20130526 渡部健光、小山要一、穴沢幸広、香坂敏也 5

小山さん: まあ実際、あれですよ、事故のすぐ後、有機農業は辞めようと思ってました。実際どうなるかわかんないし。で、まあもちろん有機農業自体は辞めないんですけど、あの、結局、市場に出すのをやめようと。有機農業の製品として。は、考えました。ただ、あの、まあ色々、ね、調べてみると別に危険がないと。で、危険がないのに辞める必要っていうのは、もう思いつかないんで。で、まあ辞めるのをやめた。うん。一時期やっぱり、だいぶ考えましたよ。これ、こんなもんを市場に出していいのかと。「こんなもの」って、まだあんまり状況がわからなかったんですけど。まああの頃はもう福島県全体が汚染されたっていうようになってましたから。

(質問)その、辞めようと思ったのをやめたのは、事故からどれぐらい・・・

小山さん: そうですね・・・まあ、半年ぐらいですかね?ちょうどあの、半年まではいかないかな?ちょうど地方が冬だった。で、作物がない。で、作物を実際出す段階で決めなくちゃなんないっていう段階で。でまあ色々検査とかして。で、出ないと。で、出ないんなら出そうと。もちろんそこで放射線が出てたら辞めてたかもしれない。ただ、出てないのに辞めるっていうのは、自分の意思ではない。

20130526 渡部健光、小山要一、穴沢幸広、香坂敏也 3

(質問)検査の要請がだんだん薄れてきたんですか?

小山さん:そうですね。もうこっちの方はほとんど出るってことがないですからね。もうほとんど数字で出てこないんですね。会津の方っていうか、こっちの地域は。通常だと、まあ出てればやるんでしょうけど、出てないんで。だんだんまあやる意味がなくなってきた。ただそれをね、県外の人には知らされてないと。

(質問)あの原発からの距離が、会津の距離が、仙台と変わらないって聞いたんですけど・・・

小山さん: そうですね、ちょうど100キロぐらい。直線で。

(質問)仙台と会津若松だとどうしてもこう、「福島県」っていうのがあるので、やっぱりお客様からの考え方が変わってくるわけじゃないですか。そういうことについてはどう思われますか?

小山さん: しばらくはしょうがないでしょうね。だってね、そう思った人はね。

渡部さん: 「いやでも距離一緒です」って言ってもね。しょうがないですからね。

小山さん: まあそこまで言う必要もないですし。

渡部さん: 言う必要もないですし、言う気もないですし。ね、栃木の那須とか、あれも距離的にはあんま変わらないですから。直線距離は。うん。まあそこ測ってないのになんでうちばっか測るんだって言っても、子供のケンカじゃないんで。まあもちろんこちらもそんなに数値的にも全然出てないっていう安心感もあるから言えることなんでしょうけど。うん。

20130526 渡部健光、小山要一、穴沢幸広、香坂敏也 2

(質問)特に有機のものを買う人って健康意識が高い人が多いって聞いたんですけど、やっぱり風評被害みたいなものは・・・

小山さん:ありますね。で、こっちの方でお米にしろ野菜にしろ、全て検査して、あの、放射線量っていうか、まあセシウムがどれくらい含まれてるかっていうのを検査してもらうんですけど、それで出ないっていうのがどうも信用できないらしくて。うん。まあ今は多少変わってきたんでしょうけど、えっとまあ、「1ベクレルも出ないのはおかしいだろう」っていう人が必ずいて、ええ。で、この辺は、あの風向きの関係でちょうど流れてこなかったんですね。で、まあ「福島県なのに1ベクレルもでないのは嘘だろう」っていうので、もうだいぶ客離れました。

20130707 加茂直雅 3

食べ物に関しては、いわき市の放射能の状況っていうものを知ってますんで、意外とその浜沿いであまり蓋を開けたらいわき市はそれ程心配する程の放射能ではなかったこともわかってますんで、まぁいわき市内で検査してスーパーに並んでるものは検査済みのものがほとんどなので、そういった面では全く気にせず食べておりまして、実際健康面でも特になんかおかしいなとかそういうのは感じておりません。

20130706 草野城太郎 5

あの、先ほど、その、ご近所の方で、東京電力に勤めらっしゃる方がいる、って仰ってたんですけど、その方は、あの、なんていうんでしょう。その方と直接、事故があってからお話は。

あ、はい。してます。

どういった風に、その事故について語られますか?

あ、事故の話はしないです。

あ、しないですか。

僕も聞かないですし、向こうも言わないですね。

あ、そうなんですか。

もう起きちゃったことなんで、どこがどうなった、なんていうのはニュースで見てるだけで十分ですし、その人らに聞いて、それからの関係がぎくしゃくするのもいやですし、それだけで十分かな、って思っていて。あの、僕ら農家も大変だけど、まあ、電力会社も大変だよね、っていう、その程度の話ですね、いつもするのは。

結構、理解、お互いに理解をし合ってる。

まあ、うん。してる状態ですね。

村の中で非難をされたり、っていうのはないですか。

あ、その方は避難しました。

すみません、あの、非難の漢字が。責めるの方の。責め立てられたり、村八分になったりっていうのは。

あ、しないです。誰もしないです。その人のせいでああなった訳じゃないですし。まあ、その人も、もう、自分で社員のひとりだったことは、そうなんですけど、誰も其の方を責めたって直るわけじゃないしね。だったら、ここからの安全な原発を、まあ、廃炉に向けての話が多いんでしょうけども、まだまだ、原発、あれを解体して、更地に戻すまでは、もう何十年ってかかるはずなんで、それまでの仕事はもう決まってると思うんですよ。それに、粛々と仕事をしてもらえればいいのかな、と思ってますし。あの、東京電力の社長が悪いわけでもないですし、誰が悪いわけでもないと思うんですよ。ああいう、自然災害なので。あれは、もう、防ぎようがなかったっていうことで。防げるものは防ぎたいんですけれども、防げなかったことだからこそ、誰も責める訳でもないですね 。

20130706 草野城太郎 4

あの、まあ、まだまだ、放射能が高い地区がまだ福島県にはあって、たまたまいわき市は、まだ低いんですね。あの、低いんですけど、まあ、ちょっと、ガラスハウスの向こう側に山があるんですけど、山の裏はちょっと高くなっちゃってて、ここが低いのは、山があって、風がそこの山より下に抑えてもらって、そのおかげでたぶん低いんだろうって言われてますけど、まあ、そうですね、あの、食べ物に関しては、もう普段どおり食べようよ、と。水も、あの、検査して、問題ないんだから、飲もうよ、と。ただ、生活する場所が、人によっては、ちょっと放射能が高いとこもありますんで、まあ、やっぱ、うん。小さいうちだと、甲状腺の問題とかあると思うんですけれども、うちの5歳くらいになってくれれば、まだまだちょっと不安なところもあるんですけど、そうですね、食べ物が一番影響を受けやすいとは思うんですけれども、喉を通っていくんで、でも、検査して大丈夫だから大丈夫でしょう、っていうのが、僕らそういう感じでやってますね。ただ、あの、食卓に並ぶのがめっきり減ったのは、魚ですね。魚はだいぶ減りましたね。このいわきも含めて、福島県では、漁はできないんで。だいたいスーパーに並んでるのも、近くて茨城とか千葉とか。あとは上のほうだと、岩手辺りの魚が来るんですけれども、魚はまだちょっと控え気味というか、僕らは影響ないんで大丈夫だと思ってるんですけれども、子供にはもうちょっと考えさせてみようかな、と思ってる状態ですね。

一消費者としては、そういったことも考慮に入れつつ、食事とか、食べ物も考えてらっしゃる。

まあ、少しですね。

20130706 草野城太郎 2

お子さんは何歳なんですか?

子供は、うちのは子供3人居るんですけれど、女の子、男の子、男の子で。一番上が10歳になって、真ん中が、7歳、3番目が5歳です。

一姫二太郎ですね。(笑)

そうですね。たまたまなんですけれども。いま、忙しくやってますけど。僕ら生産者の子供として、あんまり間違った教育はしたくないな、ってのがあるんで、あの頃はこうだったけど、今こういうちゃんと検査して、安全なんだよ、って言うことで、子供らには、そういうことは言いながら、まあ、食事をさせてますけども。よく、いわきの農産物は、やっぱ、まだ危ないから、とかって、あの、敬遠されてる部分もあると思うんですけれども、まあ、これだけ日本全国で検査してる野菜も、まあ無いと思うんですよ。まあ、僕ら生産者みんなそういって、こういう結果が出てるんで、安全ですよって言って、出荷したり、あとは、直売所において貰ったりしてるはずなんですけれども、まあなかなか、その結果がまだ伴わないって言うか、なかなか反映されてないですね。

20130706 草野城太郎 1

やっぱり、あの、年間同じところで5回採れるんですよ、これは。で、5回採れるので、だいたい2ヶ月ちょこっとくらいで成るんですけれども、まあ、その間、やっぱ、これを出荷しようと思って作ってたのが、まあ、滅多にこういう捨てることなんかないので、だからちょっとがっかりはしますよね。まあ、お金にならないのがいちばん大きいかもしれないですけど、それ以上に、やっぱ、スーパーに並べてもらえないとか、あの、食べてもらえないっていうのが、僕ら生産者にとっては一番つらいところですね。はい。1635まあ、それでも、やっぱ、小さい子供なんか持ってる家庭、うちもまだ小さいの居るんですけど、だから、気をつけてもらわないといけないなあ、ってあの頃は思ってたんですよね。だから、うちの野菜が食べられないのも仕方ないなってそのときは思いました。

その時っていうのは、震災後。

震災直後くらいですね

今2年たってみて、その気持ちはどうですか

そうですね。その頃のは、あんまり思い出したくないのは確かですけど、でも、まあ、その、それを糧にもっとがんばろうと。今はまあ、平常どおり、平常心を持ってやってますね。

20130706 白石長利 3

思い出したくない部分とかもあると思うんでそこはスキップして頂いていいんで、あの311が起こって、そしてそれから一週間、一ヶ月ですね、どのように心境が変化していったかどのようにイベントが進んだか、簡単にお話頂けますか。

震災、ちょうど震災あった日が、今、まぁ長女かな。生まれて、生まれたのが3月4日だったんですよ。でちょうど一週間後に退院っていう事で。で、退院して、ここで家族で飯食って、お茶飲んでるときに地震が起こったの。でまぁそれで地震になって、まぁでかかったなぐらいの勢いで、でもテレビつけたら津波が来るつって。で、一番心配だったのが、そのあの、草野さんのハウス。おんなじハウス。あれガラスでできてるから。で結構草野さんとかバリンバリンに割れたりして、で多分もうこの大きさじゃもうバリバリに割れてるだろうなと思って行ったら、一枚も割れてなくて。おお、と。ラッキーと思ったりして。で帰って来たら今度津波の映像見て、うわラッキーじゃねぇしって思って。じゃあいわきにも来んのかなって。んでも、行こうとしたら、目の前の道路が渋滞で、ダメだ行けないわっつって。当然電話も繋がんない状態だったし。

でまぁそれで、まその日はどうしようもないから。一番心配だったのはすぐ下の妹が宮城の多賀城っていうとこに住んでて、まぁ嫁で行って、で電話も連絡つかなくって、多賀城も津波でやられたっていう情報が入って来て、まぁ結局は玄関すれすれまで水来て、セーフだったんで。まぁ死んだ人とか怪我した人とか周りの身内にはいなかったんですけど。で、次だっけ原発が、ボーンて爆発したでしょ。でそれ見て、あぁもう終わったなと思って。でそこから、ちょうど次の日になったら、電話が使えるようになって、で爆発して急いで、折笠(農家仲間)とか状況とか電話して、どうなんだろうこっちねぇみたいな、全然情報無かったし、まぁでもヤバいよねって話で。で、一週間はずっとここで、うん、まぁ何もやらず。まぁ俺は近くのガソリンスタンドとか、ガソリンとりあえず集めれるだけ集めてで、一週間後に常磐道が、高速道路が、走れるっつうことになって、まぁでも、うん、赤ん坊もいるし、で嫁さんの妹が東京の葛飾区に住んでて、それでとりあえず送っていって。で、2,3日あっちのほうにいて、あっちで買えるものは買って、商品や食べ物とか。で、俺だけこっちに戻って来て。

そっから飲み会の日々。なんもやる事無いっしょ。だから友達と、呼んで。でうちは米あったんで、米とか、野菜はもうさすがに手を付けられなくて。まぁねやっぱ食べ物とか。うちの親戚が井戸水あって、水道も出なかったんで、水が。それでその井戸水は、もう原発爆発してすぐに調べてもらって、でその近所にでっかい老人ホームがあるんですけど、そこでもやっぱ水使いたいっつうことでこの井戸が多分いわき市で一番早いくらいに、水質調査をやってもらったのがあって。で、たまたまうちにあの、300リットルくらい入る黄色いタンクを新品で買っておいて、なんも使わなかったんで、それを軽トラに積んで、こっから15キロくらい離れたとこの井戸に毎日水汲みに行って、で、このへんの近所の人だとか、水、ね、用意できない人の分とかまで用意して、でねやっぱね、人間ね、頭洗わないとおかしくなってくるよ。風呂入んなくてもいいんだけど。頭洗わないとなんかもうイライラとか不快感。風呂入んなくてもなんとか。頭と、足が、洗いたくて。やっぱみんなもうだんだん。