中澤 芳文さん

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生まれも育ちも閖上の中澤芳文さん。3.11の震災でご家族を亡くされました。震災から月日が経った今、胸中をありのままに語ってくださいました。


「被災者」と「遺族」

あの、結局そのひどさが分かっていない、自分達は、んーなんて言うんでしょうね、被災地ですけど、被災者じゃないんですよ。

Q: 周りの人達がですか?
そうなんですよ。みんなが沿岸部じゃないんですよね。ですけど、みんな被災者なんですよ。家がちょっと傾いたとか、皿が割れたとか、皿一つ割れても被災者ですから、保険会社側から言えば、保険おりますんでね、被災者なんですよ。ですけど、私らはようは本当に被災者って言ったらおかしいですけど、うん、やっぱ遺族なんですよね。


震災の記憶

その半年くらいは、その日の2時46分、その日の2時46分、なんですよ。なるたんびに、3月11日の2時46分以降を思い出そうとする自分がいるんですよ。ですけど、その時は思い出せなかったんですよ、その後どうしたとか、どうやって娘を迎えに行ったとか、すごい思い出せなくて、ずっとその記憶を思い出すのにやっぱり半年くらいかかって、、、ただ思い出せるんですけど、すぐ、忘れようっていうもうひとつ蓋をしちゃうんですね、精神的にやっぱりあの持たなくて、そういう気持ちが落ちた時に薬を服用してもう少し落ち着かせてたんですけど、そうすると、仕事中なんですけど、やっぱり眠気が来るので、まあほとんど睡眠薬導入剤と一緒なので、仕事先に行っても行く先々でどうだったの?家族はどうだったのって聞かれるんですね。まあそれに笑い、笑えるっていうか普通に答えられるようになるまで本当に半年、まあ1年くらいかかりましたね。


被災への共感

あの支えられてるなっていう感覚が起きるのが、実はわたしはあんまりないんですよね、、。ただ支えはないんですけど、共感していただいてるのは多いです。あの、なんていうんですかね、こうやってみなさんとお話をして、うなずいていただく、理解してもらう、でこういろいろな、facebookだったりネットとかで被災地のこととか、被災地にみなさん関東から足を運んでいただいたりとかそういう情報をみると、あっ共感していただいてるな、ていうのが、思えるんですね、で、ただこう冷やかしじゃないですけど被災地見たさみたいなのはこうあったと思うんですよ。それがどんどん日を追うごとによってほんとの現状をみなさん見に来ていただいてる、てのが分かったんですね。


閖上の良さ

ほんとにねーとんでもない街ですよ。楽しすぎますもん。だから、なんていうですかね、閖上の当たり前が通じないっていうのもびっくりしましたけど。あの、ですからみなさんね、食べたことあります閖上のたこ焼き、あるじゃないですか、あれが普通だと思ってるんですから。ずっとあの、あれいくつまでだろ、高校卒業するくらいまで、あれは普通だったんですよ。で、私仙台市内の学校だったんですけど、仙台市内の学生がたこ焼き食べると、パックでぱっと出されてびっくりした、っていう記憶があるんですね。で、そのたこ焼き屋さんも、わたしも高校入る頃かなあ、もう毎日やらなくなったっていう、ですから前に食べれなくなったていう記憶があるんですね。で、年に一回神社のお祭りがあるときに食べれるくらいで。で、あとはおばあちゃん(閖上のたこ焼きを作る方)の気分だったんで。ほんとにびっくりしましたよ。たこ焼きは棒に刺さってないたこ焼きをたこ焼きと思わなくて、おかしいなーって思って。ほんとに閖上の街ん中ひとつで全部用が足りてしまう、買い物もちょっとはできますけど、一番最初にお話した通りに行くのは不便かもしれないですいろんな所に。ただ、生活するうえではなんにも困んない街だったので。ほんとね、海がそばでまあ、何年か前に海水浴場もやっともう一度できるようになった街ですから。んー私が子供の頃、小学校、中学校の頃はもう海水浴場がなかったので、うん、それでもやっぱり子供、ね、同級生とみんなで夏休みになれば閖上の海に行くんですよ。そうすると、大体同級生の一人くらいは溺れて、すんごい引き潮に会うんで、私も2、3回溺れましたけど。面白い所いっぱい、まあ、山が無いだけでほんとにいい街ですよ。ほんとに、子供の頃までは釣りをやったりとかは。あとはまあひっきりなしにいろーんな方が来て頂く街ですからね。


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荒木 保子さん

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震災を乗り越えて、現在、息子さんと仮設住宅で暮らしている荒木保子さん。複雑な胸の内を語ってくださいました。


震災を経験した今…
http://www.youtube.com/watch?v=RLppz_HVVIo

うん、人に迷惑かけないで、やっぱり、自分で自立して一生懸命生きていかなくてはないかと思ってます。みんなに迷惑はかけたくないから。これから、そうやって生きていかなくてダメなの、自分のことはじぶんでしないといけないし、独立しなくちゃないので。それは、息子に対しても、家族に対しても、そう思ってます。自分がちゃんとできるようになれば、みんなに迷惑かけないし、それ一番思ってますね、私のね。やっぱり、津波、こう、体験した人でないと、分かんないですね、これはね。だから、テレビ見てるとさあ、涙ボロボロ流れてくるんだよ、私。東日本大震災って言われると涙こぼれてきます。だってうちも流される、そのまんま、車も流されるそのまんま。いや、そのまんま流れたんですよ。でもかろうじて言えば、壁が抜けなかったので、ものは残ったのもありますけど。だから次の日から、あの、水引いてから、毎日子供たちに、4人して、2番目と3番目と夫婦して、行って持ってきてもらったの、いっぱいあるんですけど。で、選択して持ってきてくれました。それも、入れない区域ですけど、遠くからあるいて持ってきたよって言って、震災の時は、津波…2回しか行ってないんですよ、閖上。見るの嫌だから、行かないから、行かなかったんです。でも、避難所、仮設は不自由ですよね。なにからなにから不自由です。だ、これからみんなに、やっぱり手を借りて、生きていかなくてはないでしょうから。年取ってくるとね、だ、みんな助け合って、行かなくてはならないんだなーって思ってるんですけどね。一人で生きて…人間は一人で生きてられないからね。生きれないから。人の手借りなくてはならないんです。だ、いじわるしたくもないし、私何言われても黙ってるから。


仮設での大変さ

http://www.youtube.com/watch?v=CY0PNI8IiXU

こういう仮設っていうのは大変だなっていうことを知ってもらいたいほんとはね。こういう災難にあって、こういう仮設に入って、不自由な生活だってことは、知ってもらいたいです。めったに入れない仮設だからね。こういうのはね。まさかこういうのに入れるとは思ってなかったからね。ミシミシ言って、ものすごいんですよ、夜寝れないんです。風吹くとものすごいんです、音が。床はべこべこべこべこって。トイレは寒い。寒くて、あの、夜、朝にはいる時は、トイレ開けとくんです、エアコンつけて。ずいぶん、二年三年だからは、こう隙間だらけになってるのかなあ。寒いは寒いです。だからやっぱり仮設に入った人でないとわからないです、これはねえ。早く復興決まってもどりたいですよね。


閖上の良さ

http://www.youtube.com/watch?v=lX_oEnmcG8U&feature=youtu.be

やっぱり閖上は良いですよ。海風は入るし、こういうあれでないから、海の方だから涼しいし、…いいとこですよ閖上は。でみんな戻るからって、友達も行ってくれるから、で、一緒に行こうねとは言ってたんですけど。ま、病院も何も建ってないんだら、行ったってしょうがないなとは考えたんですけど、今からの話だからもうどうなるか分からないんだよね。何年かかるか分からないですからね。


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針生 敏夫さん

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現在、農業のお仕事をされている針生敏夫さん。震災直後、多くの人を高台に避難させ人命を救いました。夜中に震災の悪夢を見て眠れない夜が続いたと言います。


人とのかかわりや仮設での生活
http://www.youtube.com/watch?v=Dd677XLiVBY

んーそういったのでストレスは溜まってないとおもうんだけどね。あー、みんなおんなじなんだもん。みんな被災してんだもん。

Q: 結構、前の方々と話しされたりとか、心強い環境ではあったんですか。
うん、そう。やっぱりほら、みんなと仲良くしなきゃいけないなあっていうそういう思いを持って接すれば、やっぱり揉め事って起きないもんですよ。

Q: その二ヶ月後に仮設に移られて、仮設住宅での生活ってどうですか。
んーと、まあ、外に出てるわけじゃないですからね。風も当たんないように。まあある程度は、ほら、話し声とかテレビの隣の音とか、しますけどね。まあ、くしゃみとか話し声は聞きますけどね、うん。それはお互い様だから、うん、仕方ないと思う。橋の下に寝てるんじゃないからね。暖房ひいてね。また、こういったとこに、住めるだけでも、ありがたいなーっとおもうですけどね。


震災から年月が経った今…未来への不安
http://www.youtube.com/watch?v=N4UuQSxYpAE
ストレス溜まってるかはわかんないけども、んー…多少はやっぱり…あるかもしんない。仮設に暮らしてっからじゃなくて、やっぱり、先を見たときにやっぱり。先を途中..見なければいいんだけど、先を見てしまうと不安があるじゃない。うん…その日を大切に生きれば、そう感じないんだけども。どうしても..その人その人の事情があるからね。そういった時にやっぱり、不安とか感じるとやっぱりストレスも溜まるかなあ…うん。


3.11のこの震災を、絶対に忘れてはいけない
http://www.youtube.com/watch?v=72suT7SzUTQ
んーちょっと辛い時もありますね。辛い時も..あるんですよ。でも、風化させてはね、ダメなんですけどね。やっぱり伝えていかないと。


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荒川 裕一さん

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生まれも育ちも名取市閖上の荒川裕一さん。閖上への思い、震災を通しての経験や現在の心境を語ってくださいました。


閖上の魅力
http://www.youtube.com/watch?v=9vS2JKUpYQ8
楽しかったね、閖上っていうのは。まあ、自分んちの前バス停だったから賑やかだったんだよね、ずっと。朝から、だからそういうのでもね、今何時ですかーって聞きに来たりね。ははは。

Q: 荒川さんの所のドアって開けっ放しとかだったりするんですか?
だいたいはね、開けっ放し。余計バス通りだからね、開けっ放しで。鍵けるのは夜だけ。寝る前にかけて、そんな感じだったね。

Q:いろいろおすそわけとかもあったり・・・
うん、だね。小さい頃から魚とかはね、いろんな人からもらえてね。そういうのはあったよね。まあ、あの人しばらく見ないんだけど、どうしたんだろうねって、話になるね、表にでるとね。うん。


震災直後の様子、避難所での生活とは…
http://www.youtube.com/watch?v=vAzDCAjFu8g
ほんでその夜だよね。閖上に行こうとしたんだけれども、もう息子から電話きて、閖上ないよって言われて、でも自分は信じられないから向かったんだよね。ほんでやっぱり行けなくて。そしてしばらく1時間くらいねどうしたらいいかわからなかったの。うん。どうしようかなって。避難所っていう(考えが)の頭になかったの。そしたら、あれって避難所ってあるよなって思って、で名取に来たんだけれども、そしたら文化会館っていうとこだけが非常灯ついてたのちょうど。そこに立ち寄ったら人いっぱいいるのね。そんで一人だしねまあ、俺よりもねやっぱり年配の人たちもいるし、その人たちも立っているし、ここにいてもダメかなあって思って、市役所に戻りに行って、ええ。でそこは電気もついてたしテレビもずーっと見ててね。幸いにそこに暖かいコーヒーがあったんだよね。自販機があって。だからそういうのでね少し助けられたんだなって思って。避難所にもうねえ3日か4日くらいしかいなかったんだよね。

Q: 寝る場所って布団ひくだけとかですか、それともなんか段ボールの上とか…?
そうそう、段ボール、毛布ね渡されたんだけれどもやっぱかけないでみんな敷くんだよね。だからそれをみんな敷いて、まああと知り合いの人からね、毛布とか布団よこされる人はそれをかけていたけれど。ほとんどはみんな敷いてたね毛布。俺行ったときはもうなかったのかなあ。毛布。確かなかった。

Q: そしたらもうじゃあ地べたに直で?
うん。俺はね、その震災の夜と次の日の夜はねずっと寝てないの。結局閖上もどうなっているかもわからないし、そしてそのころまだ母親の消息っていうのはわからなかったからだから気にはなるし、なんか寝付けなかったね、ずーっと。


閖上への熱い思い
http://www.youtube.com/watch?v=dZ7IbLpZiSo
で閖上に戻ってきたくもなったよね。一人になれば。他に行く気にはなれなかったね。閖上に行ってまたみんなと会えるんだあって思って。閖上好きだしね。

Q: 閖上の何が好きですか?
何がってねえ。まずね、海が近くにあるっていうのがいいよね。そして車があれば便利だしね、閖上は。友達とも会えるし。近所の人たちともなんもトラブルなくやっていたしね。知らないとこに行くよりはやっぱりいい閖上の方がね。


仮設での生活
http://www.youtube.com/watch?v=zwBqwZWRkf0
まずここ来てね一番はまずほっとしたね。自分が落ち着いて寝れる場所があるって。気を遣わずにねただやっぱねこういう作りだから物音とかそういうのを気にしながらなんだろうなって思いながらだったけれども、でもほっとしたね。だって好きな時に横になれるし、風呂にも入れるし。だからそんでもねまだ閖上の多くはまだ仮設に入れない人がいっぱいいたから先に入って申し訳ないなあっていうのもあったしね。


これからの閖上
http://www.youtube.com/watch?v=Pgi_pIiAFaI
今?今ね、わからない。たぶん戻らないかも。戻ってもそんな知っている人いないんじゃないかなって。俺もともと現地再建っていうのも嫌だったからね。本当に安全な現地再建だったら戻るけれども、今のあれではね。また津波が来たら浸水しってなったら嫌だよね。 将来ねえ。だから閖上がどうなるかだよね。なにも見えないから不安だらけ。未来に関しては。

Q: 荒川さん自身はどんな町にしたいとか、閖上を思いますか?
だからね、本当だったらね、前くらいの震災前の人口に戻らなくてもせめてね、5000人くらいは戻ってまたね、わいわいやりたかったっていうのはありますね。


震災を通しての人間関係の変化
http://www.youtube.com/watch?v=hlI9c_8ZaF0
あのね、特にあれだよね、親戚関係。今までだったらね閖上にいたころっていうのはもう何かあるたびにちょくちょく行ってたけど、今全く行かなくなったしね。よっぽどなにかないかぎりね、不幸あったとか、祝い事があったとか、っていう以外は会わなくなってるね 。前は普通に合えば挨拶とかもしてたけど。親戚すらね、どこに住んでいるかわからない人もいるし。まあ遠い親戚だけどね。

Q: 連絡とかあんまり…?
だよね。本当に連絡先とかもわからないし。今って本当に血の濃い親戚だけしかわからないよね。

Q: それは震災でバラバラに
バラバラになって、ええ。


震災を通して、今後、人々に伝えていきたいこととは…
http://www.youtube.com/watch?v=dbNSJXUjvds
まずね、伝えたいことっていうのは本当に風化させないってことだね、このことをね。自分だってそうだったのかもわかんないってあるんだよね。いろんなこと、いろんな自然災害、事件事故もだけど。それを自分たちがどう頑張ったら本当に忘れずにいくのかなっていうのはね、もっと考えないといけないのかなって思うんだね。そして今から閖上の町がどうなるかはわからないけども、閖上の町っていうのはこういう楽しい町があったんだっていうのを、それもずっと伝えていかなきゃいけないのかなって思うよね。まあ、あと今からだと思うんだよね、いろいろわかってくるのが、もっともっと。ええ。今はまず、あれだよね、落ち着いてはきたけどやっぱりまだ何をしたらいいかっていうのがわからないよね。うん。ただ本当こういうことがあった、そしてこういう町があったっていうのは、覚えてるだけじゃなくてもっと伝えていきたいね。今はそう思うね。


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大貫 満喜子さん

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生まれも育ちも閖上だが、一度そこを離れた大貫満喜子さん。戻ろうと考えていた時に震災が。彼女が閖上に込める思いとは。


閖上の好きところ
http://www.youtube.com/watch?v=To2O32lybB4
なんだろうね。全部ひっくるめてなんじゃない?人も、あの、場所も。くうきも。風も。全部。だ、これがっていうのはないね。全部総合的に好き、うん。嫌いなんだけど好き。わかるかな。あのね田舎町って最初に言ったじゃない。田舎だからこそ人間関係もちょっと複雑なとこもあったりするわけ。


これからの復興について
http://www.youtube.com/watch?v=7UoNlOEKVOc
まあね、元に戻んのは当然無理なんだからさ。やっぱ1から作るわけでしょ。それはみんな楽しみながらやればいいのにね。結局昔だってそれなんでしょ。閖上って昔から本当に古い歴史はあるんだけど、古いものは何にもないのさ。つまり何回も津波の被害にあってるんでしょ、おそらくは。当然のことながらだけど。てことはさ、流される度に作り直してるわけじゃん。だったらもう一回作ればいいんじゃない?それもそんな色んなしがらみなくさ。今一番問題になってるのは、名取市は現地復興とかいって、だから話矛盾すると思って聞いてると思うんだよね、きっと。なんで私が名取市に対して敵意をもってるかっていうところ。現地復興ならそれでいいじゃないかって思うかもしれないんだけど、結局なに、行政側のほうでこうしろみたいにして作られたものの中に戻っていくていう感覚はどうなのかなって思う。もちろんほら、一人ひとりで難しいのはわかってるし、行政はそのためにあるから、まずはレールを敷いてそこに住民の戻るっていう。それはわかるんだけど、なんか強制連行みたいなやり方での現地再建案っていうのはちょっといただけないんでないかなって。みんなが自然に戻りたいとか、戻るっていうふうな、風に作ってくれて、それで初めてみんなで楽しみながらね、いい町作りができると私は思うんだけれども。そうでないじゃない。ここじゃなきゃいけないとか、それも嫌がってる人まで無理強いするような感じで戻そうとするでしょ。そういう意味ではいい町なんか作れないもんね。だから楽しくね、本当は明るく、前向きに、もう一回一からやればいいだよね、別にね。そんなかさ上げ、まあかさ上げは安全性っていう意味では必要なのかもしれないけど、そこまで行儀よくしなくていい。逃げるとこさえ作ってくれればいいと思うし。そんな大きい商店街、なんだか今日も見たけど、なんかね。円形のもの、すごい商店街作りますって。そんなもの最初に張り切って何なのって。そうでないんでないのって。住みたいなって、戻りたいなって思わせるようにしてくれなきゃね。そういう風になんないといけないし。


生きていくうえで一番大切なこと
http://www.youtube.com/watch?v=jfiUCFnIx04
なんでしょうね。うん。まあつながりとかじゃないかな。うん。ちょっとね色々話しながら、さっきのほらあんまり良い事なかったみたいなね、あったけど、そういえば一つあったなっての思い出したの。それがやっぱつながりかな。それこそ震災がなければ出会わなかった人たちもいっぱいいるわけよ。閖上の人も含めて、ボランティアの人も含めて、支援してくれる人も含めてね、こういうことがなければ絶対一生会わなかっただろうっていう人いっぱいいて、そういう人たちの顔が浮かんだのね。そういえばそうだったと。今でもずっとねいい付き合いをさせてもらってる方もいる。全然目立たないんだけどね、そういう人たちこそでも、だからもっとポッと出てくれればいいのにさ。本当に継続してやってくれる人たちってね、あの、それこそマスコミとかに出てこないのよ。陰でひっそりとやる、地道にやるからこそ継続するんだろうしね。そういう人たちはありがたいし、今も繋がってますね。そんなもんぐらいすか。


閖上の復興が遅れていることについて
http://www.youtube.com/watch?v=zOWxHxmCIow
閖上は住民が悪いから復興遅れてんだみたいなさ、見聞きするの。見たくはないけどやっぱ気になるから調べるそうなんね。決してそうではない、決してそうでは ないっていうことを知ってほしい。みんながみんが反目しあってるわけじゃない。みんな町が大好きで何とかしたいって思いがあるがゆえに色んな議論してるだ けで、そこの合意形成をするための調整役が本当は行政であるべきなのにそれをしようとしなかったからここまで来ちゃっただけの話で、住民がみんながみんな いがみ合ってるわけじゃない。本当はみんな閖上が好きで良くしたいからやってるだけだってこと知ってほしいかな。ぜひおいでませ閖上、みたいな感じ。


メッセージ
http://www.youtube.com/watch?v=NtJ11Wihsp8
まずはやっぱりぜひ来てほしいと。まずは現地に来てくださいと。どういう町なのか想像してね、車でこう通り過ぎるんじゃなくて、歩いてほしいの、そこにどれ だけの人が住んでどういう町だったんかって想像しながらぜひ足を運んでほしいなと思うし。まあね、みんなが楽しく暮らせるような町づくりになるように見 守ってほしいなと。


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三浦 克美さん

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生まれも育ちも閖上の三浦克美さん。彼女が見る震災前、震災後、これからの閖上とは。


これからの閖上の復興
http://www.youtube.com/watch?v=j0evwL09MjY
そうね、もともと、今閖上が現地再建っていうことで決まってしまいましたけれども、私としては現地再建ではなく、集団移転。集団移転とかもうちょっと内陸のほうに新たな町を作ってもらえればなって思ってたんですけども、そうではなくなってしまったので、実はうちはあの別のところに家を建ててるところで、名取市内のところに家を建ててるところなんですね。ちょっと今色々な噂を聞いてると本当に閖上にどのくらいの人が戻って、どういう町になるのかっていうのはちょっとまだ想像はできないんですけれども。でも実際に私の両親とかは閖上に戻りたいっていうことで。っていうので現地に戻るというよりもやっぱりそのみんなと一緒にいたいっていうのが気持ちが強いみたいで、みんなと一緒だと別に閖上でなくてもどこでも。


被災後の心境
http://www.youtube.com/watch?v=xiOkaFGr-j8
被災者ではあるんだけれども引きずったり思いつめたりしないように早く普段の生活というか前向きに生きてってほしいなって思って。自分が落ち込んだり暗くなっちゃいけないっていう気持ちをもって、そういう気持ちをずっと持って生活してきましたねとか、そういうことをしてたんですけど、いつまでも被災者っていう形で甘えてちゃいけないと思ったし、そういう目で見られるのが嫌だったので、なるべく本当に自分のなかでは、聞かれれば話はしますけども、自分はこうだったて。自分から人に弱みというか同情というかなんかそういうのあんまり受けたくないなって思っていたので、なるべくこう普通に、普通に生活できるようにっていうことで生活してきましたね。


メッセージ
http://www.youtube.com/watch?v=CFNgELREGf4
やっぱりね被災者本人はずっと忘れないとしても、それに関係なかった方っていういのは本当にどんどん忘れていくと思うんですよね。ですから、こういうことがあったということをずっと忘れないでいてほしいなと。やっぱり今とかってね、色々防災意識がすごい高まって、首都圏の直下型地震とかいいますもんね、話になってますけど、やっぱりそういうこととかも大事だと思うので、一部のことと考えて準備するなり、家族で話し合ったり、そういったこととかも将来的にも本当に自分のことのように考えていてほしいなと思います。


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小斉 正義さん

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閖上で生まれ育った小斉正義さん。退職直前まで仙台で働いており、震災によって家が流されてしまいました。少し前までは仮設に住んでいましたが、つい最近中古のマンションに引っ越されました。閖上について多くのことを語ってくださいました。


震災後の町のつながり

http://www.youtube.com/watch?v=56-JNEvD9sQ

Q:震災の方で、震災で町がつながった・・・
うーん、つながり・・・つながり、っていいますかね、結局あの、一応あの、町内の、あの町内会体でもってこう、ある程度集められたもんですからね。であの、必ずしもその町内の中にだけお友達とか友人がいるわけじゃないんですよ。別の町内の方もいるわけですよね、バラバラになっていくわけ、どうしてもこう。なので、あの、必然的に連絡が取りにくくなった。とそれにあと、あの、民間のアパートに入る人もいるわけですよ。ですから、特に民間のアパートにはいった方は、今(電話)よこした人なんですけどね、どこにいるのか、っていうのはあの、しばらく分かんなかったんじゃないですかね。んで、だんだんだんだんこうね、あの人はどこにいるっていうふうに分かってきましたけどね。だから、あの、そういう意味でのコミュニケーションがなくなりましたけども、意外とね、ひとつの町だったもんでですね、小さい町だったもんですから、そんなにあの、コミュニケーションが悪いっていうかんじはしなかったですけどね。


仮設でのつながり

Q:今は、だいぶなんか、今は仮設ですよね、仮設でなんか、そういうもともと、まあ一つの町だったっていう感じがしますか?それとも、なんかほかの場所から来た人もいる・・・
うんうん。そうですね、あの、比較的閖上の人たちだっていう気がするもんですから、そんなにあの、違和感って言いますかね、そういうものはなかったですね。仮設に暮らしているってこと自体は、違和感ですけどね。ただあの、個人的には、そんなにあの、違和感は感じなかった。で、それにあの、造りがね、造りがよかったんですよ。言ってみれば、昔、日本でいう、長屋形式なんですよ。ですから、必然的に隣の人ともお話しするわけ。それから、あー、前後ろもですね、あの、平面で顔、必ず開ければいるんですよ。ですから、そういう意味で、あの、まるっきり顔しらないわけではないですし、ですから、こうあまり違和感っていうか、その疎外感っていうか、そういうものはなかったですね、私はね。


人間関係の変化

http://www.youtube.com/watch?v=nFK9sbgGMXA

Q:震災前の、閖上と比べて、今の閖上って、どんなことでも良いんですけど、人間関係とか、変化とかはありましたか?
うーん、まあ、でもね、この通りでね、閖上の人っていっても、もう閖上の人は閖上に住んでるわけでもないですわね、ですからもう、それぞれでもって、ええ、2年8か月ね、暮らしてるわけですから、まあ今の現状には、あった生活を捨てざるを得なくなると思うんですよ。だ、そういう意味では、なんていうんでしょう、もう、別々の、生活を、に、向かって歩み出したっていう感じじゃないですかね。みながみなではないですけどね。 ・・・・ たもんですから、自力で再建できる方は、もうそれに向かって動き始めたんです。で、今だいたいこう、落ち着いて来たようですけどね。ですから、やれる方はこう、どんどん動いたもんですから、そういう意味では、まあそれぞれの道をですね、歩きはじめた人たちと、あと市のこう、閖上の行く末をね、見て、今でもこう、じっと動かない人たちと、になってるんじゃないですかね。


震災後のコミュニケーションについて

http://www.youtube.com/watch?v=cUG1yOVget4&edit=vd

Q:小斉さんご自身の経験で、震災前と震災後で閖上人との付き合い方の変化はありますか?
うーん。変化っていってもね、友人知人は亡くなってるしね。ええ。ですから、まあ、変化しようにも相手がいなくなってるわけ、私の場合は。親戚もなくなってるし、えー、うちの近所の、ね、友人知人も亡くなってますから。私そのものとしては、変化というよりももう誰もいなくなったって感じだわね。だ、そのみなさんは、そういうこのコミュニケーションとかね、そういうことによる、こう、調べたいんだと思いますけど、今回の震災に関しては、あまりにも人が亡くなってるのでね、そういう意味で私自身は、あの、コミュニケーションというか、コミュニケーションとる人がいなくなったっていう感じですよね。で、それにあと、ほら、今言った通り、もうバラバラになってますしね、いずれね。バラバラになってますので、あの、ひと、その、閖上の町としては、全然想像つかないわけですよ、もう。みんなバラバラになってるもんですから。ですから、さっきまで話したのも、しばらくぶりなので、私がほら、中古のマンションに移ったものですからね、したいということで、こうやって電話で、ぐらいしか、連絡とりようないわけですよ。今までだったら、ひょーって行って、おーって言うんですけどね。ま、そういう意味では、ね、あの、コミュニケーションがあってないようなもんっていうか。コミュニケーションそのものが、もうね、必要ないっていうか、極端なこと言ったら、もう今それぞれの生活も精一杯ですからね。そこに住んでるとこでやっていくしかないと、ま、仮設だったら仮設の中で、で仮設だって、みんなバラバラの仮設でしょ。閖上は全部一つの、になって仮設はまたべつですけども、結局、こっちにある仮設、あともうこっちにある仮設、ってそういうのがバラバラですから、その中でしか、やっぱりやれないていうことでしょうか。あとは、復興してきて、今度はどういう、あの街づくりしていくか、その中で、どういうコミュニケーションが生まれるか、だけであって、今はもう、閖上の町そのものがないに等しいもんですから、コミュニケーションって言われても、それはちょっとね、いろいろこうやってね、こういう記憶とか、そっちにもあるでしょ、閖上なんとかカフェとかですね、は、あるんですけどね、ま、そこは、それだけのもので、で、全体的なものじゃないよって。でまあ、・・・お祭りもあったんですよ。お祭りもね、あの日和山でもってね。それでも何人くらい来てんのかわかりませんしね。ええ。昔であれば、祭りだって、みんなのうちでね、あの、各の家で、お赤飯を炊いてね、で、あのちょっと料理をつくってね、えー、やったもんですけど。今は別にね、仮設にいれば、閖上のお祭りだったったって、仮設で赤飯炊くかっていったらそんなこともしませんしね。だから、コミュニケーションそのものがありますかって言うこと自体がもう、ね、あの、不自然ていうかね、私から言わせてもらえば、もう。


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相原 弘さん

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閖上で生まれ育った、相原弘さん。かつては肉屋を営んでいましたが、津波でお店が流されてしまいました。震災によって変わってしまった相原さんの暮らし、そして、閖上への想いを語ってくださいました。


交流の変化

http://www.youtube.com/watch?v=jZ2edM43Ra4

Q:なんかこう、震災を経験したからこそ、その昔の交流が何か変わってしまったっていうのもありますか?
変わったわな。で、商店街なくなったっちゃあ、で、今再開市場でやってるの。その、そいつらその人らとの交流はねえ、全然ねえわ。
Q:その、逆に、新しく交流が始まった人とかっていますか?
この団地(仮設住宅)で。うん。ちょうどここ閖上一丁目の人が99パーセントな。だから、ほとんどみんな知り合いだっちゃ。だから、まあ助かってるっちゃあな。まるっきり知らねえではねえ。
Q:その残りの1パーセントの人っていうのは、どちらから・・・
どちら・・ってあの、福島のほう・・・。
Q:そういう方たちとは、結構交流が・・・?
は、全然、俺は、私はないね。
Q:それは、あの、交流する機会がないんですか?
そういう人は、なん、こういう、とこに来ないのね。ここは(仮設の集会所)、あの、交流の場だから。で、昨日飲み会やってさ。手ちょっと気になって。
Q:よく参加なさるんですか?
参加、ええ。参加100パーセント。参加することに意義あるもんね。
生徒:それでまたお互い団結しようっていう・・・


震災前の閖上について・相原さんの思い
http://www.youtube.com/watch?v=5ZuSXLF2qrQ
Q:その、まあ、新しい環境にいらっしゃると思うんですけども、その震災前の閖上のこととかを思い出すことって多いですか?
思い出したくないな。うん。寝るの思い出すとさ、やっぱ帰る気になるわな。帰り・・・帰れないからっていうの・・・思い出したくねえわ。思い出しても、戻れるか戻れないかってのも分かんないっちゃあ今、現在。戻れんならばね、俺、もう一回やり直しましょうっていう気はあってもさ、戻れっか戻れねんのか分かんねえんだわやなあ。・・・だ、あの、道路のね、ちゃんと決まったさ、このようになりますよっていう説明があればさ、じゃあ戻りますかってのっけども、道路もなにもわけわかんねんだものさあの、戻ってもどうしようねっちゃな。ましてや・・・タイヤかわかんねえんわな。


伝えたいこと

http://www.youtube.com/watch?v=j0tK6bv-RTs

Q:あの、これ僕たちが今日撮ったビデオを将来見る人とか、今の閖上、名取の実情を知らない人たち、名取だけじゃなくて、被災地の実情を知らない人たちに、何か伝えたいこととか、知っておいて欲しいことって・・・
うーん、こういうことは、二度と経験してもらいたくない。うん。できんならば。でも、いま日本でそっちこっちで地震が起きてっからねえ、なん、注意ってか、そういう注意だけはしてもらいたいなあ。きん・・仕事はわきまえてさ。いつ起きっか分からないんだからよお。そん直前をも見てっから。だ、やっぱあの北海道の釧路かな、あれん時もテレビ見てて、まさかと思ったよ、閖上もああなるとは思わなかったからね。だー来たから、ああ来たって、まず、まさかなあ、ほらああいう津波来るとは思わないっちゃ。だ、ああいう津波は二度と見たくないわ。まあ、経験者だから言えるんだけっども、ほんとあれはほんと、一生忘れられないね。


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赤間 直哉さん

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プロパンガス屋として働く傍ら、アルバイトをし、たこ焼きを売っている赤間直哉さん。過去に消防団員でもあった彼の見る閖上とは。


震災前の閖上
http://www.youtube.com/watch?v=ldsn0dl39pU

Q:震災を経験されて、さまざまな思いをしたと思うんですけども、閖上という町はすごくみなさん仲が良いっていうのも聞かしていただいたんですけども、震災前は閖上っていう町はどのような・・・
うーん、結局ね、小さい町だし、昔からのある町なんで結構、みんな親戚なんです。うん、誰かと誰かが親戚で、誰かと誰かが親戚という、もうどこの子やって言ったら、こうルーツ、二三代聞くと、もうバレちゃうみたいなそういう地区だったんで、うん、あそこのあーなん、あそこのあーなんだぞやとかもう、すぐバレちゃうんで、まあ極端な話は、悪いことできない。うん。もう小さい町だから、噂も早いんですよね。あそこのあいつが自転車盗んだんだとかね、ま、お金盗んだとか、そういうのを代々言われ続けるんで、間違ったこともしちゃいけない町っていうかね、そんな感じでした。うん。で、しょ・・さっきも言ったように、子供の、幼稚園の時から中学校まで全員一緒なんです。うん。どっからも、間違って、転校ね、家が変わってここに閖上にきて、一人二人入ってくるけど、ほとんど閖上の人だけで、幼稚園から小学校、小学校から中学校って。全然変化のない町でしたね。うん。だからさっき言ったみたいに、長沼さん(愛島仮設の方)とかね、歳近いし、けっこう、なんちゅうか、上も下も知ってます。



みなし仮設について

http://www.youtube.com/watch?v=gljbseZKtd8

Q:私たちの、今までお話聞いた方々は、やっぱり、仮設に行かれた方々・・・のお話、がほとんどだったので、仮設ならではの、こう、大変なこと、なんか隣同士の壁がうすかったりとか、物資の、まあ、取り合いじゃないんですけど、問題とかそういうのがあったんですけれども、みなし仮設ならではの、また別のなんか、大変だったことってありましたか?
ああ。俺は、おれは、ですけどね。あのー、今まで集団生活したじゃない。2か月という、ねえ、体育館の中でさ。そいつがアパートに行って、果たして、なんちゅうか、暮らしていけんのかなという不安はありましたね。うん。あそこにいれば、黙ってご飯食べれてね、ところが、アパート代払って、仕事もそんなにしないで、このまんま食っていけんのかなっていう不安はありました。うん。あれ、それで良いのかな(笑)。うん。


どういう町になってほしいか
http://www.youtube.com/watch?v=jl9eh6mGszE
Q:どういう町にしたいという、なにかこう、なんかありますか?
うーん。どうだろうね。落ち着きたいね、早くね。うん。あの、こういうふうに、こういう、全部、新しい家(うち)にならないでほしいな。全部新しくなっちゃうんですけど、うん、なに、俺、何がよかったっていうと、適当だったんです。新しい家も古い家も。全部あって。うーん、落ち着いたんですけど。こう、全部新しいと、落ち着かない。うん。
実は、ああ、名取市内にも結構昔できた団地、ってあるじゃないですか。そういうとこって40年くらい経つと、一気に、一気に寂れて、一気に子供たちも一気にいなくなる・・・なってるんですよ、要は分かりますかね、こういう町って、こう30代40代の人がガーンと土地買って、住んで、で、そういう人たちが子供産んで、一気にいなくなって、終わり・・・な町が多いんですよ。
ところが、閖上っちゅう町は、うーん、ぐっちゃぐちゃ、だったから、まあそれなりに過疎化してたんだけど、こう、若い人が戻ってきたりとか、こう、そんなの繰り返してたから、こう、一気にある年代から、40年後たっても、そのまんまみたいな、ちょっとずつは高齢化してますよ、日本全部が高齢化なんだから。ただ、新しい町って一気じゃないですか、40年後経てば、家も全部古くなってて、住んでる人も、うーん、30代が70になってて、子供たちは全員いなくなってとか、そうはならないでほしいなあ。うん。ただ、過疎化はしてたのよ。うん。子供たちは、一クラス、一クラス例えば、40人守れなかった、それぐらいは過疎化してました。正直ね。ただ、そういう町だったのにも関わらず、若い人たちが西に行きたいって言ってんのにね、あっちに行こうとしてる計画じゃないですか、そうすっと、戻る人どれだけいんのって。子育て世代がね。それが心配です。


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