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自然

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小木曽 清さん

インタビュー一覧へ戻る 教員になられて31年目、大須小学校の教頭先生になられて今年で2年目です。震災後、小木曽さん自ら被災地の小学校での勤務を希望したそうです。雄勝出身者ではありませんが、雄勝の子どもたち、町の人たちを客観的な視点から語ってくださいました。 自慢のふるさと 漁業やってくとか自分の跡次とかあんまりいないよね、親も自分のやりたい仕事につけっていう親だと思うから、そうすると就職先がないのでね、でもやっぱり自分の田舎はここだっていう風にね、帰ってきてはいるけど、夏休みになるとね小学生とかきてるので、田舎でかえってきてるんだるなって、そういう感じでおじいさんおばあさんのところに帰省するっていう場所なんだろうなって、それがこどもたちにとって、今の小中学生が大人になって出て行ったときに、自慢の故郷になってほしいなって思いますね、でていったとしても自分の生まれ育ったとこはこんなに自然に恵まれているっていう誇りに思ってね出て行ってほしい 浜ごとのつながり Q:客観的に見て大須の人とかって絆とかって強い印象はうけますか 小木曽氏:大須学区って4つの地区があって、大須地区熊沢地区桑浜地区、大須3区、大須地区は大須小学校、3区ってのはいまの3つの、3区は3つあるからじゃなくて、2区と3区があるから、それぞれの地区で仲がいい、漁するのもそれぞれの浜できまりがあるみたいで、ピーっていう笛の合図でだーって船をだして自分の好きな場所にってウニをとるとかわかめを取るってとこもあるし、最初っから船を出してて、サイレンがなるとばーってとるとか、それぞれの地区で決まりがあるらしい、やっぱりそういう浜の繋がりとかってのはかたい 復興状況 Q:現在の雄勝の様子、復興も含めてどう思われますか 小木曽氏:雄勝3区については徐々に復興漁業に関してはホヤも今年から、ホヤって3年かかるからね、あとは、銀ざけとか、大須3区では銀ざけしてないけど雄勝3区では復活してきてるし、あとは復興住宅とか建てるだけの段階になってきてるしね、そういう段階ではいいと思うけど、雄勝の町は全然だよね。ほとんどひといないでしょ、あるのはたなこや(仮設商店街)さん、硯組合のプレハブが増えたのかな、あとはみうら海産と、やおやさん、あとは水産会社が工場ができたよね、あれぐらいしかないよね、話によると8メーターから9メーターかさあげするっていうけど、ところどころ積んではあるけど、あれがかさあげなのかわからない、先が見えない、進んでるとは言えないと思いますね インタビュー一覧へ戻る

永沼 のり子さん

インタビュー一覧へ戻る 仙台で生まれて育ち、結婚されてから雄勝町に引越してきた永沼のり子さん。雄勝に来たときのことや漁師の妻としてのお話をしていただきました。家事と海での仕事を両方こなしている姿が格好良いお母さんです。 雄勝の良いところ 生徒: 何か仙台と、なんかここが一番驚いた、なんか違いで驚いたとか、なんかどのような違いがありましたか? 永沼氏: あっ、あのね、まず自然は綺麗ですよね。空も綺麗だし、夜空も、星とかね、あと海もすごく綺麗だし。あと、人がねやっぱり、この辺の人は除け者にしないんです。うん、一応人間だから、誰々さんがあぁいう風に言ったとか言うんだけども、いざこうまとまると、必ずどの人も入れるっていうか。うん、そういうところは何かすごいなって。町場だと、もう全然孤立しちゃったり、もう全然話しなかったりっていうのがあるんだけども、もうこっちは全然。うーん、そういうのはすごくびっくりしました 気持ちの変化 永沼氏: うちの主人が五年前位に脳梗塞になってから、一緒に海に行くようになって、初めてこう何か、こうなんていうの、自分の中にあったものがすっきりしたっていうか。うん 生徒: それはなんか、なんだろ 生徒: もやもやしたことが 永沼氏: うん、なんかこう、今までは、そんな、そんなに海とか行ってなくって、なんか私海いーなーって、こうなんか、あんまりいい感じじゃなかったんですね、自分の中で納得できないっていうか。なんでここにいるの?みたいな感じもあったんだけども。でも、病気して、いや、行かなくちゃいけないんだって思ってからは、何かもう、きれたって感じ、です 生徒: じゃその当時の、その海に対する印象とかも全然今 永沼氏: 違います。うん、だから海に行くようになってから、お婆さんも変わったし、私に対して、うん。で、前にね、ちょっと聞いたことあるんです、何年か経ってからね。そしたら、私が途中でここから出ていくと思ったらしいんです、最初の頃。うん、だからなんか、信用できなかったみたいなことを、前に話してくれたことがあって 生徒: それって何年位かかって、そのー 永沼氏: あー、結構ー。このお爺さん、お婆さん亡くなってからくらいかな。うん 気持ちの変化 -漁業に携わる女性- 生徒: なんか、そのお義母さんがなんか認めてもら、海に出てから認めてもらったってことなんですけど。やっぱりここにずっと住んでた人は、海に、で働くってことについて、なんか、しっかり考えとかを持ってたっていうか、そういう何かあったんですかね? 生徒: 特別な想いみたいな 永沼氏: うーん。あのね、ここの地区だけが割と女の人も海に行くんですね。他の地区は、もうお父さんだけとか、ま、ほとんどなんですね、うん 生徒: それってなんで、なんでなのかって 永沼氏: だから、お婆さんは私が海に行くことによって、あっすごいなって逆に思ってくれたみたいなんです。仙台から来て、海に行ってくれてみたいな。うん 生徒: そういう風に、信用に繋がった、あー 生徒: 実際、海出て、なんかすごい大変だったこととかってありますか? 永沼氏: あっ、そういうのはあまりなかったです、うん。だから、自分の中で、こう、なんか、あっこんなことで自分がなんかウジウジしてたんだって、逆に。うーん、そういう感じがありましたね。行ってみたら、全然、何でこんなことで、あっ、こうなんか、悩んでたのかなーって 伝えたいこと ま、風化させないってよく言うけどもそれはたぶん無理だと思うんですよね。ここに住む人以外の方は、やっぱり自分の生活でたぶん一生懸命になっちゃって、新聞とか雑誌を見て、あっ思い出すって感じだと思うんですね。だから、やっぱり、自分の身にそういうことが起こったら、どうしようっていう判断をしてもらえれば、ま、犠牲者を出さないようにね。一人一人が私たちの二の舞にならないようにしてほしいなっていうのはあります 生徒: 判断っていうのは、どういう判断ですか? 永沼氏: うん、やっぱり、ここでは今まで津波が来ても、上まで上がってこないっていうのがもう何十年もあって、昔からそういう風に言われてきたんです。だから、この浜まで来るはずがないみたいな。でも、実際に来たから。だから、やっぱり、来なかったから来ないんじゃなくて、来るかもしれないっていうのを皆いつでも持っててほしいなって、うーん。だから、子ども達にも言うんですね。地震がきたら、まずどこに逃げようかっていうのを、必ず思っててねーって。で、親は親で逃げるから、やっぱり自分の身が一番大事だからっては、一応言っとくんです。うーん インタビュー一覧へ戻る

佐藤 秀平さん

インタビュー一覧へ戻る 雄勝に残る数少ない20代の佐藤秀平さん。トラックの運転手として日々働き、明るい性格で雄勝の運動会を盛り上げる姿が印象的でした。雄勝に残る理由や、現状、雄勝に対する想いを話して下さりました。 雄勝に残る理由 おれ、会社の所在地が雄勝町なんだよ。こういう小さい乗用車じゃないんで乗ってる車も、大型トラックだし、いろんな所にまさかあちこちに停めるわけにはいかないし、まあなんとなく街に出る気は最初からなかったので、だからいいや、人がいないなら、いっその事何かおれのものだ。何したって怒られねーぞ。みたいな感じで思っちゃったんだけどもね、んー何が良くて残ったって分からないおれも。 でも、おれは仕事で石巻に通ったり帰ってたりする道のりが好きだったりする。その山の景色をみて、桜芽吹いてきたなとか、ああ紅葉きれいだなとかさ。ああ、今日風強いなーとか海荒れてるなーってそういういろんな所みていくのが好きだから、たぶん残ったのかもしれない。うん。まず静かだし、そしてこう今からどういう風にこう再生されていくのかなっていう楽しみもあるし、果たして本当に元通りに戻るのか、それとも近未来化のモデル漁港みたいになるかよく分からないけども、まあそういう楽しみもあるし。そして人手も足りないから、若いような人でもだからそのアルバイトとかもしやすいし。お願いします使って下さいって言われなくても来てけろって言われれば、それで終わりなんで。だんだん、元々人もいなくて狭い所さね、さらに少なくなったから人間関係は濃くなったし。 震災後の友達 周りの友達っていう友達ね、みんな街に出て行ってしまったから。今つるんでる友達というのは、震災後にできた友達がほとんどだから。高校だって街の高校ですし、俺らの学校は進学校ではなくて、就職が80%ぐらいしめてる学校だったからみんな船のったりとか、卒業して一度も会ってない友達もいるし、どうなってっか、生きてるか死んでるかも分からない人だっている。 (震災後にできた友達)あのー、いつもの友達と遊んでて、友達の友達、の友達の友達とか、だんだん枝分かれしていって、類は友を呼ぶって似たような人たちが、こう集まって、たんかなー 石巻の人ではあるけど、雄勝の人ではない 雄勝の未来 周りの人たちはさ、人が住みやすい場所とかさ、若者が帰ってきてとか、そういうのは望んでも叶わない夢だから。若者とかそういう人たちは、あっちの方に土地を買って家たててる人もいるし、あっちの方に復興住宅申し込んでる人、中には戻ってくる人もいるけども、おれの理想はこじんまりとした、本当に震災前にただ戻ってもらいたい。渋滞とかもなく、あまり人混みも起きず、たまに1年に1回のね、ウニ祭りとかさイベントがある時ぐらいで、本当に1年中人が来られたっておもしろくないから、シーズン的に来てほしい。海開きとか、ウニ祭り、ホタテ祭りとか。後は、もうちょっとライフラインを。ライフラインというか、雄勝から一歩も出なくても生活できますよ、というレベルまで戻ってもらいたい。 インタビュー一覧へ戻る

阿部 善規さん

インタビュー一覧へ戻る 雄勝町熊沢で現在暮らしている阿部善規さん。もともと浜の麓にあった家は流されてしまいました。漁業を通して感じてきたこと、自然と共存することに対して、震災を通して阿部さんが感じてきたことを話してくださりました。 震災に強い漁業 だから災害に、私が思うのは災害に強いって言ったら、もう少しね、この自然を利用したおんなじその手を加えるのも自然に利用、自然を利用したそのやり方をね。それをやればほら、結局は最初は経費かかっても後後はいいと思うんですよ。だからもうちょっと自然に近いやり方でね。最初は手を加えても、自然にその近いやりかた。 震災について だからその、津波もねー、あの私の、私らはその津波っていうのはおじいさんが昭和8年の津波を経験して、こううるさかった人なんですよ。ものすごいあの津波に対して、あの神経質で、ずいぶんと自分の親が神経質じゃないかと思うくらい神経質でね、地震のあれはとにかく、もう逃げることだったんですよ。もう逃げる、逃げる。地震になったらとにかくみんな起こしてね、もうテレビつけて、自分で起きてきて、テレビつけて、もう玄関もなにもみな開けてね、もうなんていうか早い話、車もなにももう全部エンジンかけなさいで、逃げるそういうね、神経質な親だったんですよ。だから、津波、津波になった時もやっぱり逃げるっていうことはどこか頭にはあったんですけど、ほれで一番うちは下にあったから、とにかく津波に対して神経質だったし、私らはほら、こういう土地であるから、あればこそ、いくら津波来たって、1メーター逃げれば1メーターあがるっていうのは感じたから、それこそ津波そこまで来ても、もうそりゃ命とられるようなことはないんですよね。ただ、結局親の言うことには、結局津波は3回目あたりには、大きいの来るから、っていうから、波が引いていけば、引いて行っただけ大きいのが来るなって思うから。もう引いて行ったとこさは、もう行かないんですよ。だから3回目だから、1回目ここまできたら2回目多分それより多いんだろうって上で見てるわけですよ。そういうなんていうか今まで経験はしていないんだけど、そういう親からなにされたことが自分ではわかってて、結局はほら、思うんですよね。だからまぁあまりこの部落には被害っていうのはないんですよ。船はなんかは流されたけどもね。大抵は流されたけっども、あの、人間が流されたとか、死んでしまったとか、この浜にはないんですよ。みんなそういうことをあれしてるからね。 住めば都 ああ、やっぱりねー。一番落ち着、落ち着くっていうのが一番かなぁ。でやっぱあの、やっぱり、昔っからいるし…で残ってる漁師さんとか結構残ってるし、別に雄勝いて、こう退屈するっていうことがそんなないすよね、うん。なんか普通にいる、みたいな。たのしい…楽しいわけじゃないですけど、まぁいて一番楽なところです。雄勝。その河北町とかにいるより、雄勝にいた方が楽だっていうことです。楽っていうか、気持ちが。まぁあんな津波とかもあったんだけど…一番いやすいところです。だから残ってるっていうところは、まぁそういう感じですか。 インタビュー一覧へ戻る

佐藤 一さん

インタビュー一覧へ戻る 雄勝町では若い漁師さんで、震災後は仮設住宅から海に通っている佐藤一さん。漁師としての仕事や震災後の復興についてお話していただきました。 雄勝で続ける理由 生徒: もしその外に出て、新しい生活を始めるとしたらどういうことをしてたと思いますか?その新しい生活を、どうなるかなっていう 佐藤氏: そうだね、漁業を再開できるのかできないのか。で雄勝で漁業をするのか、ほかの土地に行って漁業するのか、またはまったく漁業関係ない仕事につくのかで考えて。やっぱ6割7割ぐらいは雄勝に戻って漁業なの。それが駄目なんだったらどうしようなかみたいな。でまあ他の仕事をしてっていうのもあったけど、もうなここまで40過ぎまでやっちゃうとなんかほかのこともね、そういう自分がイメージできないっていうか。感じにもなっちゃってたなぁ。 生徒: そこまで雄勝にもどるってどういった、そこまで雄勝に戻りたいって 佐藤氏: うん、どうだろうなぁ。実際仙台に行って暮らして半月まあ向こうにいたわけじゃない。で、こっちにきて思ったのが、この浜の匂いっていうか、海の匂いっていうか、浜の匂いっていうかやっぱり落ち着くんだよね。でうん。ここで仕事したいなみたいな。それぐらいかな。 震災後の海の仕事 生徒: さとうさん自身はその震災前と後では、海で働くっていう気持ちとしての変化は? 佐藤氏: ないな。変わらず。淡々と仕事をしているというか。どうなんだろうな、津波がきて悔しかったといえば、悔しい。ただ自分の場合は、なんだろう、うん、どうだろうな、まあまあ。そこまでなんかこうまあ一応津波はくるくるって思ってたんで、だってまあ海の仕事をしてて津波でやられちゃうっていうことはある程度考えてたんで、半分しょうがないなって。なんか潔すぎるけどね。だからそういう覚悟があったからあんまり心折れるまではやられなかったのかな、たぶん。 漁と海 生徒: 海ってどういったものなんですかね、佐藤さんのなかで 佐藤氏: 海。どんなもの。難しいな。結局はこの天気が良かったり悪かったり風が吹いたり、なかったり。これは雨だの雪だのまあ自然と仕事を一緒にしてるよな感覚かな。あとはもう本当に結構一人で漁、漁に出てるときは疲れたなあ。やめようかな、もうちょっとがんばろうかな、みたいなぁは自分とのそういう感じで、あとはもうこの天気が悪くなってきた風吹いてきた強くなるなどが、そういうのがもうちょっと頑張ろうとか、もう早めに止めた方がいいなみたいな感じで見てる。海も一緒かな。なんか常にそばにあるというか、そこにあるっていうか。感じですかね特別なわけでもなく、なかったらやだなみたいな。 復興とは 生徒: 佐藤さんにとって復興っていうのはどういう状態で使うのか?復興を終えるということはどういうことなのかとか? 佐藤氏: うん。なんか。うん。微妙だよね、実際は。復興って。だって仕事はこうやって船持って、んで震災前とおなじぐらいのものができて、で当然船も自分のやれる範囲の自分のまわりはなんとか震災前の形に戻しました。でもあの漁港整備とか、宅地だとかっていうものは自分で頑張ってどうにかできるものじゃないじゃん。行政の仕事だから。だからまあ、自分的にはもう復興っていっていいんじゃないの。あとはもうどんどん稼ぐしかないし頑張るしかないし。って思う反面、そういう自分が手が出せない所っていうのはまだまだ復興にはほどとおい。復興できるのかみたいなっていうまだレベルでしょ。だからなんて言っていいんだろうね。自分の中でもまだよく分かっていない復興とは何か。だって完全に震災前に戻すぞと、でもそれは無理な話だから。人そのものが戻ってこないって言ってるし。実際にまあ、自分ら漁業やってるから海の近くに住みたいで海の近くに住みたいで、船の見えるところに住みたい言って戻ってくるけど、実際、サラリーマンとか会社員は実際雄勝に戻ってくる必要がないんだよね。今石巻だとか、町場にいた方が、雄勝にいた時よりも超便利だし、みたいな。まあ郷土愛あって、やっぱ雄勝だよねっていう人が中にはいるかもしれないけど、たぶんあれじゃない。高台移転して帰ってくるのってほとんど高齢の方じゃないかな。なんかこう産まれ育ったところで死にたいみたいな方々は戻ってくるかも知れないけど、ある程度、このなんだろう、40代五十代五十代より下はそうそう戻ってこないと思う。だって便利だもん。まああとはどんだけ雄勝を愛しているかみたいな。どうなのかな。 メッセージ 佐藤氏: まあ気軽に浜に遊びに来てほしいかな。結構ね震災前はさ、この浜に遊びに来る釣り人とかさ、あとは普通の家族づれでもそうだけど、なんかじゃまくさかったのね。で実際来た人たちは飲み食いしたゴミとかもそのままそこらへんに置いてくしそのマナー悪くて。。ですごい煙たがって嫌がってた人とかも結構多かったの、自分だけじゃなく。でもそれは自分の気持ちの受け入れ方ができてなかったっていうのもあったなとかって反省して。震災後も色んな人に手伝ってもらって、色んな人と知り合って、ってやったじゃん。で実際今度漁業っていうものを知らない。自分たちが作っておいしいもの届けようと思ってるのに、そのホタテがどういう風に作られてるのかわからない。ああそうかと、帰ってきてもらったら、来た人に気軽に声かけて話して、で漁業ってこうだよと、こうやって作ってるんだよって見せることによって、その人が興味を持って食べるようになれば。今魚介類離れとか魚離れとか言わるじゃん。そういうのをなんとか取り戻そうと、食育だとか力入れてやってるけども。そんなね、伝わってるのかどうかわからないことをするよりも、遊びに来てくれた人とこうやって話してた方がよっぽど効果あんじゃねえのかなって思って。しかもどんどんおいしいおいしいって食べてくれるとこっちも嬉しいし。これからは心を入れ替えてみなを受け入れようと思ったな。だから気軽に遊びに来てください。 インタビュー一覧へ戻る

東谷 寛一&幸子

大槌で漁業をしている東谷さん。 今回の大きな津波のあと、今の海への想いなども聞かせて頂きました。 主人:うん、変わったね。さっきも言ってたように自分の人生が津波でそれこそ流されたし気持ちも流されたし今までやってきた人生が津波でね、それこそ流されたような感じで、破壊されたような感じで。。そしてどうやってまた震災前の形のように復帰できるのかっていう、失望感だけに襲われる。そういう理念、考えだったね。 奥さん:もう元気がなくなって、震災前はね挑戦するっていうかね、そういうのは全然無くなってしまったの。今まではね、歳関係なく仕事をね挑戦するとかねこの地域では本当に挑戦者だったのこの人。私が見ててね。だから次なにやるのかなっていう考え、次何やるのかなってここの地域の人たちもそのように思ってたような人だったのこの人≪主人に対して≫。だけどそれがなくなったの全然もう。津波のあとはね。だからすごく皆流されてしまったんだなあって思ってる。。。。。。

佐野安信  八重子

震災後中型イカ釣り漁船第81明神丸を新しく造り、遠洋漁業を行っている佐野さん。佐野さんが遠洋に出ている間、奥さんは家と家族をしっかり守り、お互い支え合っている様子が伝わってきました。 だから私は言いたいのは、船の船頭と丘の船頭とそんなように思ってましたね。 と奥さんがおっしゃっていたのが印象的でした。 佐野さんは海に出ている分、近年の自然の変化を肌で感じているようです。 「まあ、なんだかんだいって自然には逆らえないからね。竜巻だって、今テレビではすごいやるようだけど。いろんなとこぶつかってったり。」 「今は何て言うんだか、何年か前の津波があって突発的なのが来るよね。昔竜巻ってのもこんなに出なかったのに、今じゃ低気圧が来るたびに出る。』

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