松本 俊彦

松本俊彦さんは(株)松弘堂 印刷会社の代表取締役、石巻元気復興委員会の会長としてご活躍されています。会社は倒され、事務所と工場は浸水。その後、同じく会社が被災してしまった経営者、次期経営者の方々を集めて元気復興委員会を作りあげた。以前はライバルだったとしても、今は一緒に力を合わせて頑張る時なのです。石巻の復興への思いや復興委員会で誕生したコラボレーション商品についてお話していただきました。

大変な事もあるけど今が楽しい、復興委員会について

さっき石巻は大変な状況だっていう話しましたけど、それとは反面で石巻にはすんごい事が起きてる事もいっぱいあって。まっ、当然、国がこう、石巻に対していろんな、あの、なんて言うんでしょう。国のお金を投入するわけじゃないですか。例えば新しい町を作るっていう事に対して何十億、何百億もお金を投入したり、専門家をいれてきたり、っていう事を石巻は今あるし。日本中の大きなトップクラスの企業が、その企業の価値をどうしようかって。この東日本大震災を通して自分のこの会社の企業価値をどう高めていくかっていう事で、日本中の大手企業が今集結してるんで。で、なにができるか一生懸命さがしている訳ですよ。そんな事が石巻で起きてるし。もう単純な事から言えば、芸能人がわんさと来るわけじゃないですか。
震災前に全く想像しなかった事が、今ここで起きてんです。それってすごい素晴らしい事だし、前は絶対あり得ないことだったんで。たまたま不幸も事がいっぱいあるけど、良い事を探しだす事がどんどん起きてるんで。自分はやっぱそういう事を使って、一緒にその中に飛び込んでいって、非常にこう、自分の人生としてすごい良いんじゃないかなぁ。だからここを離れるつもりもないし、ここにいる事が楽しいですよね。
ボランティアさんも全国から来て。お手伝いいただいて、お手伝いしていたかと思うとここに住みたいって言い出したりとか。そういう若い人達もいますし。だから面白いっすよね。休んでる暇ないですよ。休んでる暇ないって言ったらおかしいですけど。楽しい事もいっぱいあるから、楽しみ続ければいいですよね。

この我々のメンバーもなんかそんな感じだと思いますよ。私と同じように全部、会社がなくなって。まっ全社じゃないですけど。設備を失ったり。まっ中には社員を失ったりっていう方々もいっぱいいますし。でも、根本的にはある程度若めの経営者の人たち、ぜんぶ経営者なんですけど。もしくは時期経営者の方々なんですけど。こういった方々も、やっぱり私と同じようにこう、なだれて、どうしようかって思ってたと思うんですよ。で自分が、この指止まれ、と。同じような人たち、この指止まれ、と。でみんなで力合わせてやろうよ、と。一社でやろうと思うなよ、と。一社でなんかできる訳ないんだ、と。この機会にみんなで力合わせてやろうよ、という事を言ったらみんな、うーん 何になるかわかんないけど一人で悩んでるよりいいな、と。で集まり始めて。でそこに、こんな事できるんじゃないの、あんな事できるんじゃないの、って。大阪行こうよ、大阪行って自分の商品PRしてこようよ、と。いや、大阪行っても通用しないっすよ、って行ってみなきゃわかんないだろ、と。で行けばやっぱ、美味しい、とか言われる訳ですね。是非商品を取引したいと、いう話になってくる訳ですよ。今そういう事をどんどんやって外に向かってどんどん我々はやっていこうよ。震災前は全くやってなかった事だけど、今やれば、目立つ。目立つし、みんな聞いてくれる。だから今がチャンスなんで今一生懸命そんな事をみんなでやりましょうよ、と。

商品を広める、コラボ商品の開発、わかめ専用ドレッシング

今この商品をとにかくどんどん世の中に出していくっていうのが一つ。でそれは詰め合わせセットでもそうですし、そうじゃなくて企業で、例えばどこどこのなんて言う商品を記念品で使いたいとか、そういうニーズがいっぱいあるんでそういうのをどんどんPRしていく事と。後はみんなで力を合わせて色んな商品を開発していこうと、いう事を今一生懸命やっています。
この機会にどんどんどんどん外に自分の会社の商品が出て行って。で最初は、例えばそれが支援というきっかけかもしんないですけど、やっぱり最後は美味しいから買うっていうところまで持っていかなきゃないので。それをみんなと協力しながら自分の会社の商品だけじゃなくて、隣の人の会社の商品も。例えばお宅はこういう技術があるんだから、こういう事をやれば良い商品ができるよね、とか。ウチのこういう技術を使ってお宅のと合わせればこういう物ができるよね、とか。そういうのを今一生懸命みんなで、飲みながら、楽しくみんなでやっています。それをどんどんやっていきたい。
(これからも)
うん、商品を良くする事と、広めていく事と、2つとにかく一生懸命やろうと。

ひとつ出来た商品があって。ワカメの、塩蔵ワカメを売っている会社があって、ワカメですね。ワカメを売っている会社があって、それをこう、展示会にみんなで行った時にワカメを試食してもらうのにタレが必要になる訳ですよ。でそれを、タレ必要だったんですが山形屋さんっていうつゆを、まあ醤油味噌を、つゆを作っている会社がありますね。それから東北で結構いろんなそば屋さんにおろしている丸平鰹節っていうダシ屋さんがいた訳ですね。でそれを、んじゃ2社で、この二つの商品をこう上手くくっつけて美味しいタレだきんじゃねぇの、ってこう遊びながらやってたんですよ。でそしたらエライ美味しいつゆが出来て。おっこれ良い、って、これ商品かしようっていう話になって山形屋さんと丸平さんとコラボしたワカメ、ワカメ専用ドレッシングという名前で、ワカメ用のドレッシングを今回作って、今ワカメと一緒に殆ど売っているとう。だから3社コラボですよね、要は。でそれがワカメだけじゃなくて肉にも合ったり。牛タンつくねそこで売ってんすけど、牛タンつくねにも合うし色んな物に合うので。今すごいウケてます。そういった物をどんどんどんどん作っていけば、楽しいですよね。

菅原 聖

菅原聖さんはオカダプラニングの代表であります。

自分自身は、まあ、流れてるからね。その、津波にのまれてる人間だから。まあ、死んだつもりでって言ってもまあ言えば済むんだけど。まあ、生かされた部分もあるから。でもやっぱりこういうエンターテイナー的な仕事をしてるからやっぱ俺はは人を喜ばせないとっと。まあその後はそういう被災地でなんかやってあげなきゃ、っていうかまあ自分被災-人だけど、被災地の、被災した人間が被災地に行ってやるっていうとこに意味があるなっていうのはあったのね。

だから阪神の時も、阪神大震災ってあったんだけれど、あん時ってのも、あの辺で歌謡ショーうち本当はやるはずだったんですよ。で、それ、まっちょっと、もうちょっともう南側なんだけど、ただ一カ所はあのう、会場が物資の置き場になってて使えなくてそこだけ中止になったんだけど。そん時も俺、震災1ヶ月後くらいにそのやっぱり歌謡ショーをやるからその、打ち合わせかなんかに行ったんだけど、結構すごかったから。もうそん時でも、だから逆にこういう時だからこそやんなきゃないっていうような、歌謡ショーはそういうやっぱりこういう時に、こういうこそやっぱり人を喜ばさなきゃっていう部分はあったから。そん時も商売にならなかったけどね。ひどい目にあったけどね。結構赤字越えて、まあやったからいいだろうみたいな。だからそこで止めても赤字、損ねっ、ね、続けても赤字。っては、どうせだったらやった方が良いじゃんっていう。だから今回もそんな感じだったんだけど。

ううんなんだろうな。まっ、ええ、ポジティブになってね。結局その、なんだろう。もう失くしたものないし、こう遠慮が無くなったっていうか。だからなんとなくこうねっ、歌謡ショーとかやる時もこう、タレントさんにもこう、何日かかん日か、みたいな。ったらあのう、まっ原発で避難している人達のその南、その、南相馬の方の波江っていう町があるんだけども、親戚関係がいて、こうみんなで避難してる街があるんでそこでちょっとできないかって言われた時にも、もうタレントにもうガツガツ行って、遠慮がなくなったっていうか。今だったらこう、ね、いやぁお金ないんだけど、ってこう行くのも、うち帰ると、もうないんだけど来て!って感じの。なんかこう、あんまりこう、ん、何にもなくなってるから、結構こうなんか言いやすくなってるし。

目標、いやあ。なにもないね。継続するっていうのが目標なんだね。要は、ある程度歴史があるんで、その、それをとりあえずまあ俺が生きてるだけは続けていきたいだけであって。まっ続ける事が一番、ねっ、あのう、会社ってのは大切なもんだから。まっ別に発展する必要は全くないけど。続けていければいいなっと思う。

うん、そうだから。よくその、うちの業界ってのは結局東京とかそっちにいた方が全然楽な訳じゃない、仕事もしやすいし。んだけど、だから結局で言うともう仙台の人からも、仙台に来たらって言うんだけど。仙台の方がやっぱ動きやすいし。いやあ俺石巻にいるっていうんだ、要はその、酒飲みに行く友達もこっちにいるし。で、今後の石巻どうなるか見てみたいし。だからやっぱり、ねっ。石巻にはやっぱりいなきゃないだろうなっていう、いたいなっていう。この土地ってね、仕事が、仕事上がすごくこう、良いとしても、うん。だから仕事がメインじゃなくなっちゃってるから、もう。楽しく生きようっていう世界になってるから。

阿部 信也

阿部信也さんは丸平かつおぶしの代表であり、石巻元気復興委員会にも所属しています。


阿部さんにとって会社を続けるための「かすかな希望」とは。

実際水産会社はこっち加工関連の水産なんかは200社位あって、そのほとんどがまあ壊滅してるとそれで、みなさん当然施設も設備も、うーん、あと原料も5万トンくらい被害を受けてるわけ、全体で。金額にすると350から400位になるのかね。400億くらいなのか。その中で原料もない、設備もない中で、もう解雇せざる終えなかった。ただ打ちはたまたまこの建物が残った、んで上野3階部分は水が来ていないていう、うーん、ところだったんで、やっぱりかすかな希望って言うか可能性があれば、それはできるかもしれないと、まだ。でも内部も被害状況もわかんないわけだから、まだ。出来るかもしれないと、で、従業員もやると言っている。うーん。もう、だったら、やってみようかと。そんな責任感とか、まあ、うーん。その当時はあんまりそういう所よりも、とりあえずさっき言った従業員解雇せずにやるといった、ずーっと前にそう決めた、だからそういう風に忙殺されてたって言うのが現状だった。


他企業との話し合い、コラボ商品、情報交換などについて。

(話し合いとかってされたりしますか?)
ん、ほかの会社と?
それはえっとやってまして、復興センターとかで、最初はみんなで集まって業種は違うんだけど、こうやって銀行は貸し渋るねとか、どうなのとか、そっちはどうなのとかこんな制度があるんだけど使えないかとかそういう情報を共有する場として始まったんだよね。そこでそのだんだん水産商品も出来るようになって、じゃあちょっとセットにして売ってみる、じゃあって。一緒に大阪のシーフード展持って上がったんですけど、そこに、一緒にそこに行って、展示して売ってみようかとか。でそれがじゃあこんどはお店が出来るっていうんでじゃあちょっとやってみるかってだんだんなってきて。

だけどこう200社もいっぺんにやられたもんだからそういう動きで、一緒に売ろうか一緒にものを作ってみようと、うちも(1:17・・・・)といっしょにふりかけを作って2社で作ってひとつって名前で、味噌鰹節と合わせてごまもいれて、そういう動きとかもやってるし、そういうのがどんどん発展すればいいなと思って。

最初はやっぱり2,3人の(1:44・・・・)で共有しました。そういうのも、あの、がんばっぺ石巻っていうホームページにのってるから。一同みんな集まって、今、現在の情報、たとえば、こういう本部も、まあ社団法人化してるんで、こういう販促をして、大手の企業さんが販促として使いたいとか、支援する、とか支援するために使いたいんだとかって言う情報が入ってくる。それにもっと対応して、ものももっと売れると思う。そういうメリットがありますよね。一緒にやるって言うことには。

石巻のコミュニティーについて。

これは絶対必要さ。間違いなく、この町内でも避難所に、この町内の方々集まって、まあ俺は2カ月だけど、(0:17・・・・)あと、やっぱり反対した人もいるし、でもやっぱりばらばらじゃあなかったから、みんな助け合って最初、みんな水、飲む水もないんで、4時間ぐらい並んで、水をもらって、あとトイレの水も水が詰まっちゃうから、近くの小学校のプールからバケツひっくり返して、そのまままずトイレを清掃するとか、そういうはなしも、あとは、うーん、そうね。そういうのをやって、みんなでやっぱ一緒に、一緒で中央公民館みたいなフロアで、知り合いがやっぱいるわけですよ。そうするとね、あんまりうちはこうプライバシーとか言って(1:07・・・)もしなかったし、で、また、そうね、そういうコミュニティがたとえば阪神淡路のときにも、みたいに、復興、公営住宅を造っても、ばらばらになっちゃうわけです。公営住宅っていうと公平にしなくちゃなんないから、抽選で入る人を決めるとか。この地区の人だけ住まわしてくださいっていう、これはダメなんですね。いまはこここういった地区に建てる、ここに戻ってきた人は、まあアンケート取ったら7割くらいの人がこっちで出来るならそういう所に住んでもいいて言う人もいるし。そのほうがさ、だって、年寄り、70、80にもなって、ローンで家なんてまた建てられないでしょ。家は建てられないんだったら公営住宅でいいわって、家賃払うからって言ったって隣近所わかんないとかって、それで阪神淡路の時は孤独死とかさ、孤立死とか増えてくるわけさ。ここで誰がね、なんだあの人最近みてないなってなったら、ちょっと聞いてみるかってなるしね。

佐々木 孝寿

佐々木孝寿さんはヤマサコウショウの代表と、元気復興委員会の一員としてご活躍されています。


震災前と震災後、変わった事

3.11以降は震災前より以上ですね、地域の、えー、活動て言うのにですね、積極的に、えー、協力していこうということで、震災前までは、どちらかというとですね、単独で行動することが多かったんですが、震災後はですね、同じ、同僚の皆さんと歩調を合わせてですね、協力できることはしていく、それから、石巻の、そのー、異業種の人たちなんかもお付き合いも積極的にするようにしています。

(震災前と震災後でいろいろ変わりましたか?)
あ、変わりました。私が一番変わりました。

(はあ、どういう感じで。)
ですから、先ほど言ったように、独立独歩であの、進むっていうだけじゃなくて、お仲間の人たちに、それから石巻で働いている、仕事をしている会社さんの人たちとかね、コミュニケーションをよくとって当社の事をよく知ってもらうのも大事。無効、先方様のこともよく知る、で、出来ることは手を取り合いながら、一緒にやろうよという風に。

石巻の良いところ、お客様から励ましの声

石巻の一番いい例、石巻の一番いいところはね、まずなんていうのかね、食べ物がうまいですね。魚は最高に上手いです。魚は美味しい。それから、お米も良いお米がいっぱい取れます。お水もいいです。野菜も美味しい、お肉も良い、食べ物が良い、良い食材がいっぱいあります。高くないです。東京と比べたら全然安いです。そういうね、石巻は食べ物の、食材の宝庫ですよ。景色も海を、太平洋を前にして非常にね、素晴らしいロケーションがあります。そういった良い点をね、今はみんな放射能とかで怖がってますけど、それが済めば、また石巻に来てもらえれば必ず満足してもらえるから。あります。それだけ美味しいですから。

(元に戻るには結構な時間がかかると思うんですけど。)
懸ります。しょうがないですね。あー、3年じゃ厳しいかな5年、もしくは10年かもわからないですね。

(必ず元には戻せると。)
はい、もとにっていうか、もっと仲良しになってよくなると思います。そうですね。地元、私はここで生まれて、ここで育ったから、責任ていうよりもここが好きなんです。責任じゃないです。好きなんです。それでいいんです。お客さんも待っていてくれてるんです。いっぱい励まされましたよ。頑張れ、待ってるから、いっぱい励まされました。そのお客さんたちが待ってくださっているから、頑張ろうっていう気持になれるんです。
(やはりそれは人が、)
人です。そうです。人です。