阿部 優一郎さん

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雄勝に産まれ育ち、震災時は福島で高校教師として働いていた阿部優一郎さん。
震災で母親と弟夫婦を亡くしたことを機に、雄勝に戻り、漁師としての家業を継ぎました。新米漁師としての苦労や復興についてのお考え、家族のお話など様々なことを聞かせてくれました。


浜の人は家族

Q: 急に漁師さんをすることになった時に、ノウハウとか前に教えてくれる先輩の漁師さんとかいらっしゃいましたか。
A: はい。まあ逆にそれがないとやれる仕事じゃないので、あのーまあ親父もまあずっとやってきた仕事ですしね。まあ私も無いなり諸なり、小さい頃一緒に観て、まあ、た、多少知ってた分もあるんですけど、自分がいざやるなると、やっぱりあのー生活のリズムがまずほら、180度違うような世界よね。まあ最近、ようやくになってようやく、体の体内時計がリセットされてきて、漁師の仕事にこう変わってきたのかなっていう感じで。で、やっぱ周りの人っていうのは、こう特にこの雄勝というところはあのー昔ながらのね、こう近所とのつながりっていうか、まあ結局浜の人がこう皆家族みたいなところがあるので、であのうちも、うちの家族がね、こういう状況になってしまったのも皆知ってますし、で、まあ帰ってくる、やるってなれば、こう頑張れってな形で、随分こう手を貸すことはなくても貸してもらうっていうことはかなり多くて今日に至ってますけど…


海に対する思い
うーーん、まあいろんな思いありますよね。うん、まあやっぱりあのーこの浜で育って、やっぱこう、まあ漁師気質というか、こうなんかこう気持ちがなんていうか、こう荒っぽいような人が多かった気がして、でまあ自分がその中で育って、まあ教師の道になった時に、結構やっぱね教師になった時に、ここで育ったそのなんていうか、こう人とのかかわり方っていうかまあそういう風に案外教師の道こう活かせたりしてね。非常に雄勝に産まれて良かったなーって思うことも多かったですし、後はまあ家族とか、周りにいた人たちの影響とかはもちろんあると思ってるので、海のこう近くで育ってよかったなっていう風な思いもやっぱありますしね。
まあその反面あとは、こう津波でまあこんなことになってしまって…っていう風なことで、残念な思いというか、うーん、まあ家族返してくれよっていう風な思いもありますしね。ちょっと複雑な思いはあるかな。


雄勝の現状と未来
全然満足してないですねー。で、さっき言ったようにこう人がこう住んで、街っていうかこうコミュニティとしてのこう体をなしてないというか。もう今は言える事はもう、先がやっぱりないというか、もう今残ってる人たちの年齢層を考えると、特にここ数年で何かしらこう手を打つところはうっていかないと、もう人口の自然増っていうのは、もう望めなくなっているという現実がありますからね。で、そこで何か、それこそもう、もう少し若い人たちが、まあ秀平くんみたいな世代の人たちが、やっぱなんか住んでみたいなっていうか、やっぱ雄勝に戻ろうとか、まあ出て行った人たちもね。何かこう、そういうもうのを埋めるようなものをこう作ってくって事をしないと、ただやっぱりこう今残ってた、残ったお年寄りの人が亡くなってもう本当にこう限界集落とかって言葉で言われてますけど、まあそういう地域にだけはしたくないなっていう…思いは強いですよね。


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上山 正彦さん

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雄勝仮設商店街でお買いものと食事ができる魚屋「南三陸うまいもの屋 洸洋」を経営している上山正彦さん。お魚屋さんのことや神楽のこと、雄勝の将来のことを時々ジョークを挟みながら楽しくお話して頂きました。


海の存在

上山氏: 海でそのレジャーをするって言うよりは、何か海に潜って物を取るっていうのが基本的、基本ていうかその、まぁなんていうのその今でいう密漁とかすごい厳しくもなかった感じの、まぁ地元っていう強み。でまぁ、それが一つの自然体系って感じで、まぁ親なり、その地元の人から言われて、まぁやってるっていう。まぁだから海でバーベキューしたり、そのレジャーっていうのは、もうほんと、高校入ってから、何これっていう感じ。そう、海と戯れるってのはこんなのかみたいな感じで。でしたね


遠洋漁業
上山氏: で結構ね、皆さんは、その雄勝は、その漁師町だっていう、ことを言うんですけど、意外とそうじゃない部分も多いんですよ。あの漁師は漁師なんですけど、昔のーそのうちなおやじもそうなんですけど、遠洋漁業、に乗ってる人が多くて、そこでまず一つのその財をなすっていうか、ある程度の資金を貯めて、それでまぁあの体が動けるうちに、養殖の、をしたりとか。まぁ、養殖をおそくやってんのを、拡大するために一旦船に乗って、あのお金を貯めてっていう
生徒: 遠洋漁業の方が生計は立てやすい
上山氏: 昔はそうだったんです。今あの、まぁ今分かるかどうかあれなんですけど、昔はちょっと二百海里問題とか、あってその、今すんごいあの、漁業ってかその、漁船は色んな規制があるじゃないですか、そこ、他の諸外国と。それが結局、二百海里規制が入って、で、まぁ、言い方悪いと乱獲だったんですよね、日本の船っていうのは。まぁ、そういう部分にたぶんとらえられたのかなっていうのがあって。まーだからとにかく、うちらのおやじだって、おやじ世代の人がたぶん多いと思うのは、その中学校卒業したら、もうそのまま船乗っちゃえみたいな。うちのおっちゃんたちもそうなんだけど、とにかく中学卒業して、あのー、船に乗って、まぁお金を稼ぐ。体丈夫だったらもう一年我慢すれば家建つって言われたくらい、稼げたっていう


震災後の気持ち
上山氏: 震災に、そのー、あって、仕事がどうこうとかっていうのをすごい考えたんだけど、まやんなきゃないのは、とにかく、神楽やんなきゃないなって思って。で例えばその、例えば神楽をね、してて、で震災でもう雄勝なんてもう働ける場所もねぇから、もうもう、まだ、なんとか頑張れる年齢だから、仙台とか東京行って、お金稼ぐかっては考えなかったね。とにかくまずは、道具は流出して、それ探しに行って、なんとかそれこれやんねぇとやばいよねっていう感じ。やばいよねっていうか、やらなダメでしょってみたいな感じ、だったから。だからその、なんだろ、その、あの津波を、またぶん、人生で二度と見たくはない津波だったけど、ま見てしまって。でも、なんか、この世の終わりだって一瞬は思ったんだけど、まぁその波がひけたあとには、まぁ、何とかしなきゃいけないんだろうねっていう感覚。あー、皆建物なくなってしまったけど、ま自分らも生きてんだし、何とかなんでしょっていう。ちょっと楽観的なとこもあったかなっていう感じ


将来の目標
上山氏: うん、でっかい夢ってのは、やっぱりあれですよ。ま、この、今せっかく立ち上げた、その飲食店を極端に大きくする気はないんですけども、まぁ、なんてかな、親しみられやすいお店にして、まぁ誰かにちょっと任せて、で、自分は神楽の方に専念したいなっていうのは、うーん、ありますね。その神楽に専念するっつうのは、なんてのその雄勝のその地域のコミュニティの方に力を入れたいっていう。で、やっぱり、ま、その、自分が神楽をやりたいだけじゃなくて、その後継者の問題がすごい、あのー、やっぱり、なかなか若い人たちが、若い世代がやるっていう、魅力が、魅力作りっていうのがやっぱり欠けてるので。で、ま、うちらは、その歴史上の中では、神楽を継承していく中の通過点の人間なので、これをまた次世代に残すっていう役割がたぶん一番重要だと思うんですよ。なので、そのー、昔からあるものを、聞いた、聞いてみて、伝えて、それをまた次の世代に、そのバトンを渡す役割をしっかりやりたいんだってのが今の自分の中での夢かなっていう


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永沼 のり子さん

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仙台で生まれて育ち、結婚されてから雄勝町に引越してきた永沼のり子さん。雄勝に来たときのことや漁師の妻としてのお話をしていただきました。家事と海での仕事を両方こなしている姿が格好良いお母さんです。


雄勝の良いところ
生徒: 何か仙台と、なんかここが一番驚いた、なんか違いで驚いたとか、なんかどのような違いがありましたか?
永沼氏: あっ、あのね、まず自然は綺麗ですよね。空も綺麗だし、夜空も、星とかね、あと海もすごく綺麗だし。あと、人がねやっぱり、この辺の人は除け者にしないんです。うん、一応人間だから、誰々さんがあぁいう風に言ったとか言うんだけども、いざこうまとまると、必ずどの人も入れるっていうか。うん、そういうところは何かすごいなって。町場だと、もう全然孤立しちゃったり、もう全然話しなかったりっていうのがあるんだけども、もうこっちは全然。うーん、そういうのはすごくびっくりしました


気持ちの変化
永沼氏: うちの主人が五年前位に脳梗塞になってから、一緒に海に行くようになって、初めてこう何か、こうなんていうの、自分の中にあったものがすっきりしたっていうか。うん
生徒: それはなんか、なんだろ
生徒: もやもやしたことが
永沼氏: うん、なんかこう、今までは、そんな、そんなに海とか行ってなくって、なんか私海いーなーって、こうなんか、あんまりいい感じじゃなかったんですね、自分の中で納得できないっていうか。なんでここにいるの?みたいな感じもあったんだけども。でも、病気して、いや、行かなくちゃいけないんだって思ってからは、何かもう、きれたって感じ、です
生徒: じゃその当時の、その海に対する印象とかも全然今
永沼氏: 違います。うん、だから海に行くようになってから、お婆さんも変わったし、私に対して、うん。で、前にね、ちょっと聞いたことあるんです、何年か経ってからね。そしたら、私が途中でここから出ていくと思ったらしいんです、最初の頃。うん、だからなんか、信用できなかったみたいなことを、前に話してくれたことがあって
生徒: それって何年位かかって、そのー
永沼氏: あー、結構ー。このお爺さん、お婆さん亡くなってからくらいかな。うん


気持ちの変化 -漁業に携わる女性-
生徒: なんか、そのお義母さんがなんか認めてもら、海に出てから認めてもらったってことなんですけど。やっぱりここにずっと住んでた人は、海に、で働くってことについて、なんか、しっかり考えとかを持ってたっていうか、そういう何かあったんですかね?
生徒: 特別な想いみたいな
永沼氏: うーん。あのね、ここの地区だけが割と女の人も海に行くんですね。他の地区は、もうお父さんだけとか、ま、ほとんどなんですね、うん
生徒: それってなんで、なんでなのかって
永沼氏: だから、お婆さんは私が海に行くことによって、あっすごいなって逆に思ってくれたみたいなんです。仙台から来て、海に行ってくれてみたいな。うん
生徒: そういう風に、信用に繋がった、あー
生徒: 実際、海出て、なんかすごい大変だったこととかってありますか?
永沼氏: あっ、そういうのはあまりなかったです、うん。だから、自分の中で、こう、なんか、あっこんなことで自分がなんかウジウジしてたんだって、逆に。うーん、そういう感じがありましたね。行ってみたら、全然、何でこんなことで、あっ、こうなんか、悩んでたのかなーって


伝えたいこと
ま、風化させないってよく言うけどもそれはたぶん無理だと思うんですよね。ここに住む人以外の方は、やっぱり自分の生活でたぶん一生懸命になっちゃって、新聞とか雑誌を見て、あっ思い出すって感じだと思うんですね。だから、やっぱり、自分の身にそういうことが起こったら、どうしようっていう判断をしてもらえれば、ま、犠牲者を出さないようにね。一人一人が私たちの二の舞にならないようにしてほしいなっていうのはあります
生徒: 判断っていうのは、どういう判断ですか?
永沼氏: うん、やっぱり、ここでは今まで津波が来ても、上まで上がってこないっていうのがもう何十年もあって、昔からそういう風に言われてきたんです。だから、この浜まで来るはずがないみたいな。でも、実際に来たから。だから、やっぱり、来なかったから来ないんじゃなくて、来るかもしれないっていうのを皆いつでも持っててほしいなって、うーん。だから、子ども達にも言うんですね。地震がきたら、まずどこに逃げようかっていうのを、必ず思っててねーって。で、親は親で逃げるから、やっぱり自分の身が一番大事だからっては、一応言っとくんです。うーん


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阿部 善規さん

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雄勝町熊沢で現在暮らしている阿部善規さん。もともと浜の麓にあった家は流されてしまいました。漁業を通して感じてきたこと、自然と共存することに対して、震災を通して阿部さんが感じてきたことを話してくださりました。


震災に強い漁業
だから災害に、私が思うのは災害に強いって言ったら、もう少しね、この自然を利用したおんなじその手を加えるのも自然に利用、自然を利用したそのやり方をね。それをやればほら、結局は最初は経費かかっても後後はいいと思うんですよ。だからもうちょっと自然に近いやり方でね。最初は手を加えても、自然にその近いやりかた。


震災について
だからその、津波もねー、あの私の、私らはその津波っていうのはおじいさんが昭和8年の津波を経験して、こううるさかった人なんですよ。ものすごいあの津波に対して、あの神経質で、ずいぶんと自分の親が神経質じゃないかと思うくらい神経質でね、地震のあれはとにかく、もう逃げることだったんですよ。もう逃げる、逃げる。地震になったらとにかくみんな起こしてね、もうテレビつけて、自分で起きてきて、テレビつけて、もう玄関もなにもみな開けてね、もうなんていうか早い話、車もなにももう全部エンジンかけなさいで、逃げるそういうね、神経質な親だったんですよ。だから、津波、津波になった時もやっぱり逃げるっていうことはどこか頭にはあったんですけど、ほれで一番うちは下にあったから、とにかく津波に対して神経質だったし、私らはほら、こういう土地であるから、あればこそ、いくら津波来たって、1メーター逃げれば1メーターあがるっていうのは感じたから、それこそ津波そこまで来ても、もうそりゃ命とられるようなことはないんですよね。ただ、結局親の言うことには、結局津波は3回目あたりには、大きいの来るから、っていうから、波が引いていけば、引いて行っただけ大きいのが来るなって思うから。もう引いて行ったとこさは、もう行かないんですよ。だから3回目だから、1回目ここまできたら2回目多分それより多いんだろうって上で見てるわけですよ。そういうなんていうか今まで経験はしていないんだけど、そういう親からなにされたことが自分ではわかってて、結局はほら、思うんですよね。だからまぁあまりこの部落には被害っていうのはないんですよ。船はなんかは流されたけどもね。大抵は流されたけっども、あの、人間が流されたとか、死んでしまったとか、この浜にはないんですよ。みんなそういうことをあれしてるからね。


住めば都
ああ、やっぱりねー。一番落ち着、落ち着くっていうのが一番かなぁ。でやっぱあの、やっぱり、昔っからいるし…で残ってる漁師さんとか結構残ってるし、別に雄勝いて、こう退屈するっていうことがそんなないすよね、うん。なんか普通にいる、みたいな。たのしい…楽しいわけじゃないですけど、まぁいて一番楽なところです。雄勝。その河北町とかにいるより、雄勝にいた方が楽だっていうことです。楽っていうか、気持ちが。まぁあんな津波とかもあったんだけど…一番いやすいところです。だから残ってるっていうところは、まぁそういう感じですか。


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佐藤 一さん

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雄勝町では若い漁師さんで、震災後は仮設住宅から海に通っている佐藤一さん。漁師としての仕事や震災後の復興についてお話していただきました。


雄勝で続ける理由

生徒: もしその外に出て、新しい生活を始めるとしたらどういうことをしてたと思いますか?その新しい生活を、どうなるかなっていう
佐藤氏: そうだね、漁業を再開できるのかできないのか。で雄勝で漁業をするのか、ほかの土地に行って漁業するのか、またはまったく漁業関係ない仕事につくのかで考えて。やっぱ6割7割ぐらいは雄勝に戻って漁業なの。それが駄目なんだったらどうしようなかみたいな。でまあ他の仕事をしてっていうのもあったけど、もうなここまで40過ぎまでやっちゃうとなんかほかのこともね、そういう自分がイメージできないっていうか。感じにもなっちゃってたなぁ。
生徒: そこまで雄勝にもどるってどういった、そこまで雄勝に戻りたいって
佐藤氏: うん、どうだろうなぁ。実際仙台に行って暮らして半月まあ向こうにいたわけじゃない。で、こっちにきて思ったのが、この浜の匂いっていうか、海の匂いっていうか、浜の匂いっていうかやっぱり落ち着くんだよね。でうん。ここで仕事したいなみたいな。それぐらいかな。


震災後の海の仕事
生徒: さとうさん自身はその震災前と後では、海で働くっていう気持ちとしての変化は?
佐藤氏: ないな。変わらず。淡々と仕事をしているというか。どうなんだろうな、津波がきて悔しかったといえば、悔しい。ただ自分の場合は、なんだろう、うん、どうだろうな、まあまあ。そこまでなんかこうまあ一応津波はくるくるって思ってたんで、だってまあ海の仕事をしてて津波でやられちゃうっていうことはある程度考えてたんで、半分しょうがないなって。なんか潔すぎるけどね。だからそういう覚悟があったからあんまり心折れるまではやられなかったのかな、たぶん。


漁と海
生徒: 海ってどういったものなんですかね、佐藤さんのなかで
佐藤氏: 海。どんなもの。難しいな。結局はこの天気が良かったり悪かったり風が吹いたり、なかったり。これは雨だの雪だのまあ自然と仕事を一緒にしてるよな感覚かな。あとはもう本当に結構一人で漁、漁に出てるときは疲れたなあ。やめようかな、もうちょっとがんばろうかな、みたいなぁは自分とのそういう感じで、あとはもうこの天気が悪くなってきた風吹いてきた強くなるなどが、そういうのがもうちょっと頑張ろうとか、もう早めに止めた方がいいなみたいな感じで見てる。海も一緒かな。なんか常にそばにあるというか、そこにあるっていうか。感じですかね特別なわけでもなく、なかったらやだなみたいな。


復興とは

生徒: 佐藤さんにとって復興っていうのはどういう状態で使うのか?復興を終えるということはどういうことなのかとか?
佐藤氏: うん。なんか。うん。微妙だよね、実際は。復興って。だって仕事はこうやって船持って、んで震災前とおなじぐらいのものができて、で当然船も自分のやれる範囲の自分のまわりはなんとか震災前の形に戻しました。でもあの漁港整備とか、宅地だとかっていうものは自分で頑張ってどうにかできるものじゃないじゃん。行政の仕事だから。だからまあ、自分的にはもう復興っていっていいんじゃないの。あとはもうどんどん稼ぐしかないし頑張るしかないし。って思う反面、そういう自分が手が出せない所っていうのはまだまだ復興にはほどとおい。復興できるのかみたいなっていうまだレベルでしょ。だからなんて言っていいんだろうね。自分の中でもまだよく分かっていない復興とは何か。だって完全に震災前に戻すぞと、でもそれは無理な話だから。人そのものが戻ってこないって言ってるし。実際にまあ、自分ら漁業やってるから海の近くに住みたいで海の近くに住みたいで、船の見えるところに住みたい言って戻ってくるけど、実際、サラリーマンとか会社員は実際雄勝に戻ってくる必要がないんだよね。今石巻だとか、町場にいた方が、雄勝にいた時よりも超便利だし、みたいな。まあ郷土愛あって、やっぱ雄勝だよねっていう人が中にはいるかもしれないけど、たぶんあれじゃない。高台移転して帰ってくるのってほとんど高齢の方じゃないかな。なんかこう産まれ育ったところで死にたいみたいな方々は戻ってくるかも知れないけど、ある程度、このなんだろう、40代五十代五十代より下はそうそう戻ってこないと思う。だって便利だもん。まああとはどんだけ雄勝を愛しているかみたいな。どうなのかな。


メッセージ

佐藤氏: まあ気軽に浜に遊びに来てほしいかな。結構ね震災前はさ、この浜に遊びに来る釣り人とかさ、あとは普通の家族づれでもそうだけど、なんかじゃまくさかったのね。で実際来た人たちは飲み食いしたゴミとかもそのままそこらへんに置いてくしそのマナー悪くて。。ですごい煙たがって嫌がってた人とかも結構多かったの、自分だけじゃなく。でもそれは自分の気持ちの受け入れ方ができてなかったっていうのもあったなとかって反省して。震災後も色んな人に手伝ってもらって、色んな人と知り合って、ってやったじゃん。で実際今度漁業っていうものを知らない。自分たちが作っておいしいもの届けようと思ってるのに、そのホタテがどういう風に作られてるのかわからない。ああそうかと、帰ってきてもらったら、来た人に気軽に声かけて話して、で漁業ってこうだよと、こうやって作ってるんだよって見せることによって、その人が興味を持って食べるようになれば。今魚介類離れとか魚離れとか言わるじゃん。そういうのをなんとか取り戻そうと、食育だとか力入れてやってるけども。そんなね、伝わってるのかどうかわからないことをするよりも、遊びに来てくれた人とこうやって話してた方がよっぽど効果あんじゃねえのかなって思って。しかもどんどんおいしいおいしいって食べてくれるとこっちも嬉しいし。これからは心を入れ替えてみなを受け入れようと思ったな。だから気軽に遊びに来てください。



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今野 瑠理さん

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これから養殖業を始めたいと考えている今野瑠理さん。雄勝町の豊かな自然が好きで、震災後も雄勝町に住み続けたいとおっしゃていました。


雄勝に残る理由

生徒: 雄勝町にずっと住み続けようと思った理由は何ですか?
今野氏: 一番はやっぱりこうおばあさんのそばにいたいっていうのもあるし。この桑浜っていうこの場所が好きなんですよ、一番は。自然が好きなんで、そうですね。もうあっちっていうか石巻の方には住む気がないっていうか、おばあちゃんになるまではずっとここにいたいですね。
生徒: 石巻市内の方へ買い物に行くとおっしゃてましたが、石巻はこの町とは違いますか?
今野氏: そうですね、確かに石巻のあっちの方に行けば、買い物も普通にできるし、豊富なものはいっぱいありますけどやっぱその空気はあっちはちょっとあれなんですよ、自分は合わないというか。やっぱここにいて少し散歩するだけでもすごいリフレッシュできるっていうか、その安心感もわくし。あと何より人の良さがすごいここいいので、あっちに出ると知らない人ばっかりっていうのもあるんですけど、人のふれあいが欲しいというか。このはい、人の良さが一番いいので、やっぱここにいたいと思うんですよね。


町から引っ越す人
生徒: この町から引っ越す人と引っ越さない人の違いは何ですか?
今野氏: 養殖業が全部一旦だめになったんで、もう一回するのにはすごい多額のお金もかかるし、それでやっぱ出稼ぎっていうかあっちで仕事して暮らした方がお金もかからないし。あとはここはあの、おんちゃんっていうか年結構いった人っていったらおかしいんですけど、結構あの老人とかしかいないんで、あっちの方が住みやすいというか、あっちの方にその娘息子がいるから引っ越すっていうのが多くて、なんででも一番は漁業ですかね。できなくなったんで引っ越そうっていう
生徒: これからるりさんはどのようにこの町で暮らしていきたいですか?
今野氏: そうですね、うん。私も養殖したいと思ってるんですよ。少しの養殖でもなんていうんですか、お金にならないのはわかってるんですけど、少し人残ってほしいので、自分が若いほうなので若者が養殖とかなんかしたら少しぐらいこうなんていうんですか、こういう若者もいるんだっていうことで、桑浜じゃなく雄勝町にこう戻ってきてほしいっていうのが望みというか、少しその気持ちはあるんですよね。


復興の様子
今野氏: 実際本当に復興ていうのが進まってるか分かんないんですよ。道の桑浜漁港もまだこう整備もされてないんで、なんで違う地域は整備されているところは整備されてるし、今してるとこもあるんですけど、桑浜っていうとこはなかなか進まないんですよ。だから確かに漁業の養殖は始まってるっていう復興はできてるんですけど、漁港はまだこう石だらけってのもあるし。そうですね。


ボランティア
生徒: ボランティアとしてはこれからどのような形で携われると思いますか?
今野氏: そうですね、本当来てくれるっていうその気持ちだけでうれしいんですけど、やっぱボランティアの人たちも話しかけてくれるんですよ。それはすごく自分にとってうれしいし。もちろんここもきれいにすごいしてくれたし、こう個人で来てくれる人もいるし、団体で来てくれる人もいるんで本当感謝してるというか、ここもなにかできるみたいですけど、できた後もどんどんボランティアさんに来てほしいですね。何も仕事がなくても遊びに来てほしいというか、それだけでも人口増えるというのもあるし、一瞬だけでも。なんで本当来るたび、毎回楽しいですね。


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