奥様と仮設暮らしをしながら布団屋を経営されています。雄勝生まれ、雄勝育ち…60年住んだ雄勝は決して嫌いになることのできないふるさと。そんなふるさとが今置かれている現状、進まない復興への歯がゆさ、将来への不安を語っていただきました。
雄勝の現状
まぁ、この雄勝も今どうにか形の中でいろんな構想出てるんですけども、まぁ私の持論なんですけども、まぁ私も役職がらまちづくり委員会の委員だったりなんかしてまちづくりにいろいろ話し合いの中にはいってたんですけども、正直歯がゆかったですね、ものがすすんでいかない、そしてまちづくり委員会でみなさんの意見聞いてやってくんですけどのその中でこれがいいんじゃないかなってやってもらうのは本署にいってペケにされるのいっぱいあったんですよね。で、一転二転三転していくなかでこうやってくんですけど、まぁおたくたち見るように雄勝の町ってほんとにすすんでないでしょ、あの、いっぱいこう形はできてるんですよ構想は、でもなかなかすすまない。まぁ何が原因なのか私らもよくわかんないんですけど、まぁ一年ましに、わたしらもそうなんですけど、地元に残ってこう頑張ろうっていう人が1年2年経っていくとなんだ住めないんじゃないかとか全然動きがないから離れてく人が多くなった。一番怖いですね。
雄勝に残る理由
生徒:その、中村さんが雄勝に残る一番の理由ってなんですか
中村氏:私はね、今は形をどうにか戻してやりたいなって気はあんのね、ただ私は今ここにねこれからずっと雄勝にいるのかっていわれるとちょっとかんがえるのね、っていうのは私は今船越で生まれて60何年ここで住んでふるさとを嫌いな人は誰もいないのね。ただ自分がこれから年取っていくといろんな面での心配がある。だから今は自分がやれるうちはやりましょうって自分の力でできること微々たるもんですけど、だからそれを今はとにかくやりたいなって、自分なりにはね。で、あんまりかっこいいこというとあれなんですけど、かっこいい話じゃないですけどそういう質問されると、中村さんはこの雄勝の町をなんとかしようと一生懸命がんばってんだべなっていうとそんなことない何にもやってない、そうでなく自分が出来ることは何かそこなんですわたしは。
コミュニティーの崩壊
生徒:その周りの人とのつながりっていうのは震災前と後で変わったようなことってありますか
中村氏:いや、変わってないでしょ、うん、ただ遠くなったのは遠くなったよね。船越の場合は、今でも住んでる人は10人くらい、10人いないと思う。3世帯10人くらいだね。それで、まず私はもう、部落のこのコミュニティーが崩れるのが一番おっかなかったのね、っていうのは今質問あったように雄勝の船越に生活している、普段いろんなものを分け合ったり話し合ったりお茶飲んでたりしてたような、ポンと離れてしまったのね。したらそれが崩れてしまうのがおっかなかったもんですから、月に1回ずつ集会開いたんですよ、で、集会を開いて2年ぐらいそういうことやって、それでみんなのコミュニケーションを深めていったんですよ、でも、時が経ってしまうとなかなかそれもままならなくなってきたのもじじつです。船越を好きなんだけれども現実すれば足が遠のいてしまう。やっぱり海があって海にいろんなものとりにいってるうちはいいんだけど、石巻の都会に住んでね、ここに何もようないのにくるかっていうとこないよね、それが現実。だから昔のコミュニティーそのものっていうのは崩れてしまったね。
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