会見
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遠藤 佐恵子さん

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福岡出身の遠藤佐恵子さん。結婚を機に閖上へ。2011年3月11日、閖上の町と共に津波で家が流されてしまい、現在では仮設で夫と2人で暮らしてます。インタビューでは、福岡出身ならではの視点から閖上に対する思い、また、現在の生活についての思いを話してくれました。


震災前の閖上

震災前…閖上はね、ほんとに小さな町だけど、みんなこう、なんていうのかな…面倒見がいいっていうのかな。ちょっと面倒見が良すぎて干渉がちょっと度が過ぎるとこもあるのね。うん、うん。出かけるとどこいくの?ね、ほっといてほしい時もあるんだけど。それはそれでまたね。だから、これからも、なんか、まとまったとこに住みたいの。どこでもいいから。必ずその土地に帰らなくてもいいんだけど、この、閖上の人たちと一緒の暮らしたいってみんなそう思ってるのね。


震災当日

あのー、その閖上の町の中で働いてたんだけども、その地震…ちょっと普通じゃない揺れだったし、隣…2件くらい隣の人が、6メートルくらいの津波がくるから逃げた方がいいよって言われて、一緒に働いている人の車に乗せられて、ま、まぁ小学校、中学校に逃げようとは思わなかったね。まず、閖上から離れよう、た方がいいってことで、ここらへん、うーんと、増田の方に逃げたんだけど。文化会館とかは…見てないね。市役所近く!市役所の近くに文化会館ってあるのね。最初はそこじゃないところに逃げたんだけど、みんなほら、ガソリンもない、余計に動かれないってことで、でそこに逃げて、で最初から最後までそこの避難所にずっといたの。2か月、とちょっとね。うん。最初、なんていうの?ああいうホール、んーと、いろんな歌とか劇とかやるホールから、こういう板、なんていうの、あそこにじかにこう…だから背中痛くて寝れなかった最初は。うん。普通はみんなが歩いてるところだからね。うん。でもやっぱ長くいると、ちゃんと寝るようになるのね。うん。あの頃まだ寒かったしね。うーん。
まだ布団とかしかないで、ぷちぷちってあるじゃない。あ、これこれ。これ敷いた上に毛布敷いたりして、もう支援のも。布団とかないよ。そうだね、震災から5月の末までだからね。3,4,5、うん。それでここにきたから。そうだね、うん。だって最初は食べ物もなかったし、電気もないし、テレビ、テレビとかの情報も全然、最初はわかんないからね…


避難所での生活

1日1日なにをして過ごしたか、なにして過ごしたらいいかわからない。なにもすること…うん…まだ、知り合いが周りにいたからね、まだしゃべって…うん。まず、いろんな物資、支援は頂いたからね。来たときは着の身着のままだったんだけども、出るときなんか家、自分の周り、荷物がいっぱい増えてんだね、まぁ服もそうだけどね…一部が知り合いだけど、だいたいもう閖上の人は大体わかる…うん、あの人はここの人、ここら辺のひとだ、ってわかるから。そう、そういう心強さはあったよね。全然知らない町の人と一緒にいるわけじゃないから、うん。ほするとやっぱり普段しゃべってなくてもやっぱり、しゃべれるようになったっていうか…やっぱこう自然に話しかけるっていうのかな?うん。だからそこで知り合って仲良、まぁ仲良くっていうかねぇ。そういうのもあるんだよね。絶対閖上にいたらしゃべれなかっただろう、って人としゃべったりね。で、出かけるときに自然に今日どこにいってくるから、とか聞いてもいないのにみんな答えたり、言ったりして。まず、うーん…避難所いって、まぁ楽しいっていったらまた言葉としてよくないんだろうけど、うん…


未来への不安

やっぱこれから、どうなんのかなぁとか…まだほら、行く先もちゃんと決まってないでここほら遅いからね。き、名取市は。と、そういうのもあるしぃ、仕事もないからやっぱり、なんていうか、経済的な面の心配もあるし…まぁ結局まぁ年齢も年齢だから、仕事もぱっと見つからないから、パート的なものしかないじゃない?うん…だから、こういう風になるのわかって、もうちょっとわかってれば、もうちょっとちゃんと蓄えをしといたら良かったかなって…後の祭りでしょ?


忘れないでほしい

知ってもらいた…それはある。今でもそれ以上にあっちこっちでいろんな災害があるから、それこそ、忘れられるんじゃないかっていうのはあるよね。今どこに住んでても安全な場所って、ないんだもんね。オリンピック決まったからオリンピックの方にみんなお金いって、こっち回ってこないんじゃないかな、とか、まぁそれはないっていうんだけども、やっぱり…その心配もね…


未来

ほんとに、うん…閖上の人たち集まって元に戻れ、まぁもとはちょっと危険区域だからあれだけども、ちょっと少しでも近くに住めればいいかなと、だから結構みんなここらへんに家買ったり、うん、もうしてるんだよね。うん、家建てて、うん。若い人はやっぱりそういう風にできるけど、もう、ねぇ、年代的に無理だから。娘たちはもう閖上は嫌だっていうからね。若い人はなかなかね。うん。だから、市で現地再建ってそこに戻るみたいなこと言ってんだけど、やっぱり、地震にあった人のことを考えればやっぱりそこには戻れ、ないよね。で、こんなに頻繁に地震あるじゃないですか?と、ますます、旦那はもともと閖上育ちだから帰りたいっていうのね。と私も、最初は、で一人で帰んなさいって言って、うん。なんか私は、だんだんと嫌になっ、うん、最初はまぁいいかと思ったけど、こんな地震が多いからだんだんちょっと、怖くなってきたこともあるのね。できればこう、なるべくこっちより?今住んでる寄りに、建ててくれない、でそう。閖上じゃなくても閖上の人たち集めればそれが閖上だからね。必ずしもその…そこじゃなくてもいいかなと思うんだけど。最初は、閖上閖上って言ってたんだけど、もうあまりに決まらないからもう、旦那さえももうどうでもいいって今…うん。勤めに行く関係でここの方がどっちかっていえば近くなったから、うん、うん。このままでもう、ここに慣れちゃうと、ここに住んでもいいかなと思う。みんなそう思ってんのね。だからここ壊してたんとアパート建ててくれるといいの。買い物近いじゃないですか、ここね。お店がそこにあるから。そういう人もいるけどまぁここは無理な話なんだけどね。ね、家建てられるような余裕があれば一番いいんだけどね。でも、ここにはやっぱちょっと住まないかな…うん…どこに住むかっていうとなかなかねぇ…うん、あまりにもね、こう進み方が遅いし、決まらないから、何年後にもう帰れるっていうがあればいくらかはねぇ、こう目標じゃないけどあるけど、まぁそれが決まらないからね…だから震災で、震災後になにかいいことあったかなーとおもって考えるけど、ないんだよね…なにもないね…


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