtube.com/watch?v=9bZ77V3-mMs
今後のどうしていくか、理念について
http://www.youtube.com/watch?v=_UTAc70vi14
九頭見淑子さん
九頭見さんは、福島県いわき市、湯本にある操業100年の和菓子屋 「久つみ」を経営しています。実際九頭見さんのお店で3.11の震災後の生活への影響や、現在の状況、震災後の様々な心境などのお話をお聞きしました。
3.11の震災後の変化(街の変化、商売の変化)
http://www.youtube.com/watch?v=TfW9VLv_5Ls
震災以降の変化について、心境
http://www.youtube.com/watch?v=w7Tq-KDKLT0
今の状況、悲しみ、人々の思い
http://www.youtube.com/watch?v=zmMI0Mwv0s4
福島のイメージ、原発への思い
http://www.youtube.com/watch?v=wAMkJdeeWkE
メディア/報道について
http://www.youtube.com/watch?v=0Q-T8qfd9Ps
今後への不安、考えについて
http://www.youtube.com/watch?v=jvcDbWmUzYw
遠藤 佐恵子さん
福岡出身の遠藤佐恵子さん。結婚を機に閖上へ。2011年3月11日、閖上の町と共に津波で家が流されてしまい、現在では仮設で夫と2人で暮らしてます。インタビューでは、福岡出身ならではの視点から閖上に対する思い、また、現在の生活についての思いを話してくれました。
震災前の閖上
震災前…閖上はね、ほんとに小さな町だけど、みんなこう、なんていうのかな…面倒見がいいっていうのかな。ちょっと面倒見が良すぎて干渉がちょっと度が過ぎるとこもあるのね。うん、うん。出かけるとどこいくの?ね、ほっといてほしい時もあるんだけど。それはそれでまたね。だから、これからも、なんか、まとまったとこに住みたいの。どこでもいいから。必ずその土地に帰らなくてもいいんだけど、この、閖上の人たちと一緒の暮らしたいってみんなそう思ってるのね。
震災当日
あのー、その閖上の町の中で働いてたんだけども、その地震…ちょっと普通じゃない揺れだったし、隣…2件くらい隣の人が、6メートルくらいの津波がくるから逃げた方がいいよって言われて、一緒に働いている人の車に乗せられて、ま、まぁ小学校、中学校に逃げようとは思わなかったね。まず、閖上から離れよう、た方がいいってことで、ここらへん、うーんと、増田の方に逃げたんだけど。文化会館とかは…見てないね。市役所近く!市役所の近くに文化会館ってあるのね。最初はそこじゃないところに逃げたんだけど、みんなほら、ガソリンもない、余計に動かれないってことで、でそこに逃げて、で最初から最後までそこの避難所にずっといたの。2か月、とちょっとね。うん。最初、なんていうの?ああいうホール、んーと、いろんな歌とか劇とかやるホールから、こういう板、なんていうの、あそこにじかにこう…だから背中痛くて寝れなかった最初は。うん。普通はみんなが歩いてるところだからね。うん。でもやっぱ長くいると、ちゃんと寝るようになるのね。うん。あの頃まだ寒かったしね。うーん。
まだ布団とかしかないで、ぷちぷちってあるじゃない。あ、これこれ。これ敷いた上に毛布敷いたりして、もう支援のも。布団とかないよ。そうだね、震災から5月の末までだからね。3,4,5、うん。それでここにきたから。そうだね、うん。だって最初は食べ物もなかったし、電気もないし、テレビ、テレビとかの情報も全然、最初はわかんないからね…
避難所での生活
1日1日なにをして過ごしたか、なにして過ごしたらいいかわからない。なにもすること…うん…まだ、知り合いが周りにいたからね、まだしゃべって…うん。まず、いろんな物資、支援は頂いたからね。来たときは着の身着のままだったんだけども、出るときなんか家、自分の周り、荷物がいっぱい増えてんだね、まぁ服もそうだけどね…一部が知り合いだけど、だいたいもう閖上の人は大体わかる…うん、あの人はここの人、ここら辺のひとだ、ってわかるから。そう、そういう心強さはあったよね。全然知らない町の人と一緒にいるわけじゃないから、うん。ほするとやっぱり普段しゃべってなくてもやっぱり、しゃべれるようになったっていうか…やっぱこう自然に話しかけるっていうのかな?うん。だからそこで知り合って仲良、まぁ仲良くっていうかねぇ。そういうのもあるんだよね。絶対閖上にいたらしゃべれなかっただろう、って人としゃべったりね。で、出かけるときに自然に今日どこにいってくるから、とか聞いてもいないのにみんな答えたり、言ったりして。まず、うーん…避難所いって、まぁ楽しいっていったらまた言葉としてよくないんだろうけど、うん…
未来への不安
やっぱこれから、どうなんのかなぁとか…まだほら、行く先もちゃんと決まってないでここほら遅いからね。き、名取市は。と、そういうのもあるしぃ、仕事もないからやっぱり、なんていうか、経済的な面の心配もあるし…まぁ結局まぁ年齢も年齢だから、仕事もぱっと見つからないから、パート的なものしかないじゃない?うん…だから、こういう風になるのわかって、もうちょっとわかってれば、もうちょっとちゃんと蓄えをしといたら良かったかなって…後の祭りでしょ?
忘れないでほしい
知ってもらいた…それはある。今でもそれ以上にあっちこっちでいろんな災害があるから、それこそ、忘れられるんじゃないかっていうのはあるよね。今どこに住んでても安全な場所って、ないんだもんね。オリンピック決まったからオリンピックの方にみんなお金いって、こっち回ってこないんじゃないかな、とか、まぁそれはないっていうんだけども、やっぱり…その心配もね…
未来
ほんとに、うん…閖上の人たち集まって元に戻れ、まぁもとはちょっと危険区域だからあれだけども、ちょっと少しでも近くに住めればいいかなと、だから結構みんなここらへんに家買ったり、うん、もうしてるんだよね。うん、家建てて、うん。若い人はやっぱりそういう風にできるけど、もう、ねぇ、年代的に無理だから。娘たちはもう閖上は嫌だっていうからね。若い人はなかなかね。うん。だから、市で現地再建ってそこに戻るみたいなこと言ってんだけど、やっぱり、地震にあった人のことを考えればやっぱりそこには戻れ、ないよね。で、こんなに頻繁に地震あるじゃないですか?と、ますます、旦那はもともと閖上育ちだから帰りたいっていうのね。と私も、最初は、で一人で帰んなさいって言って、うん。なんか私は、だんだんと嫌になっ、うん、最初はまぁいいかと思ったけど、こんな地震が多いからだんだんちょっと、怖くなってきたこともあるのね。できればこう、なるべくこっちより?今住んでる寄りに、建ててくれない、でそう。閖上じゃなくても閖上の人たち集めればそれが閖上だからね。必ずしもその…そこじゃなくてもいいかなと思うんだけど。最初は、閖上閖上って言ってたんだけど、もうあまりに決まらないからもう、旦那さえももうどうでもいいって今…うん。勤めに行く関係でここの方がどっちかっていえば近くなったから、うん、うん。このままでもう、ここに慣れちゃうと、ここに住んでもいいかなと思う。みんなそう思ってんのね。だからここ壊してたんとアパート建ててくれるといいの。買い物近いじゃないですか、ここね。お店がそこにあるから。そういう人もいるけどまぁここは無理な話なんだけどね。ね、家建てられるような余裕があれば一番いいんだけどね。でも、ここにはやっぱちょっと住まないかな…うん…どこに住むかっていうとなかなかねぇ…うん、あまりにもね、こう進み方が遅いし、決まらないから、何年後にもう帰れるっていうがあればいくらかはねぇ、こう目標じゃないけどあるけど、まぁそれが決まらないからね…だから震災で、震災後になにかいいことあったかなーとおもって考えるけど、ないんだよね…なにもないね…
遠藤 一雄さん
閖上で生まれ育った遠藤一雄さん。定年退職後も、閖上4丁目で暮らしていましたが、津波により家が流されてしまいました。現在では愛島東部仮設住宅の会長を務め、遠藤さん自身も愛島東部仮設で暮らしてます。震災後の仮設住宅での生活を中心に、会長として見てきたこと、感じてきたことなど様々な経験を話してくださいました。
区間わけと行政
http://www.youtube.com/watch?v=4gQ-9VtQyuY
Q. 小学校中学校は地域によって分けられていますか?
みんな一緒ですよ、あの、おおまがりっていうところがあるんですけども、ちょうどここから閖上の中間ぐらいに、そこまで閖上の区間なんです、学区みんないっしょです。
Q. どこからが閖上でどこからが閖上じゃないのか、ひとそれぞれ考え方が違うように伺いました。
そうそう、あのね、閖上のね、いまでいう、小学校あるね、ひいらぎの、あの辺までが、閖上区間なんです、名前はね。そしてそこから西側は丘区っていうんです。「おか」ね、普通の「おか」、丘区っていって、だけども学区はみんな一緒で、あの町内の運動会とかある時はみんな一緒ですから。
Q. 小学校はひとつですか?
ひとつ、中学校も一つ、ええ
Q. 丘区の方々も閖上に含まれますか?
そうですよ、うん、ただこうほんとの閖上っていう地名がついてるとこが閖上っていう感じだけども、その丘区ってとこも閖上地区さ入ってますから。だから今市長さんなんかよく現地再建でやってるっちゃね、やってるけども、丘区の方さ みんな住みたいってみんないうの現地再建より、こっちは閖上じゃなくて丘区っていうんだけど、結局みんないっしょなんだよね。結局みんなお互いに学校も小学校も中学校も卒業しておっきくなっても同級生だなんだってやってるんだから、それを市長さんわかったらうまくいくんだけどね本当は。こっちは閖上じゃない、こっちは閖上だってさ、差別したらよくないと思うんだな、そういうことやってるから進まないんだな
Q. 地名だけでみていて、
そそそ、そういうこと。
Q. 人間の関わり方に目を向けていないということなんでしょうか?
そそ、まぁ今閖上のことやってからだけども、こっちの人は差別だよね。普通はさ、名前から言ったら、同じ名前で暮らしてるんだからさ、だからそういうことやってたら復興もなかなかままならないんじゃないかなって、うん、行政の考えと違うから、うん。反発力がすごいんですよ。だから今このままで行かされて、工事に着工したとなっても、行く人がいなければまた見直し、するようになっから、市長さんも大変でないかな。
Q. どういった方が行政に関わっているんですか?
私たちはその名取市閖上地区の住民さんの意向をこっちを住みたい人の意向を、その人らの意見を市やなんなりに提出してやって、署名とかもやってましたよ。
Q. 受け入れてくれる感じではないのでしょうか?
あまりないね。市長がそのこうあんまり…かもしれないけど、普通なら市長さんこう長い時間で対応するでしょ、5分3分くらいでぱっと退出するんだもん、話にならん、うちら今こういうことやっても、宮城県会議員さんとか、俺ら一緒になって担当の西村さんとか今年の6月からな、復興庁にいってきたんです、西村さんと県会議員さんと私と、復興庁の大臣とお話ししてきたんです、でもあっちでも頑張ってくれって…てことで復興中の中でね、普通はすぐ帰るんだけどもね1時間以上もお茶のみしながら、大臣と復興大臣と。
Q. お気持伝えたんですか?
伝えましたよ。それで、それが県の審議員会に挙がったわけさ。ほら、西側さもってくとか、あと今計画どの場所をさ、災害公営住宅っていうのがたつんだってね、その公営住宅お寺の跡地さ建てたりっていう計画なのさ、誰もお寺の跡地にばっとたててもらって住めないですよね。まぁ先祖さんの頭こう踏みつけらってるようでねお前ら何やってんだっていわれそうだっちゃさ。で最初「建てる建てる」ってがんばってて、その私も市議会で代表で喋って、知事さんのいるところでさ。したら知事さん怒ってさ、市長と答弁することになったら、そうしたら建てませんってその場で言うんだよ。住民はその日まで建てるって思ってんだから、それで判断してんだから、そしたら今度建てねーっつんだからさ。じょうだんじゃねーってさ、その時のがれればいいっていう感じで話すんだよね。
ボランティアと自立
http://www.youtube.com/watch?v=y6Y0FBcKXqU
んー、やっぱりみんなもね、震災になって、ここにきたはいいは、人からもらうようなことではだめだと。ここから5年ないしね、出てきた場合自立心がなくなるから、まぁ出て行っても自立できるようにみんなでがんばるべって、ことでみんなでやってる。だからうちにほかの仮設みたいにボランティアさんにこれやってくれってさ、絶対うち言わないです。うん、だけども一度ねこの自治会で年に3回大きな祭りあるんです、3月4月になったら花見とかね、夏祭りとか、あと10月になったら芋煮会とか、それでここの自治会でみんないろんなことやって、ここだけだとあれだからって、たとえば上智大学さんに手伝ってもらってるから、その人さ声かけて招待しましょう、招待しながらやってるんです。うん、逆に。まぁお返しっつったらおかしいけど、俺たちにできること、ならやりたい。世話なった人に声かけて、だからNPOやってもらってる人とか文化大学とかね、なにもいらないからとにかく食べに来てくれって、うん。
閖上に戻りたいか
http://www.youtube.com/watch?v=2cCqFmulMtg
まぁね、俺たちも先祖さんたちからの代でずっと閖上にいるから閖上に戻りたい、でも、さっきもゆったけど丘区も閖上だから、その災害危険区域のちょっと西側っていうのもあるわけだっちゃ。だからそのへんでやっぱりやらねーと。ここからはもう閖上から遠くに行くっていうのは考えられねーかな。なるべく海の近くにはいねーとって思ってるけど。
遺体安置所での経験
http://www.youtube.com/watch?v=ShqJW3fKKas
そしたらだいぶ人亡くなってるってことで遺体安置所もうけたのさ。そして、二日目から私2か月半ぐらいその遺体安置所さ確認にいたんです、町内の人達もいるからね。で全部、最寄りの人みんな見つかって、連絡して引き取ってもらって、2か月半やってた。
Q. それは自分からやり始めたのですか?
そう、で、もうほれ、知人の弟だのいないだの、で、弟さんがね、ちょうど15日してぐらいあがってさ、俺が最初に見つけて、…あそこの息子さんだけ見つからなかったんだ、やっぱりお父さんより早く見つかってたのね。ところがね遺体がこっから半分しかなかったんです。それで見せられなかったから、DNAで4日ぐらいしてからわかったけども、で、私140体か150体ぐらいみんなに引き渡したんだ。分かってる人…もうあんな時は、ああいう人間見たりすっと思い出すでしょ。夜なんか。1日2日目ぐらいは、「あ、こんな人いたんだ」ってぐらいで、もうあとは日にち経ってくるとみんな一緒の顔してるよ。…だからなんともなくとは言わないけど、見つけても助けてあげれなくて悪かったってぐらいで引き渡ししたけどね。そういうことなんです。だからやっぱりね、だから今こんなことして、会長やって、みんなの協力もらってってことは、俺は生かされたから少しでもみんなのためにやらないとってやってるけど。まぁみんな長沼君とか役員さんたちがいいからね、みんなすぐに声かけると協力してくれるからそれだけがありがたいです。
Q. 震災を経験して人との協力性が本当に大事だなって、実感しました?
あー、思いますね、やっぱり何もない平和な土地は結局声かけたりなんだりしてやってけるけども、やっぱりなくなったら協力がないとやっていけないさ。個人個人ではね。
ボランティアとメディア
http://www.youtube.com/watch?v=OjQMTP9HFuc
やっぱりやってくれてる人は一刻も早く復興してもらいっていう感じもあるんでねーの。やっぱりいろんな形で聞くけど、よく日和山に花植えるとかさ、でも結局花植えてもさ、正直な話、水やりにも来ないでしょ、植えるだけで、だれが水やるか。で、一回植えれば次に来ないでしょ、うん、そういうのまぁボランティアはボランティアなんだけどさ、ふつうやるならああやってSTEPさんみたいに、寒くても毎日3人でも5人でもね、やってるっていう人のほうがほんとにああいうひとをよく感謝しないと。んださ、花植えるのは一時的ださ、であと来ないんだよ。それでまた1年くらいしてから例えば花がなかったから花植えるかとかさ、それで植えっぱなしで誰があそこで水やりなんかするのね、しないでしょ。
Q. 単発なんですね。
そうそう、その単発的なことをやってんだ、ってことよりもさ、もう少しやり方があるさね。単発でなくてさ、やっぱりSTEPさんみたいにね、ああいう風に毎日とはいわねーけどさ、例えば2か月に1っペンとかね。あと植えた花どうなってっぺってじゃぁ水やってって、てくる人もいるっちゃね。
Q. 長期的なボランティアということですか?
そうそう、まぁ水かけなんかは5人や3人ぐらいでいいんだから。うんそんなに団体で花植えにさ来ることはないんだから。とは思う。
んー、メディア、の方でも、それをやっぱりある程度伝えるんだから、伝えるに対して、例えばこの人達がこれをやってくれたからとか、そういうことばっかりでなく、あたりの住民とか、だからおれが今言ったようにさ、ね、一回植えたらそれでいいって問題でないということば取り上げて言ってもらえれば、ある程度その団体でもメディアでぽっと流されれば、これはこれではまずいのかなって考えると思うのね。
Q. 最初から最後までやり切れてない部分があるんですね。
うん、そうなんだよね。まぁ俺だけの考えだかなんだかわかんないけど。それは見てたら、長いこと見てたら分かると思いますよ。
Q. やっぱりメディアも単発的な部分もあるように思います。
そうそう、だから日和山も鳥居いったって今花なんかないでしょ。暖かくなればまた出てくるっかもしれないけど今はないです。っていうことは寒くなったらこう葉牡丹植えるとかね、冬の華ね。やってれば、やってろばってことはねーけども、うん。それくらいの気持ちでね、やるくらいだったら、みんなも「あーまだ綺麗な花、冬になればあがってるな」とか、うん。そうするとねやっぱり度々やってると閖上の人さ、「あ、水もやんないで」ってかけてってくれたりするんだよね、だからこの間神戸から来てくれた人達、やっぱりみずやりしてっいったけろよ。やっぱそんなもんですよ。そうやって他の人気づいてやってるんだから、そういうの度々こうやってけば、住民に分かって、行ったらば、たとえば「ペットボトル2本持ってって水かけるかー」くらいのね、それが集まればそうとうなもんなるでしょ。だからそういうのも考えろば、いいのかなとか。うん、とは思います。うん。
これからの閖上の理想と現実
http://www.youtube.com/watch?v=JcTlXef5_rc
Q. 遠藤さんは、これが一番理想的な閖上だ、こういう町が将来あればなど、どのような閖上を想像していますか?
うん、結局ね、こ、2年前からやってんだけどもそういうの。みんな私たちの方で、図面だの出して市の方さ提出したりしてるんですよ。でもやっぱ受け入れられねーんだよね、うん、だめです。だから例えば閖上の大橋あるでしょ、あそこから仙台市さいくっちゃね。あそこも私たち最初提出したのが、ここ道路ね、閖上の仙台市の道路から、ここ嵩上げ(かさあげ)ずっとしてもらって閖上きて、今の大橋をちょっと海側にもう一本建てて、そこから嵩上げして飛行場のほうまで嵩上げしてっていうのを提出したのさ、そしたら市役所ではこっち仙台市だから仙台市との調認はむずかしいて、仙台市ではそういうことしないってゆってたのさ、そしたら仙台市でここかさ上げするってさ、あの、閖上の大橋まで6メートル、それを最初っからおれらゆってたやつなの、みろ、仙台市にとられたろって、なんつことなかったのさ。だからそういうことあるからむずかしいんです、我々一般市民がいろいろゆっても文句としかとられられないんです。だから市長さん曰く、進まないのは住民が悪いとかそういうこと平気で言ったりするんだから。で俺たち今、俺たちの会がほとんどでやってから住民のあれで。そしたらちょうど夏祭りの日、市長が来たんです。そしたらおれんとこ来て言うわけさ、「早く復興したいんですけども、遅らせてる人ら足をひっぱってね、いる」ってさ、だから「それは市長違うんでねーか」って、「市長も一応ここは誰も反対してるわけでないと、ここはここでいいから、もっと西さ行きたい人のことも考えたらいいんでねーか」って、言ったら、「いや、遠藤会長ば足引っ張ったりしてる」っていうわけ、「俺の名指しぜってーゆるさねーからな」って。ここでみんなの前でだよ。そしてみんなさ頭きてさ。「みなさん俺たちがやってることは足引っ張ってるって市長が言ったから」って、みんなわかってるんですよ。だから「あのやろー」って、だから市長にみんな挨拶して来いって言ったらみんな無視するんだよ。無視。で、そのあとに小泉しんじろうさん来たわけさ。で、小泉しんじろうさん来て、市長が1回挨拶しようと思ったら、みんな挨拶する前にね、「市長出てけー」だの言うんだよ。そういう言われ方もしてるんだから、だからそういうの聞いたらしんじろうさんも分かるは、「あ、この人はたいしたことないんだな」って。だからそういうの自覚してるよね、同じ街作るんだったら、まぁ良い町つくったらいいさ、そういうこともしねーから、もうなに言ってもだめですあの人は。
っていうのは一番機能してねーってのは住民の意向聞かねーからだよ。うん、これやりますよっていうだけだから、やるに対しての説明会もねーんだから。
Q. もう決定してるんですね。
そうそう、行政で青写真出てきて、「はい、今度こういうのしますよ」って始めて言うだけだから。で、そしたら今度なんやかんやって住民が言うと、また別なの、作って今度こういうなのやりますよって言うだけだから。
Q. 説明会で決められたことを言う前に、住民の考えを伝える場というものはないのでしょうか?
ないです。
Q. 完全に決まっている状態なんですね。
そうそう。決めてから持ってくるんです。
Q. それがやっぱり遠藤さんにとって一番言いたいことですか?
言いたいさ。
Q. 住民の意見を聞いてほしい、と。
最初は住民さの意向、こういう所に行きたいとか、こういう風な作り方してもらいたいとか、言って相談して、じゃぁ100%はいかなくても、じゃぁ80%とか、90%とかしますよって言って納得してやるんだったらはいるよ。でもそういう説明もないから、はい、決まりました、はい、決まりましたよって。今の復興案もそういうもんでしょ、うん。
伝えたいこと
http://www.youtube.com/watch?v=HXLIhZ7LJ9M
Q. 外部の私たちに何かできることってありますか?
うん、やっぱりねそういう人がぜひとも、その区画行きたくないっていう人達のこと、行きたいって人はもう少ないんだから、行きたくないもう少し西側って人のことも声高々に言って、伝えてもらえれば
。
Q. 「西の」とはどの辺ですか?
うん、ようするに閖上、たとえばこう、あって今こう、区画整理がいまこの分だとしますね。そうするとここ、仙台空港の閖上大橋の道路だとしますね。そうするとこう、ようするに西側っていうのはこの辺さ。
だからその辺さ、住みたいって人が多いんだから、ここじゃなくね。それでここまでは嵩上げして、3メートルの嵩上げするんだけど、この道路から閖上大橋の道路からこっちはかさ上げしないんだから、そするとこっちさいくよりもこっちだったら金少なくて、たださっとね、ならしただけで住めるんだから、そういうことも考えていかないとね、小学校の周りさ住めるうちいっぱいあったんだから、そういうことこう人がいっぱいおりますよってことで、バンバン伝えてもらえればみんなも分かると思いますよ、そういうことやっぱメディアでも学生さんでも伝えてもらうと、やっぱ役所とかでもみてっからそういうことあのーようするに市役所の職員ってのは部長さんでも課長さんでも市役所がこういことおかしいなってのは思ってるっちゃ、だけども市長がいっから、答弁でも言いたいこといえないっぺさ、へたなこというと市長のとんでもないとこ破線するっから、こわくていえねーわけさ、うん。
Q. 権力ですね。
うん、権力、だからやっぱりメディアのひととかが、こういうとこからこう伝えてもらえれば、いやこっちのが早いと思うよ。
Q. じゃぁ、行政は自分たちが関わったところに住ませたいっていう、自分たちがやったっていう、手柄っていうかみせたいんですね
うんうん、現地再建っていうもの、それだけだから、だからこの震災になってこうこの辺でいうと、現地再建になったのはあんまりないでしょ、この辺だけでしょ。そういうことなんです。
Q. 外部に住んでいる方や、震災を経験していない方々に伝えたいことなどありますか?
うん、まぁあれだな、やっぱりこう復興のことにしてもさ、外部っていうか人たちは聞いたり見たりしなきゃわかんねーわけさ、ちゃんと進んでるんじゃないかって思うさ。ところがこういうこともあって、みんなも苦労してるっていうことを伝えてもらえれば、うん。まぁ忘れないで、見ててください、って。なにかあった時に応援してくださいって。まぁ応援っていうのは物をくださいっていうんではなくてさ。こういうことで何かあった時にそっちからもがんと口をいれてもらって。やっぱり外部の方からもみてもらえればそれはいいことだからさ。
荒川 裕一さん
生まれも育ちも名取市閖上の荒川裕一さん。閖上への思い、震災を通しての経験や現在の心境を語ってくださいました。
閖上の魅力
http://www.youtube.com/watch?v=9vS2JKUpYQ8
楽しかったね、閖上っていうのは。まあ、自分んちの前バス停だったから賑やかだったんだよね、ずっと。朝から、だからそういうのでもね、今何時ですかーって聞きに来たりね。ははは。
Q: 荒川さんの所のドアって開けっ放しとかだったりするんですか?
だいたいはね、開けっ放し。余計バス通りだからね、開けっ放しで。鍵けるのは夜だけ。寝る前にかけて、そんな感じだったね。
Q:いろいろおすそわけとかもあったり・・・
うん、だね。小さい頃から魚とかはね、いろんな人からもらえてね。そういうのはあったよね。まあ、あの人しばらく見ないんだけど、どうしたんだろうねって、話になるね、表にでるとね。うん。
震災直後の様子、避難所での生活とは…
http://www.youtube.com/watch?v=vAzDCAjFu8g
ほんでその夜だよね。閖上に行こうとしたんだけれども、もう息子から電話きて、閖上ないよって言われて、でも自分は信じられないから向かったんだよね。ほんでやっぱり行けなくて。そしてしばらく1時間くらいねどうしたらいいかわからなかったの。うん。どうしようかなって。避難所っていう(考えが)の頭になかったの。そしたら、あれって避難所ってあるよなって思って、で名取に来たんだけれども、そしたら文化会館っていうとこだけが非常灯ついてたのちょうど。そこに立ち寄ったら人いっぱいいるのね。そんで一人だしねまあ、俺よりもねやっぱり年配の人たちもいるし、その人たちも立っているし、ここにいてもダメかなあって思って、市役所に戻りに行って、ええ。でそこは電気もついてたしテレビもずーっと見ててね。幸いにそこに暖かいコーヒーがあったんだよね。自販機があって。だからそういうのでね少し助けられたんだなって思って。避難所にもうねえ3日か4日くらいしかいなかったんだよね。
Q: 寝る場所って布団ひくだけとかですか、それともなんか段ボールの上とか…?
そうそう、段ボール、毛布ね渡されたんだけれどもやっぱかけないでみんな敷くんだよね。だからそれをみんな敷いて、まああと知り合いの人からね、毛布とか布団よこされる人はそれをかけていたけれど。ほとんどはみんな敷いてたね毛布。俺行ったときはもうなかったのかなあ。毛布。確かなかった。
Q: そしたらもうじゃあ地べたに直で?
うん。俺はね、その震災の夜と次の日の夜はねずっと寝てないの。結局閖上もどうなっているかもわからないし、そしてそのころまだ母親の消息っていうのはわからなかったからだから気にはなるし、なんか寝付けなかったね、ずーっと。
閖上への熱い思い
http://www.youtube.com/watch?v=dZ7IbLpZiSo
で閖上に戻ってきたくもなったよね。一人になれば。他に行く気にはなれなかったね。閖上に行ってまたみんなと会えるんだあって思って。閖上好きだしね。
Q: 閖上の何が好きですか?
何がってねえ。まずね、海が近くにあるっていうのがいいよね。そして車があれば便利だしね、閖上は。友達とも会えるし。近所の人たちともなんもトラブルなくやっていたしね。知らないとこに行くよりはやっぱりいい閖上の方がね。
仮設での生活
http://www.youtube.com/watch?v=zwBqwZWRkf0
まずここ来てね一番はまずほっとしたね。自分が落ち着いて寝れる場所があるって。気を遣わずにねただやっぱねこういう作りだから物音とかそういうのを気にしながらなんだろうなって思いながらだったけれども、でもほっとしたね。だって好きな時に横になれるし、風呂にも入れるし。だからそんでもねまだ閖上の多くはまだ仮設に入れない人がいっぱいいたから先に入って申し訳ないなあっていうのもあったしね。
これからの閖上
http://www.youtube.com/watch?v=Pgi_pIiAFaI
今?今ね、わからない。たぶん戻らないかも。戻ってもそんな知っている人いないんじゃないかなって。俺もともと現地再建っていうのも嫌だったからね。本当に安全な現地再建だったら戻るけれども、今のあれではね。また津波が来たら浸水しってなったら嫌だよね。 将来ねえ。だから閖上がどうなるかだよね。なにも見えないから不安だらけ。未来に関しては。
Q: 荒川さん自身はどんな町にしたいとか、閖上を思いますか?
だからね、本当だったらね、前くらいの震災前の人口に戻らなくてもせめてね、5000人くらいは戻ってまたね、わいわいやりたかったっていうのはありますね。
震災を通しての人間関係の変化
http://www.youtube.com/watch?v=hlI9c_8ZaF0
あのね、特にあれだよね、親戚関係。今までだったらね閖上にいたころっていうのはもう何かあるたびにちょくちょく行ってたけど、今全く行かなくなったしね。よっぽどなにかないかぎりね、不幸あったとか、祝い事があったとか、っていう以外は会わなくなってるね 。前は普通に合えば挨拶とかもしてたけど。親戚すらね、どこに住んでいるかわからない人もいるし。まあ遠い親戚だけどね。
Q: 連絡とかあんまり…?
だよね。本当に連絡先とかもわからないし。今って本当に血の濃い親戚だけしかわからないよね。
Q: それは震災でバラバラに
バラバラになって、ええ。
震災を通して、今後、人々に伝えていきたいこととは…
http://www.youtube.com/watch?v=dbNSJXUjvds
まずね、伝えたいことっていうのは本当に風化させないってことだね、このことをね。自分だってそうだったのかもわかんないってあるんだよね。いろんなこと、いろんな自然災害、事件事故もだけど。それを自分たちがどう頑張ったら本当に忘れずにいくのかなっていうのはね、もっと考えないといけないのかなって思うんだね。そして今から閖上の町がどうなるかはわからないけども、閖上の町っていうのはこういう楽しい町があったんだっていうのを、それもずっと伝えていかなきゃいけないのかなって思うよね。まあ、あと今からだと思うんだよね、いろいろわかってくるのが、もっともっと。ええ。今はまず、あれだよね、落ち着いてはきたけどやっぱりまだ何をしたらいいかっていうのがわからないよね。うん。ただ本当こういうことがあった、そしてこういう町があったっていうのは、覚えてるだけじゃなくてもっと伝えていきたいね。今はそう思うね。

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