東北学院大学
学祭での写真
災害ボランティアステーションのメンバー
学祭で行われていたRerootsの説明発表会
災害ボランティアステーション(夏ボラ)の活動
宮城県柴田町出身、お住まいの20歳。取材当時、東北学院大学の2年生。佐々木さんや神さんと同じく、東北学院大学のサークル・災害ボランティアステーションのメンバー。現在その活動の一環で、私たちのビデオインタビュープロジェクト同様の「メッセンジャープロジェクト」のメンバーとして2013年の夏に主に活動されていたという。
1.メッセンジャープロジェクトを通して: 被災地⇒「復興地」
Q.実際に自分たちが、たとえば事前で調べて分かった情報とか、テレビでうつされている情報じゃない、本当に生の声を聴けたことってありますか。
A. 一番衝撃的だったのが、あの、気仙沼唐桑町の、唐桑旧小学校仮設っていうところがあるんですけど、そこの会長さんに言われたことで、その被災地っていう言葉を使わないでほしいってことを言われたんですよ。それにはほんとにハッとして。まずメディアでも、被災地の今っていう番組があるんですよ。もうこの時点で被災地っていう枠でくくってるじゃないですか。でも実際、現地の人にしてみれば、瓦礫は片付いたし、生活のインフラは安定してきたし、別に被災はしたけど、現在進行形で被災地ってわけじゃない。過去が被災地であっただけど、今は「復興地」みたいな言い方をしなきゃいけないのに、メディアとかはその被災地って言葉をまだ押し付けているってことですかねえ。なんでやっぱりこういうことが聞けるので、現地にはいかなきゃいけないって風には思いますね。
2.ボランティアとは「両立」: 自分のためのボランティア、人のためのボランティア
Q. 羽賀君が思うボランティアってなんだと思いますか?
A. そうですね。俺が思っているのは、自分のためのボランティアと人のためのボランティアっていうのを両立する、と思いますね。人の為だけにやるって言うのは、ちょっとおれは間違ってると思うんですよ。人の為、100パーセントひとのためっていうのは無いと思うんですよ、ボランティアから自分がまなぶことを否定してると思うんで、まあ半分くらいは人のため、あとは半分くらいは自分の為、自分がまなぶためって風に考えて、俺はそういう風に考えてボランティアしてますね。
3.将来への目標、計画:近場で復興に携わる
Q. 羽賀君自身が今後自分の将来においてなにか建ててる目標とか計画とかっていうのは何かありますか?
A. そうですね、今の時点で、また変わるかもしれないんですけど、今の時点では、結構具体的になってくるんですけど、自分はその宮城県職員として、宮城県の為に働けたらいいなっていう。で、それで行政職だとそういういろんな企画とか、ボランティア関係の企画とかっていうのもできますし、宮城県全体の仕事もできるので、なんかそういう人のためになるような仕事ができたらいいなっていう。で、それを通じて近場で復興、復興だけじゃないですけど、近場で復興を自分で考えていきたいし、少しでも力になっていきたいと思っています。
桜井さんと二人で応じてくださったインタビューから数週間後、個人インタビューにも再びご協力をいただきました。主にCDP(ご自身の運営するスケートボードパーク)や行政について語っていただきました。
1.市の職員に対する反感、不信感
Q. こないだ、つい先週お邪魔した時にあまり深く聞けなかったのが、こちらのほうに市の職員の方が来て、ここはもう終わってるって言うのはよくありますよっておっしゃってrたんですけど、何しに来てるんですか?
A. 何しに来てるんだろうね、市の職員っていろんな、その市にもいろいろ何々課っていうのがあって、工事とかやってるから建築家とかそういうのもいろいろあるし、市の生活課とかのもあるし、その人だねたぶんね。その人が結局こっちでこうセブンイレブンからこっちの道路っていうのは危険区域とされてる場所で、そこで会えて何かやってる人たちって言うのは、こいつらなにやってるのっていちいちみにくるんだよね。そういうのは、ここは住居をたてちゃだめって言われてる場所だから、そこに住居構えてるんじゃないかとかそういうの色々みにきてるみたいで、ほんとになにやってるのかはわかんないけどね。
Q. じゃあ定期的に業務としてきてるうえでそういうことを口に出すっていう
A. そう!まあ気にしてないけどうちとしては。疑問をもってたとしても、市の職員って税金で食べてる人たちだから。そういう人たちをまあこういう僕らみたいにね、こういうことやってるやつらがそういう人を信頼できるのかっていったらしないし、何だったらちょっと敵だって言う風に思っちゃってるところがあるから。まあそれにしても暴言だった
Q. まあ市の職員って言うのは決まった業務があってそういうことを言う人もいると思うんですけど、同じ経験をしているであろう人がそういうふうに傷つくようなことをゆってくることってありますか
A んー
Q. そんな、たとえば今一生懸命やってることにたいしてそんなことやったって何のためになるのとかいうような言葉を・・・
A. あーそれはもちろん、その暴言はいたおじさんにしても、まあまずなにやってるのっていうのを聞いたうえで、いやこういうのを作ってで、こういうためにやってるんだっていっても、結局ここの土地がどうなるかわかんないのにこういうのやっててなんかいみあんの的なことはゆってきたりするから、でもそれを気にしててもしょうがないし、それ気にして何かやらないよりはやってたほうがいいから・・・ほんとそういうのいわれてもそういうの基本きにしないっていう。言われたら頭来るけどね、まあ引きずらず。Q. じゃあそのこちらに来る人っていうのは、きださんがこのパークを作った想いとか、一応知ってはいるんですか?
A. うん、だから何やってんのかって言われたら、素直にいやこういう活動をしてますっていうからおそらく知ってはいるとは思うんだけど、結局市の方向性として僕らが、俺が思ってるだけなんだけど、やり合い事っていうのは市がこの荒浜っていう土地を買い上げて自分たち、市がやりたいようにやりたいんだから結局は僕らは邪魔なわけで。だってこの土地を売らないって言う姿勢でいるわけだし。あっちサイドはあっちサイドでじゃまに思てるだろうからだからセブンイレブンとかの看板とかでもさ、僕らへの対する文句があいうふうに形として出ちゃうわけだから。荒浜の地区だけでなくて被災地のひとたちは市政であるとか県政であるとかまあ国もそうなんだけど、全く信用してない。
2.10年後の自分
Q. 今現在の話から未来、みたいな感じになるんですけど、先ほども與沢さんにもお尋ねしたんですけど、10年後の自分っていうのはどんなかなっていうのって・・・
ぼんやりもしてないですね。全く見えないっす。だから十年後、なんだろ。10年後もここを続けるように頑張りたいくらいの感じのことしかないですね。生活が完全にこのパークやってるっていうのが完全に中心で、自分の生活が成り立ってるんで、今の頭だとその考えしかないですね。とにかくこの場所で、このパークを続けられてる、そのビジョンしかないですね。そのためにはっていうのが、しかぎゃくにないっす。生活はもうどうなってるやら。うん。そんな感じ。
與沢さん:パークで食ってるでしょ
パークで食ってればいいですけど。実際問題スケートパークで、スケートパークだけやってて食えるかっていったら全国的に無理なことなんで、それがどんな有名なとこでもパークだけでは正直やっていけない。だからまあ、なんでもいいんじゃない、仕事は。お金を稼ぐ法っ法っていのうは。バイトでもいいし、ちゃんとした契約の元正社員だったとして、でもやるからにはここをやるためっていうのがあるから、ここの営業時間内に働くってことはぜったいしないし、うん。10年後あんまかわってないっすたぶん。
3.CDP、仲間
やっぱ一人じゃできなかったなっていうところがあるんすよ。始めたときはひとりでしたけど。だからこの2人が加わってよかったなっていう。うん
(笑)
だからね、ぼく桜3本に拘ったでしょ?
與沢さん:あーそれはそういうこと
桜・・・つい最近植樹したんすよ。苗木なんすけど、最初は一本しかたてるつもりなかったんすよ。で、でも、まあこのスタッフ三人
與沢さん:泣かせるこというねえ
言わなかったもんね。
與沢さん:そうだね。
だからね、場所もこだわったんですよ。
與沢さん:ほーう
場所が三角形になるようにしたでしょ。
與沢さん:へえーちょっと
ずっとこのトライアングルでっていう
與沢さん:おー
伸びたら、入り口から、その桜3本がみえるんすよ入口からこうだから、
今だから明かす。僕考えてるんすよ
取材当時26歳の工藤さんは吉田さん・花坂さんと同じくNPO法人六郷七郷コミネットにて勤務。ご出身は秋田県ですが、仙台が「大好き」だそうです。
1.将来は復興関係の仕事よりも・・・
Q. 先ほどこう、仙台に今後もいらっしゃって、ずっと住んでいかれるみたいなことおっしゃってましたけども、やっぱりこう、あれですか、外にでていくとか、秋田に戻るとかいうことよりも、仙台で、復興といったものに関係して進んで行きたいって言う気持ちですか。
A. あーでもそこはちょっとあの、もう復興関係の仕事はもうやめようかな、ここで終わろうかな、という風に考えていて、んー。やっぱりこう、ふっこうっていずれは終わるじゃないですか・・すいませんまたちょっとだめなこと言うかもしれないんですけど、(笑)、復興って、絶対途中で、途中じゃないですね、復興するので、ずっとその仕事で食べて行けるわけじゃないじゃないですか、一人暮らしっていうのがあるので、ちゃんと安定した仕事に就きたいっていうのが本音ですね、はい。
Q. 仙台を拠点に、なにかそういった仕事を見つけて・・・
A. そうですね、はい
2.町と沿岸部の、震災への見方の違い
心境の変化、そうですね、震災のときはですね、震災からその、前の職場に行ったとき、その介護関係の職場にいたときは、こう、街中だったんですよ。ほんとに駅前とかすごい町の方で、震災、地震があったって感じじゃないんですよ、なんかもう昔の話って感じで、なので、私自身もそんな状態で、でもみんなもう震災から立ち直ってるんだくらいの、震災の話も出てこないし、全然こう、考える事もなくなってたんですけど、やっぱり仮設の管理人を通して、全然こう復興してないなっていう。みんなそのいつも私が出勤すると、復興公営住宅がどうのとか、その、お父さん津波で亡くなったよねっていうそういう話は絶対出てくるんですよ。だから、あーなんかmzんぜんちがうんだなってやっぱり、現場って言うか、その、ね。やっぱりあk説の方と町の方では感覚が全然違ったって言うのが目の当たりになって、ありました。ちょっとびっくりしちゃいましたね。
3.震災後、家族関係の変化
Q. まあその、そういった感じで結局被災された若者自体もご家族との関係が変わったと思うんですけれども、工藤さん自身もやっぱり3.11後なにかかわりましたか、ご家族との関係とか、もっと連絡とるようになったとか・・・
A. あーそうですね、連絡は結構頻繁にとってるんですけど、話題はやっぱりもうこういう仕事についてるので、震災関連の話が多くなって、でやっぱり親もそっちのほうに興味をもつようなって、こんどきたときちょっと沿岸部行ってみようかなーなんていうはなしがでたりだとか。で、まあ秋田も以前ちょっと震災があって、津波が来たことがあったんですよ。で、そこに実際連れてってもらったりっていうのはありましたね、はい
Q. じゃあご家族の中でも今までとは違った部分もお互い共有しようよみたいな・・・
A. そうですね、はい。今までだったらたぶんこの震災関連の仕事してなかったらそこまで震災の話なんてしなかったでしょうし、こう、ふーんてかんじでテレビ見てても何も、両親・・両親は思ってるのかもしれないですけど、私はふーんていう程度で、(笑)はい。その程度なんですけど、やっぱり今はこういう状況なんで、話題にはありますね。
花坂さんは吉田さんや工藤さんとおなじくNPO法人六郷七郷コミネットで勤務されています。福島県郡山市の生まれで、2歳からずっと仙台に在住。
1.仙台という地元への思いと将来
Q. やっぱりこう、仙台のところに長い間住んでらっしゃってのその3.11だったってことで、やっぱりここの地元にかんしての地元はつよかったりだとかしますか?
A. そうですね、長く仙台に住んでいて、私もやっぱり歴史が好きで仙台が過ぎく好きなんですけど、すごい面白い歴史をもっているし、先祖代々、私の家はずっと仙台なんですね。100年とかたぶん200年とかそういう単位で私の家はいるので、もちろんずっと住んでいたいなって思いはあるんですけど、なかなかやっぱりずっといることは、就職的な意味でも、やっぱりもうちょっと外に出ていきたいなって言うのもあるので。
Q. 外っていうのはこの県からの外ってことですか
A. はい、そうですね。将来的には出て行ってしまうかもしれない。戻ってくることがあるかどうかはわからないですね。
2.同世代の震災復興への意識・関心
Q. 周りの方で、たとえば同じ年代の方で、積極的に活動してらっしゃる方とかいらっしゃいますか?知ってる友人とか
A. インターネット上での友達とかたまに最近はないですけど、本当にヒサイチがまだ泥だらけの状態だったときにしょっちゅうこっちのほうには来てたっていうのは見てたんですけど、ほんとに自分のこう身近な友達とかはもう一切興味がない(笑)震災のその被災地に興味がないので、やっぱりいっしょによくご飯食べにいったりとかお茶したりとかまあ休みがあって、3人くらいの人に会ったんですけど、まあそれ以上かな、前の職場にも言ってみたので、けど誰も聞いてこないですね。私の仕事に関心が無いですね。
Q. それっていうのは時間がたってしまったからそうなっちゃったのか、もともと県外の人だから、とか、・・・
A. 周りの人はみんな仙台の人で、だけどみんな親戚とか被害受けてないんですよね。自分たちがやっぱり山の方にいるから全然見てない、現状をみてない。いろいろあったってことはわかってるけど、むしろあえて触れないってことはあると思いますね。
Q. あえて触れないってことは、今更そういうことを話すって言うことに対しての・・・
A. そうですね、結局なんだかんだって言ったところで自分は動かないし、動けないっていうのがあると思います。時間もだいぶ経ってるので。やっぱりなんか、私の周りは、ですけど、みんな仕事がなかなか見つからないとか、自分の将来に不安を持っているひとが多くて、そうやってひとのことまで考えてる余裕がないっていうのが大きいです。まあやろうと思えばたまにお休みくらいはでてきてなにかはっていうことはあるのかもしれないですけど、そういったことをするほどの情熱はない、ですね
3.危険区域へ戻ること=悲しいことの繰り返し
Q. なんか、お年寄りの方にお話しを聞くときとか、その3.11前のその生活に戻りたいとかなんかそれ以上はもとめないから元の生活に戻りたいってお話する方が多いんですね。今言ったのもまあそんな感じですかね。3.11前の仙台市のように、それ以上は求めないから、復興していってほしいっていう
A. そうですね。でもまあ、あの危険区域の方にはやっぱりひとはもうはいらないほうがいいんじゃないかなってふうには思いますね。みんな荒浜の人たちはもどりたいってふうには言ってるんですけど、被災を受けた人たちの台でおわりにするべきじゃないかなって思います。はい。また同じことを繰り返すのは、やっぱり悲しいことの繰り返しになってしまうんじゃないかなっていう。いまのそのもどりたいってひとの気持をむしするようなかたちになってしまうんですけども。
東北学院大学2年生の尾形さんは、地元・気仙沼で自宅を流されてしまいました。愛する地元・気仙沼市のため、震災以前以後変わらず地元で活動されています。
1.被災直後・周りとの被災状況の違い
すごい戻っちゃうんですけど、私震災の時高校2年生から3年生になる時だったんですけども、被災した時に、気仙沼も被災地っていうあれがあるんですけども、けど周り被災してる子少なくて、家も亡くなってっていう気持ちを全然わかってもらえなくて、友達に。っていうところもすごい悔しくて。だから周りはみんな何気ない会話をするんですよ。それがみんな持っていないものの話やもうなくなってしまったものの話で、すごいつらかったですね。気仙沼より被災した人って少ないっていうか、なんですけど、すごい被災した人と全然何もなかった人がいて、そういうところもまああったし、私もそうしてあの時はつらい思いをしたんですけど、私自身もだんだん気持ちがいってしまっていてそれが怖くて、周りに広めないとと思いながら・・・
2.気仙沼を「観光」するということ
Q. 最初の方にこう、気仙沼の観光のほうで お手伝いしたりとかいうはなしがあったんですけど、その観光で来てる人たちに関してなにか思うことってありますか?どちらかっていうと現地を見てもらいたいっていうのもあれば、そういった気持ちできてるのかなっていう、視察でちゃんときてるのか、ちょっと浮かれた気分できてるのか・・・
A. それはそれで、どんな気持ちでも来てもらってもいいと思ってるんですよ。来ていただくってことが大事だと思うので、でもなんかすごいいいとこだったよとか、これはこうだったよっていうのを持ち帰ってほしくて、持ち帰ってメディアだとかではわかんないところを持ち帰ってほしいなって・・・
Q. さっきからきいておもったんですけど、一番簡単かもしれないんですけどその、伝えてくっていうことが大切ってことですかね
A. と思いますよ。そのシンボルだった船も無くなってしまったので、今後どうやって残していけばいいんだろうていうのは・・・
3.気仙沼: 一度来るとみんな好きになる
Q. いまあのボランティアに色々な人が来てくれてありがたいっておっしゃってましたけど、いまいろんな方に話を聞いた中で、ボランティアが最初はありがたいんだけどだんだんちょっと、なんだろ、しつこいっていうかたもいらっしゃったんですよ。そういう風に思った事って・・・
A. そういうふうに思ったことは一度もなくて、みなさん一度気仙沼に来て下さると気仙沼みんな好きになるんですよ。よくきいてすごいうれしくなるんですけど、ていうのも、最初は皆さんボランティアとして観光でとかでくるんですけど、その後その地域の人と継続的にかかわるなかでのちのちは個人的に来るようになるんですよ。なので全然。だからボランティアありがたいなと思っていて、なかよくなってふつうに親戚みたいに仲良くなって、お友達みたいになってくので、全然いいと思いますね。
Q. そういう方は若い方もいらっしゃるんですか
A. 若い方もいらっしゃいますね。気仙沼自体はほんとになにもないんですけど、人が温かいからまた行きたいって・・・
取材当時26歳、仙台市泉区出身の吉田さんは現在NPO法人六郷七郷コミネットで勤務。震災をきっかけに復興関係の仕事につくことを決めたそうです。
1.将来への展望の変化、就活をやめるきっかけ
Q. 東京に行かれてたってことで、就職先とかって最初は東京の方で考えてた・・・
A. 最初は東京の方で考えてたんですけど、まあ震災のえいきょうもまあ少なからずあるにはあるんですけどね!まあ結果的には就職活動やーめた、と(笑)震災を機に全く就活はしてないですね。
Q. じゃあその震災、その3.11の前に掲げてたじぶんの将来設計図じゃないですけど目標と、やっぱりその日が起きてからって何か大きく変わった部分ってありますか?
A. そうですね、まず仙台からは当初出る予定にしてたんですね。震災をきっかけにですね、まだ離れられんなと。いうきもちはどっかにあったのかなって。今の仕事に就く前に、半年だけ別の仕事をしていたものですから、まあむしろその卒業したあとにその気持ちは強くなったっていうほうが正しいんですけど。
Q. 一応じゃあきっかけとしてはその、3.11が心境的に影響したっていうのは
A. 少なからずあるなと。
Q. どういう気持ちがあってこちらに残ろうと思ったんですか?
A. まず一つは家族ですよね。両親、父親が単身赴任で東京にいますけど、母親はずっと仙台ですし、兄たちがいたんですけど当時震災直後くらいはちょうど仕事で実家を離れてましたんで、まあ母一人っていうのはあって、まあはなれにくいかなっていう、心配っていうのがあって。それから、純粋にその自分の生まれ育った町っていうのが震災でかなり大きな打撃を受けて、でも自分はそのふっこうにかんして何もできないのかな、何か貢献できることはないのかな、あるんじゃないかなって言う気持ちはあったかな。ほんとにそれは卒業した後ですね。どちらかというと前まではあまりそういうことは考えてなくて、むしろ大学を卒業することに必死で(笑)っていう状況ではありましたね。
Q. そういう思いもあって今のお仕事に就かれているっていうのがあるんですか?
A. そうですね、まあ結果的には。まあなにかしらそのずっと、なんていうんですかね、その震災直後は泥かきながらとか、何かしらかかわりはあったんですけど、その後大学が始まったあとは卒業研究の方で忙しくなってしまってなにもそういったことに関われずに、大学卒業して。で、それから仙台にしばらく働いてて、まあある日その被災した沿岸部まで車で行った、出かけたんですよね。あれが、震災から1年3か月?ごろに沿岸部に行ったら、基礎だけの。前は家がいっぱいあったんだろうなっていう後だけ残って、でもそこにそのまあ人の暮らしはもちろんもうないんですね。そういう惨状をみて、あーまだまだ復興・・・仙台駅前なんかね、1年3か月たったらもう綺麗になってましたけど、まだまだ沿岸部はそうじゃないんだなと思って。自分何やってるんだろうなっていうふうな思いになったですね。でそれで、たまたま縁あって去年の10月からなんですけど、平成24年10月からいまの仕事についたんですけども、まあこういった仕事を挑戦してみないかとお誘いを受けて。まあその知人からの紹介というか、知人がこういう仕事あるよって紹介してくれて、でとりあえず応募だけしてみればって言われて、わかりましたーじゃーやってみるーって。そして前までやってた仕事辞めて、で今の仕事に就いたっていう経緯ですね。震災っていうよりも、震災から復興してたような気がしてたのに、1年3か月たってなお全然そうじゃなかったっていう事実を知ってしまったことがどちらかというと僕にとって大きな今の仕事に就いたきっかけなんですね。むしろ。最初から、大学卒業した四月から震災の復興に関わる仕事をするんだ!っていう気持ちで卒業したわけではなく、どちらかというと卒業したあとに被災地をみて、なんかしなきゃっていう。ていうのがあります。
2.不謹慎⇒ポジティブに。震災直後の「若者的発想」
なんか特別、話すのがはばかられる、ていうのはない。まあ逆にその被災された方、実際今仮設にお住いの方とお話してるときに、じゃああの日はどうだったの何だったのみたいな話はね、どん!とはいきなり聞けないですけど、ただあの日内陸にいた連中でそのまあ大学の同期の中での話だと、当初はわらいがなかったのでわらいを生み出すためになんか面白いことやろうとかいっつも考えてましたんで、震災から1か月後にそれこそTwitterとか使ってみんなで男たちはみんなで水もろくに使えなかったので、ひげそらずにひげを伸ばして誰が一番カールおじさんになれるかとか(笑)そういう選手権をやったりとか、あとその関東地方でその、あの年の花見って自粛ムードだったんですけども、そんなんじゃ経済まわんなくなんじゃんっつって、まあ不謹慎っちゃ不謹慎なんですよ、一か月後にそんなことやるなんて。じゃあ仙台でも花見スポットで有名なつつじヶ丘っていう公園があるんですけど、そこでじゃあ2泊3日で花見やろうぜ!とか言って(笑)ずっと公園泊まり込んで花見やってたりとか、あえてそういうバカなことをしようっていうか、その若者的発想ですよね。ひとつね。だからまあそういうことをしたねっていう笑い話くらいはしますけど、ただ、ほんとにそのことについて友達同士で話すっていうことに関しては、まあ今さらってか、まあ笑い話には出ないですよね。なんかちょっと話すのがこう、今更?っていうような感じはあんまりしないかなと。まあでも僕がこういう仕事やってるって言うのは周りのみんな知ってるので、まあ自然とね、そういう話になったりもしますし、うん。
3.10年後の自分、復興にかかわることについて
震災当初って、泥かきとか、肉体労働ですね、そういうわかりやすい支援がいっぱいあって、そういうボランティアがいっぱい求められてたっていう背景があるので、じゃあこの3日間だけボランティアしよう!っていうのはやりやすかった。でも、いまってそれないんですよね。いまってどちらかというと継続的に支援をしてっていうようなボランティアで、あと専門性の求められるボランティアとか。そういうのが増えてきてしまって、実際じゃあ若い人にできるボランティアってなんだろう、あるいは時間のあるひとにできるボランティアってなんだろう。若い人って皆さん忙しいんで、なかなかその継続的にとか、あるいは平日の昼間っからって難しいと思うんですね。だからそういう人たちがどういう支援ができるかなあって僕もその辺すごい、こう、考えちゃいます。まあひとつ、やりかたとしてはチャリティーイベントを企画して寄付をっていうのはありかなと思いますし、僕個人的に勝手に、外側の支援なんて言い方してるんですけど、その、このチャリティーイベントの収益金は被災地の復興のために使いますよっていうような、まあそういったそういうような機関に、あの、現金として送られますっていう名目で、まあイベントを起こしたりとか、あとはその実際被災地に観光というか、まあその被災地見学とかを通して現地にお金を落としてもらうようなそういうツアーを組んだりとか。まあそういうツアーに参加してもらうことで、その、被災地の現状を知ってもらったり、あるいは飲食あるいはモノを買うということでお金を落としていってもらう。それはその、被災地域の活性化につながるので、まあそういったところで・・・まあほんとにお金お金お金!みたいな(笑)話で嫌なところなんですけど、実際に行っていただいてお金を落としていただくか、そのイベントなんかをやって、まあその、間接的に現金という形でまあ復興のために活動していただいたりですとか。あとはそうですね、ほんとにその若い人にできる事ってなんだろうっていうのは、実際関東関西の若い人たちにとってももっと難しいと思うんですけど、こっから支援ってなにすればいいんだろうっていうか。地元に住んでても、やっぱり大学生が支援をしたい、けど何が出来るのかっていうのがわからなくて、何もできないって言うのは聞きます実際。支援の入り方が分からない。
貴田さんはCDP(スケートボードパーク)を津波で流されたご自宅の土地を開拓して設立、現在毎日パークを管理人として運営している。
桜井さんは仙台エリアを拠点にボランティア活動をして生活。
1.
2.2020年東京オリンピックとメディア
https://www.youtube.com/watch?v=qx08xo4CGaw
貴田さん:笑っちゃったすよね、アベチャンの大胆な嘘。あれは簡単に言ったらアベチャンが男なのに俺は女だっていってるようなもん。それくらいわかりやすいあの嘘がIOCが分からないわけないじゃないですか。結局それは政治的な金銭の背景があるから、あんだけ大嘘ぶっこいてもじゃあ東京でやりましょうって言っちゃうんですよね。で、ここにきてる人だけじゃなくて、ぼく友だちにいっぱいそのはなしするんですよね。そんときに、お前どう思うってきくと、いやありえないでしょってなるじゃないですか。でもその意見がすごい多いのに面白いのはメディアでは喜んでる人しかうつんないんですよね。これ笑っちゃいますよねえ
3.「被災者感」
https://www.youtube.com/watch?v=ip1BKPGtmRk
貴田さん:はじめてこっち側から海の方をみたときどう思いました?
えっとこっちがわっていうのは、
ちょうどもう、道路側や小学校から海の方見たときに、南国みたいにみえませんでした?
なんか、世界が違うなって言うのは印象でありました。
あれ、びよんびよん立ってる木って、あれ松の木。で、それを、「わああれヤシの木に見える!」「すげー南国にみえんじゃん!」って陽気なこといってたらすげーみんなに怒られたんですよ。なんで起こるんだろうと思って。それはみんな、「被災者感」がすごいみんなあるんですよ。ようは、全部津波ってものに奪われていって、すごいなんか悲劇のヒロインてきなかんじで全員がそれ思ってるんですよね。それなのにお前何言ってんだって。
不謹慎だって・・・
不謹慎だって。俺それは不謹慎とは思わないですね。お前ずっと悲しんでんのっていう。
桜井さん:貴田さんのように、変えてくれるひとばっかしだったらいいんだけども、未だにそうでない人たちっていっぱいいるんですよね。いつまでたったってそんなことしてる場合じゃない。・・・若い人たちが動かないとどうにもなんねえもんね。前向きにやってる人をやっぱり俺は応援したい。前向きじゃない人は何も応援しない、できないもん、だって。心のケアだってそんなんさ、そういう状態にいる人に心のケアってったてどうしたらいいかわかんないもんねえ。
佐藤ちかさんは、東北学院大学の3年生で現在はお祭りサークルで仙台市の人々と関わりを持っている。元々は栗原市に住んでいるが、今は大学に通う為仙台市在住。
Clip1: 「コミュニティーについて」
Q. 〜〜〜仙台市内で今必要とされているコミュニティーのつながりとか〜まあ3.11があったからこそ今必要なんじゃないかっていうご自身の意見も含めて〜
あ〜えーっと、集落移転?ってあったじゃないですか〜とかってじっさいどうなんだろうって思うときありますね〜その辺まだ勉強中なんで〜なんともいえないんですけどー本当に集落移転がいいのか〜個人個人で動いた方がいいのか〜次ぎ住むところ早く決めた方がいいのか〜もし個人個人で動いてしまうと孤独死とか見えずらくなっちゃうから〜集落っていいのかなーとかそういう事ってなんとなく考えちゃいますね〜。。で。。もし自分も一人暮らしだしこのまま結婚もしなくてーとか考えるとーそういうコミュニティーって必要だなっておもうし〜えーっとアパートでも隣の人の顔をしらないのはどうなんだろうって思う時はありますね。
Q. それって結構東京ではありがちな話なんですけど〜みんなマンションにすんでるひとは〜隣の人の顔もしらない名前もしらないって仙台ではそれって一部ではあることなんですね〜。。
でもなんかー私は田舎出身なんでーそういうコミュニティーがなくなることは寂しいって思うんですけど〜そういう仙台とか東京とかの人だと〜そういうコミュニティーとか付き合いが煩わしいっていう感じる人もいるのでまあいろんな価値観があるから〜もうちょっと(たかく?)的にいろんな情報を知りたいなーとは思いますね〜。
Clip2:「仙台を離れる理由」
Q. その地域を作るとかコミュニティーを大切にしたいいてそれを将来に活かしたいっておっしゃってましたけど〜それは〜ここの仙台、宮城県の中でやっていきたいのか〜それともまあこの県外をを出る事を考えいたりだとかーしてますか?
県外も考えていますね〜なんかまあこの時はどこにでも存在すると思うので〜いろんなところを見るのも経験かなっと思ってますね。なので地元一つだけにするつもりもないかな〜うん
Q. で〜そのコミュニティーとか関わりっていう面ではあまりその3.11後の影響しているのでは〜?それとも逆に
まあきっかけとなったとは思いますね〜。。よりそういう事についてしりたいと思ったし〜また似たような災害って絶対出てくると思うので〜今回の3.11をベースっていうか知識として身につけておいて〜他のところに行って伝えるような〜感じの人にはなりたいなーって思いますね。
Clip3: 「10年後の自分」
Q.今後の事についてお伺いしてもいいですか?何年後の自分はどうしているかとかじゃないですけど〜例えばじゃあゆうなら10年後?どうしてるかなって今の時点で〜
10年後ってもう31とかですよね?そうえすよね〜wなにしてるかな〜そういうコミュニティーには何かしらの形では参加したいなーと思いますね〜市民センターとか結構活動してるので〜そういうところに参加したりとか〜あとまあ仙台で言ったら光のページェントがあってこれは違うなw〜あーこれは学生のうちにやりたいことだなw合唱も昔やってたんでーまたやりたいなって言う思いはあるしー書道も習ってたんで〜書道もやりたいなって思います。そういう自分ができる事から〜またコミュニティーに参加していろんな人と繋がってってーいろんな話きいてーって言うのは未だに思いますね〜。。それはこれからも続けていきたいなーと思います。
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