増子 理香さん

インタビューページへ戻る

増子理香さん
つながらろう!放射能から避難したママネット@東京


繋がりや情報共有の大切さ

http://www.youtube.com/watch?v=wUoiLn2LV6o

「2011年の..実質的にいうと6月に作って…でお母さんたちの繋がり、とにかく情報がなくて…で、私は自主避難者なんですね…強制避難の人と自主避難っていうのはコミュニテぃーの中で大きく分かれているんですけど…自主避難した人たちは避難先も自分で選ばなきゃいけないし、で、その…支援とかも本当に薄かったのでとにかく繋がりがなかったので…すごく孤独だったし不安だったんですよあの時..2011年…でとにかく「繋がりたい!!」って思って…それで1人で繋がって!って言っても仕方がないし…器を作ったらどうかなと思って作って…それで偶然立ち上げるきっかけになった時に、あの郡山って福島県郡山市っていう大きな市があるんですけれどもー…そこから避難したお母さんと偶然巡り合うことがあって、人の紹介で…で、その方とすごく意気投合して、「じゃ、その会を開こう」って言ってー…会場を探して定期的にその会を開いて」


自主避難者

http://www.youtube.com/watch?v=oV1ROxRDYVQ

「最初は私達避難したお母さんたちで、やっぱ避難できるってことはー..ごく一握りの人たちなわけですよ…福島の中で6万人の方が避難してるって言われてるんですけど、でも福島全体…福島の人口からみると強制避難じゃなくて自主避難で見ると…その人たちは恵まれてる人、タイミングも多少お金とか人脈に恵まれた本当にラッキーだったっていうしかないんだけども。」

避難するかしないかは人それぞれの価値観により選択される

http://www.youtube.com/watch?v=-Ma8eHWl3Yk

「関西の人からすると「関東なんて住む所じゃないよーじゃないんだからもう避難してきてよかったわねー」って東京の人が福島の人を迎えるかのように関西では関東の避難者も東北の避難者も全部同じ。沖縄になんか関西から避難してる人もいるもん。「関西なんて、本島なんて住むところじゃない、住めないよー、沖縄にいらっしゃいなさいよー」「本島は汚染されているわ!」みたいな、こっちオスプレーだけどーみたいな。うん、だから世界から見ると「日本になんか住んでないほうがいいわ」みたいな、これは大なり小なり違うんだけどもやっぱり汚染っていうのはね、、すごく避難を選択するっていうのは個人の判断になってくるとは思うんですけどねー」


親子供、学校、安全宣言、情報共有

http://www.youtube.com/watch?v=a6aY8BZAKGA

「日本の被ばく許容量ってあるじゃなですか、それが年間1ミリシーベルトだったんですよ。それ以上被ばくしてはならないって国が定めてて…それを11ミリシーベルトって超えてても避難区域ではないのね…で、ここ通いなさいっていうし授業中はマスクしちゃいけませんとか言うの、とか「学校の水道のお水は安全だから」ってうちの子はペットボトルの水を水稲に入れて学校の給食のときとかに持ってかせていたのだけども学校の先生に「学校の水道は安全だから水稲はだめ」って娘さんだけダメって言われて…で、子供はいろいろな情報の中…、私が結局はこういう風に避難したような母親なのでそれなりのそういう情報を与えている家庭にいたから、学校のお水も飲まなかったし水稲のお水も飲めなかったし、学校では一滴もお水は飲まないでおうち帰ってきたりとかしてたのね。そんなの可笑しいでしょ?小学校1年生、6歳ですよ6歳。そういうのが普通…だから親が抱えているような乳幼児だったら親が守るような事が出来るのだけれどもー小学校とかましては高校生だったら部活あったりこういう問題で…親が子供を守りたいと思うような気持ちがあっても思い通りになんなかったりーそういうのですね」


素直に話せない空気

http://www.youtube.com/watch?v=PIcF4d9_vaM

「おっしゃる通りで、親しい人ほど話せない状況であったりするので、私が一番話せない…放射能について話せないのは夫。
夫に相談ができないのが、不安を話せば「そんなこと…」ってなるし、「大丈夫だよ」って帰ってきてほしいから、で、「そんな困難があるってことだったらそこにいる意味ないじゃん」とか言われたりとか
「甲状腺がんが福島の子に見つかったみたいだよ」って言ったら「お前たちは東京にいるからがんにならないわけないじゃん、東京の郊外とかどうのこうの」だとかさーそりゃそうだよって思うけど…
どんどんこう話しをすり替えられたりとかなっちゃうから口論になるんですよねー。
だから話せないようになったんですよー。くだらない話しですけど、この間知り合いの娘さんが高校受験をするっていって
「公立受験するはずだったのが私立の大学に付属の高校から推薦を取れてすんなり入れたんだー」っていう話しをちょうど電話できたから
「何々さんの子供さんが推薦とれてうちの子もそうで来たらいいよねーー」って言ったら「それまでいるのかよ、何年先までいるのかよ」みたいな話しとかにスラっとすり替わって、
やっぱり当事者だからそうなっちゃうんですけどもー本当に喋り…喋れなくなりましたねー。実際向うに残ってる分家の親族とか子供の繋がりとか切れちゃいましたね…うん…たまに帰ったりするときとかにーカフェに行ったりとかするのだけどーなんかこう「避難どう?」っていうのはなくーで、言葉に詰まるから私が「最近どう?」とか聞くじゃないですか、そこにいる人達にー…「んー変わらない」とか言われて「この前もプールやったよー運動会やったよー」ってだからなんかこう、あえて不安じゃないわ的なオーラを出して…話す」



震災から3年経って…

http://www.youtube.com/watch?v=DevI2-O0gQs

「私今一応福島のお母さんたちのネットワークの、別に一応代表なんですけどー別に世話人をしているわけではなく…やっているんですけどー…福島から避難してる子供達のお母さんとか2011年から考えると大分..本当変化していって課題とかも不安点とかもやっぱりすごく変化していってるんですよね。で、最初のころはさっき話したんですけども2011年に自主避難している人たちは会えるだけで「私も避難者」「私も避難者」っていうだけで嬉しくて交流会あちこち..特に東京とか支援者が多く開いて…そこに行っては知り合って、巡り合いの喜びがある時期だったんですけどー2012年のやっぱ後半ころからだんだんやっぱり変わってきて、そのそこでもう楽しく交流するっていうよりかは、どうやって生活していくかとか戻らないだとか、得に自主避難者は勝手に避難しているわけだから勝手に帰るわけですよ。」



家族関係、お父さんの心理、震災離婚

http://www.youtube.com/watch?v=xj_FwfNv18E

「後は、ケースとしては残ってるお父さんが病んじゃったりで家に火を付けて自殺したお父さんもいます。本当に家が全焼しちゃって結局なくなっちゃんですね..「帰ってこないならば離婚するー」っていう夫と離婚しちゃった人もいたりー…とかどっちが寂しいか考えてごらんよって言いたいんですけど…かえって来ないよりは離婚を選択をする。とかたまに長期でたまに休みがとれたから福島にかえって福島の家を開けたらそこに離婚届けがあったりとかーあって、旦那さんの荷物全部なくなっちゃってたりとかでーとか結構“震災離婚”って聞くと思うんですけどもー本当に多いんですよ震災離婚が…本当に色んな家庭があるからー母子非難を支えてくれる旦那さんもいればーうちみたいに微妙な立場の旦那さんもいるしー..もう毎週毎週会いに来て支えてくれる人も、旦那さんも、もう本当色々なんだけどーとにかく、旦那さんたちもどっちかっていうとアンチの人がそれでお母さんと子供が選択を迫らなきゃいけない時期に、特に今3年たって、4年目になると結構節目じゃないですか3年って「もう3年」という言葉があるようにーようにどうするのって迫られていかなきゃいけない時期でもあるのかなーってなりますね。」



言える環境、避難者の感情、子供

http://www.youtube.com/watch?v=taShE37s0do

「皆が隠さずに言えるとね、色んな意味でもまた変わってくるとは思うんですけどもー…なかなか難しいかなーとは思う。だから支援者として何が出来るかってよく聞いてくださるんですけどー…ね、なんかね寄り添って忘れないでもらいたいですねー。なんかこう色んな事を相談したりとかする色んな所にで、例えば今までもあったかと思いますが、色んなことの相談とか愚痴だとかあった時に話す人って完結したいわけじゃなかったりするわけじゃないですかー…なんか…肯定…呼び止めてもらいたいときが多いから、だからそういうのが一番の支援かなって思いますよね、だからその手前にあるのは聞いてくれることなので、一番の支援じゃないですかねー。はい。今この人がどう生きていくことを支えるかっていう事に変わっていってますよね、で、私もよく色んな支援者とかに、「去年まではいわての方に毎日毎週毎月とか行ってたのだけども、もうやめちゃったとかって」言って。「なんで?」とかって聞くと仮設とか色々回ってたんだけどー…俺が言っても私達が行ってても変わらない。だから変化を求めていく人は変わらない事に疲れてくしー..でも変化…結果を求めるんじゃなくて、その個人のパーソナルをサポートしてあげることができる、あとはこの人がどうそれで力を得ていくかじゃないですか。だから結局判断するのはその人じゃないですか、いくら結婚しなさいっていったって判断するのは自分じゃない?海外で仕事があるからってそこに行くかはどうかはどんなに条件が良くても自分の判断。判断するまともの精神力とかまともな感性だとかまともな道徳的な考え、間隔がやっぱり被災地の人たち仮設に住んでる人達は保てないんですよね、だからそれはそれを支えてあげるのが一番、一番、いちばーん!!根本な支援かなと思うんですよねー、物をあげる支援は固定先の支援、段階があるんだと思うんですけどもー…私がどう強く生きていけることを支えて、守ってくれてるかって考えれるようなサポート。、その考えられる余裕を作ってくれるサポート。が一番かな。」


イジメ、子供、学校、

http://www.youtube.com/watch?v=9xETORgCz9c&feature=youtu.be

「一番初歩的な問題はイジメでした。新聞で見たことあるかもしれないけども、2011年辺りは避難してきた、得に原発から避難してきた“福島”ってついた名前の子供に石を投げたりとか入館拒否があったりとか、ホテルでの宿泊拒否もあった。本当に…ちょっとプチ避難みたいな事したでしょ?3.11のときって。そうすると関西とかで、何…受付のカード書いて福島って書いたときに「ちゃんと検査してきてますか?」とか「当館ではちょっと検査してないスクリーニングっていうんですけども、大分被ばくの検査してない方々にはちょっと宿泊できません」とか言ったりとか、関東では多分なかったと思うけど、いっぱい受け入れたと思うけど関西だとかだと新聞に結構出てたりとかして。ほとんどの子が避難して繋がってるお母さんたちの子供、ほとんどが小学生ぐらいからそういうイジメにあって、高校生ぐらいになるともうそれが気にならなくなって個人でちゃんと分かって、発言するけどー…小学校だと多分言葉を放った家庭でそういう、なんていうか、放射能のアンチ的な部分も危険性を伝えてるのはいい家庭なんだとは思うけどーそこ、それから先の教育が出来てなくって、ついつい親から聞いた放射能が危ないだとか危険だとかっていう言葉で接しちゃったとは思うんですよ、決して悪気は子供だからないとは思うし。だからそういうイジメは結構あるから我が子がいじめられたってのはありますね。それが言わない理由かなー..うんー…だからすごく考えるより複雑で親がどうこうとかよりも子供達本人の問題としてそれはもう幼稚園年中年長から理解は出来てるしそういう情報で溢れていたからね、当時は特に。まー親次第よ、親。親がどういう情報を流すかどうかだけどー、うん。」

インタビューページへ戻る

金井直子さん

インタビューページへ戻る


金井さんは楢葉町からいわき市に避難された主婦で、「完全賠償原告団事務局」で原発被害を裁判を通して訴えている方です。

被災者間のギャップ

例えば、義援金、支援金、仮設住宅。いろんな減免措置を頂いて、ハード面はね、ある程度生活する上では賄えてますよ。
だけど、そのなかでもさっき言ったように、家族みんなで失業しちゃったとかね。本当にもう過酷に困窮している人もいるわけです。でもね、みなさんにお話したように、少なくとも、うちの、私だけが失業して、あとの家族が、まあ失業せずに済んだので生活が成り立っているから、こういう時間もとれるし、私もじゃあ原告団の事務局長としての活動に力を入れようっていうこともできるけど、中にはそうしたくてもできない人もたくさんいるし、やっぱり人前でお話するとか、裁判所で何かをするとか、いろんな活動をみんなさんがこう伝えていくってことは、みんながみんなできないと思うんです。

安全神話

その放射能っていう意識がなかったんだよね。あまりにも当たり前すぎちゃってて。危険っていう意味が最初よくわかんなかったんだよね。だから、それこそ、ほら安全神話ってよく言われるけれど、絶対に原発事故は起きないって、そういう風にもう刷り込まれていたから。原発は安全なものだから、絶対事故は起こさないって。絶対トラブルは起きないって。でも何年か前にトラブル隠しがあって、一回問題になっているんだけど、でもほら、やっぱりその、何年も前のことなんか、みんな忘れちゃっているから。

原告団事務局の事務局長になったきっかけ1

(質問)金井さんがこのように、こんなこととか運動を始められたきっかけとかは、だいたいいつ頃だったんですか。
きっかけはですね、さっきのプロフィールにもちょっとかいたんですけど、一応、まあ避難をして家を借りて、まあまあ生活は成り立っていました。ところにこれ(賠償請求書)が、23年、平成23年のだから、2011年の9月にきたわけですよ。
これを見た時に、さっきも言ったように、何が何だかわからなくて。これは、はたして出すべきなのか、どうするんだろう、みんなはどうするんだろうって。すごく疑問が湧いちゃったのね。こんなの、こんなのっていうか、送られてきてさ、自分じゃ判断できないじゃない、って。で、そのときに、今一緒に戦ってくれている、福島原発被害弁護団に、後々に発足するんですけど、全国の、日本弁護士連盟だったか、なんかその日弁連といわれる弁護士の方々の中の、それも有志の先生たち、弁護士っていってもいろんな方がいるからね。その有志の方々が立ち上がってくれたわけですよ。で、これがまず送られてきた。で、世間でいわゆる、難解、不可解な請求書が送られてきたよ、と。で、それを受けて、まず弁護士たちが、あるときにね、この新聞の見開きにね、新聞広告を出してくれたんだよね。原発事故被害者の皆様へ、って。東京電力から賠償請求用紙が送られていると思いますが、それに関する無料のね、法律相談を行います。ご希望の方は、どうぞおいでくださいみたいな、そういう趣旨の新聞広告を出してくれたの。

原告団事務局の事務局長になったきっかけ2

とにかく、これ考えてもしょうがないから、弁護士に相談しようって。で、それが、無料法律相談会に行った時に、初めてお会いした先生が、後々今のこの福島原発被害弁護団の代表になった、いわき市の広田先生っていう先生なんですけど。そういうことがきっかけで、何回か先生とご相談を重ねて、そのうち、今のちのち一生懸命活動を重ねてやっている、今活動家の、元教員が多いんですよね、組合の活動とかやっていた方が多いから。学校の先生ね、高校の教員とか、県議会議員の方とかいるんだけど。そういう人たちと、やっぱりだんだんつながるようになってきて。で、このままじゃいけないってということで、避難者は避難者原告団、いわきはいわき市民訴訟ってことで。やっぱりその、出会いがあって、広田先生からの助言があったりして、いわきで支援してくださっているいろんな方からの、やっぱり情報だよね。だから、私もただこれが来て、ずっと自分で家の中に閉じこもっていたら、そういう人たちと、皆さん方ともそうなんだけど、めぐり合わないじゃないですか。

向き合わなければいけない恐怖

目に見えないことが一つと、あと、今現在進行形で、あの収束していないんですよ。全然。トラブルも毎日のように起こっているしね。で、増え続ける汚染水の行き場もないし、いまだから、中間貯蔵施設の問題が浮上していますけれども、それをどこに建設するかっていうこともまだ決定していないんですよ。で、ボーリング調査っていって、地質調査を双葉郡の楢葉町と、あと第一原発がある大熊町と双葉町。この三つの町に、調査はしたんですよね。いずれ、これはまだ確定ではないんですけれども、いずれこの三町に間違いなく中間貯蔵施設ができます。ほかにもっていき場がないんだから。これを県外に、っていったてね、福島の核のゴミをどこの県が、どこの都道府県が引き受けるんですか。じゃあ海外だったらいいんですかって、そうじゃないでしょ。やっぱり、もう自分のところで起きてしまったものは、もう自分のところで引き受けるしかないって、私は思っています。ただ、感情的には、その土地で代々ね、生まれて育って、その土地を守ってきた人たちは、自分たちの土地がそんな風になるのはいやだっていう感情はありますよ。それは聞きます。だけど、じゃあ別なところにどこに持っていくのって、行き場がないから、やっぱり、なってしまった以上は自分たちで引き受けるのかなっていうのが、まあ実情だとは思います。

福島原発被害弁護団

弱い人っていうか、困っている人を助けたい。とにかく、弁護士ってそういう仕事なんだけど。特にね、お金をとるためのじゃなくて、その困っている、何とか救済をのぞんでいるんだけど、っていうひとたちを、とにかく救いたいっていう、人権派の先生なんだよね。今活動している、福島原発被害弁護団に加入されている先生方っていうのは、全国のいろんな弁護士事務所なり個人事務所で、それぞれが弁護士活動をしていた人たちなの。そのなかでも、自分はこの福島の原発事故の被害の救済のために力を貸したいと。そういう有志の先生たちが、じぶんから進んで弁護団に加わっているんだよね。そういう動きってなかなか報道されないけれども。だから、福島県内でも、こういう話をしても、実際そこまで言って初めて、ああそうだったのかって言う人もいるし。

インタビューページへ戻る

20130706 折笠明憲 5

20130706 折笠明憲 4 の内容の続き
“今もう復興だなんだっていうので、ある程度進んできてますだなんだって言ってますけども、そこの姿を見てしまうと、まだまだあれなんだなあ・・・まだ普通の生活ができるところまで戻ってないんだなっていうのがすごくよくわかるというか、目の当りにしてきましたね。だからとっても・・・うーん、なんて言えばいいのかなって。うーん、すごく自分のできることが小さいんだけども何かしてあげたいし、こういうのを人の・・・うーん、そうですね、その四国の人にも言ったんですけど、今まだ、まだ復活というか、復興も終わっていない状況というのを、そんな中でも私たち農業やってるんだよっていうのを、その四国の青年クラブの方々に、伝えてもらえればいいというので、あの映像だったり写真だったりいろいろ撮ってってもらって、はしたんですけども、実際来た人たちも、「テレビで見るのと現実で見るのはやっぱり違う」っていうのはすごく言われましたね。現実にその前にあるのと、テレビの画面で見るのでは全然迫力も違うし、思うところも違うんだなっていうのはありましたね。”

20130427 玉根清延

我々は、やはり生産者の立場で言えば、大丈夫ですって言うけど、問題は買う方が、ね。そこを理解してもらって、買っていただけるかどうか、っていうのが問題なんで。そこがやっぱり、損害賠償請求と繋がるわけですよ。

20130427 玉根清延 2

だけど現実的に(計測用の機械類を)持ってなかったんよ。だから、マイクロシーベルトやベクレルとかって言葉は全然わかんなかったし。どの程度やっぱり、果物の影響を及ぼすのか、あとは人間の体がどれだけ影響されるのか、っていうのは、全然わかんなかった。

20130427 玉根清延 1

比較的ね、ここは放射能そのものの数値から言えば、線量計で計れば比較的低いところで、だいたい空間線量で、0.3、マイクロシーベルトくらい。2011年の、3月の11日以降爆発して汚染されたといっても、計器がなかったのよね、その測定する機械が。だからそもそもこの原発そのものが安全神話だったんで。絶対に事故はおきないだろうっていう。そういう意味では、福島の県民の一人だけど、原発立県であるにも関わらず計器を持ってないってのもおかしい、それはおかしい、ですよね。