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部落

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永沼 清徳さん

インタビュー一覧へ戻る サラリーマンとして東京でも働いていた経験のある永沼清徳さんは、現在養殖業と定置網漁をしている漁師さんです。春には綺麗なオレンジ色をしたホヤの養殖に力を入れていました。奥さんの永沼のり子さんと一緒に船の上で仕事をする「夫婦船」がとても印象的でした。 震災前の桑浜 永沼氏: いや、やっぱりあのねぇ、こんなに小っちゃいので、漁業以外にはなかったですね、漁業だけっていうか。まぁ、漁業っつってもこう色々ほらアワビを捕ったりウニを捕ったり、あと磯の、なんだろ海藻類をこう捕ったりして、まぁ、なんだかんだと一年中こう、何かしらはできるような浜なんですここは 生徒: なんかあの、十五浜あるっていう風に雄勝町の人にきいたんですけど、なんか桑浜は他の集落とかとこう違うとかっていうのってありますか 永沼氏: うーん、小っちゃい?規模が小っちゃいですね。あの、あるボランティアさんが「かわいい浜」という表現を使いました。かわいい浜。かわいいって 生徒: それはなんか、小さいからこそできることとかってあるんですか 永沼氏: まとまりはあるかな。うん、ほいで、意見が通りやすい。要するに、あのいろんな問題起きるんだけども、まぁ皆で話し合うと比較的まとまり早いですね。もう向かうととにかく仕事早いですんわ。 震災後の桑浜 永沼氏: 石巻とか国で決まるよりは、震災のね、四月の七日からもうあちこちの浜で瓦礫をどうしようかって問題なってるときに、ここの浜は四月の七日からスタートです。もう個人で連れて来て、業者を、やってと。んで四月の七日から、えーと、瓦礫の撤去を自前で初めて、この地区の人が頼んでね、業者を頼んで。そいで、六月の十日には瓦礫の撤去終わりました、全て。そのころやっと動き出してる浜のが多かったですから。仕事早いんですここ 生徒: それ、それって何で 永沼氏: あっ何でかなー。あの比較的皆こう自分の得意ってか、知ってる人が結構いて。じゃそっち頼んでみるよと。もう、し、じゅ、ここのところが小っちゃいってのは皆分かってっから、あの市とかにお願いしてもたぶん後回しにされる可能性が高いですよね。でもまぁそれこそかわいい浜なんで、だったらもうかえって自分のねコネをフルに使って業者呼んじゃおうと、そしたらたまたま知ってる人がいて、じゃやりましょうというんで始まりました、すぐ 生徒: 活発な 永沼氏: えぇ、比較的だから進みが早いんですよ。こうと思ったらもうやっちゃうって感じ 生徒: えっそっれてなんか、どう 永沼のり子氏: あれだよね、震災後皆で逃げるときもね、最後の最後まで、皆が知ってるから誰一人残さないように、こう皆で声掛け合って 永沼氏: 比較的まとまりは強いですね、団結が強いっていうか。かと言って皆友達ってなぁなぁではないんですよ。皆意見はしっかり持ってるし、ただ向かったら真っ直ぐですね、ここは 変わらない気持ち 永沼氏: うん、あの震災直後はね、やっぱり、テレビなんかでもよくあの出てたけど、負けてたまるか状態だったけど。うーんやっぱり、ねぇ別に海を憎んでる訳じゃないし、やっぱり今まで通りこう共存していかなくちゃいけないので、あんまりこう心境の変化ってのはないねぇ。だってほら色んなこと起きるんですよ。今回は津波だったけども、湿気でダメになったりね、あと施設同士が絡まったりして、自分、人間のこう自分たちが失敗してやる訳じゃない、もう自然の潮でほら絡まったりするので、なんだろ、毎日心配ですよね、それを言えば。えぇ、絡まって落ちてしまったらねぇ水揚げできないわけですから。津波だけが心配ではなくて、毎日が心配ですわ 目標 永沼氏: うんやっぱ今やってる仕事をこう継続っていうかね、そんなに無理しないで継続できるように。てっか無理はしたくないので、とにかくこう女房と二人で仲良くやりたい仕事ですよね。無理しちゃ、一日二日は無理できてもやっぱりね一週間二週間で無理できなくなるので、楽しく出来れば、目標は楽しく!まぁ、あと二人でこう、子どもたちがねもう大きくなって自分の手から離れていけば、もう二人で楽しく生活できればいいかなと思って インタビュー一覧へ戻る Advertisements

佐藤 富寿子さん

インタビュー一覧へ戻る 雄勝の羽坂に住む佐藤富寿子さんの家では、近所のお母さん方が集まるお茶会にお邪魔するかたちでインタビューをさせて頂きました。佐藤富寿子さんを初め、母の佐藤満子さん、近所に住む永沼千代子さんと佐藤元子さんのお話を通して、雄勝の昔の様子や震災後に雄勝に残る人々の声をきくことができました。 守るべきもの いろいろだから小さな部落なんだけども、小ちゃな部落だからねやることが多いんだよね、あれもこれもってあるんだてば、都会にはないそういう流されないものがさ。さらって流されないものがあるから、以外とそれを維持しているのが、負担が大きいというか、残された人たちがね、大変なの。守っていくっつことが大変なことだったんだなっていうことは、私はずっとここにいていっつも思うことなの。 守ることは大変だって。お母様方に手伝ってもらって、はりきとうなんかもずっとやってきたけども、もうお正月の元旦からだよ。みんな家に来て泊まるでしょう、家に来て帰ってくるわけでしょう。もうゆっくりするどころか、次の日の準備しなきゃならないから、ここ全部外してだよ、全部外したまんま、さあ起きろ、4時になったら起きろ起きろって。もう前の日舞い上がって、飲んだ食った、わいわいやるでしょう。もう子供たちは起こされるや、うーん本当にね、そう思うと何十年もそういうのね、ここで皆お母様たちに手伝ってもらってね、やれたことだけど。本当にその時、ましてやうちお婿さんだから、全く持ってうちの事はわからないいんだ。だから大変な思いしたと思うんです。だから本当に守るということが大変だなって。 昔の雄勝・地域とのつながり 永沼千代子さん:(他の浜との交流)昔はあまりなかったね。婦人会っていうのが雄勝町にね、公民館であって婦人会のいろいろな行事とか・・・ 佐藤富寿子さん:婦人会なんかったら人も多かったみたいよ。 永沼さん:でも戦争当時の婦人会がほら、兵隊さんにね。 佐藤さん:交流会と言えば、運動会ですよ。運動会が一番メインのもので、雄勝町体育大会という・・・それがね、部落根性というのかな、その部落の根性もすごいんだから。 永沼さん:部落が15浜あって、北上町が13浜あったの 佐藤さん:行事はね、イベントっていうのはまず雄勝祭りは最近の事であって、本当の交流というのはね、その会その会って婦人会とか老人会とか、そういう会があるでしょ。そういう時ぐらいであって・・・行事があれば参加するだけだよね。さっきも言ったけど運動会が一番のあれ出すところだな。あれは面白かったよ、最高。 震災後のつながり でもやっぱり考えてみると、まとめてもあれだよね、昔やってきたことが続いてるということはいいことだよね。守らないといけないということも、もちろん大変なことだろうし、だけど、だからこそやっぱりまた協力性が出てきたっていうかさ、かっこいいこと、いい風に言えばね。カッコつければそういう事で、うーん皆が協力心が出てきたっていうかさ、今はみんな必ず出て協力してくれて、尚更この震災後には、お互い、隣近所気をつけながら、声かけながらやってるということは事実だと思いますよ。 あまり鑑賞しすぎることもあるけど、それで困る時もあるけど、悪く言えばそうなんだけども、良く言えばお互いの家族、家庭を見守るっていうかね。尚更ね、震災後にその気持ちがね、出てきたんだか、なんだか。 インタビュー一覧へ戻る

永沼 信良さん

インタビュー一覧へ戻る 震災後から部落の会長として桑浜で暮らしている永沼信良さん。震災後の会長業の苦労や部落のことについて教えていただきました。 震災前からの過疎化 永沼氏: 震災があったから当然まあ余計にそうなったんだか分かんないけども、いくらかは少しずづはみんな都会行ってるのさ。若い人たちは。で高校もないっていうのは自分の娘たちは高校に入って今石巻の高校いって帰るのが大変だっちゃ。そうするとアパートを借りて学校さ通ってるからお母さんもそこさ行って、ご飯とか食べさしているから、してるから。そういうのはあの状況なんだよ。震災前と、震災前と対して変わらないと思うよ。震災になってここから家も流されてねすぐ石巻さ行った人たちもあるけどね。だから子供たち、若い人はもう帰ってこないっていうもう9割がた帰ってこないんじゃね。 生徒: それは必然的に? 永沼氏: うんそう。 生徒: じゃあほかの浜で住んでる方はもうしょうがないと思っている人たちが? 永沼氏: うん、しょうがないっていうより、今の世の中の動きならそうなるほかしかないのかな 部落の特徴 生徒: ほかの浜と比べて桑浜のこういったところがいいっとかってありますか? 永沼氏: うん、どう比べても。うんなんていうのかな。まあここはほれ10軒ぐらいしかないけどもねまとまってるからいいんじゃないですか? 生徒: まとまって? 永沼氏: うん、まあっていうことは何があってもみんな協力しあって一緒になんでもやるっていう。ほかの部落は部落が大きいと色々問題があるけどもここはほれ最初からもう部落が小さいからね。 生徒: 雄勝町の中でも小さい? 永沼氏: 小さい。15がちいさいぐらいだからまあ20軒足らず。震災が遭ってから10軒、5軒が仮設に入って。後4軒石巻の方へいって。 震災後の会長業 永沼氏: 震災、私は本当は震災前は会長は震災前はやってないわけよ。震災があってここにいた会長が石巻の方へ行ったわけさ。急にうちの自分さ会長やってくれって言われたわけさ。俺も頭真っ白になって。こういうむちゃくちゃになってる部落をさ、そこで初めすぐ最初からなんかやってればよかったけど、急に会長やれったってなんの会長やればいいのか最初分からなかったのさ。でも羽坂の会長さんね、よく会長は羽坂の最初は震災の親分羽坂だったからね。あっちは会長、俺副会長で全部うちでやって。でも羽坂と桑浜は会長は会長同士で桑浜は桑浜でやらなきゃいけねえさね。その時にもうがれきをもう道路めちゃくちゃなってるからね。こいつ何するのかなってそれだけ頭がいっぱいだったね。でもういなくなった方がいいかなって。でも会長というのはええ付き合いだから、それこそ一生懸命やりましたね。 完全復興とは 永沼氏: ま、海の人たちだから、当然あの海岸をね、綺麗にしなければ直してもらえれば、みな張り合いがあるんじゃねぇの尚更。うん。そうやろ? 生徒: 海岸が直って、あそこがあれば 永沼氏: 今日ださの船さ乗れぇんだもの波で。波来て 生徒: あぁ、波が高くて? 永沼氏: うん、毎日満潮だったの高潮だったのね。当然、もう海岸越えてくるから。うん、そーいうだ、そういう、まぁ、そういうあれもあるから、とにかく早く海岸を直してもらえれば、いつでも海に行けれるという状況。だから、わし、自分もね、ほんとはあのー、海岸先ね早く直してもらわないと、船もおっきいのつくったわけさ、いつなおっか分かんないから、ダメだなーってあきらめてる、歳も歳だからね。今、一番思ってることは、海岸を早く直してほしいかな、それが一番のあの復興、完全復興だね、そう直ってもらえればっていうことですね。とにかく、マイペースで動くしかないです、あとは。自分たちでどうにもならないから インタビュー一覧へ戻る

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