伊藤 文江さん 【非公開】

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宮城県亘理郡亘理町で生まれ育った伊藤文江さん。結婚を機に閖上に越してきました。震災により家が流されてしまい、現在仮設住宅に暮らしています。4人の子供を持つ母親として避難所、仮設住宅での苦労を話してくれました。


震災当日

わぁーっていう家が壊れての…なんていうんですか…廃材とかの流れ、あの、けむり?とかたってるとこ私は見てないんですね。ただあの、排水溝のふたからこう水がこうわぁーって噴水のように溢れてて、でそこで逃げてる時も、やっぱり出産4人…あ、その時一緒ですね、4人出産してて、病院で何番目に、今年は何番目です、何番目です、ってお母さんと子どもにこう数字の書いてあるプレートとか臍の緒とか、あるんですけど、それを一回、「あれを取りにいこう!」ってわたし思ったんですね。でもこの子達いるし、入ったところで崩れても困るしと思って、泣く泣くそれは諦めて、逃げはしたけどね…でその時に友達に「何歩いてんの!」って言われて、「大丈夫大丈夫逃げっからー」って言ってー、「また会おうねー」って言ってー言葉交わして、やっぱしばらくしてからやっと会えた時に、「逃げられたんだねー」って言って、うん、「助かったよ、大丈夫ー」って言って。だからうん。声かけてもらったり、声かけたりして、うん、なんか、有難いっていうかね、うん、ほっとしたところですかね、うん。


避難所での生活

別の小学校でやっぱり避難してる時に、赤ちゃんがいるから、泣くから、あっちに移ってくれないか、とかやっぱりそういう風には言われましたよね…うん。うーん…聞くとやっぱ結構あるみたいですねー…泣くの、やっぱり、分かるんですよ。こう泣かせるなーみたいな、うるさい。って結局すぐ泣き止まないじゃないですか、でうちのもやっぱりギャーギャー言ってたので、だから、なんか、「泣かせんな!」ってやっぱりね、言われたり…お母さん、その、ひと、一晩だけそっちの別なところにいってください、って言われたのかと思ったらもうずっとそっちに行っててください、みたいな感じだったり…うん。 ショックですよねー、うん。確かにこう、眠いのに、赤ちゃんの泣き声で起こされたとか、でこっちもそういうところで、結局、私母乳なんですね、だからそれで授乳とかしてて、もう疲れてこっちもへろへろになってる時…なんか、ずっと見られてたりとか…なーんか、やっぱり…みんな同じなんですけど、そんなにこうじろじろ見なくても、とかー…そんなにうるさいって言わなくても、とかー、はありましたねー…


未来

うーん…このままいれたら、楽しいことは楽しいのかなって思いますけど、でもやっぱり、ずっとここにいるわけにもいかないのかなーってことと、ある程度ちゃんとこう、まぁ子供たちも安心できるところに、移った方がいいのかなぁ、とかは、思いますね。転校するとなるとやっぱり子供たちも嫌がったりするのかなぁ、とかー…そうでなくても、ね、移られる方も移り始めてたりはするので、うん。

Q. 以前小塚原の方に移る方もいらっしゃると聞いたので、だから移るっていっても県外か、大きく移動するのではなく、近くの町に移る、移りたいっていう気持ちがあるっていうのはお聞きしたんですけど、そういうところって伊藤さん自身はどうお考えですか。

まだわからないんですよねー…実家の近い所に行くのもいいのかなぁ、とか、うん。ほんとに新たにもうこの辺の近くの方がいいのか…かといって、その閖上のほうに行く、気分がのらないっていうか…まぁ来ないところだったらいいのかなとは思うんだけど、やっぱり、余震とか地震がちょこちょこあるのは、んーなんかあったら怖いな、っていうのはありますねー…うん。


子供たち

息子の方なんか、もう「行くと、じいじんとこに行くと津波来るから行かない」とかって最初の頃は言ったりは、してたんですね。ちょうど帰って、あーちょっと、もうちょっとしたら落ち着けるねーなんて、ゆっくりしようねーなんて言いながら、車を降りた時に、「津波が来てますからー」って消防の人に言われて、車から降りたと思ったらまたそっちの山の方に走って行って、というか泥の方、奥、に走って行って。でそういう思いをしてるので多分息子たちは、「じいじのところに行きたくない」って最初の方は言ってたんですね…うん。


閖上に戻りたいか

正直…もう、戻り…戻るっていうあれはないですねー…いろんな思い出はあるんですけど、だけど、やっぱりこう、埋め立てとか、するっていうのを聞くと、あーなんか、見つかってない人がいたっていうのもちょこちょこ聞いたりするので…だからそういう、ところ、つったらあれなんだけど…戻るのは怖いですねー…うん。


未来への不安

前みたいな津波ー…は、もう来ないだろうってどっかにはあるんですけど、来ない来ないっていってどかってまた来るのも怖いしー…うん…ちょっとまだ、なんか考えられないっていうかね…決断できないでいます。うん。でまして、ある程度うちのちびも、周りのおじいちゃん、おばあちゃんとかに、色々接してもらって、だいぶ人見知りもなく、いてくれるので…うーん…なんか、離れるってなったらやっぱりどうなるのかなーってやっぱり、思いますねー…うーん…で近所の、前から知ってる方なんですけど、やっぱり、家建てられないしー、なんて話聞きながらこう、うちの子も、ワンちゃん飼ってるので、わんちゃんと遊んだりして、でこれがもし引っ越しとなって、別のところに行くとなったらまたみんなばらばらなって、こういう風にできないんだなぁーってそういう風に思ったりすると、そういうのもまたそれで寂しいねーっては感じますけどね…うん。結局その町を、結局移動したら、そこの閖上って言う地区じゃなくなるっていうのが、どっかにあるのかな。だから、一応集団移転っていうのも、周りのね。いろんな所、被災した方が、集団移転決まりました、って、アパート建ててます、とかそういうニュースとかよく聞くんですけど、うんうん。でもその、こっちに移ってしまったら、閖上じゃないよね、ってなりません?って感じですよね。こう話を聞いてるとね。やっぱ知らないところに行って、知らない、新しい友達を築くっていうのも大事っていうか、必要なのかな、とも思うんだけど、でも結局子供もそうなったら引っ越しして新しい友達、学校、ってなるじゃないですか。で子供だからすぐ慣れるよー、なんていう風には思うんですけど、結局こう親がなれるかどうか、っていうのも、出てくるんじゃないかなぁーって。時々思ったりしますねーうん。だから、うん。仲良い、だけじゃだめなのかなぁーとか…だけどやっぱり、それはそれで寂しいですよね、うん。まぁ矛盾してるといえば矛盾してるんですけどね。


震災を経験して

周りのこういう、震災があって、やっぱり気づいたのは、周りの人は暖かいなってことですかねぇ…うん…他県からのやっぱり色んな支援だったり、近くの人のからのなんか、支援だったり。なんにもほんとに知らない人たち、まぁこっちに来てくれたりして、お話し聞いてくれたり、うん…そういうのはなんか、本当にありがとうございます、っていう感じ、感謝の気持ちでいっぱいっていう感じですかね…その、あれに対してお礼ができてるか、って言ったらできてないんですけど…なにかあったら力になれればなぁっていうのはどっかにはあるんですけど、それがなかなかできない感じがありますけどね…うん。んー…どうなんだろう、あっという間に、こう、ね、日にち、年も過ぎましたけど、一気にこうなんか、一瞬にして一気に色んなことがありすぎて、なんかまだ追いつけてないのかな、自分の中でっていうのとかは、ありますね…うん。伝えたいこと…ほんとありがとうございます、っていうのと、んーと…ああ、なんですかね、なんか…こう聞かれるとあれなんですけど…がんばります!って感じですかねー(笑)うーん…この話でー色々感じ取る人も色々いるだろうからー何の役にも立たないような話なんですけど、うーん…ほんと地震がきたら、うん…すぐ出て行かない、とかそういう感じ…基本、な、ことなんですかねー…うん…慌て、慌てないって言っても慌てると思いますけどね、うーん…うん。実際にね、小さいのがいたから、自分はなんとか、がんばれた!がんばっていられたのかなぁーって思いますけど…


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