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中小企業

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松本 俊彦

松本俊彦さんは(株)松弘堂 印刷会社の代表取締役、石巻元気復興委員会の会長としてご活躍されています。会社は倒され、事務所と工場は浸水。その後、同じく会社が被災してしまった経営者、次期経営者の方々を集めて元気復興委員会を作りあげた。以前はライバルだったとしても、今は一緒に力を合わせて頑張る時なのです。石巻の復興への思いや復興委員会で誕生したコラボレーション商品についてお話していただきました。 大変な事もあるけど今が楽しい、復興委員会について さっき石巻は大変な状況だっていう話しましたけど、それとは反面で石巻にはすんごい事が起きてる事もいっぱいあって。まっ、当然、国がこう、石巻に対していろんな、あの、なんて言うんでしょう。国のお金を投入するわけじゃないですか。例えば新しい町を作るっていう事に対して何十億、何百億もお金を投入したり、専門家をいれてきたり、っていう事を石巻は今あるし。日本中の大きなトップクラスの企業が、その企業の価値をどうしようかって。この東日本大震災を通して自分のこの会社の企業価値をどう高めていくかっていう事で、日本中の大手企業が今集結してるんで。で、なにができるか一生懸命さがしている訳ですよ。そんな事が石巻で起きてるし。もう単純な事から言えば、芸能人がわんさと来るわけじゃないですか。 震災前に全く想像しなかった事が、今ここで起きてんです。それってすごい素晴らしい事だし、前は絶対あり得ないことだったんで。たまたま不幸も事がいっぱいあるけど、良い事を探しだす事がどんどん起きてるんで。自分はやっぱそういう事を使って、一緒にその中に飛び込んでいって、非常にこう、自分の人生としてすごい良いんじゃないかなぁ。だからここを離れるつもりもないし、ここにいる事が楽しいですよね。 ボランティアさんも全国から来て。お手伝いいただいて、お手伝いしていたかと思うとここに住みたいって言い出したりとか。そういう若い人達もいますし。だから面白いっすよね。休んでる暇ないですよ。休んでる暇ないって言ったらおかしいですけど。楽しい事もいっぱいあるから、楽しみ続ければいいですよね。 この我々のメンバーもなんかそんな感じだと思いますよ。私と同じように全部、会社がなくなって。まっ全社じゃないですけど。設備を失ったり。まっ中には社員を失ったりっていう方々もいっぱいいますし。でも、根本的にはある程度若めの経営者の人たち、ぜんぶ経営者なんですけど。もしくは時期経営者の方々なんですけど。こういった方々も、やっぱり私と同じようにこう、なだれて、どうしようかって思ってたと思うんですよ。で自分が、この指止まれ、と。同じような人たち、この指止まれ、と。でみんなで力合わせてやろうよ、と。一社でやろうと思うなよ、と。一社でなんかできる訳ないんだ、と。この機会にみんなで力合わせてやろうよ、という事を言ったらみんな、うーん 何になるかわかんないけど一人で悩んでるよりいいな、と。で集まり始めて。でそこに、こんな事できるんじゃないの、あんな事できるんじゃないの、って。大阪行こうよ、大阪行って自分の商品PRしてこようよ、と。いや、大阪行っても通用しないっすよ、って行ってみなきゃわかんないだろ、と。で行けばやっぱ、美味しい、とか言われる訳ですね。是非商品を取引したいと、いう話になってくる訳ですよ。今そういう事をどんどんやって外に向かってどんどん我々はやっていこうよ。震災前は全くやってなかった事だけど、今やれば、目立つ。目立つし、みんな聞いてくれる。だから今がチャンスなんで今一生懸命そんな事をみんなでやりましょうよ、と。 商品を広める、コラボ商品の開発、わかめ専用ドレッシング 今この商品をとにかくどんどん世の中に出していくっていうのが一つ。でそれは詰め合わせセットでもそうですし、そうじゃなくて企業で、例えばどこどこのなんて言う商品を記念品で使いたいとか、そういうニーズがいっぱいあるんでそういうのをどんどんPRしていく事と。後はみんなで力を合わせて色んな商品を開発していこうと、いう事を今一生懸命やっています。 この機会にどんどんどんどん外に自分の会社の商品が出て行って。で最初は、例えばそれが支援というきっかけかもしんないですけど、やっぱり最後は美味しいから買うっていうところまで持っていかなきゃないので。それをみんなと協力しながら自分の会社の商品だけじゃなくて、隣の人の会社の商品も。例えばお宅はこういう技術があるんだから、こういう事をやれば良い商品ができるよね、とか。ウチのこういう技術を使ってお宅のと合わせればこういう物ができるよね、とか。そういうのを今一生懸命みんなで、飲みながら、楽しくみんなでやっています。それをどんどんやっていきたい。 (これからも) うん、商品を良くする事と、広めていく事と、2つとにかく一生懸命やろうと。 ひとつ出来た商品があって。ワカメの、塩蔵ワカメを売っている会社があって、ワカメですね。ワカメを売っている会社があって、それをこう、展示会にみんなで行った時にワカメを試食してもらうのにタレが必要になる訳ですよ。でそれを、タレ必要だったんですが山形屋さんっていうつゆを、まあ醤油味噌を、つゆを作っている会社がありますね。それから東北で結構いろんなそば屋さんにおろしている丸平鰹節っていうダシ屋さんがいた訳ですね。でそれを、んじゃ2社で、この二つの商品をこう上手くくっつけて美味しいタレだきんじゃねぇの、ってこう遊びながらやってたんですよ。でそしたらエライ美味しいつゆが出来て。おっこれ良い、って、これ商品かしようっていう話になって山形屋さんと丸平さんとコラボしたワカメ、ワカメ専用ドレッシングという名前で、ワカメ用のドレッシングを今回作って、今ワカメと一緒に殆ど売っているとう。だから3社コラボですよね、要は。でそれがワカメだけじゃなくて肉にも合ったり。牛タンつくねそこで売ってんすけど、牛タンつくねにも合うし色んな物に合うので。今すごいウケてます。そういった物をどんどんどんどん作っていけば、楽しいですよね。 Advertisements

千葉 尚之

千葉尚之さんはヤマトミ通販サイトで代表を務めております。   もっと人が居ればなっていうか。うん。もっとね、なんかね、今沢山ボランティアの­方も随分ね知り合ったんですけど、あの、若い方もずいぶん来てもらって、でこんな風に­ね、沢山若い人たちがこう、来てもらってこう、もうちょっと活気が出ればなと。で、あ­の、そうやって観光をあの、する施設なりなんなりが整ったら、そのそうやってね、人が­たくさん来てもらえるような街になればなって思うんです。それでその大市場がねその国­際的な年になればあのー、その、ねえ、色々と海外から沢山の人が来るでしょうし、で、­その市場色々ともっと整備して、そこに付随他商業施設なりなんなりを付け加えたらまた­そこに人が集まってくれるんじゃないかなとかね。今ね、本当色んな構想があって、うん­。ただ、やっぱ折角水産関係でやってるんで、ね。そういう部分で人が来るような形にな­ればなーとは思うんですけどね。 後今、あのー、私の会社も今参加してる「がんばっぺ石­巻」っていうサイトがあるんですけども、そこは被災企業の方たちが集まって、あのー、­なんだ、なんて言うか、がんばろうとしてるサイトなんですけどその、あの、なんだ、一­口一万円で、支援していただいた方にはその復旧後3000円くらいの商品を後でその、­お送りしますっていうもともとはあの、そういうサイトだったんですけど、それでね、あ­の、海外からもずいぶん注目されて、でそのサイトは英語版ていうのも今出来たんですね­。なんで、今今後私のお付き合いのあるボランティアグループが、外国人の多い、カナダ­人が主催してるグループで、で、私英語全然しゃべれないんですけど、うん、そうですね­、そういう人たちにもたとえば、あのヤマトミって部分でね、なんか知ってもらう部分で­はたとえば、その英語のページの部分っていうのはしたほうがいいのかなって思ったりし­て、まあ商品が海外まで行くには時間がかかると思うんですが、でもね、とっかかりとし­て、うん。   今興味を持っていただいてる部分が大きいと思うんですね。だから、それがあの、う­れしいし、あのそれがたとえば今日みたいにこうやってきて、こうやってお話しできるの­もうれしいし、こういう方の、だからボランティアの時もそうでしょうし、あの、ね、あ­の、毎日ガレキ撤去だなんだいって疲れ果ててる時に、でもボランティア何で週末メイン­で土日休み、休み、ああやっと休み加奈なんて思ったらボランティアさん来るから一緒に­しなきゃいけないとかいうんじゃやる、よしやるかって小さなことだしね、折角来てもら­ってるんだからってことでやって、そうして一緒にやるとまたね、疲れ果ててるんだけど­またね、全然知らない人達が来てくれてがんばってくださいなんて言われるともう、ああ­そっかなんて言って、まあそうすると逆にモチベーションが上がって、そういう部分も大­きかったですね今回。なのでそういう部分でやって今回4月からこうやって会社出来たん­ですけど、こうやって、自社の仕事も少しずつ、少しずつっていうか人が足りないせいで­凄い忙しいんですけど、な部分でもやってながらも、未だにね、こうやって興味持ってい­ただける人が居るっていうのはね、うん本当にね、うれしいんですけどもね。だから、そ­うやって、うん、また何年か後でも良いんですけど、またね、なんか遊びにきてもらえた­らねなんて、あ、こんなに良くなったとか、ここがまだこうなのかとか、わかんないです­けどね。非常にそうやって来てもらって感じてもらえれば、良いのかなと思って。うん。­それまで何も注目も、て言うか全然注目度のなかった街が、今こうやって注目されてるっ­ていうことが珍しいことなんで。多分ね、人がそうやってまた、たとえばボランティアで­昔来たとか言う人たちもまた見に来てみようとか、ということでいいと思うんですね。な­んか。

阿部 信也

阿部信也さんは丸平かつおぶしの代表であり、石巻元気復興委員会にも所属しています。 阿部さんにとって会社を続けるための「かすかな希望」とは。 実際水産会社はこっち加工関連の水産なんかは200社位あって、そのほとんどがまあ壊滅してるとそれで、みなさん当然施設も設備も、うーん、あと原料も5万トンくらい被害を受けてるわけ、全体で。金額にすると350から400位になるのかね。400億くらいなのか。その中で原料もない、設備もない中で、もう解雇せざる終えなかった。ただ打ちはたまたまこの建物が残った、んで上野3階部分は水が来ていないていう、うーん、ところだったんで、やっぱりかすかな希望って言うか可能性があれば、それはできるかもしれないと、まだ。でも内部も被害状況もわかんないわけだから、まだ。出来るかもしれないと、で、従業員もやると言っている。うーん。もう、だったら、やってみようかと。そんな責任感とか、まあ、うーん。その当時はあんまりそういう所よりも、とりあえずさっき言った従業員解雇せずにやるといった、ずーっと前にそう決めた、だからそういう風に忙殺されてたって言うのが現状だった。 他企業との話し合い、コラボ商品、情報交換などについて。 (話し合いとかってされたりしますか?) ん、ほかの会社と? それはえっとやってまして、復興センターとかで、最初はみんなで集まって業種は違うんだけど、こうやって銀行は貸し渋るねとか、どうなのとか、そっちはどうなのとかこんな制度があるんだけど使えないかとかそういう情報を共有する場として始まったんだよね。そこでそのだんだん水産商品も出来るようになって、じゃあちょっとセットにして売ってみる、じゃあって。一緒に大阪のシーフード展持って上がったんですけど、そこに、一緒にそこに行って、展示して売ってみようかとか。でそれがじゃあこんどはお店が出来るっていうんでじゃあちょっとやってみるかってだんだんなってきて。 だけどこう200社もいっぺんにやられたもんだからそういう動きで、一緒に売ろうか一緒にものを作ってみようと、うちも(1:17・・・・)といっしょにふりかけを作って2社で作ってひとつって名前で、味噌鰹節と合わせてごまもいれて、そういう動きとかもやってるし、そういうのがどんどん発展すればいいなと思って。 最初はやっぱり2,3人の(1:44・・・・)で共有しました。そういうのも、あの、がんばっぺ石巻っていうホームページにのってるから。一同みんな集まって、今、現在の情報、たとえば、こういう本部も、まあ社団法人化してるんで、こういう販促をして、大手の企業さんが販促として使いたいとか、支援する、とか支援するために使いたいんだとかって言う情報が入ってくる。それにもっと対応して、ものももっと売れると思う。そういうメリットがありますよね。一緒にやるって言うことには。 石巻のコミュニティーについて。 これは絶対必要さ。間違いなく、この町内でも避難所に、この町内の方々集まって、まあ俺は2カ月だけど、(0:17・・・・)あと、やっぱり反対した人もいるし、でもやっぱりばらばらじゃあなかったから、みんな助け合って最初、みんな水、飲む水もないんで、4時間ぐらい並んで、水をもらって、あとトイレの水も水が詰まっちゃうから、近くの小学校のプールからバケツひっくり返して、そのまままずトイレを清掃するとか、そういうはなしも、あとは、うーん、そうね。そういうのをやって、みんなでやっぱ一緒に、一緒で中央公民館みたいなフロアで、知り合いがやっぱいるわけですよ。そうするとね、あんまりうちはこうプライバシーとか言って(1:07・・・)もしなかったし、で、また、そうね、そういうコミュニティがたとえば阪神淡路のときにも、みたいに、復興、公営住宅を造っても、ばらばらになっちゃうわけです。公営住宅っていうと公平にしなくちゃなんないから、抽選で入る人を決めるとか。この地区の人だけ住まわしてくださいっていう、これはダメなんですね。いまはこここういった地区に建てる、ここに戻ってきた人は、まあアンケート取ったら7割くらいの人がこっちで出来るならそういう所に住んでもいいて言う人もいるし。そのほうがさ、だって、年寄り、70、80にもなって、ローンで家なんてまた建てられないでしょ。家は建てられないんだったら公営住宅でいいわって、家賃払うからって言ったって隣近所わかんないとかって、それで阪神淡路の時は孤独死とかさ、孤立死とか増えてくるわけさ。ここで誰がね、なんだあの人最近みてないなってなったら、ちょっと聞いてみるかってなるしね。

佐々木 孝寿

佐々木孝寿さんはヤマサコウショウの代表と、元気復興委員会の一員としてご活躍されています。 震災前と震災後、変わった事 3.11以降は震災前より以上ですね、地域の、えー、活動て言うのにですね、積極的に、えー、協力していこうということで、震災前までは、どちらかというとですね、単独で行動することが多かったんですが、震災後はですね、同じ、同僚の皆さんと歩調を合わせてですね、協力できることはしていく、それから、石巻の、そのー、異業種の人たちなんかもお付き合いも積極的にするようにしています。 (震災前と震災後でいろいろ変わりましたか?) あ、変わりました。私が一番変わりました。 (はあ、どういう感じで。) ですから、先ほど言ったように、独立独歩であの、進むっていうだけじゃなくて、お仲間の人たちに、それから石巻で働いている、仕事をしている会社さんの人たちとかね、コミュニケーションをよくとって当社の事をよく知ってもらうのも大事。無効、先方様のこともよく知る、で、出来ることは手を取り合いながら、一緒にやろうよという風に。 石巻の良いところ、お客様から励ましの声 石巻の一番いい例、石巻の一番いいところはね、まずなんていうのかね、食べ物がうまいですね。魚は最高に上手いです。魚は美味しい。それから、お米も良いお米がいっぱい取れます。お水もいいです。野菜も美味しい、お肉も良い、食べ物が良い、良い食材がいっぱいあります。高くないです。東京と比べたら全然安いです。そういうね、石巻は食べ物の、食材の宝庫ですよ。景色も海を、太平洋を前にして非常にね、素晴らしいロケーションがあります。そういった良い点をね、今はみんな放射能とかで怖がってますけど、それが済めば、また石巻に来てもらえれば必ず満足してもらえるから。あります。それだけ美味しいですから。 (元に戻るには結構な時間がかかると思うんですけど。) 懸ります。しょうがないですね。あー、3年じゃ厳しいかな5年、もしくは10年かもわからないですね。 (必ず元には戻せると。) はい、もとにっていうか、もっと仲良しになってよくなると思います。そうですね。地元、私はここで生まれて、ここで育ったから、責任ていうよりもここが好きなんです。責任じゃないです。好きなんです。それでいいんです。お客さんも待っていてくれてるんです。いっぱい励まされましたよ。頑張れ、待ってるから、いっぱい励まされました。そのお客さんたちが待ってくださっているから、頑張ろうっていう気持になれるんです。 (やはりそれは人が、) 人です。そうです。人です。

山形 政大

山形屋商店は明治41年に創業、山形政大さんは代表取締役を努めており、お味噌と醤油を製造と販売をされている。事務所と工場が津波の被害をうけてしまい、当時は販売のみを行っていた。がんばっぺ石巻を通して支援を受けたり、元気復興委員会にも所属されている。中小企業としての立場や見方、そして仲間の大切さについてお話してくれました。 山形屋商店 ホームページ がんばっぺ石巻 山形さんプロフィール 石巻復興企画商品ネット 復興に向けて。まあとりあえず政治に対する意見はすごくたくさんありますけど。まずはやっぱり。やっぱり一番、自立するっていう心が一番大切だと思いますね、みんな、それぞれの経営者に。でそう思ってる人達が、今のもう一年経った時点でなんにかしらアクションを起こしている人達なんですよ、そういう人達は。そういう人達をもうちょっと救って欲しいなっていう。特に中小企業っていうの、こちらの地場にいればおおよそ99%がね、中小企業だからね。で変な言い方だけど中小企業人達の方が、やっぱり意識が高いので。この、こういう田舎の方では。でやっぱそういう人達を救ってかないと地域が救ってくれないんだよね。で雇用っていう問題にしても今は民主党世間だからなんたらよくわがんないけど。失業者目線でしかものを見てないような政策しか我々からすると見えてないので。かい、企業の人救って会社を救ってこないど、雇用に繋がんないっていう風な目線の政策があまりにも薄いような気がして。結果的に失業者って言われる人達に実はしわり…来てんですよね、多分。 でっ、あのう神戸の関係の震災で苦労した人もいるし、こう聞いていけばやっぱり政治に頼るのは一番最後で。自立をまず考えなさい、そして次がやっぱり、仲間で立ち上がるって事を考えろって。そういう事をやっぱりやってかないと… なのでそういう面から見ても復興センターの、復興。まっ復興センターとしては物販の方を中心にやってるんですけど、復興委員会あの、ね、荒川さんなんかも入ってるこういろんな業者入ってる。仲間で立ち上がるっていう事をやってきたっていうのはやっぱり一年経って大きかったなと思います。 あともし、企業サイドで友達がいたらって思えばやはっぱり休まないで一刻も早く立ち直る事を考えた方がいいんだろうなぁっておも、思う。前向きにやっていく人の方にいろんな情報だったり、いろんな物はそっちに流れていくっていうすごく肌で感じた、やっぱり人間は前向き、そして友達は沢山(笑)仲間を大切に。 出来れば、だっこういう活動もなんで協力するかって言うと。例えば暇だったらお金があります、ハワイに遊びに行きます、海外に行きます、それはそれでいいんだけど。あんまり、多分ハワイ行っても来年行っても十年後行ってもあんまり変わんないと思うんだよね。だけどここの被災地ってものすごおく復興に対して激変していくので。このありさまを出来るだけ頻繁に通うって言うのも変だけど。自分の目で見て、関わり方は人それぞれでいいと思いますけど。関わって頂く事が、我々にとっても力になるますし。皆様にとってもすごい良い経験になっていくのかな。多分日本の中で、今回は特別大きかったっていうのもあるんだけど、小さい災害なんて今、去年だって台風ってね、あの和歌山だかあっちの方とかはすごい被害受けてるし。あれだってこっち側の震災が無かったら本当にトップニュースになって、逆に今日本全国がね、あっちの和歌山、あっちの方に、頑張ってねって多分みんな言ってる可能性の方が高いかもしれないし。でその辺をある程度平ったく平等で見たときには。うん、あの、そういう人に目を向けるっていう気持ちを持っていただきたいし。 多分ねぇ、あの、一番激変してってとこに携わるのは一番楽しいと思うので。そういう風なところに、関わっていただけるのはすごくありがたいし。皆様の人間形成のなかでも良いのかなと、いう思いがあるからまあ、今日ね、お話さしていただいたというところです。

阿部 利基

震災前はガス会社に勤めていた阿部利基さん。門脇町に位置していた会社は津波にのまれてしまい、会社は休養の状態。現在は石巻市議会議員として活躍されている。インタビューでは復興やボランティアへの思いを話してくれました。 それ視点にもよるんですけど、まず一つは石巻の企業はほとんどダメージを受けちゃ­ってるんで、自己再生が出来ない部分が大きいですね。で、前は、結構石巻市の方って私­の主観ですけど、小金持ちさんが結構多いんですよ。あの、やっぱこう、ご自身で成功な­さって、こう、おっきかなくても自分で一軒家持って土地もって立派にやっていらっしゃ­る方が多かったんですけど、あの、震災はそういう人たちの持ち家と会社もダメになって­るんで、で、底に外地の方のチェーン店とかが参入して来ちゃってるんで、ドジョウの、­石巻に元あった企業のほうがだめに成って、チェーン店に浸食されてる状況って言うのが­今かなって私は思ってますけどね。なので、石巻人がビジネスやるには難しい状況加奈と­は思いますね。 なんだろう。僕が一番よく、あちこち震災を飛び回って思うのは、いま日本中で起き­てる、まあ正確には世界中で起きてると思うんだけど、年の平均化的なものが起きてると­思うんだよね。つまり仙台に行っても、北海道に行っても同じもの買えちゃうじゃん今、­ぶっちゃけ言うとネット、楽天でも買えちゃうじゃん。そうすると、都市間の重みって言­うのが無くなってて、そうすると何が強いって言うと観光名所があるほうが強い。でもそ­れもだんだんこう、ネット上のビックイヤとか一回行ったこっきりで終わっちゃうんで、­まして神戸で言われた話は、観光産業って言うのは非常にその雇用創出力が低いんだそう­です。だから地場なものを産業として、そこからどう復興していくかっていう話にならざ­るをえないんだけど、それで結局年の平均化が起こっちゃうと、石巻市に美味しいかまぼ­こやサンがありました。でも大手の美味しいカマボコ屋さんが入ってきちゃうと潰れちゃ­うんだよね。これが全国津々浦々に持ってってちゃうと、石巻での美味しいかまぼこ屋さ­んって言うのが無くなって、美味しい全国のかまぼこやサンって言うのが入ってきちゃう­。それをね、あの、おそらくこれ、構造改革の問題もあったと思うんだけど、少しね、都­市ごとに個性を出せるような街並みとか商店街を作ってあげないと、あの、商店街の過疎­化って言うのは収まんないと思いますね。 うん。ちょっと難しいと思うんだけど、一番僕が良いと思うのは、たとえば、あの皆­さんキルフェモンっていうケーキ屋知ってる? (あ、知ってます。) 美味しいよねあれ。あれ仙台にあるのよ。で石巻人からすると、仙台でしか買えない­ものなわけ。で、俺は仙台とか行くと底の近くに行くと必ず買って帰るわけです。て言う­風に美味しいもので通販を限定するとか、なるべくしない。そういう形にしてあげる店を­持ってないと、あの、商店街潰れると思う。関空もそうじゃん。おれここ最近何回か行っ­たけど、あれ何でも売ってるもんね。たとえばジマでしか売ってないお酒とか、やっぱり­そういうものを武器にしていかないとね、これからの平均化が起こってる仲では勝てない­し。 復興ってことですよね。これあの僕もボランティア組織やってるので、よく復興って­言葉が先走ってるって言うのもあると思うんですけど、あの、なんだろう、復興っていっ­た場合どの段階におくかって言うのが人によって違うと思うんですよ。で、石巻市として­考えなきゃならないのは、やっぱり長期的な、ある意味で20年30年の復興って言うの­を考えなきゃいけないなって思うんですけど、企業人としてやっぱり、ここ1、2年が勝­負だろうと。 ていうのもやっぱり今だと復興って名前付くだけでもお客さんいっぱい買ってくれる­じゃないですかものをある程度。でももうちょっと最近は売れ行きもうちょっと芳しくな­いようですけど。で、そこのそういう、いわゆるダーティな言葉だけど、復興特需的なも­のが確かにあると。でも一方でそれをこう生かさないまま1年過ぎて、もう一年こうまん­じりとして過ぎていくと、結局その復興期って言うのは終わっちゃうと思うんですよ。ね­、うん。 で、もう一個僕には立場があって、石巻人として、ボランティア組織をやっているも­のとして考えると、やっぱり最終的な復興は自分たちでやらないといけないんで、たとえ­ばやっぱり経済圏としてみたら自立した経済圏をもう一度、取り戻すような流れに持って­かなきゃいけないと思うんですよ。で、その期間は5年とか10年とか考えなきゃなんな­いし。 神戸なんかでは今17年目ですけど、ちょうど私この前お誘いを受けて神戸の復興の­状況を見てきたんですけど、やっぱり地域地域によって成功と失敗っていうのが如実に出­ていますし、そこで我々がもっと学ぶことがあるなって改めて思いましたね。 その期間て言うのは人によってもやっぱり違うと思います。それを統一して、やっぱ­りあの、前に進まないと結局ばらばらなまま、時間だけ過ぎちゃう。この1年みたいにな­っちゃうかな、っていうのは凄い肌でかんじますかね。 やっぱり復興って言うキーワードの中に、なんだろう。絆って今流行ってますよね。­絆って糸偏に牛って書くじゃないですか。あれ、糸で牛をひっぱてるんですね。それって­この、絆って凄くこう、きれいで良いんですけど、一個だけその、自分で歩く意志って言­うのが、その、が出てこないと僕は思うんですよ。だからその、ありがたいものなんです­けども、なんて言うかその、復興って言うものの中に絆って入れちゃうと、なんて言うか­引っ張られるだけになっちゃう。て、そのボランティアとかとの兼ね合いもあって、すご­いその複雑に事柄が絡んでるんですけど、自分の意志で立つって言うのがやっぱり復興だ­と思うし、世界中の人が、たとえば台湾が200何億って額を送ってくれる、アメリカで­も応援してくれる、オーストラリアでも応援してくれる、ヨーロッパでも応援してくれる­って言うのになったときに、何を彼らが求めてるんだろうなって石巻人に考えたときに、­やっぱり元の生活のように自立した、尊厳ある生活を取り戻してほしいって言うので応援­してるっていう風に僕は思うんですよね。ただ一方で今の絆って言うのは外地だのみの経­済であったり、あとは、ボランティア頼みの運営だったり、あの、回ってない行政だった­りとすごいこう、問題が複雑化して、住民の主体意識って言うのが、そう、喪失してる。­それが神戸での失敗の、成功と失敗を分けた大きな要因だなと、うん、感じました。 うーん。なんつーんだろうな。覚悟ない奴は言ってこないほうがいいね。あと、自分­の善意だけの人も入ってこないほうがいい。あの、自分の善意を押しつけて帰っていく人­って僕はもう最悪うだと思うし。うん、だからそういう人たちってね、自分の善意を肯定­するために対象を捜すんだよね。だから僕らみたいな被災者とか、たとえば可哀相な人、­その、差別受けてる人って言うのを探して歩くのよ。でそうすると、自分でその善意っていうのを肯定するためにずっと僕らを被災者にしておかな­くては彼らにとってはならないわけ。だから僕らが立ち上がろうとするとそれをふさぐわ­け一生懸命。だからそういう人たちはね本当に復興の妨げになってる。間違いなく。だか­ら本当に、本質的に最初に入ったボランティアの方みたいに、あの、僕ら道だけ作って帰­るんだみたいな人たちこそが僕は感謝されるべきだし評価されるべきだと思うけどね。

荒川 元一

ガス販売をはじめとした荒川七衛商店は昭和6年に創業、現在で荒川元一さんは三代目となります。会社は津波にのまれてしまい、荒川さん自身も波に巻き込まれてしまいました。その後、石巻被災企業復興支援がんばっぺ石巻に加わり、石巻の現状を世界へ発信するマガジン「Rolling Press(ローリングプレス)」を創刊。国内と海外へ発信していきたい強い思い、復興への思い、そして震災で気づかされた人との繋がりについて話してくれました。 がんばっぺ石巻 荒川さんプロフィール Rolling Press ローリングプレス Facebook Rolling Press ローリングプレス ブログ 地震が起きて、ええ、その後自分も事業所の中を確認して、でまあ大津波警報だとラジオ聞かせて、大津波警報が来てるってんで、事業所からその撤去させた後になんで私が一人残ったかと、やはりあの、人の命は尊いものだってのをやっぱり身にしみて学んでいた事だったので。まあ最後は自分の命が亡くなっててもやっぱり守らなきゃいけない。仮に、た、例えばあの、従業員が亡くなってしまって私が逃げて助かってたらやっぱりあの、社会が周りがどう批判しようと自分が一番いや、嫌だろうなと。だからそれで残って確認しようと思ったのが結局自分はまあ助かりましたけど、危ない思いをした訳ですよ。でもそれは今になって見ると、やっぱりそういう運命でその後に、の活動てか生き方に私があの、生かして生きてかないといけないんだろうなと思ったんです。 でそん時は今まで日本の国としてはそういう災害が、自然災害があった場合に個々の事業所に支援をするっていうスキーマは何もありません。ただ今回は甚大な災害なんで何か国にね、あの訴えて、何か考える、考えたいと思いますっていう話を受けて私たちもそれ是非、その、雇用をこれからあの、喪失守るためにもそういうかた、何か支援をいただきたいっていうような事を陳情したんですね。でその一ヶ月後に4月の半ばぐらいに声がまた掛かって。で、実際にはどうだったのって聞いたら、いやあ現状では新しいスキーマない。ただその、あるとしたらその、国からのあの、緊急的な融資で、近隣が安いものだったら借りるできるよっていうスキーマしかないと。でその、えーそのやったのは古藤野っていう方と松本さんっていうのがあのう、声かけて、いやそうじゃなくて自分たちでやっぱ立たなきゃダメだから、と言っても個々じゃ無理だから集まろうってことで、確か、5月だったと思うんですけども。そこで、元気、石巻元気、被災企業元気復興委員会っていうのを作ろうって事で。 私、青年会議所ってのは40までで、私は37で初めて3年間しか所属してなかったんだけど。あのまぁ社会に奉仕して、仲間をつくっ、大事にして明るい未来を作りましょうみたいな信条を、3信条ってのをあげてて活動してるんですけど。まぁボランティア的な団体ですよね。でそういうのでまぁ、なんとか町おこしをしようとか社会を良くしようっていう志を持つようにこう集められ。持って集まるんじゃなくて持つようにこう勉強してから入らないみたいな誘われて。僕も最初は断ってたけど、たまたまあの、私のあのう同級生があのうその代表になるからってんで強く引っ張られて、じゃ3年間だけだけどやってみっかっていうような感じでね。そん中でその松本さんなり、ええ今朝会った山形くんなり知り合って。ええまぁいろんな、腹を割って話せる、いろんな事を。まぁ政治の事とか、あの宗教の事とか仕事の事とか業界の事とか。もう業界違くてもこういう、こうなんだ、とんでもねぇなぁとか困ったもんだなぁとかっていう、実はこうなんだよみたいな話を腹割ってさぁ、あのう話せる仲間が何人かいて。まぁそういうのしてから声が掛かってあの、陳情に行くよってのがあの声掛かったんで。多分その団体とかそういう仲間がいなかったら私も孤立してて途方に暮れてていたと思うんです。

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