中村 精一郎

中村精一郎は中村サイクルセンターの自転車屋さんを奥様と運営されています。震災当時はお店の中に津波とヘドロが押し込み、とても営業できる状況ではありませんでした。1年経った2013年春にはお店を再開する場所を借りることができ、ホームサイトでおすすめのサイクルルートなどを紹介しています。復興まちづくり協議会に参加している中村さんが石巻の復興への思いを語っていただきました。

「復興、元の状態になるっつうのは、ううん。ちょっと考えないかもしれないですね。もう既にあのう、人口が減ってるし、職場も変わってる人もいますので。まあ石巻から離れて別の職場を求めて行ってる人もいるので。ただやっぱ新たなあの、雇用っていうか。凝視をもってかないとダメなのかもしれないですね、それはね。

ただね、去年、去年はですねやっぱあの、うぢのお客さんもそうなんですが。自転車の格好、ヘルメットかぶってジャージを来て、こう歩ぐって、自転車踏んでいくっていう気持ちにはね多分なれなかったんですね。気分的に。精神的にあの、全国のボランティアさんが日曜日朝とか、あの炎天下の中で汗を流して泥掃除をしてたりとか。そういう中をね、自分だけがサイクリングして歩くっていうそういう気持ちにはなれなかったんです。まっ、今年からようやくね、段々こう、整備されてきたんで気持ちの整理も大体ついてきたんで、少しは踏める環境にはなってきたんじゃないかなと思いますが。精神的にもそうだと思う、やっぱ。

(他になんかあの、自転車以外とかでありますかなんか、改めて考えられたような事は)

ううん。まっ、私の場合はまあ人にあの、助けられたっていうのが一番じゃないっすか、仏さんに助けられたなっていうのは。うん。

まあだから、自分だけがあのう、なんていうんだ。こっから逃げ出しても、やっぱあのう、..全体が。自分のお家ないとかっていう、将来的に、経済もそうなんですが、そういう気持ちも安定してこないと我々の商売にもついてこないと思うんですねやっぱ。自分1人だけ先走ってもダメだなっていう気持ちはあります(笑)はい。全体が、もっとねこう、元の生活に戻るまで。ちょっと時間はかかるかもしれないけどもそこまで私も頑張りたいと思います。」

「以前はまあ割とううん。まあでも少子高齢化が増えてましたからね。その辺は商売は厳しかったですよねやっぱ。うん。だっ、それでこの震災だから。うん。ちょっとマーケットが小さくなるのは大変だな。そこで、どうしたらいままで以上に頑張れるかっていうのが。自分の主案にも関わってくるし。年齢も年齢だし。ちょっと考えますね

それはね、道路が復旧してからでないとなかなか難しいんじゃないかな、気がしますね。いっあのでも、震災以前にもあの、レンタルサイクルなんて駅前の方で貸し出しなんかあったんですよね。ただやっぱり石巻は生活には車が必需品なので。多分車だと思いますね。あの、自転車を見直されたっていうのはあの、震災直後ですよね。歩って用足しをしていたのが自転車に変わって。で自転車あのう、車使えないからただ単に移動手段として自転車使ってたんですが。ま、車が手に入ってくるともう自転車がいらなくなってしまってると。そういうふうに変わってきたので。

ううんそうですね。あとは 、あのその下駄代わりに使れた自転車じゃなくて、あの、趣味で使ってる自転車、主にはサイクリング車とかスポーツ車といわれる部分。それをやっぱ残していかなければ私たちは生き残れないなぁというのは、考えは持ってますけどね.だからそこを伸ばす方法を今から考えないとダメだと思いますね。」

佐藤 洋一

佐藤洋一さんは石巻商工会議所に勤めています。

若い人達の為の石巻とは

まずは若い方が安心して子育てできる街、作り、で、若い方が、安心して、あのー、なんて言うんですかね、さらに若い方が働く場所があって、で、石巻に住んで子育てできる環境。だから仕事が先なのか、安心が先なのか色々どっちが先なのかあるんですけど、要するに石巻に住んで、もともと住みやすい場所なんです、もともと。あの、海があって山があって自然があって、食べ物がおいしいんですよ。あの、一年中通して雪がそんなに降らないんですよ。大雪降らないんです。比較的気候が安定してましてですね、住むにはいい街なんです。ただ今回の震災で凄いマイナスイメージ、凄い被害ありましたよね。だからそこらへんで凄く思うんですけども、住むには良い街なんだけども、やはり若い方たちとかがここに落ち着くためにはやはり働く場所があって、あー、家が建てられる、家が建って、持ち家が持ててですね、そういう人間の再建のきもちを満たすものはというと、安心安全、住みやすい街作り、を作るのが一番。あの、働く場が一番かもしれません。働く場がなければ子育てできないですもん。それでみんなね、働く場所が無くて仙台に、東京のほうに行くんですよ。若者は。

(止めようとは思わないんですか。)
いや、もう止めるすべもないっていうか、結局、あの、費用はあるんだけどもある程度ひとは充足してますというか、震災前はね、だから若い優秀な方々は高校を出て、東京の大学行って、東京の大学で就職見つけて、あの、東京のほうに住んじゃうとかね。で、意外と石巻のほうでは若年層高校生大学生のほうを採用する企業って少ないんです。意外と。

(それはなんでなんですかね。)
何ででしょうね。そんなあんまりないですよね。大卒募集とか。あの、高校卒で十分だったみたいなのかな。で、大卒募集してる会社とかもありますよ、銀行さんとかね。それは全部毎年一人か二人、そういう枠。底にもあります、市役所の職員とか、本当に数少ないんです。

人間に悪い人はいない、松島の避難所での話

結局人間っていうのはもともと悪い人っていうのはいないと思うんですよ。
うん。私人間が好きなんですけども、本当に悪い奴っていないとおもうんです。ただ付き合う相手によって、こう悪くなったり、こう色んなパターンがあると思うんですね。まずその石巻で、生き残った十五万のしみんがまず共通点っていうのは全員被災者なんですよ。全員被災を受けたんです。津波の被害を受けたの。家族無くなったかと思います、友達無くなったかともいます。周りにいっぱいいます。そういう一瞬にして同じ被災を受けた市民なんです。同じ市民同士ってお互いに支え合おうとか助け合おうとかってなるんです人間って。ね、同じ境遇になっちゃうとね。自分だけ良ければいいんじゃないんですよ。やっぱりみんなと同じ気持ちになっちゃう。同時になるんですよ一瞬で。それってなかなかないんですよ人間社会では。こういう震災を受けたときしかないんです。あとはみんな勝手なんです。どっちかっていうと、普段の生活から。何不自由なく自分のことだけ考えて。あの、人との交流も必要ない方いっぱいいます。でも、今回石巻で全員一緒に被害を受けて、同じ立場があって、そうするとあの、お互いを支え合うっていう気持ちになるんですね、人間って。助けようとか助けられたいとかっていう気持ちになるし。で特に年上の方も多いですから、若い方は何とかしようとかそういう気持ちに戻るみたいですよ。みんなで頑張ろうとか。ですから、まあ震災がよかったなんていうわけにもいかないですけども、何かとこう人間社会が孤立している、自分だけ良ければ良い、ような時代に向かっているわけですよね。人との交流っていうのがなかなか希薄になってきている時期ですから。こういう震災をみんなで受けて、ものを共有して、一緒の体験をして、一人じゃ生きられない、みんなに助けられて、みんなで助け合いながらいこうっていう雰囲気が自然に出たんです。ともに頑張ろうって。ともに頑張ろうですよ。

一番はですね。地元の人たちがとにかくですね、2,3日間、もの食べず、みんなで支え合いながら、こう助け合いながら生きたという瞬間がありましたので、その時に人間性がやっぱり出たんでしょうね。良い話があったんですよ。東松島の、避難所に、50人くらいあの、逃げたの。で、食べ物もない、ほとんど食べ物ないですからね。水もないっていう状態の中で、ペットボトル2本しかなかったのかな。たまたま会ったんですね、ペットボトル2本。50人の方が、このペットボトル2本をみんなで分け合ったそうです。少しずつ飲んで、次の人に渡したっていう美談があるんです。そして、あの、びっくりしたのは、飲んだふりして飲まなかった人たちもいたみたいで、で、おばあさんとか子供たちに、こう自分が口付けたふりして飲まないで、どうぞって。ペットボトルうんと200、2リットルかな。50人まわしても、まだ一本余ってたっていう話なんです。恐ろしい話なんですよ。って、その避難所にいた人が、いや、私はこの避難所に来て良かったってみんな言ってんだよ。それだけ人のことを思いやれる。はじめて会った、人たちがペットボトル1本を50人で分け合えるような、メンバーがたまたまいたと、言う話を聞いて凄いなって、これってすご良い話だなって。

山形 政大

山形屋商店は明治41年に創業、山形政大さんは代表取締役を努めており、お味噌と醤油を製造と販売をされている。事務所と工場が津波の被害をうけてしまい、当時は販売のみを行っていた。がんばっぺ石巻を通して支援を受けたり、元気復興委員会にも所属されている。中小企業としての立場や見方、そして仲間の大切さについてお話してくれました。

山形屋商店 ホームページ

がんばっぺ石巻 山形さんプロフィール

石巻復興企画商品ネット

復興に向けて。まあとりあえず政治に対する意見はすごくたくさんありますけど。まずはやっぱり。やっぱり一番、自立するっていう心が一番大切だと思いますね、みんな、それぞれの経営者に。でそう思ってる人達が、今のもう一年経った時点でなんにかしらアクションを起こしている人達なんですよ、そういう人達は。そういう人達をもうちょっと救って欲しいなっていう。特に中小企業っていうの、こちらの地場にいればおおよそ99%がね、中小企業だからね。で変な言い方だけど中小企業人達の方が、やっぱり意識が高いので。この、こういう田舎の方では。でやっぱそういう人達を救ってかないと地域が救ってくれないんだよね。で雇用っていう問題にしても今は民主党世間だからなんたらよくわがんないけど。失業者目線でしかものを見てないような政策しか我々からすると見えてないので。かい、企業の人救って会社を救ってこないど、雇用に繋がんないっていう風な目線の政策があまりにも薄いような気がして。結果的に失業者って言われる人達に実はしわり…来てんですよね、多分。

でっ、あのう神戸の関係の震災で苦労した人もいるし、こう聞いていけばやっぱり政治に頼るのは一番最後で。自立をまず考えなさい、そして次がやっぱり、仲間で立ち上がるって事を考えろって。そういう事をやっぱりやってかないと… なのでそういう面から見ても復興センターの、復興。まっ復興センターとしては物販の方を中心にやってるんですけど、復興委員会あの、ね、荒川さんなんかも入ってるこういろんな業者入ってる。仲間で立ち上がるっていう事をやってきたっていうのはやっぱり一年経って大きかったなと思います。

あともし、企業サイドで友達がいたらって思えばやはっぱり休まないで一刻も早く立ち直る事を考えた方がいいんだろうなぁっておも、思う。前向きにやっていく人の方にいろんな情報だったり、いろんな物はそっちに流れていくっていうすごく肌で感じた、やっぱり人間は前向き、そして友達は沢山(笑)仲間を大切に。

出来れば、だっこういう活動もなんで協力するかって言うと。例えば暇だったらお金があります、ハワイに遊びに行きます、海外に行きます、それはそれでいいんだけど。あんまり、多分ハワイ行っても来年行っても十年後行ってもあんまり変わんないと思うんだよね。だけどここの被災地ってものすごおく復興に対して激変していくので。このありさまを出来るだけ頻繁に通うって言うのも変だけど。自分の目で見て、関わり方は人それぞれでいいと思いますけど。関わって頂く事が、我々にとっても力になるますし。皆様にとってもすごい良い経験になっていくのかな。多分日本の中で、今回は特別大きかったっていうのもあるんだけど、小さい災害なんて今、去年だって台風ってね、あの和歌山だかあっちの方とかはすごい被害受けてるし。あれだってこっち側の震災が無かったら本当にトップニュースになって、逆に今日本全国がね、あっちの和歌山、あっちの方に、頑張ってねって多分みんな言ってる可能性の方が高いかもしれないし。でその辺をある程度平ったく平等で見たときには。うん、あの、そういう人に目を向けるっていう気持ちを持っていただきたいし。

多分ねぇ、あの、一番激変してってとこに携わるのは一番楽しいと思うので。そういう風なところに、関わっていただけるのはすごくありがたいし。皆様の人間形成のなかでも良いのかなと、いう思いがあるからまあ、今日ね、お話さしていただいたというところです。