九頭見さんは、福島県いわき市、湯本にある操業100年の和菓子屋 「久つみ」を経営しています。実際九頭見さんのお店で3.11の震災後の生活への影響や、現在の状況、震災後の様々な心境などのお話をお聞きしました。
3.11の震災後の変化(街の変化、商売の変化)
売上的にはね、三分の一だね。例え…簡単に言ったら100万…一か月100万売れてたとしたら30万…もう本当に観光客がいない町になっちゃったからね。もう今は旅館25軒位あるんだけどね、ちゃんとした営業でお客さん…観光客だけでやってる旅館1軒しかいない。後の24軒のうち泊めて仕事してる…あの…観光地・観光客以外の作業員の人みんないるのでどこの旅館も、その他はね、三分の一くらいのお部屋をね、一般の観光の人に状況なので…もう本当にヒドイもんだよ。だからバスをね、まず見ないから、バス通んないから…いつも、今まではね、今日もう土曜日でしょ…土曜日だから道せまい所をやっとおっきい観光バスが曲がるのが大変そうなのをしょっちゅうみてたりね…駐車場には5台6台とバスが停まってたけど…今いないからバスが。まずこない! バスが来ても「ハワイアンズ」には東京からね、直接無料バスみたいなバスが通っていて…後観光バスも「ハワイアンズ」は作業員の人がいないのでそういう意味では一人勝ちだね…「今は観光客がのびてきている」ってハワイアンズ言うんだけども…その伸びてるひとつの理由は国とか東京都とかそういう所で補助金を出していて補助金を出して、1人例えば5,000円なら5,000円を補助します…いわきとかに泊まった場合。けどこっち(いわき市)泊まる所ないでしょ?だからみんなハワイアンズにバスで行っちゃうわけよ。だから「ハワイアンズ」はそれで潤っているで…今、結構、お客さんはいるよ。
震災以降の変化について、心境
それなりに努力はしても努力は努力として、でも何もやらないよりはね、人を呼ぶように、子供はここで学際をやったりね…よく学校とかで文化祭をやるけれども町で小学校中学校高校とかみんなきてね、演劇…演劇はやらなかったな、歌と吹奏学とか後は剣道は剣道の人が盾とかやったりだとか、いろいろレスリングだとか、子供たちが集まると親も来るし、おじいちゃんおばあちゃんも来るし結構いっぱい一日だけでも人が集まって賑やかだった日があったのね。で、それ毎日やって欲しいなあーっとか思っちゃったりとかね、でもそんなことできるはずもないんだけどもね。本当に、夜ここで立ってここの道路350メートルもあるんだけど、向うまで見えるわけよ、人が通っていないから、寂しいよね。もうだって駅から降りてくる人なんか前から見たら全然減っているし、駅の自動券売機なんか連休っていったって売上金が例えば目標が50万とか100万とかだとしても全然やっぱり売れないって駅でも嘆いている。
今の状況、悲しみ、人々の思い
今ちっちゃかった子供が大きくなったときにきけん児が産まれたら、なければいいけど、あったらね、もう私たちの都合で呼んでなっちゃったら目回ってられないので、安心する所があるので、今いってもらっているんだけど、そういう人も旅館も若い人達はすぐに出てちゃったからね、子供たちに影響があるっていうからね、まして女のこのいる家族なんかお嫁に行くにも「福島の家があるの」って言うと絶対なんかなるって思われるらしく結構遠くにいっちゃったし。ここの角でお土産屋さんやってる所もやめちゃって、長野の方に行ってね、お店もだんだんだんだん減っていく一方でこれから….ゆったり館に行くには通らないか….一番の旅館のメイン通りの童謡館の近くあるんだけど、なーんにもなくなっちゃった壊してそのあとに出来ないから、もう戦後の終戦後の第二次世界大戦の焼け野原にぽつらぽつら家があるみたいな感じになっちゃってて、恥ずかしいというな投げ悲しいというか、でも後継者がいなければ家を建てる人もいないでしょー、だからなーって思うんだけども。本当の出来る事ならあの日の前で戻りたいって気持ちはあるけどもそれは出来ないことだから、これからの事を考えるって事だけで…自分達はもう家もあるしお店もなんとかね、自分達が食べて行く分はねなんとか、3分の1でもね、やらないよりは少しは利益が出るのでやってるって感じですね。
福島のイメージ、原発への思い
原発の事故がなければね、確かに300人以上いわき市も津波で亡くなっているので、沿岸沿いね、今もまだ復興していないのだけども、それと地震だけだったらね大丈夫だったとは思うけども、自分達の努力ではもう…フォローしきれない原発でね…この頃そんなに歩かなくなったけども…1年目、2年目は今ころの時間皆作業から帰ってきた人が本当にぞろぞろ、ぞろぞろものすごくいっぱい居たから。もう町がまるで観光地の色ではなくなっていた。
メディア/報道について
でも一番最初のもう何が何だか報道もめちゃめちゃ、何が起きているのか、何ベクレル…何…そういう単位の話しもねどっちが大きくてどっちが少ないのかも分からないその原発に対しての知識って…だいたい皆もっていなかったので、何が起きてるんだろう…って思ったけど…本当にバスでねその送り迎えして作業員の人が朝の3時ころ行くんだよね、各旅館回っていくバスなんか見るとなんか本当戦地に向かう兵隊さんみたいな感じで、それが行ってきてまた帰ってきてってのを繰り返しで…異様だったね..そういう時の様子から今は落ち着いて見えるけれども原発そのものはみんな知ってるように汚染水でもう…うそばっかり言ってるしね、次から次からあっちこちから漏れてまた何十万ベクレルが出たとか言ってるけど新聞にのるのは本当に3行か4行ぐらいで。すごい大変な事が起きてるのにあんまり報道それなくなってきているし、実際はもうまもなく3月でね3年になるのに「何か変った事ありますか?」って聞かれても特にないですねえ…お客さんも戻ってきてるわけじゃないしね、逆にだんだんだんだんこれをいつまでもこんなことを5年たっても40年、10年たっても40年って40年40年ってのがせばまらずにもう私らの世代が、せいぜい平均寿命だとしてもあと20年ちょっとだからさ、その時代にはこのままいっちゃうのかなーっていう思いもいっぱいあってね。
今後への不安、考えについて
そういう不安ね、そういうのは考えれば考えるほど不安が多くなるので、考えないようにしようとは思うのだけど、でも現実に毎月放射能検査はちゃんと来てね、わりと少なくなってきたんだよ、わりとね、測ってもらってるんだよ、そういうのはみんなやっているとは思う。後、食品の検査ね、それも保健所でやってもらって、「大丈夫です」をもらってやっているのだけども…それだってさ一日一日そんな、例えば菓子あけました、ここには放射能はこうですだのが一番上にあったら食べたくなくなっちゃうでしょー…だからそれは聞かれた時だけ言うことにしているのだけども、でも現実は…まあーお菓子はそれほどでもないけども、あの米とかねなんかやっぱり自分のところで作って子供にあげようと思っている人もいるけれども、子供は「もう結構です」って断られるしね、魚も得にそうだし、私なんかも親戚とかに毎年いまぐらいになったらサンマとか送ったりとかしてたけど、あの事故以来向うから「もう、結構ですから」とか断られたし、逆に果物とかも送ってきた人たちもパターっと送ってこないし…もうなんか…きん…親戚付き合いもそういういみでなくなっちゃうよね。じゃ、何を送ろうかと思うと全国共通の洗剤とかさ、ビールだとかさ、携わりないもの送ると…「お母さんのそういうお心遣いがよくわかります」みたいなお礼状がきたりしたりね….