佐藤 富寿子さん

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雄勝の羽坂に住む佐藤富寿子さんの家では、近所のお母さん方が集まるお茶会にお邪魔するかたちでインタビューをさせて頂きました。佐藤富寿子さんを初め、母の佐藤満子さん、近所に住む永沼千代子さんと佐藤元子さんのお話を通して、雄勝の昔の様子や震災後に雄勝に残る人々の声をきくことができました。


守るべきもの

いろいろだから小さな部落なんだけども、小ちゃな部落だからねやることが多いんだよね、あれもこれもってあるんだてば、都会にはないそういう流されないものがさ。さらって流されないものがあるから、以外とそれを維持しているのが、負担が大きいというか、残された人たちがね、大変なの。守っていくっつことが大変なことだったんだなっていうことは、私はずっとここにいていっつも思うことなの。
守ることは大変だって。お母様方に手伝ってもらって、はりきとうなんかもずっとやってきたけども、もうお正月の元旦からだよ。みんな家に来て泊まるでしょう、家に来て帰ってくるわけでしょう。もうゆっくりするどころか、次の日の準備しなきゃならないから、ここ全部外してだよ、全部外したまんま、さあ起きろ、4時になったら起きろ起きろって。もう前の日舞い上がって、飲んだ食った、わいわいやるでしょう。もう子供たちは起こされるや、うーん本当にね、そう思うと何十年もそういうのね、ここで皆お母様たちに手伝ってもらってね、やれたことだけど。本当にその時、ましてやうちお婿さんだから、全く持ってうちの事はわからないいんだ。だから大変な思いしたと思うんです。だから本当に守るということが大変だなって。


昔の雄勝・地域とのつながり
永沼千代子さん:(他の浜との交流)昔はあまりなかったね。婦人会っていうのが雄勝町にね、公民館であって婦人会のいろいろな行事とか・・・
佐藤富寿子さん:婦人会なんかったら人も多かったみたいよ。
永沼さん:でも戦争当時の婦人会がほら、兵隊さんにね。
佐藤さん:交流会と言えば、運動会ですよ。運動会が一番メインのもので、雄勝町体育大会という・・・それがね、部落根性というのかな、その部落の根性もすごいんだから。
永沼さん:部落が15浜あって、北上町が13浜あったの
佐藤さん:行事はね、イベントっていうのはまず雄勝祭りは最近の事であって、本当の交流というのはね、その会その会って婦人会とか老人会とか、そういう会があるでしょ。そういう時ぐらいであって・・・行事があれば参加するだけだよね。さっきも言ったけど運動会が一番のあれ出すところだな。あれは面白かったよ、最高。


震災後のつながり
でもやっぱり考えてみると、まとめてもあれだよね、昔やってきたことが続いてるということはいいことだよね。守らないといけないということも、もちろん大変なことだろうし、だけど、だからこそやっぱりまた協力性が出てきたっていうかさ、かっこいいこと、いい風に言えばね。カッコつければそういう事で、うーん皆が協力心が出てきたっていうかさ、今はみんな必ず出て協力してくれて、尚更この震災後には、お互い、隣近所気をつけながら、声かけながらやってるということは事実だと思いますよ。
あまり鑑賞しすぎることもあるけど、それで困る時もあるけど、悪く言えばそうなんだけども、良く言えばお互いの家族、家庭を見守るっていうかね。尚更ね、震災後にその気持ちがね、出てきたんだか、なんだか。


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