20130706 折笠明憲 3

(質問)出荷停止になったものは東京電力の方に賠償・・・
“(賠償)もかけましたけど、そこは多少は出たんだとは思うんですが、えっとすごく、あの、賠償かける上で、かなり大変なんですよね。その、書類を作ったりなんだりで担当の人が来て、本当に補償するべきなのか補償しないべきなのかとか言うのが結構あって、最初の一年は結構頑張ったんですけど、そのあとはもう・・・大変で。うーん、ちょっと勘弁してくれって。で、今は、まあやんないでなんとか生活できるぐらいなものにしようっていうので、色んな作物作って、どれがいいかなみたいのでやっているので。”

(質問)賠償を一年でストップさせたっていう方は、あの、多いですか?私が知っている方だとずっと続けて・・・
“あ、いえ、それはもう(草野)城太郎さんとか、工場みたいな感じで作ってる人は断続的にやってるんですけど、うちの場合直売所メインなんで、それを品目別に全部出荷ロットだったりなんだりっていう風に出してくれって言われると、その日売れたり売れなかったりとかって言うのがあって、キロ数どれぐらい出した、何出したっていうのをすごく細かく出すのが大変で、そこを大まかにした状態でも出して、で、またおんなじ年がきて、で、その年によって解除されたり解除されなかったりっていう、山菜なんていうのがあるので、そうすると今年これ解除されたからこの分減らしますとかそういうのっていうのがすごく、それ以上また一から全部作り直しになっちゃうんで、それはしょうがないなっていうので。今はやってないような状態ですね。”

(質問)賠償に頼らずにこう作っていく上での心境は・・・
“うーん・・・心境か・・・最初はやっぱり「うわ、悔しいなあ」っていうのがありましたね。でも本当に最初だけですね。あとは・・・「じゃあどうすっかな」っていう軽い気持ちでもう。「じゃあ次これやってみるか」というので。うん。まだ、あの、農家始まって米以外は全然、毎年毎年色んなのにチャレンジしてるような状態なので、そこまで作物に対して思い入れがないって言っちゃ変なんですけども、そういう、どんどん新しいの取り入れてやっていこうっていう気持ちの方が強いので、そこら辺の切り替えはまだ、はい、他の人に比べると、つけやすかったのかなと思います。”

20130706 折笠明憲 2

(質問)ご自身の健康に関してはどのように感じていらっしゃいますか?
“うーん・・・すごく笑い話かもしれないんですけど、なんか死ぬときは死ぬんだからそれまで精一杯生きりゃいいんじゃないのかなっていうのが・・・うーん、うちらの中ではそれが大きかったですね。で、少しはじめ・・・あの、放射能の話が始まって、まあ最初は作るのが不安だったりなんだりっていうのがあったんですけども、その、あと世界・・・ちょうどその、地震のある年の1月に、ニュージーランド行ってきたんですよ。海外派遣で。で、世界の方も見てきて、自分の中でこう日本だけじゃなくて世界でもこういう風にやってるんだっていうのをちょうど見た時期だったので、その時に日本に帰ってきて、原発が起きて。で、今日本で0.1ベクレルだなんだって騒いでるじゃないですか。その状況下で世界はどういう風なんだろうなって見たときに、世界ではそれより高いところで農業やってる人もいますし、はい、もともとの線量が高かったりするところで生活してる人もいるので、じゃあそれに怯えて健康がどうこうだって言って部屋から出ない方が、うん、死ぬ確率は高いだろうし、それにあの、自暴自棄になってタバコ吸っただ、ヤケ酒しただってなって体壊すんだったらば、それはそれだっていうので。もう自分は仕事して、汗水かきながら仕事して、で、それで具合悪くなったらそれのせいじゃなくてもう、うん、自分でやって全うしたんだからいいんじゃないのかなっていうので、あまり気にしない方向では、はい、やってきてます。

20130706 折笠明憲 1

“特に、今でもよくわからない放射能とかそういうのに、他の人が全然知らない中、大きな・・・ぽっと本当に政府の方で「これだけのことが起きました、なになにしてください」っていうのが全国に流れると、やっぱりもうそれを信じるしかないんですよね。その時って。それを信じ・・・もう被災地の状態でそれを信じるかどうか・・・信じるしか、方法がないんです。あの、他のところに行って調べるとか、何かを情報を得るっていう、もう通信機器はほとんど麻痺してますし、うん、連絡を取りたくてもやっぱり取れない、電話をしても繋がりにくい状況の中で、うん、信じられるのはそれしか信じられなかったな。で、その後はもう放射能の話はもう二転三転するっていうのが結構酷くて、うーん・・・そこはもう今でも続いているようなもんなんだろうなあっていうのがあります。どうしても放射能っていう・・・すごく・・・なんて説明したらいいんだろう・・・目に見えないもの、と、今度はまた戦わなきゃいけないんだなあっていうのが、自分たち農業者の中ではやっぱり大きくありましたね。今までは、農薬や虫とかっていうのは目に見えるもの、ある程度目に見えるもので、それだけ自分で軽減すればなんとかなるものだったのが、今度は、どこにあって、どういう風に流れてくるのかわかんないものと戦わなきゃいけなくなる。で、それで「もうダメだ」って言ってやっぱ、あの、諦めてしまった人っていうのも、まあ何人もいますし、その、まあいわき市の中でも、あの、新規で入って三年ぐらいでやってたのが、ダメになっちゃって、京都とかあっちの方に行ってしまったっていう人もやっぱいますので。うーん、それに対しては、責めるつもりもありませんし、そこは自分の出した判断なんだから、それはどうこうっていうことはないんですけども、できるんであればいわき・・・まあ福島で農業をやって欲しかったなあっていうのは、うん、あります。”

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(転職して就農された理由)

穴澤さん: まあ、一番やってて楽しいっていうのは失礼かもしれないんですけど、まあ小山さんのところで働かせてもらって、まあ、自分なりに、こちらで勤めさせてもらえれば、それでまあこれからあとは地元、まあ地元を盛り上げていくという形でも、こっちの方で仕事させてもらえればと思いまして。あとは家も林業とか、まあちょっと違うんですけど、まあ、地元で仕事させてもらってるのもあるんで。まあ、そういう理由で。

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小山さん: まあ実際、あれですよ、事故のすぐ後、有機農業は辞めようと思ってました。実際どうなるかわかんないし。で、まあもちろん有機農業自体は辞めないんですけど、あの、結局、市場に出すのをやめようと。有機農業の製品として。は、考えました。ただ、あの、まあ色々、ね、調べてみると別に危険がないと。で、危険がないのに辞める必要っていうのは、もう思いつかないんで。で、まあ辞めるのをやめた。うん。一時期やっぱり、だいぶ考えましたよ。これ、こんなもんを市場に出していいのかと。「こんなもの」って、まだあんまり状況がわからなかったんですけど。まああの頃はもう福島県全体が汚染されたっていうようになってましたから。

(質問)その、辞めようと思ったのをやめたのは、事故からどれぐらい・・・

小山さん: そうですね・・・まあ、半年ぐらいですかね?ちょうどあの、半年まではいかないかな?ちょうど地方が冬だった。で、作物がない。で、作物を実際出す段階で決めなくちゃなんないっていう段階で。でまあ色々検査とかして。で、出ないと。で、出ないんなら出そうと。もちろんそこで放射線が出てたら辞めてたかもしれない。ただ、出てないのに辞めるっていうのは、自分の意思ではない。

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(質問)検査の要請がだんだん薄れてきたんですか?

小山さん:そうですね。もうこっちの方はほとんど出るってことがないですからね。もうほとんど数字で出てこないんですね。会津の方っていうか、こっちの地域は。通常だと、まあ出てればやるんでしょうけど、出てないんで。だんだんまあやる意味がなくなってきた。ただそれをね、県外の人には知らされてないと。

(質問)あの原発からの距離が、会津の距離が、仙台と変わらないって聞いたんですけど・・・

小山さん: そうですね、ちょうど100キロぐらい。直線で。

(質問)仙台と会津若松だとどうしてもこう、「福島県」っていうのがあるので、やっぱりお客様からの考え方が変わってくるわけじゃないですか。そういうことについてはどう思われますか?

小山さん: しばらくはしょうがないでしょうね。だってね、そう思った人はね。

渡部さん: 「いやでも距離一緒です」って言ってもね。しょうがないですからね。

小山さん: まあそこまで言う必要もないですし。

渡部さん: 言う必要もないですし、言う気もないですし。ね、栃木の那須とか、あれも距離的にはあんま変わらないですから。直線距離は。うん。まあそこ測ってないのになんでうちばっか測るんだって言っても、子供のケンカじゃないんで。まあもちろんこちらもそんなに数値的にも全然出てないっていう安心感もあるから言えることなんでしょうけど。うん。

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(質問)特に有機のものを買う人って健康意識が高い人が多いって聞いたんですけど、やっぱり風評被害みたいなものは・・・

小山さん:ありますね。で、こっちの方でお米にしろ野菜にしろ、全て検査して、あの、放射線量っていうか、まあセシウムがどれくらい含まれてるかっていうのを検査してもらうんですけど、それで出ないっていうのがどうも信用できないらしくて。うん。まあ今は多少変わってきたんでしょうけど、えっとまあ、「1ベクレルも出ないのはおかしいだろう」っていう人が必ずいて、ええ。で、この辺は、あの風向きの関係でちょうど流れてこなかったんですね。で、まあ「福島県なのに1ベクレルもでないのは嘘だろう」っていうので、もうだいぶ客離れました。

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小山さん:たぶん農業が、あんまりこう、そうだな、儲かる職業じゃなくなったってのもあるんじゃないですか。昔からすれば。昔この辺は米が主流で、えっと米は、それこそ、新潟県抜けば、日本で一番高い米作ってたんですよ。この辺は。だから、米農家であれば、何もしなくても生活できる。で、米農家って忙しいのは春と秋だけなんですよ。あとは、何もしないでいられると。だから、親父たちは結局、そういう世界で。うん。で、あの、まあ仕事もそんなに忙しくないから、息子にやらせようとは思わないし。で、息子はなんか職業作って、で、自分らは米で食ってくからいいぞって世界。昔は。で、今米はどんどん安くなっていて。で、まあこれからまた安くなるでしょうと。となると、やっぱり、まあ、お米って、毎年収量が違いますよね。収穫量とか。あと値段も毎年違いますよね。となると、まあ博打みたいなところありますんで。で、そういう職業に就くよりも、なんだ、一般の職業に就いた方がまあ生活が安定するだろうっていう発想なんですかね。まあだから、親の世代はたぶんそんなに「農家継げ」っては、今は言わないと思いますね。で、こっちの方の親の世代は、逆に言うと、米だけ作ってれば生活できるっていう世界で飛び込んだんで、おそらく喜んで飛び込んだんじゃないですか。農家に。親の世代は。ただ、まあ、私ぐらいの世代になると、もう米はもうどんどん安くなってきてたんで。やろうっていう人は、私のときはいなかったですね。私ぬかして。”