雄勝仮設商店街でお買いものと食事ができる魚屋「南三陸うまいもの屋 洸洋」を経営している上山正彦さん。お魚屋さんのことや神楽のこと、雄勝の将来のことを時々ジョークを挟みながら楽しくお話して頂きました。
海の存在
上山氏: 海でそのレジャーをするって言うよりは、何か海に潜って物を取るっていうのが基本的、基本ていうかその、まぁなんていうのその今でいう密漁とかすごい厳しくもなかった感じの、まぁ地元っていう強み。でまぁ、それが一つの自然体系って感じで、まぁ親なり、その地元の人から言われて、まぁやってるっていう。まぁだから海でバーベキューしたり、そのレジャーっていうのは、もうほんと、高校入ってから、何これっていう感じ。そう、海と戯れるってのはこんなのかみたいな感じで。でしたね
遠洋漁業
上山氏: で結構ね、皆さんは、その雄勝は、その漁師町だっていう、ことを言うんですけど、意外とそうじゃない部分も多いんですよ。あの漁師は漁師なんですけど、昔のーそのうちなおやじもそうなんですけど、遠洋漁業、に乗ってる人が多くて、そこでまず一つのその財をなすっていうか、ある程度の資金を貯めて、それでまぁあの体が動けるうちに、養殖の、をしたりとか。まぁ、養殖をおそくやってんのを、拡大するために一旦船に乗って、あのお金を貯めてっていう
生徒: 遠洋漁業の方が生計は立てやすい
上山氏: 昔はそうだったんです。今あの、まぁ今分かるかどうかあれなんですけど、昔はちょっと二百海里問題とか、あってその、今すんごいあの、漁業ってかその、漁船は色んな規制があるじゃないですか、そこ、他の諸外国と。それが結局、二百海里規制が入って、で、まぁ、言い方悪いと乱獲だったんですよね、日本の船っていうのは。まぁ、そういう部分にたぶんとらえられたのかなっていうのがあって。まーだからとにかく、うちらのおやじだって、おやじ世代の人がたぶん多いと思うのは、その中学校卒業したら、もうそのまま船乗っちゃえみたいな。うちのおっちゃんたちもそうなんだけど、とにかく中学卒業して、あのー、船に乗って、まぁお金を稼ぐ。体丈夫だったらもう一年我慢すれば家建つって言われたくらい、稼げたっていう
震災後の気持ち
上山氏: 震災に、そのー、あって、仕事がどうこうとかっていうのをすごい考えたんだけど、まやんなきゃないのは、とにかく、神楽やんなきゃないなって思って。で例えばその、例えば神楽をね、してて、で震災でもう雄勝なんてもう働ける場所もねぇから、もうもう、まだ、なんとか頑張れる年齢だから、仙台とか東京行って、お金稼ぐかっては考えなかったね。とにかくまずは、道具は流出して、それ探しに行って、なんとかそれこれやんねぇとやばいよねっていう感じ。やばいよねっていうか、やらなダメでしょってみたいな感じ、だったから。だからその、なんだろ、その、あの津波を、またぶん、人生で二度と見たくはない津波だったけど、ま見てしまって。でも、なんか、この世の終わりだって一瞬は思ったんだけど、まぁその波がひけたあとには、まぁ、何とかしなきゃいけないんだろうねっていう感覚。あー、皆建物なくなってしまったけど、ま自分らも生きてんだし、何とかなんでしょっていう。ちょっと楽観的なとこもあったかなっていう感じ
将来の目標
上山氏: うん、でっかい夢ってのは、やっぱりあれですよ。ま、この、今せっかく立ち上げた、その飲食店を極端に大きくする気はないんですけども、まぁ、なんてかな、親しみられやすいお店にして、まぁ誰かにちょっと任せて、で、自分は神楽の方に専念したいなっていうのは、うーん、ありますね。その神楽に専念するっつうのは、なんてのその雄勝のその地域のコミュニティの方に力を入れたいっていう。で、やっぱり、ま、その、自分が神楽をやりたいだけじゃなくて、その後継者の問題がすごい、あのー、やっぱり、なかなか若い人たちが、若い世代がやるっていう、魅力が、魅力作りっていうのがやっぱり欠けてるので。で、ま、うちらは、その歴史上の中では、神楽を継承していく中の通過点の人間なので、これをまた次世代に残すっていう役割がたぶん一番重要だと思うんですよ。なので、そのー、昔からあるものを、聞いた、聞いてみて、伝えて、それをまた次の世代に、そのバトンを渡す役割をしっかりやりたいんだってのが今の自分の中での夢かなっていう
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