20130518 大野達弘 5

(質問:やっぱり有機栽培ですと、健康意識が高いお客様が多くいらっしゃって、原発事故後その方々との関わりがなくなってしまったという有機農家の方もいらっしゃったのですが・・・)

“(当然それもあったし、ただ、あの、)完全に切れないっていうのは、その、我々がどうこうしたからってわけではないってことは、向こうの人たちも、あの、百も承知はしていてくれるので、だから、逆に、一般で栽培していた人たちよりは、もちろん意識が高い人たちのグループ・・・例えば大地の会なんかもそうなんだが、だから例えば、大地の会とかなんかだったら、その福島の応援セールとかって、まあ、いいことかどうかっていう問題はあっけっども、高齢者を中心に、なんとか協力を、じゃあ組織化すっかとかなんかっていうようなことを、あの、向こうの方でも積極的に考えてくれるし。あとは、今までこう別な組織なんかでもね、ここまで一緒にやってきたんだから、その、今までの分はきちっと支援できる体制はとるかなっていうような、もちろん、その、基準越えをしたり、そういうことではダメだし、あとは、その、基準以内だっていうことに限らしてもらうけどもっていう条件はついていいんだけども、それが、幸いなことにほとんど野菜測っても、その時期葉っぱの状態で降り注いだもの以外には、その土地に種を蒔いて作ったものからは、放射性物質はほとんど移行していないのね。だからそういう点では、そういうまあ見てきたかどうかはあれなんですが、道の駅なんかも中心にそういう検査機をいち早く導入して、で、自分たちが食べるのも、測って安全性を確認されるとか。あとは、それをなんていうの、理論の言い訳にするような人も出てこないとも限らないんで、それを言い訳にさせないようにするのには、きちっとした検査をして、これは本当に安全かっていうのを、確認する必要があるなっていうのがあったんで。”

20130518 大野達弘 4

“ご自身が、もし「有機農業とは?」って聞かれたら、どのように答えられますか?”

“だからその、そういう「有機農業」って幅が狭いような気がするね。もうちょっと人間と人間の有機的なつながりだとか、地域のつながりだとか、そういうもの全体を通したことでの「有機農業」っていうようなことの方が、この地域の人たち、その農薬多少使わざるを得ないような人だっているよね。でも、それはそれで、あの、じゃあちょっとでも少なくできたら、じゃあそれはそれでいいんでねえの、って。「絶対ダメだ」とか、ここんとこシート張ってこないようにするとかって、そこまで限定しなくちゃいけないことでもないような気がするな。いろんな人と、こう、つながりを持つっていうようなことの方が、あの、大事だよなっていう。俺は個人的にはそう感じているんで、だから、あの、今有機農業にもね、例えば、「有機農業」って栽培ができないだとか、じゃあ「特別栽培」にしようとか。あの、「減農薬」にしようとか、色んな、あの、ある種あっていいと思うんだが、その人の哲学によってそれはそれでやっていけばいいことだから。だからそれが、「この方法でねえと絶対ダメだよ」っていうようなことだと、ちょっと目先が狭いよなって感じはするね。”

20130518 大野達弘 3

“だから色々地域には、その新規の人が来て、新規の人が新たなそういう地域作りやろうっていう地域がもちろんあっけっども、ここはもともといた農家が中心になって、そういう風な人たちを、どう進出できるかってことを考えながら、一緒にやってくっていうようなやり方で、だからワイン作りをしようっていうのも、あの、新規で就農したのが一人入ってるのね。だからそれは、あの、農林省のキャリア職員だった人なんだが、だからそういうような、いろんな醸造の申請事務だとか、あとはなかなか独自財源ではなかなかないんで、補助事業の申請だとかっていうのは、あの、なんとか事務局がやってくれないかってことで。で、そういう人にはそういう能力を発揮して頂くようなことで、あの、まあなんていうの、来た人がそれぞれの役割すぐにできるし、あとは、まあ来る時点で言うんだけども、ここで農業やるような方法はなんとか支援すっから、あの、支援してもらうだけじゃなくて、じゃあ自分がこの地域に何ができんのかって、これをきちっと考えてほしいんだって、あの、こうずっと新規にきて研修の段階からこういう風な話をしながら、まあ何をやりたいのかってこと中心に色々聞きながら、そういうやりたい方法を、まあ支援できるようなことは今までずっとやってきたつもりですけどね。”

20130518 大野達弘 2

“今はなくなったけど、昔、この「青年団」っていう組織があって、大体この地域の中、この東和地域の中でも200人くらいの会員がいるくらい、だから横のつながりその時代から、どこに誰がいてどういう仕事をしてる人だっていうのは大体この地域の人は大体わかるような、そういう組織があったのね。今はそれが少なくなってきてるが、だからそういう中で「あいつならやれそうだ」とかそういうような人・・・あとは、農業中心にやっている人なんで、だから、「どうだ?」っていうことを声かけなんかしてると、そう、組織的なものを作っていくのにはそう難しくねえんだ。”

“だから今、あの事務局長に話聞いてきたと思うけども、あの、NPO法人のゆうきの里立ち上げるっていうときだって、そういう下地があったから。で、そういうとこで活躍してきた人、色々やってきた人っていうのは、「じゃあこの地域どうしよう?」っていう、常にこの問題意識を持ってる人たちだから、じゃあ合併を機にこういう中山間地域をじゃあどういうような方向にすれば、自分らここで生きていけるかってことを、じゃあみんなで話し合うだけでなく、行動できるような組織作ろうっていうのが、そもそもの、あの組織の始まりだから。”

20130518 大野達弘 1

“あとは震災前までは、冬の間で原木のシイタケをやってたんだな。それが今はあの、この阿武隈山系の木を使うってことはできなくなったんで、これはもう廃業、代わりに何をすっかっていうことがね、今、あの、問題になってるっていうか。”

“やっぱりこういう中山間地域だから、そこを利用するっていうようなことをしていかないとなって思って、今だから山菜っていうか、山ウドのあの、ちょっと促成栽培をしようかなって。あと、時間があったらちょっと見てもらえばいいんだが、あの、そういう、テスト始まったり、あと、仲間と一緒に、あの、ワインを作ろうってことで、今ブドウ植え始まったり。”

20130427 有馬隆文、梅谷勝義、柳瀬総一郎 1

「農業じゃない道はもう行かないですよね、もう一回決めたので、そこはやっぱり、しばらくは続けたい。」
「やっぱり福島県でやりたい。っていうのがベースであるんですよ。だから震災が起こって、放射能でだめだよってなったら、やむを得なくなるけど、そうじゃなかったらここでやりたい。」

20130518 菅野瑞穂 4

Fukushima Mizuho 4

「できるだけ私は、その、女性でも男性でも、若い人でも年配の方でも、色んな人が地域に入ってくれるようなことを目指したくて、そのために今、一つはツアーもやってるし、あとは、農家民宿もどんどんでき始めたりとか、あと、そういう交流の場、みんなでお茶しようとか、

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20130518 菅野瑞穂 3

 

「今は本当に東京生まれ東京育ちの人も多いし、一つの農家とのつながりを、パイプを作っておくことによって、ある意味、自分のね、体を守るためには、食べるものってすごく重要ですし、これから、たぶん、そういう時代っていうか、そういうのが重要になってくるってすごい感じてます。」