八幡 タカ

八幡さんは大槌町生まれの大槌町育ちである。以前は保険会社に勤めていたが、今はつつじの里マーケットで働いている。大槌を離れたくないという強い思いを持っている八幡さん。震災前の大槌、そしてこれからの大槌について語ってくれました。

佐藤 隆治

民宿サトウを家族経営している佐藤さん。津波で民宿が多きな被害を受けたが、同じ場所に民宿を立て直す事を決意した。息子さんは消防団員として活動しておりました。その日も同僚と救助の為にトラックを出したが、帰らぬ人となってしまいました。その日の事、佐藤さんの思いを書きとめ昨年に出版。息子さんとその日の事をなぜ本にしたのか、そして民宿と立て直そうと思った理由についてお話してくれました。

こう、亡くなっちゃうでしょ。事故なり、病気なりで。亡くなって2、3日後に火葬して葬儀やっちゃてさ。一週間も経てば忘れられる。まっ普通は家族や親族はそうだないだろうけど。
で、わしが子供の事をね、そのうち忘れられるな。うん。そうでなくてね、やっぱり。んと、こう、ノートにね、子供の事。書き残しとけばね、忘れる事ないな、と思ってね。だから、大学ノートにこうびっしり、生まれた頃の事からね。震災で亡くなる本当に30分、30分ぐらいまでの事を全部、思い出せる事を全部書いて。でないと可哀想だからな。

こう、捜索に行って。消防が主体でやるんですけど、わし、ほら親ですから毎日行った。であの、松林なんか、こう竹の棒で探してね。あと、下だけじゃなくて上を見ろよ、って上見たら松の木のてっぺんにシーツひっかかったり、毛布引っかかったりしてるから。ここまで、うちの玄関の1階まで、なくなってもおかしくないの。その波から見たらバスとかはもう、本当木の葉みたいなもんですから。
JR行ってみた、そこ?まだ行ってない。鉄道レールもないし、鉄橋もないし、もうなんもないですから。自然の力ってすごいですよ。

で震災後ね、4、5日そこに泊まってたんだよ、そこさ。なぁ、誰も来ないのさ。さむっ、電気もないし、トイレも水洗、トイレも使えないし、ヒーターあっても電気がないからストーブも使え、寒い寒い。で、拾った缶詰2コ拾って、拾ったフォークとナイフで、その拾った缶詰を食べるとは思わなかったね。今缶切りがなくてもこう空けれるんだよな。寒くてもう。もう着る。わし達、私たち夫婦は1階で寝てたからもう着替えもなんもない。

学生ですから色んなものに興味を持ってるし、色んなその勉強する時間もあるだろうし資料整理する時間もあるだろうから。で、地元の人とかその、被災者でできないような事、客観的見れるじゃないですか。そういうのを記録として残して。でやっぱりそれを、まっ構成って言うと大げさな話かもしんないけど。できるだけ多くの人にね、その「現状」っていうものをやっぱり、知らせるべきかなって思う。それ学生しかできないと思う。

まだまだ被災地に入ってない人とか結構いるでしょうからね。こうなんだよって事をやっぱりね。まっ、我々いつまでも被災者じゃないと私は思ってるんだ今は。つぶさに被災地を見て、それで色んな資料を作って、まあ、学校の仲間達にね、話してやればいいと思う。

小野寺 典子

小野寺さんは3人の子供と旦那さんと暮らしています。幸いに、ご家族とご自宅は震災を免れ、旦那さんは釜石で仕事を続けておられます。今はボランティア活動やNPOでご活躍されている小野寺さんですが、家が残った人と残らなかった人たちに差が出来た事について語ってくれました。「ただただ普通に暮らしたい」と願う小野寺さん、大槌町への思いと私たち生徒が今できる事について語ってくれました。

(ボランティア活動とかに対しての思いって)
いや、本当にありがたいです。最初、何をどうしていいか分からない状態ですよね。そういう時にこう来てもらって手を差し伸べてくれるってか。ありがたいの一言ですかね。

私の所は、家が無事で。でも、坂のその下の方はもう津波かぶってて。で、坂の上、一番上の地の、上の区にちょっと大きな道路があったのでそこに上ればどうにか動ける。でも一応孤立してるような感じだったので。で、家に来る道路もないし。でボランティアさんが来る、でも孤立してるって事でここにこういう人がいるって、最初の方は分からなかったのかな。
最初はその、知り合いの、近所に住んでる方達のつてでこう。近所に住んでる息子さんの会社の人のどうのって、段々こう遠くなるんですけど、その知り合いの方達が何かしたいっていう事で遠い方だけど、来てくれたっていう。だから、家に来たのが2週間目ぐらいが最初かな、うん。よそはちょっと分かんないです。ちょっと、瓦礫がいっぱいあるところには出て行けなかった。亡くなった方達がいっぱいいるんじゃないかっていう事を聞いてたから、行かない方がいいよ、ってウチの主人から言われてて。確かに私も、ね、あの。とにかく水がないからうちの事するのが精一杯だったから外の状況が、情報が全く分からなかったんで。だから家に来たのはその2週間だけど、よそに来たのはちょっと分からないです。

直近の、2ヶ月ぐらい前かな、行った会議ではちょっとガッカリしました。あの、だいたいの復興計画がもうできたのかなっていう。ここがこう、どういう風になるのかな、学校がどういう風になるのかなっていうのを結論聞けると思って聞きに行ったんだけど、まだ結論が出なかったっていうのでちょっとガッカリした事があります。
だからもうちょっと早く、町がどういう風になるのかっていうのを示してもらえればいいんだけど。なんか、指名、せっかく学校がこうここにくるとかっていうのを町が決めた事が、せっかく津波で流れない家を取り壊してそこにこう学校作るために道路を通すとかっていう風な計画になってしまってて。なんか、地域住民の願いが。あでも地域住民の願いを聞く会を開いたみたいなんだけど、その願いが形になってないような気がする。

将来背負ってたくす子供達の学校を早くちゃんとして欲しい事と。大きな病院、入院できる病院が近くにないので。大槌病院、今仮設でやってますけど、入院できるその病院も早くして欲しい。もう、まずそれが第一。

なんか、ね、インターネットで見るともうなんか、忘れ去られてる。色々こう悪く書いてるの見たりするとなんかすごく悲しくなる。忘れないでいて欲しいかな。みんな一生懸命がんばってるんで。
なんだろう。でもこうやってね、来てもらって話を聞いてくれるだけで、心が慰められるっていう事もあるので。物とかそういう事じゃなくて、来て話を聞いてくれるだけでも嬉しいかなって。今はもう瓦礫も片付いたし、家もだいたい直して、あとは仮設からどこかに移るっていう、まず生活はなんとか落ち着いたところで。まだね、家はどこに住むとか決まってない方達もいっぱいあるけど。だけどあの、一年半経って気持ちの方が今落ち込んでる人達が結構あるので。話を聞いてくれるだけで良い場合はすごくあるような気がして。だから何かもしやってもらえるのであれば、話をこう聞いてくれる。もう何を、何かを解決するとかじゃなくてただ聞いてくれるだけでも違うんじゃないかなって思います。

中嶋 幹夫

中嶋さんは釜石で生まれ育ち、その後大槌町の市役所近くに家を建てた。釜石も大槌町のどちらも自分の故郷だと語る中嶋さん。大槌町の好きなところや町の未来について語ってくれました。

地震が起きても津波が来るっつ事は頭で分かってても。今ほら、あの、堤防ね。防潮堤って言うんだけどね。波除けだとか、津波が来たとき除ける。そういうのがあるがらね、人の安心感はあるんだけども。ところがほら、そういうのあって、それに頼り切ってしまう訳ね。堤防あるから大丈夫だろうと、少々波が来ても大丈夫だろうとかね。そういうほら、あの、やっぱりあの、お年寄りが結構いるからね。だからそういう人達はどっちかっていえばね、逃げる、避難するのが大変なのね。
だから今度は車で逃げないで、そういう津波なんかの場合、徒歩で逃げなさいっていうようにはなってんだけども。やっぱりそういう高齢者だとか、なかなか不自由な人が多いとことか、そうなるとね、車で逃げざるを得ないんだよね。堤防っていうかその防潮堤はね、今度はうんと高くなる。14.5ぐらい、そのぐらいの高い防潮堤が、を作るつもりなんだけどもね。まあ、いい面もあるし悪い面もある。今度は海がまったく見えないから。
だから、我々こういう風に津波にあってね、ああ津波ってこういうもんだっつって分かってるから、だからいいんだけども。これから段々ね、一年一年って経ってくるとそれが風化してしまう恐れがあるね。津波の、こういう津波があったよーっていうのはね忘れないようにはしないとね。

避難するっつう事がね、大事だよっていう事が分かってても、逃げなかった人達がいっぱいいるからね。それでももろにも津波で、2階にいれば大丈夫だとかそういうようなほら。避難しても寒かったからね。寒かったから上着も何か、財布とかさ、色々ほら、それぞれの事情がいっぱいあるからだけど。避難から戻った人達はもうもろに。あと、2階で大丈夫だろうなと思って2階にいた人ももうすっかり、ね。

大槌の場合ね、犠牲者が多かったからね。だからこういう点もね、もうすこし防災、避難するという事をまずね。あれだって色々、逃げるためには大変な事もあったと思う、でもやっぱり大きな津波っていうばなんだけど、どんな津波の時でもね、やっぱり避難すると。そういうね、あれが大事なんですよね。これが徹底されてればこのぐらいの犠牲者は出なかった。

六串 穂野香と三浦 早織

六串さんと三浦さんは高校の同級生で、卒業を近くに迎えている親友です。六串さんは家族と家で生活していますが、三浦さんは家族と仮設住宅に移りました。「被災者」という言葉はどういう人に当てはまるのだろうか、町の活動と復興計画は大人だけのものなのだろうか。10代の視点から震災後と町の未来についてお話してくれました。

あの、私は家が残ってて、さおりちゃんは仮設なんですけど。なんか自分、私自身はなんかそういう、家も家族も無事で。大きい被害っていうのはなかったですけど。だから仮設に住んで、今仮設に住んでる人。そういう震災の話を自分がしていいのかなっていう。被災したって言うのかな、っていうのはちょっとありますね。

復興のために子供議会っていう、そういう。今度高校生とか大学生がそのこれからの大槌の復興のためにどうしたらいいかっていうのを話し合って。議長じゃなくて町長。町長に話し合いの内容を提出して、それを実現させるっていうなんか。そういう場があるんですけど。そういうのがあるので、こう、大人達と一緒に高校生とかの子供の意見も取り入れて復興させていけるんじゃないかなって思います。
(その、子供達が思ってる事もこれから反映されるだろうという風に)
はい、多分。

(高台に家を建てて、であとなんか、14.5メートルの堤防を海の所に建てるみたいな話を聞いたんですけど、そういう話って知ってますか)
はい、知ってます。
 知らなかった(笑)
(それはどこから聞いた、)
あの、バイト先で聞いた話です。
その話をしてくれた人も、なんかその大槌の復興のためにみたいな、そういう活動をしてる人。
(そういうのって高校生とかってあまり知らないですかね)
多分知らないです。

震災前の大槌町もすごい良いとこだったので。それ以上にいい町になってくれたらいいなって思います。ボランティアの方の話を聞くと、なんか、来て、被災。あ、大槌町にこう、来ていいのかなって思ってしまうみたいな。そういうなんか、自分は、なんか。そこ、そこの被災した訳じゃないし、多分その人の気持ちも分からないかもしれないのに、こう、軽々しくじゃないけどなんか、来ていいのかなっていう風に思ってたっていう話を聞いた事があるんですけど。でも、なんか。今大槌町に足を運んでくれるだけで多分復興に繋がると思うので、いい、すごくありがたいです。