大貫 満喜子さん

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生まれも育ちも閖上だが、一度そこを離れた大貫満喜子さん。戻ろうと考えていた時に震災が。彼女が閖上に込める思いとは。


閖上の好きところ
http://www.youtube.com/watch?v=To2O32lybB4
なんだろうね。全部ひっくるめてなんじゃない?人も、あの、場所も。くうきも。風も。全部。だ、これがっていうのはないね。全部総合的に好き、うん。嫌いなんだけど好き。わかるかな。あのね田舎町って最初に言ったじゃない。田舎だからこそ人間関係もちょっと複雑なとこもあったりするわけ。


これからの復興について
http://www.youtube.com/watch?v=7UoNlOEKVOc
まあね、元に戻んのは当然無理なんだからさ。やっぱ1から作るわけでしょ。それはみんな楽しみながらやればいいのにね。結局昔だってそれなんでしょ。閖上って昔から本当に古い歴史はあるんだけど、古いものは何にもないのさ。つまり何回も津波の被害にあってるんでしょ、おそらくは。当然のことながらだけど。てことはさ、流される度に作り直してるわけじゃん。だったらもう一回作ればいいんじゃない?それもそんな色んなしがらみなくさ。今一番問題になってるのは、名取市は現地復興とかいって、だから話矛盾すると思って聞いてると思うんだよね、きっと。なんで私が名取市に対して敵意をもってるかっていうところ。現地復興ならそれでいいじゃないかって思うかもしれないんだけど、結局なに、行政側のほうでこうしろみたいにして作られたものの中に戻っていくていう感覚はどうなのかなって思う。もちろんほら、一人ひとりで難しいのはわかってるし、行政はそのためにあるから、まずはレールを敷いてそこに住民の戻るっていう。それはわかるんだけど、なんか強制連行みたいなやり方での現地再建案っていうのはちょっといただけないんでないかなって。みんなが自然に戻りたいとか、戻るっていうふうな、風に作ってくれて、それで初めてみんなで楽しみながらね、いい町作りができると私は思うんだけれども。そうでないじゃない。ここじゃなきゃいけないとか、それも嫌がってる人まで無理強いするような感じで戻そうとするでしょ。そういう意味ではいい町なんか作れないもんね。だから楽しくね、本当は明るく、前向きに、もう一回一からやればいいだよね、別にね。そんなかさ上げ、まあかさ上げは安全性っていう意味では必要なのかもしれないけど、そこまで行儀よくしなくていい。逃げるとこさえ作ってくれればいいと思うし。そんな大きい商店街、なんだか今日も見たけど、なんかね。円形のもの、すごい商店街作りますって。そんなもの最初に張り切って何なのって。そうでないんでないのって。住みたいなって、戻りたいなって思わせるようにしてくれなきゃね。そういう風になんないといけないし。


生きていくうえで一番大切なこと
http://www.youtube.com/watch?v=jfiUCFnIx04
なんでしょうね。うん。まあつながりとかじゃないかな。うん。ちょっとね色々話しながら、さっきのほらあんまり良い事なかったみたいなね、あったけど、そういえば一つあったなっての思い出したの。それがやっぱつながりかな。それこそ震災がなければ出会わなかった人たちもいっぱいいるわけよ。閖上の人も含めて、ボランティアの人も含めて、支援してくれる人も含めてね、こういうことがなければ絶対一生会わなかっただろうっていう人いっぱいいて、そういう人たちの顔が浮かんだのね。そういえばそうだったと。今でもずっとねいい付き合いをさせてもらってる方もいる。全然目立たないんだけどね、そういう人たちこそでも、だからもっとポッと出てくれればいいのにさ。本当に継続してやってくれる人たちってね、あの、それこそマスコミとかに出てこないのよ。陰でひっそりとやる、地道にやるからこそ継続するんだろうしね。そういう人たちはありがたいし、今も繋がってますね。そんなもんぐらいすか。


閖上の復興が遅れていることについて
http://www.youtube.com/watch?v=zOWxHxmCIow
閖上は住民が悪いから復興遅れてんだみたいなさ、見聞きするの。見たくはないけどやっぱ気になるから調べるそうなんね。決してそうではない、決してそうでは ないっていうことを知ってほしい。みんながみんが反目しあってるわけじゃない。みんな町が大好きで何とかしたいって思いがあるがゆえに色んな議論してるだ けで、そこの合意形成をするための調整役が本当は行政であるべきなのにそれをしようとしなかったからここまで来ちゃっただけの話で、住民がみんながみんな いがみ合ってるわけじゃない。本当はみんな閖上が好きで良くしたいからやってるだけだってこと知ってほしいかな。ぜひおいでませ閖上、みたいな感じ。


メッセージ
http://www.youtube.com/watch?v=NtJ11Wihsp8
まずはやっぱりぜひ来てほしいと。まずは現地に来てくださいと。どういう町なのか想像してね、車でこう通り過ぎるんじゃなくて、歩いてほしいの、そこにどれ だけの人が住んでどういう町だったんかって想像しながらぜひ足を運んでほしいなと思うし。まあね、みんなが楽しく暮らせるような町づくりになるように見 守ってほしいなと。


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三浦 克美さん

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生まれも育ちも閖上の三浦克美さん。彼女が見る震災前、震災後、これからの閖上とは。


これからの閖上の復興
http://www.youtube.com/watch?v=j0evwL09MjY
そうね、もともと、今閖上が現地再建っていうことで決まってしまいましたけれども、私としては現地再建ではなく、集団移転。集団移転とかもうちょっと内陸のほうに新たな町を作ってもらえればなって思ってたんですけども、そうではなくなってしまったので、実はうちはあの別のところに家を建ててるところで、名取市内のところに家を建ててるところなんですね。ちょっと今色々な噂を聞いてると本当に閖上にどのくらいの人が戻って、どういう町になるのかっていうのはちょっとまだ想像はできないんですけれども。でも実際に私の両親とかは閖上に戻りたいっていうことで。っていうので現地に戻るというよりもやっぱりそのみんなと一緒にいたいっていうのが気持ちが強いみたいで、みんなと一緒だと別に閖上でなくてもどこでも。


被災後の心境
http://www.youtube.com/watch?v=xiOkaFGr-j8
被災者ではあるんだけれども引きずったり思いつめたりしないように早く普段の生活というか前向きに生きてってほしいなって思って。自分が落ち込んだり暗くなっちゃいけないっていう気持ちをもって、そういう気持ちをずっと持って生活してきましたねとか、そういうことをしてたんですけど、いつまでも被災者っていう形で甘えてちゃいけないと思ったし、そういう目で見られるのが嫌だったので、なるべく本当に自分のなかでは、聞かれれば話はしますけども、自分はこうだったて。自分から人に弱みというか同情というかなんかそういうのあんまり受けたくないなって思っていたので、なるべくこう普通に、普通に生活できるようにっていうことで生活してきましたね。


メッセージ
http://www.youtube.com/watch?v=CFNgELREGf4
やっぱりね被災者本人はずっと忘れないとしても、それに関係なかった方っていういのは本当にどんどん忘れていくと思うんですよね。ですから、こういうことがあったということをずっと忘れないでいてほしいなと。やっぱり今とかってね、色々防災意識がすごい高まって、首都圏の直下型地震とかいいますもんね、話になってますけど、やっぱりそういうこととかも大事だと思うので、一部のことと考えて準備するなり、家族で話し合ったり、そういったこととかも将来的にも本当に自分のことのように考えていてほしいなと思います。


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小斉 正義さん

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閖上で生まれ育った小斉正義さん。退職直前まで仙台で働いており、震災によって家が流されてしまいました。少し前までは仮設に住んでいましたが、つい最近中古のマンションに引っ越されました。閖上について多くのことを語ってくださいました。


震災後の町のつながり

http://www.youtube.com/watch?v=56-JNEvD9sQ

Q:震災の方で、震災で町がつながった・・・
うーん、つながり・・・つながり、っていいますかね、結局あの、一応あの、町内の、あの町内会体でもってこう、ある程度集められたもんですからね。であの、必ずしもその町内の中にだけお友達とか友人がいるわけじゃないんですよ。別の町内の方もいるわけですよね、バラバラになっていくわけ、どうしてもこう。なので、あの、必然的に連絡が取りにくくなった。とそれにあと、あの、民間のアパートに入る人もいるわけですよ。ですから、特に民間のアパートにはいった方は、今(電話)よこした人なんですけどね、どこにいるのか、っていうのはあの、しばらく分かんなかったんじゃないですかね。んで、だんだんだんだんこうね、あの人はどこにいるっていうふうに分かってきましたけどね。だから、あの、そういう意味でのコミュニケーションがなくなりましたけども、意外とね、ひとつの町だったもんでですね、小さい町だったもんですから、そんなにあの、コミュニケーションが悪いっていうかんじはしなかったですけどね。


仮設でのつながり

Q:今は、だいぶなんか、今は仮設ですよね、仮設でなんか、そういうもともと、まあ一つの町だったっていう感じがしますか?それとも、なんかほかの場所から来た人もいる・・・
うんうん。そうですね、あの、比較的閖上の人たちだっていう気がするもんですから、そんなにあの、違和感って言いますかね、そういうものはなかったですね。仮設に暮らしているってこと自体は、違和感ですけどね。ただあの、個人的には、そんなにあの、違和感は感じなかった。で、それにあの、造りがね、造りがよかったんですよ。言ってみれば、昔、日本でいう、長屋形式なんですよ。ですから、必然的に隣の人ともお話しするわけ。それから、あー、前後ろもですね、あの、平面で顔、必ず開ければいるんですよ。ですから、そういう意味で、あの、まるっきり顔しらないわけではないですし、ですから、こうあまり違和感っていうか、その疎外感っていうか、そういうものはなかったですね、私はね。


人間関係の変化

http://www.youtube.com/watch?v=nFK9sbgGMXA

Q:震災前の、閖上と比べて、今の閖上って、どんなことでも良いんですけど、人間関係とか、変化とかはありましたか?
うーん、まあ、でもね、この通りでね、閖上の人っていっても、もう閖上の人は閖上に住んでるわけでもないですわね、ですからもう、それぞれでもって、ええ、2年8か月ね、暮らしてるわけですから、まあ今の現状には、あった生活を捨てざるを得なくなると思うんですよ。だ、そういう意味では、なんていうんでしょう、もう、別々の、生活を、に、向かって歩み出したっていう感じじゃないですかね。みながみなではないですけどね。 ・・・・ たもんですから、自力で再建できる方は、もうそれに向かって動き始めたんです。で、今だいたいこう、落ち着いて来たようですけどね。ですから、やれる方はこう、どんどん動いたもんですから、そういう意味では、まあそれぞれの道をですね、歩きはじめた人たちと、あと市のこう、閖上の行く末をね、見て、今でもこう、じっと動かない人たちと、になってるんじゃないですかね。


震災後のコミュニケーションについて

http://www.youtube.com/watch?v=cUG1yOVget4&edit=vd

Q:小斉さんご自身の経験で、震災前と震災後で閖上人との付き合い方の変化はありますか?
うーん。変化っていってもね、友人知人は亡くなってるしね。ええ。ですから、まあ、変化しようにも相手がいなくなってるわけ、私の場合は。親戚もなくなってるし、えー、うちの近所の、ね、友人知人も亡くなってますから。私そのものとしては、変化というよりももう誰もいなくなったって感じだわね。だ、そのみなさんは、そういうこのコミュニケーションとかね、そういうことによる、こう、調べたいんだと思いますけど、今回の震災に関しては、あまりにも人が亡くなってるのでね、そういう意味で私自身は、あの、コミュニケーションというか、コミュニケーションとる人がいなくなったっていう感じですよね。で、それにあと、ほら、今言った通り、もうバラバラになってますしね、いずれね。バラバラになってますので、あの、ひと、その、閖上の町としては、全然想像つかないわけですよ、もう。みんなバラバラになってるもんですから。ですから、さっきまで話したのも、しばらくぶりなので、私がほら、中古のマンションに移ったものですからね、したいということで、こうやって電話で、ぐらいしか、連絡とりようないわけですよ。今までだったら、ひょーって行って、おーって言うんですけどね。ま、そういう意味では、ね、あの、コミュニケーションがあってないようなもんっていうか。コミュニケーションそのものが、もうね、必要ないっていうか、極端なこと言ったら、もう今それぞれの生活も精一杯ですからね。そこに住んでるとこでやっていくしかないと、ま、仮設だったら仮設の中で、で仮設だって、みんなバラバラの仮設でしょ。閖上は全部一つの、になって仮設はまたべつですけども、結局、こっちにある仮設、あともうこっちにある仮設、ってそういうのがバラバラですから、その中でしか、やっぱりやれないていうことでしょうか。あとは、復興してきて、今度はどういう、あの街づくりしていくか、その中で、どういうコミュニケーションが生まれるか、だけであって、今はもう、閖上の町そのものがないに等しいもんですから、コミュニケーションって言われても、それはちょっとね、いろいろこうやってね、こういう記憶とか、そっちにもあるでしょ、閖上なんとかカフェとかですね、は、あるんですけどね、ま、そこは、それだけのもので、で、全体的なものじゃないよって。でまあ、・・・お祭りもあったんですよ。お祭りもね、あの日和山でもってね。それでも何人くらい来てんのかわかりませんしね。ええ。昔であれば、祭りだって、みんなのうちでね、あの、各の家で、お赤飯を炊いてね、で、あのちょっと料理をつくってね、えー、やったもんですけど。今は別にね、仮設にいれば、閖上のお祭りだったったって、仮設で赤飯炊くかっていったらそんなこともしませんしね。だから、コミュニケーションそのものがありますかって言うこと自体がもう、ね、あの、不自然ていうかね、私から言わせてもらえば、もう。


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相原 弘さん

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閖上で生まれ育った、相原弘さん。かつては肉屋を営んでいましたが、津波でお店が流されてしまいました。震災によって変わってしまった相原さんの暮らし、そして、閖上への想いを語ってくださいました。


交流の変化

http://www.youtube.com/watch?v=jZ2edM43Ra4

Q:なんかこう、震災を経験したからこそ、その昔の交流が何か変わってしまったっていうのもありますか?
変わったわな。で、商店街なくなったっちゃあ、で、今再開市場でやってるの。その、そいつらその人らとの交流はねえ、全然ねえわ。
Q:その、逆に、新しく交流が始まった人とかっていますか?
この団地(仮設住宅)で。うん。ちょうどここ閖上一丁目の人が99パーセントな。だから、ほとんどみんな知り合いだっちゃ。だから、まあ助かってるっちゃあな。まるっきり知らねえではねえ。
Q:その残りの1パーセントの人っていうのは、どちらから・・・
どちら・・ってあの、福島のほう・・・。
Q:そういう方たちとは、結構交流が・・・?
は、全然、俺は、私はないね。
Q:それは、あの、交流する機会がないんですか?
そういう人は、なん、こういう、とこに来ないのね。ここは(仮設の集会所)、あの、交流の場だから。で、昨日飲み会やってさ。手ちょっと気になって。
Q:よく参加なさるんですか?
参加、ええ。参加100パーセント。参加することに意義あるもんね。
生徒:それでまたお互い団結しようっていう・・・


震災前の閖上について・相原さんの思い
http://www.youtube.com/watch?v=5ZuSXLF2qrQ
Q:その、まあ、新しい環境にいらっしゃると思うんですけども、その震災前の閖上のこととかを思い出すことって多いですか?
思い出したくないな。うん。寝るの思い出すとさ、やっぱ帰る気になるわな。帰り・・・帰れないからっていうの・・・思い出したくねえわ。思い出しても、戻れるか戻れないかってのも分かんないっちゃあ今、現在。戻れんならばね、俺、もう一回やり直しましょうっていう気はあってもさ、戻れっか戻れねんのか分かんねえんだわやなあ。・・・だ、あの、道路のね、ちゃんと決まったさ、このようになりますよっていう説明があればさ、じゃあ戻りますかってのっけども、道路もなにもわけわかんねんだものさあの、戻ってもどうしようねっちゃな。ましてや・・・タイヤかわかんねえんわな。


伝えたいこと

http://www.youtube.com/watch?v=j0tK6bv-RTs

Q:あの、これ僕たちが今日撮ったビデオを将来見る人とか、今の閖上、名取の実情を知らない人たち、名取だけじゃなくて、被災地の実情を知らない人たちに、何か伝えたいこととか、知っておいて欲しいことって・・・
うーん、こういうことは、二度と経験してもらいたくない。うん。できんならば。でも、いま日本でそっちこっちで地震が起きてっからねえ、なん、注意ってか、そういう注意だけはしてもらいたいなあ。きん・・仕事はわきまえてさ。いつ起きっか分からないんだからよお。そん直前をも見てっから。だ、やっぱあの北海道の釧路かな、あれん時もテレビ見てて、まさかと思ったよ、閖上もああなるとは思わなかったからね。だー来たから、ああ来たって、まず、まさかなあ、ほらああいう津波来るとは思わないっちゃ。だ、ああいう津波は二度と見たくないわ。まあ、経験者だから言えるんだけっども、ほんとあれはほんと、一生忘れられないね。


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赤間 直哉さん

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プロパンガス屋として働く傍ら、アルバイトをし、たこ焼きを売っている赤間直哉さん。過去に消防団員でもあった彼の見る閖上とは。


震災前の閖上
http://www.youtube.com/watch?v=ldsn0dl39pU

Q:震災を経験されて、さまざまな思いをしたと思うんですけども、閖上という町はすごくみなさん仲が良いっていうのも聞かしていただいたんですけども、震災前は閖上っていう町はどのような・・・
うーん、結局ね、小さい町だし、昔からのある町なんで結構、みんな親戚なんです。うん、誰かと誰かが親戚で、誰かと誰かが親戚という、もうどこの子やって言ったら、こうルーツ、二三代聞くと、もうバレちゃうみたいなそういう地区だったんで、うん、あそこのあーなん、あそこのあーなんだぞやとかもう、すぐバレちゃうんで、まあ極端な話は、悪いことできない。うん。もう小さい町だから、噂も早いんですよね。あそこのあいつが自転車盗んだんだとかね、ま、お金盗んだとか、そういうのを代々言われ続けるんで、間違ったこともしちゃいけない町っていうかね、そんな感じでした。うん。で、しょ・・さっきも言ったように、子供の、幼稚園の時から中学校まで全員一緒なんです。うん。どっからも、間違って、転校ね、家が変わってここに閖上にきて、一人二人入ってくるけど、ほとんど閖上の人だけで、幼稚園から小学校、小学校から中学校って。全然変化のない町でしたね。うん。だからさっき言ったみたいに、長沼さん(愛島仮設の方)とかね、歳近いし、けっこう、なんちゅうか、上も下も知ってます。



みなし仮設について

http://www.youtube.com/watch?v=gljbseZKtd8

Q:私たちの、今までお話聞いた方々は、やっぱり、仮設に行かれた方々・・・のお話、がほとんどだったので、仮設ならではの、こう、大変なこと、なんか隣同士の壁がうすかったりとか、物資の、まあ、取り合いじゃないんですけど、問題とかそういうのがあったんですけれども、みなし仮設ならではの、また別のなんか、大変だったことってありましたか?
ああ。俺は、おれは、ですけどね。あのー、今まで集団生活したじゃない。2か月という、ねえ、体育館の中でさ。そいつがアパートに行って、果たして、なんちゅうか、暮らしていけんのかなという不安はありましたね。うん。あそこにいれば、黙ってご飯食べれてね、ところが、アパート代払って、仕事もそんなにしないで、このまんま食っていけんのかなっていう不安はありました。うん。あれ、それで良いのかな(笑)。うん。


どういう町になってほしいか
http://www.youtube.com/watch?v=jl9eh6mGszE
Q:どういう町にしたいという、なにかこう、なんかありますか?
うーん。どうだろうね。落ち着きたいね、早くね。うん。あの、こういうふうに、こういう、全部、新しい家(うち)にならないでほしいな。全部新しくなっちゃうんですけど、うん、なに、俺、何がよかったっていうと、適当だったんです。新しい家も古い家も。全部あって。うーん、落ち着いたんですけど。こう、全部新しいと、落ち着かない。うん。
実は、ああ、名取市内にも結構昔できた団地、ってあるじゃないですか。そういうとこって40年くらい経つと、一気に、一気に寂れて、一気に子供たちも一気にいなくなる・・・なってるんですよ、要は分かりますかね、こういう町って、こう30代40代の人がガーンと土地買って、住んで、で、そういう人たちが子供産んで、一気にいなくなって、終わり・・・な町が多いんですよ。
ところが、閖上っちゅう町は、うーん、ぐっちゃぐちゃ、だったから、まあそれなりに過疎化してたんだけど、こう、若い人が戻ってきたりとか、こう、そんなの繰り返してたから、こう、一気にある年代から、40年後たっても、そのまんまみたいな、ちょっとずつは高齢化してますよ、日本全部が高齢化なんだから。ただ、新しい町って一気じゃないですか、40年後経てば、家も全部古くなってて、住んでる人も、うーん、30代が70になってて、子供たちは全員いなくなってとか、そうはならないでほしいなあ。うん。ただ、過疎化はしてたのよ。うん。子供たちは、一クラス、一クラス例えば、40人守れなかった、それぐらいは過疎化してました。正直ね。ただ、そういう町だったのにも関わらず、若い人たちが西に行きたいって言ってんのにね、あっちに行こうとしてる計画じゃないですか、そうすっと、戻る人どれだけいんのって。子育て世代がね。それが心配です。


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遠藤 茂美さん、遠藤 利也さん

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もともと農家をやられており、震災後も農家復興を目指し奮闘している遠藤茂美さん。そして、もともと仙台空港に勤めていたが震災をきっかけに自分の地元である小塚原地区の農家復興に興味を持ち遠藤茂美さんと共に小塚原地区での農家復興を日々努力している遠藤利也さん。インタビューでは閖上独特の人付き合いやコミュニティーについてお話していただきました。


震災前の閖上

Q:では昔の閖上について教えていただいてよろしいですか?えっと人間関係といいますか、人との付き合い方だったり、そういうものを教えていただけたらなと。
遠藤茂美:どうだろう。ここはね、閖上の町とまた違って、なんていったらいいのべかな。ここえらな。閖上の町は町で漁業の町であって、ちょっと離れたここは農業っていうかたちになっているのかなって、で人付き合いは、ほら、あったかいっちゃ。やっぱ地元として、ここ閖上地区っていうのは、幼稚園から、幼稚園、小学校、中学校へずっーと同じなのね、みんながそのまんま、どっからも人が入ってこないのね、持ち上がりでずっと行くから、上下の先輩たちと後輩たちとの関係も仲がいいってことですかね。なかなか、名取はここだけだあね。閖上だけだな。だから仲間意識はすごくある町だね。


地元を盛り上げようと思った理由

Q:その地元を盛り上げていこうって思う1番、思った1番大きい理由を教えていただけませんか?
遠藤利也:1番大きい理由はやっぱりこの小塚原がというか閖上というか名取市が好きだからっていう。言うのちょっとこっぱずかしいんですけど。たぶんそれしかないかなあって。ですね。

Q:どういうところが好きでしたか?
遠藤利也:好きっていうだけでもちょっとこっぱずかしいのに。聞かれるとまた(笑)このおんちゃんたちも好きだし、この上の世代のずんちゃんばんちゃんも好きだし、同級生たちも。なんかやっぱりこの閖上っていう土地は独特みたいで、高校行くと高校の友達とか専門学校行ったら学校、大学だったら大学の友達っていうんで、やっぱりそこで新たな仲間が増えるじゃないですか。でもやっぱりなんか帰ってくるところがみんな閖上というか。もう珍しく幼稚園から、小学校から、正確に言えば、小学校から中学校ずっと9年間ずっと同じメンバーなんですよ。増えたり減ったりっていうのが、転校とかないと、あの、ない。だからもう9年間ずっと一緒なんですね。もっと幼稚園合わせれば11年間一緒みたいな土地で、ってなるとよその地区だといろんな小学校が混ざって中学校になったりするじゃないですか、あとは別れちゃったりとか、そういうのが全然ない土地で、ってなるとやっぱり繋がりも腐れ縁に近いですけど、同級生との繋がりもやっぱり大きいので。ってなるとやっぱり皆震災あってからも集まるのは閖上のみ。で震災も経って2年9か月ですか。経ちましたけどそれでもやっぱり集まって話すのはやっぱり地元の人間が多かったりだとか、よっぽど他所の行ってないと。他所に行っている人間も閖上最近どうなのって声かけてくれたり、たまに帰ってくるとやっぱり皆で集まったり。なんか繋がりがとてもあついというか太いというか。なのでそこがやぱっり好きなのかなと思いますけどね。


閖上に戻る・戻らない理由

遠藤利也:戻ってこない理由の1つでもありますよね。結局生活のなんていうか軸というか大黒柱というのが、僕たちの世代で変わっていたとしたら、わざわざ津波きたところで移転しなくてもいいんじゃない、子供たちの学校の関係もあるので今ここらへんの子達はバスで通っているのね。で通ってもその学校に例えばわかりやすいとこで言うと野球部あるんだけどサッカー部ない。サッカーやりたいからじゃあいっちゃうと。となるとやぱっりそういう新しく生活をスタートさせるっていうのも僕たちの世代だったらまあ簡単にできる。じいちゃんばあちゃんだとそこに行ったら近所も知らない人たちだけどってなることって多いじゃないですか。ってなるとやっぱ出歩かなくなったりとか。でも僕たちは子供たちがいれば、近所の人たちとコミュニケーションとれたりだとか。ってなるとやっぱり他所の行ってで学校が近くてとか、電車が近くてとかっていう所の方が僕たちとしては、考え方としては楽なんだよね。だから他所に行ってる理由もあったりとか。だからやっぱり難しい。難しいですかね。他所に行ってしまった方が楽な部分っていうのもあるので、やっぱり増えてくれるは、その増えてもとに戻ってくれればいいんですけど。


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