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野口一子さん

インタビュー一覧へ戻る 宮城県仙台に住む野口一子さん。閖上に知人がいらっしゃるそうで、閖上にもまた行きたいと言います。旦那さんを震災前に亡くされ、震災当時一人で、とても恐怖を抱えていたと語ります。 震災時の恐怖 ほんとに怖かった。その揺れるのが大体あれほど大きくなくても大体ずっと続いてたんですよ。そして雪が降ってきたでしょ。で、まあ日中まだ会社がやってる時間には寄ってきたりしたけども、夕方になったら誰もいなくなったの、この辺に。それで怖くてもう家にいられなかったんです。それで、明るい時傘さして、鍵かけて。でも、鍵もみんなかかったし、トイレも壊れて、今もまだ壊れてますけど、壊れても普通に使えるんです。それで怖くて一人で家にいられなかったから傘さして町内ずっと歩いてたけど、誰もいなかった。で、小学校がずっとあるんですけど、行ったとこにね国道のとこ。で、そこがそういう時に集まるとこだったの。私そのことなんかちっとも頭になかった、もう怖くて怖くて一人でしたから。それでここ歩いてて、でも家に入るのは嫌だなあと思って。。 震災直後 そして市役所こう見たら明かりがこうこう付いてたんです。だからあぁユミにも子供にも連絡しなきゃと思って、どうせダメだと思うんだけど、ここ通じないんです電話は。それで市役所行ったの。そしたらロビーが一杯人がいて、そして公衆電話がダーッとあるからそこをみんな列になって待ってて、やるけども、どなたも通じないの。三回ぐらい回しては交代して。私もダメでしたけども。 こんな目に遭うとは そして怖いなーと思って、また外でなきゃなと思ってたら、ミゾグチさんの奥さん迎えに来てくれて、家に行こうって言われてまた。そして泊めてもらって。一人はもう心細いわ、怖くて。ほんとに・・・こんな目に逢うとは思わなかったってみんな思ってるでしょうけど。 怖い思い あのーこういう怖い思いすると、地震というものが怖いと思うようになるのね。そんなに地震なんて大きいのにあったことなかったから、そんな怖いと思ったことなかったけど、ほんとにもうちょっと揺れてもあの頃はもう・・・ドキドキドキドキしましたよ、うん。 Q:今はその怖い気持ちって少しずつ薄くなりつつあって。。 ええ、ありますね。。。雨漏りだけが怖い。 仙台の復興 Q:現状とかっていうのはニュースからわかりますか?復興してるとことか・・・ そうですね。大体わかりますね。まあまあですけどもね、うん。だけどあのー、国だってそんなにお金無いし、市だって県だってねあれですから、そう思うようにトントントンとは行かないですよね、これはね、完全にね、復興ってね・・・だから・・・まあ、これはしょうがないですよね、徐々にだね。 Q:仙台の復興はもう早かった。。。 仙台はね、やっぱりね。で、私あの、高校の同級生とかがもう仙台が津波でなんとかなんて言ってみんな心配してくれたけど、この、私達の所は海に近くないから大丈夫でしたよみんなね。 心の復興 まあ仮設は可哀想だもんね。さっき言った(テレビで放映されていた)おじさんに、ほんとに狭いとこ、台所があってここでご飯食べて、こうやって小さな部屋があるぐらいなんですよね。おじさんは多分ここに休むんでしょうね。そしてその男の子まだ高校生だっていう人が・・・お兄さんと一緒なのかな、まあ二つぐらいしかない部屋でしたね。だから・・・ほんとに狭いもんね。だからカビるでしょうね。あの、人が大勢集まったとこも温度上がるでしょ。それとおんなじだもんね、狭いところにねいれば。でもあの男の人も卒業して、中学校だったのかな、そして高校三年終わって、今年あたり就職したかもしれない、その弟さんの方。お兄さんは勤めてたんだっけね。何回もやったわ、その人たちのこと。かわいそうに。だからあまり笑顔とかなかったね、その男の人。可愛がられてたでしょうにね、まだ中学生ぐらいだったらね。そういう人一杯いるんだろうね。 Q:そういう仮設に住んでる人は、やっぱり家がないってことで、なんか心の復興っていうか、すぐに同じような生活に戻れないっていう・・・ そうかもしれないね。 Q:仙台の人たちはそことはやっぱりちょっと違くて、家があったていうところが違う点ですか。 家があったからね。 Q:そこでこう、やっぱり仙台の人の心の復興は他の人と比べて早いっていうのはありますか? そうですよね。それはそうですよ。それであのー、立派なうちがあってもそこは一ヶ月に一回、一週間に一回とか二回とか行けないとか言って、そして入るともうねずみとかなんか動物とか入ってもうどうしようもないとかああいう風になったら、どうするんだよと思ってね、それこそもう立て直せば一番いいですけど、立て直したらそんな大きな家も建てられないでしょうし。私だったらどうするだろうなって思ってました・・・気の毒だね、それはね。 Q:仙台の人はどっちかって言うと、普通の生活に戻るのは早かったですか。 うん、早かったですね。まだまだ電気もつかないのかなって思ったら、ある程度。でもその通りから向こうがもっと早かったんですよ、やっぱりそういうなんかの具合でね。でもね、みんな言ってるけど、私も思いますけど、大体三歳から五歳くらいあのショックで年を取りましたね。頭も悪くなったし。失敗ばっかしするし。大体一日に三つくらい間違いするんだから。ほんとにあの・・・大体みんな・・・おかしくなった。そして実際ほんとに年も取りますからね。 インタビュー一覧へ戻る Advertisements

九頭見淑子さん

インタビューページへ戻る 九頭見さんは、福島県いわき市、湯本にある操業100年の和菓子屋 「久つみ」を経営しています。実際九頭見さんのお店で3.11の震災後の生活への影響や、現在の状況、震災後の様々な心境などのお話をお聞きしました。 3.11の震災後の変化(街の変化、商売の変化) 売上的にはね、三分の一だね。例え…簡単に言ったら100万…一か月100万売れてたとしたら30万…もう本当に観光客がいない町になっちゃったからね。もう今は旅館25軒位あるんだけどね、ちゃんとした営業でお客さん…観光客だけでやってる旅館1軒しかいない。後の24軒のうち泊めて仕事してる…あの…観光地・観光客以外の作業員の人みんないるのでどこの旅館も、その他はね、三分の一くらいのお部屋をね、一般の観光の人に状況なので…もう本当にヒドイもんだよ。だからバスをね、まず見ないから、バス通んないから…いつも、今まではね、今日もう土曜日でしょ…土曜日だから道せまい所をやっとおっきい観光バスが曲がるのが大変そうなのをしょっちゅうみてたりね…駐車場には5台6台とバスが停まってたけど…今いないからバスが。まずこない! バスが来ても「ハワイアンズ」には東京からね、直接無料バスみたいなバスが通っていて…後観光バスも「ハワイアンズ」は作業員の人がいないのでそういう意味では一人勝ちだね…「今は観光客がのびてきている」ってハワイアンズ言うんだけども…その伸びてるひとつの理由は国とか東京都とかそういう所で補助金を出していて補助金を出して、1人例えば5,000円なら5,000円を補助します…いわきとかに泊まった場合。けどこっち(いわき市)泊まる所ないでしょ?だからみんなハワイアンズにバスで行っちゃうわけよ。だから「ハワイアンズ」はそれで潤っているで…今、結構、お客さんはいるよ。 震災以降の変化について、心境 それなりに努力はしても努力は努力として、でも何もやらないよりはね、人を呼ぶように、子供はここで学際をやったりね…よく学校とかで文化祭をやるけれども町で小学校中学校高校とかみんなきてね、演劇…演劇はやらなかったな、歌と吹奏学とか後は剣道は剣道の人が盾とかやったりだとか、いろいろレスリングだとか、子供たちが集まると親も来るし、おじいちゃんおばあちゃんも来るし結構いっぱい一日だけでも人が集まって賑やかだった日があったのね。で、それ毎日やって欲しいなあーっとか思っちゃったりとかね、でもそんなことできるはずもないんだけどもね。本当に、夜ここで立ってここの道路350メートルもあるんだけど、向うまで見えるわけよ、人が通っていないから、寂しいよね。もうだって駅から降りてくる人なんか前から見たら全然減っているし、駅の自動券売機なんか連休っていったって売上金が例えば目標が50万とか100万とかだとしても全然やっぱり売れないって駅でも嘆いている。 今の状況、悲しみ、人々の思い 今ちっちゃかった子供が大きくなったときにきけん児が産まれたら、なければいいけど、あったらね、もう私たちの都合で呼んでなっちゃったら目回ってられないので、安心する所があるので、今いってもらっているんだけど、そういう人も旅館も若い人達はすぐに出てちゃったからね、子供たちに影響があるっていうからね、まして女のこのいる家族なんかお嫁に行くにも「福島の家があるの」って言うと絶対なんかなるって思われるらしく結構遠くにいっちゃったし。ここの角でお土産屋さんやってる所もやめちゃって、長野の方に行ってね、お店もだんだんだんだん減っていく一方でこれから….ゆったり館に行くには通らないか….一番の旅館のメイン通りの童謡館の近くあるんだけど、なーんにもなくなっちゃった壊してそのあとに出来ないから、もう戦後の終戦後の第二次世界大戦の焼け野原にぽつらぽつら家があるみたいな感じになっちゃってて、恥ずかしいというな投げ悲しいというか、でも後継者がいなければ家を建てる人もいないでしょー、だからなーって思うんだけども。本当の出来る事ならあの日の前で戻りたいって気持ちはあるけどもそれは出来ないことだから、これからの事を考えるって事だけで…自分達はもう家もあるしお店もなんとかね、自分達が食べて行く分はねなんとか、3分の1でもね、やらないよりは少しは利益が出るのでやってるって感じですね。 福島のイメージ、原発への思い 原発の事故がなければね、確かに300人以上いわき市も津波で亡くなっているので、沿岸沿いね、今もまだ復興していないのだけども、それと地震だけだったらね大丈夫だったとは思うけども、自分達の努力ではもう…フォローしきれない原発でね…この頃そんなに歩かなくなったけども…1年目、2年目は今ころの時間皆作業から帰ってきた人が本当にぞろぞろ、ぞろぞろものすごくいっぱい居たから。もう町がまるで観光地の色ではなくなっていた。 メディア/報道について でも一番最初のもう何が何だか報道もめちゃめちゃ、何が起きているのか、何ベクレル…何…そういう単位の話しもねどっちが大きくてどっちが少ないのかも分からないその原発に対しての知識って…だいたい皆もっていなかったので、何が起きてるんだろう…って思ったけど…本当にバスでねその送り迎えして作業員の人が朝の3時ころ行くんだよね、各旅館回っていくバスなんか見るとなんか本当戦地に向かう兵隊さんみたいな感じで、それが行ってきてまた帰ってきてってのを繰り返しで…異様だったね..そういう時の様子から今は落ち着いて見えるけれども原発そのものはみんな知ってるように汚染水でもう…うそばっかり言ってるしね、次から次からあっちこちから漏れてまた何十万ベクレルが出たとか言ってるけど新聞にのるのは本当に3行か4行ぐらいで。すごい大変な事が起きてるのにあんまり報道それなくなってきているし、実際はもうまもなく3月でね3年になるのに「何か変った事ありますか?」って聞かれても特にないですねえ…お客さんも戻ってきてるわけじゃないしね、逆にだんだんだんだんこれをいつまでもこんなことを5年たっても40年、10年たっても40年って40年40年ってのがせばまらずにもう私らの世代が、せいぜい平均寿命だとしてもあと20年ちょっとだからさ、その時代にはこのままいっちゃうのかなーっていう思いもいっぱいあってね。 今後への不安、考えについて そういう不安ね、そういうのは考えれば考えるほど不安が多くなるので、考えないようにしようとは思うのだけど、でも現実に毎月放射能検査はちゃんと来てね、わりと少なくなってきたんだよ、わりとね、測ってもらってるんだよ、そういうのはみんなやっているとは思う。後、食品の検査ね、それも保健所でやってもらって、「大丈夫です」をもらってやっているのだけども…それだってさ一日一日そんな、例えば菓子あけました、ここには放射能はこうですだのが一番上にあったら食べたくなくなっちゃうでしょー…だからそれは聞かれた時だけ言うことにしているのだけども、でも現実は…まあーお菓子はそれほどでもないけども、あの米とかねなんかやっぱり自分のところで作って子供にあげようと思っている人もいるけれども、子供は「もう結構です」って断られるしね、魚も得にそうだし、私なんかも親戚とかに毎年いまぐらいになったらサンマとか送ったりとかしてたけど、あの事故以来向うから「もう、結構ですから」とか断られたし、逆に果物とかも送ってきた人たちもパターっと送ってこないし…もうなんか…きん…親戚付き合いもそういういみでなくなっちゃうよね。じゃ、何を送ろうかと思うと全国共通の洗剤とかさ、ビールだとかさ、携わりないもの送ると…「お母さんのそういうお心遣いがよくわかります」みたいなお礼状がきたりしたりね…. インタビューページへ戻る

遠藤 佐恵子さん

インタビュー一覧へ戻る 福岡出身の遠藤佐恵子さん。結婚を機に閖上へ。2011年3月11日、閖上の町と共に津波で家が流されてしまい、現在では仮設で夫と2人で暮らしてます。インタビューでは、福岡出身ならではの視点から閖上に対する思い、また、現在の生活についての思いを話してくれました。 震災前の閖上 震災前…閖上はね、ほんとに小さな町だけど、みんなこう、なんていうのかな…面倒見がいいっていうのかな。ちょっと面倒見が良すぎて干渉がちょっと度が過ぎるとこもあるのね。うん、うん。出かけるとどこいくの?ね、ほっといてほしい時もあるんだけど。それはそれでまたね。だから、これからも、なんか、まとまったとこに住みたいの。どこでもいいから。必ずその土地に帰らなくてもいいんだけど、この、閖上の人たちと一緒の暮らしたいってみんなそう思ってるのね。 震災当日 あのー、その閖上の町の中で働いてたんだけども、その地震…ちょっと普通じゃない揺れだったし、隣…2件くらい隣の人が、6メートルくらいの津波がくるから逃げた方がいいよって言われて、一緒に働いている人の車に乗せられて、ま、まぁ小学校、中学校に逃げようとは思わなかったね。まず、閖上から離れよう、た方がいいってことで、ここらへん、うーんと、増田の方に逃げたんだけど。文化会館とかは…見てないね。市役所近く!市役所の近くに文化会館ってあるのね。最初はそこじゃないところに逃げたんだけど、みんなほら、ガソリンもない、余計に動かれないってことで、でそこに逃げて、で最初から最後までそこの避難所にずっといたの。2か月、とちょっとね。うん。最初、なんていうの?ああいうホール、んーと、いろんな歌とか劇とかやるホールから、こういう板、なんていうの、あそこにじかにこう…だから背中痛くて寝れなかった最初は。うん。普通はみんなが歩いてるところだからね。うん。でもやっぱ長くいると、ちゃんと寝るようになるのね。うん。あの頃まだ寒かったしね。うーん。 まだ布団とかしかないで、ぷちぷちってあるじゃない。あ、これこれ。これ敷いた上に毛布敷いたりして、もう支援のも。布団とかないよ。そうだね、震災から5月の末までだからね。3,4,5、うん。それでここにきたから。そうだね、うん。だって最初は食べ物もなかったし、電気もないし、テレビ、テレビとかの情報も全然、最初はわかんないからね… 避難所での生活 1日1日なにをして過ごしたか、なにして過ごしたらいいかわからない。なにもすること…うん…まだ、知り合いが周りにいたからね、まだしゃべって…うん。まず、いろんな物資、支援は頂いたからね。来たときは着の身着のままだったんだけども、出るときなんか家、自分の周り、荷物がいっぱい増えてんだね、まぁ服もそうだけどね…一部が知り合いだけど、だいたいもう閖上の人は大体わかる…うん、あの人はここの人、ここら辺のひとだ、ってわかるから。そう、そういう心強さはあったよね。全然知らない町の人と一緒にいるわけじゃないから、うん。ほするとやっぱり普段しゃべってなくてもやっぱり、しゃべれるようになったっていうか…やっぱこう自然に話しかけるっていうのかな?うん。だからそこで知り合って仲良、まぁ仲良くっていうかねぇ。そういうのもあるんだよね。絶対閖上にいたらしゃべれなかっただろう、って人としゃべったりね。で、出かけるときに自然に今日どこにいってくるから、とか聞いてもいないのにみんな答えたり、言ったりして。まず、うーん…避難所いって、まぁ楽しいっていったらまた言葉としてよくないんだろうけど、うん… 未来への不安 やっぱこれから、どうなんのかなぁとか…まだほら、行く先もちゃんと決まってないでここほら遅いからね。き、名取市は。と、そういうのもあるしぃ、仕事もないからやっぱり、なんていうか、経済的な面の心配もあるし…まぁ結局まぁ年齢も年齢だから、仕事もぱっと見つからないから、パート的なものしかないじゃない?うん…だから、こういう風になるのわかって、もうちょっとわかってれば、もうちょっとちゃんと蓄えをしといたら良かったかなって…後の祭りでしょ? 忘れないでほしい 知ってもらいた…それはある。今でもそれ以上にあっちこっちでいろんな災害があるから、それこそ、忘れられるんじゃないかっていうのはあるよね。今どこに住んでても安全な場所って、ないんだもんね。オリンピック決まったからオリンピックの方にみんなお金いって、こっち回ってこないんじゃないかな、とか、まぁそれはないっていうんだけども、やっぱり…その心配もね… 未来 ほんとに、うん…閖上の人たち集まって元に戻れ、まぁもとはちょっと危険区域だからあれだけども、ちょっと少しでも近くに住めればいいかなと、だから結構みんなここらへんに家買ったり、うん、もうしてるんだよね。うん、家建てて、うん。若い人はやっぱりそういう風にできるけど、もう、ねぇ、年代的に無理だから。娘たちはもう閖上は嫌だっていうからね。若い人はなかなかね。うん。だから、市で現地再建ってそこに戻るみたいなこと言ってんだけど、やっぱり、地震にあった人のことを考えればやっぱりそこには戻れ、ないよね。で、こんなに頻繁に地震あるじゃないですか?と、ますます、旦那はもともと閖上育ちだから帰りたいっていうのね。と私も、最初は、で一人で帰んなさいって言って、うん。なんか私は、だんだんと嫌になっ、うん、最初はまぁいいかと思ったけど、こんな地震が多いからだんだんちょっと、怖くなってきたこともあるのね。できればこう、なるべくこっちより?今住んでる寄りに、建ててくれない、でそう。閖上じゃなくても閖上の人たち集めればそれが閖上だからね。必ずしもその…そこじゃなくてもいいかなと思うんだけど。最初は、閖上閖上って言ってたんだけど、もうあまりに決まらないからもう、旦那さえももうどうでもいいって今…うん。勤めに行く関係でここの方がどっちかっていえば近くなったから、うん、うん。このままでもう、ここに慣れちゃうと、ここに住んでもいいかなと思う。みんなそう思ってんのね。だからここ壊してたんとアパート建ててくれるといいの。買い物近いじゃないですか、ここね。お店がそこにあるから。そういう人もいるけどまぁここは無理な話なんだけどね。ね、家建てられるような余裕があれば一番いいんだけどね。でも、ここにはやっぱちょっと住まないかな…うん…どこに住むかっていうとなかなかねぇ…うん、あまりにもね、こう進み方が遅いし、決まらないから、何年後にもう帰れるっていうがあればいくらかはねぇ、こう目標じゃないけどあるけど、まぁそれが決まらないからね…だから震災で、震災後になにかいいことあったかなーとおもって考えるけど、ないんだよね…なにもないね… インタビュー一覧へ戻る

山内 さよ子 4

エピソード クリップ1 クリップ2 クリップ3 クリップ5 山内さよ子 クリップ4 「お嫁さんが少ないから…よその国からお嫁に来たりしている。」

星 恵一 4

エピソード クリップ1 クリップ2 クリップ3 クリップ5 クリップ6 クリップ4 「国の事業の要件は非常に偏っていて、小規模農家には適用がされない。」

20130428 丹治新一、フサ 5

「孫は、『ばぁちゃん、僕は百姓の孫じゃありません』」 「『ばぁちゃんな、一生懸命米作ってんの、あんた食べてんのなんなの』って。農家やってるからこそ、そうやって食べられるんでねぇのって。」

20130428 丹治新一、フサ 4

「わかっていながらね、これぞ爆発した世界の福島にね、来てくれるってのはありがたいよ。」 「世界の福島だから、本当。」

20130428 丹治新一、フサ 3

「学生さんたちが福島に残って、医大とかでも福島に残って勉強したいとかなんとかって、そしたら気分が逆に盛り上がってくるって素晴らしいなぁって、ね。」

20130428 丹治新一、フサ 2

「うちの孫ね、今19なの。私ら子供産めないねって言われたとき、ショックだったよ。」

20130428 丹治新一、フサ 1

「初めて行ったときは、何この父ちゃん母ちゃんっていうような目で見てたのね、東京の人は。でも2、3回行ってるうちに、頑張ってって言われたのがうーんと嬉しかったの。」

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