阿部 利昭さん

インタビュー一覧へ戻る


雄勝町熊沢会長の阿部さん。大工見習いとして大曲から、熊沢に越してきました。雄勝町に対する尾思いや震災を通して苦労していることについて、大工として、また浜の会長として、今感じていることについて話してくださりました。


雄勝の未来と今
Q. 若い方たちを呼び戻すための活動などは行われていますか。
A. 今のところの、たぶん取り組んではいんだけども、今のところ前向きに取り組んでるとは言えないでねーべか。つーことはね、あの学校ができて初めて若い方を呼び戻すって言う、多分そのあとに計画がたつんでねーべか、と思うけども、ある程度までは、要するに漁師だから。漁業。養殖業。そういう人たちが、今帰ってきてるのね。単身赴任で来てるわけさ。だって奥さんと子供はどっかへ、例えばほら松の方さおいでおいで。おいおいはそういう人たちも帰ってくんだべけっども。あんまり便利よすぎたとこさ、生活慣れてしまうと、帰ってくる人たちが少なくなってしまうわけ。


行政の計画と現実
Q.雄勝商店街の建物は本当は建てては行けないということですか。
A.そうなの。そいつを許可してしまってやっているから。結局あの、商売をやっていて、許可は出したんだけれども、あれを建ててしまうとまた、撤去するたって金がかかるから。だからそういうことやっているから、行政が後手後手となってるわけ。
Q.雄勝商店街をもともと建てる計画をしたのも行政ですか?
A.建てるのは個人で建てるのね。そうなの。その申請した時は、例えばここは、9.5メートルの嵩上げなるよって、たぶん説明は言っている。だけれどもいつそうなるのかわからないのだから。生活がかかっているでしょ。それでたぶん許可出したと思う。あそこは危険地帯でほんとは建物は(建てては)ダメなんだ。


大工として感じる時代の流れ
[現代ではハウスメーカーで家を建てる大工さんがほとんど、だがそのため大工さんと、家主の繋がりがなくなった。]
だから建つのも早いんだけど、手放すのも早いわけなんです。愛着が一切ないと、あきてしまって払うことができなくなると、もうすぐ手放す。そういう人たちが多くなっている。そいつを中古住宅として、販売してるしてる人たちもいる。せっかく建てたのに、俺はそんなことはしない、、(家主さんと)一体になって家建てるもんだから、愛着が湧く。


伝えたいこと
いいところだから。雄勝は。本当に風光明媚って、来て分かるっちゃ?住んではね、ほんと良いんだってば。ただ、あの、交通の便が悪いから、ただ今まで通りではないからね。もっともっと便利になる可能性はあっからさ。やっぱりみんなに帰ってきてもらいたいな、とは思います。だってこいつも高台で、今までよりも全部広く??なるからね。2メートルも。でもこっちまで直ってしまうから。今あのここは南三陸自然公園になってるために、行政ができねーくなってるわけさ。あの、解除になんねーと、だから震災だから。そういうのもほんとはなくしてね。できる限り住民の考えもねぇ、行政のほうで考えてくれればいいのにと。


インタビュー一覧へ戻る