井上 大輔

井上大輔は井上海産物店の運営をされています。

そうですね、まあ。早く石巻が元気になって欲しいっていうのが一番だと思います。あのう、なかなかやはりスピードというか。スピードが遅れてるというか。もちろん瓦礫の処理もまだまだですし、ええもちろんあと町の中もですね。あとまあもちろんまだ堤防も建っていないような状況で。まあやっと始まったような状況で。また何年もかかりますし。あと、まあ、石巻だと魚町っていうあの、えー、そうですね。そう加工するような場所があるんですけども、まあそういうところかさ上げも、ええ、何年もかかると。まだ2、3年かかるというような状況で。あともちろん町中のほうもですね、あのうやはりまあ、震災の爪痕が大きすぎてなかなかあのう、まっ商店とかも戻ってこれないし。あともちろん個人、あのまあ、家も全然あの。もちろんやはり堤防も建てないので、やはり建てたくないという想いもあると思うんですけどもなかなか人も戻ってこないということで、ちょっと時間はかかるんだと思うんですけども、まあなんとかそうですね、少しずつでもまあ、石巻が元の形に戻っていけたらと思います。はい。

人口が減ったことも雇用問題などの影響で?

そうですね、まあ人口の流出はえー、やはり。まあそうですね、まあいろいろ。まあやはり家がなくなったっていうのが一番大きいと思うんですけれども。それで、かといって石巻で他に住めるところがあるかというとなかなかまたあの、住宅とかも建ってないので。あと土地とかもあまり、まあないんだと思うんですけれども。もちろんあの、被災した場所ももう新地で、もういくらでも土地はあるんですけれども、やはりそこにはね、建てたくないということでやはり内陸のほうへとか、まあ山のほうにですとか。あのう、高い所に建てたいっていうまあ気持ちがあるんだと思うんですけども。なかなか、ええ、土地が少ないというのもありますし。で、そうですね。そういうのもあるんで、どうしても他のところに。あのう、また生活もなかなかするのも大変だというのもありまして。他のところにどうしても行ってしまうかたちだと思うんですけれども。まあでもいつかはまあ戻ってきていただければ、ええ、ちょっと時間はかかりますが、まあ少しずつおそらくまあ、堤防も建ってきて。えー、住宅とかも商店とかもいろいろできてくると思うんで、まあなんとか戻って来ていただければと思います、はい。

その問題に対してどうしたらいいかとかありますか。

はい、まずはやっぱり安全ということが一つかなと思いますし。えー、またそうですね。やっぱり石巻も前以上に元気にというかあのう、そうですね。前よりさらに、あの、盛り上がっていけるような町にしなければやはり戻って来てはくれないと思いますんで。うんそうですね。まあいろいろまあ、話し合いとかは進んでるんですけど、はい。まだなかなか決まらないっていうのも現実もありまして、はい。まあなんとか盛り上げていければとは思います、はい。

そうですね、今回やっぱりあの、いろいろやっぱ「絆」とかね、ということで。あのかなり繋がり、人の繋がり、あのまあ、あったので。まあ、いろんな人に助けてもらいながら。もうちょっと自分達だけではここまであの、なんでしょう、普通の商売が出来るまでに、まあなんとか回復できなかったと思うんですけど、なんとか。あの、いろんな人に助けてもらって。もうもちろんあと、そうですね。まあ国の方からそういう支援金が出たりとか。まあそういうのもありますし。あと、まあお客様からいろいろ助けてもらったりですとか。うんそうですね。やっぱり災害後はあの物資が非常に無くて。あの、食べる物もなくて。あと着るものもないといったような状況で。やっぱり津波で全て流されてしまったんで。何も無い状況で、でスーパーもあんまり、まあ。ここ近所にもないですし、まあやってたとしても限定で、何個、何個かっていうぐらいだったもんで。まあお客様からあの、服とか送っていただいたりですとか。あと食べ物もそうですね、はい。送ってもらったりですとか。ええ、本当に、本当になんとか。うん、そうですね。色々助けてもらって。商売のほうでも色々まあ、仕入れ先のほうも結構やられてしまったんですけども。まあ、なんとか、奇跡的に助かったところが結構ありまして、でまあそちらのほうからもいろいろ融通聞かせてもらって商品色々買わせていただいて、なんとか、ええ、営業する事ができました、はい。

5年まではとにかくかかるかなと。5年。やはりまあ最初は私もあの5年とか10年とか言われて、信じられなかったんですけど、もう10年間まで、なんでしょう、この状況で、この被災した状況でやってくっていうのがまあ信じられなかったんですけど、まあやっぱ現実見ると本当に全然、なんでしょう。まだ未だに解体とかやってますし。うーん、やはりすごい時間かかるんだなというのは最近になって実感してはきてますね。はい。

本当にヘドロかきの毎日で。まっ10トンぐらいですかね、うちの商品、あのう廃棄という形で。一日で10トン運んだんでもう本当にもうすごい肉体労働だったんですけども。なんとかやって。でやっぱりなんかああいう肉体労働っていうのは、不思議なもんで。なんか、あのう、充実感も欠片もなくて。もう、なんでしょうねもう。なんか怒りに任せてやってるような感じでしたねもうホントに津波に対する怒りというか、震災に対する怒りでもなんとかやり遂げたって感じがしたけど。まあ、なんのなんでしょうその。うん、なんかこう、なんか充実感っていうかまあ、何にもなくて。やり遂げたっいうのも何にもなくて、もう虚しさだけが残るみたいな、感じだったんですけど。で多分やっぱり地元の方達も、なかなかそういう感じだったと思うんで。やはりヘドロかきとかも、あんまりしなかったっていうのはありまして。でそういう時やっぱりボランティアの方々が、夏場すんごい暑い中に来ていただいて。本当に町きれいにしてもらったんで、それが本当にありがたくて。やはりやっぱりショックとか、もあって、なかなか地元の人達動けなかったんで。まあそういう時にすごい町きれいにしてくれたおかげで、なんとかその後やっぱり地元の方達も、あのう何か活動しようっていう気になってきてくれたと思うんで。それは本当にもうボランティアの方々には本当にありがたいと、本当に思いました、はい。

荒川 元一

ガス販売をはじめとした荒川七衛商店は昭和6年に創業、現在で荒川元一さんは三代目となります。会社は津波にのまれてしまい、荒川さん自身も波に巻き込まれてしまいました。その後、石巻被災企業復興支援がんばっぺ石巻に加わり、石巻の現状を世界へ発信するマガジン「Rolling Press(ローリングプレス)」を創刊。国内と海外へ発信していきたい強い思い、復興への思い、そして震災で気づかされた人との繋がりについて話してくれました。

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地震が起きて、ええ、その後自分も事業所の中を確認して、でまあ大津波警報だとラジオ聞かせて、大津波警報が来てるってんで、事業所からその撤去させた後になんで私が一人残ったかと、やはりあの、人の命は尊いものだってのをやっぱり身にしみて学んでいた事だったので。まあ最後は自分の命が亡くなっててもやっぱり守らなきゃいけない。仮に、た、例えばあの、従業員が亡くなってしまって私が逃げて助かってたらやっぱりあの、社会が周りがどう批判しようと自分が一番いや、嫌だろうなと。だからそれで残って確認しようと思ったのが結局自分はまあ助かりましたけど、危ない思いをした訳ですよ。でもそれは今になって見ると、やっぱりそういう運命でその後に、の活動てか生き方に私があの、生かして生きてかないといけないんだろうなと思ったんです。

でそん時は今まで日本の国としてはそういう災害が、自然災害があった場合に個々の事業所に支援をするっていうスキーマは何もありません。ただ今回は甚大な災害なんで何か国にね、あの訴えて、何か考える、考えたいと思いますっていう話を受けて私たちもそれ是非、その、雇用をこれからあの、喪失守るためにもそういうかた、何か支援をいただきたいっていうような事を陳情したんですね。でその一ヶ月後に4月の半ばぐらいに声がまた掛かって。で、実際にはどうだったのって聞いたら、いやあ現状では新しいスキーマない。ただその、あるとしたらその、国からのあの、緊急的な融資で、近隣が安いものだったら借りるできるよっていうスキーマしかないと。でその、えーそのやったのは古藤野っていう方と松本さんっていうのがあのう、声かけて、いやそうじゃなくて自分たちでやっぱ立たなきゃダメだから、と言っても個々じゃ無理だから集まろうってことで、確か、5月だったと思うんですけども。そこで、元気、石巻元気、被災企業元気復興委員会っていうのを作ろうって事で。

私、青年会議所ってのは40までで、私は37で初めて3年間しか所属してなかったんだけど。あのまぁ社会に奉仕して、仲間をつくっ、大事にして明るい未来を作りましょうみたいな信条を、3信条ってのをあげてて活動してるんですけど。まぁボランティア的な団体ですよね。でそういうのでまぁ、なんとか町おこしをしようとか社会を良くしようっていう志を持つようにこう集められ。持って集まるんじゃなくて持つようにこう勉強してから入らないみたいな誘われて。僕も最初は断ってたけど、たまたまあの、私のあのう同級生があのうその代表になるからってんで強く引っ張られて、じゃ3年間だけだけどやってみっかっていうような感じでね。そん中でその松本さんなり、ええ今朝会った山形くんなり知り合って。ええまぁいろんな、腹を割って話せる、いろんな事を。まぁ政治の事とか、あの宗教の事とか仕事の事とか業界の事とか。もう業界違くてもこういう、こうなんだ、とんでもねぇなぁとか困ったもんだなぁとかっていう、実はこうなんだよみたいな話を腹割ってさぁ、あのう話せる仲間が何人かいて。まぁそういうのしてから声が掛かってあの、陳情に行くよってのがあの声掛かったんで。多分その団体とかそういう仲間がいなかったら私も孤立してて途方に暮れてていたと思うんです。