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コミュニティー

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上山 正彦さん

インタビュー一覧へ戻る 雄勝仮設商店街でお買いものと食事ができる魚屋「南三陸うまいもの屋 洸洋」を経営している上山正彦さん。お魚屋さんのことや神楽のこと、雄勝の将来のことを時々ジョークを挟みながら楽しくお話して頂きました。 海の存在 上山氏: 海でそのレジャーをするって言うよりは、何か海に潜って物を取るっていうのが基本的、基本ていうかその、まぁなんていうのその今でいう密漁とかすごい厳しくもなかった感じの、まぁ地元っていう強み。でまぁ、それが一つの自然体系って感じで、まぁ親なり、その地元の人から言われて、まぁやってるっていう。まぁだから海でバーベキューしたり、そのレジャーっていうのは、もうほんと、高校入ってから、何これっていう感じ。そう、海と戯れるってのはこんなのかみたいな感じで。でしたね 遠洋漁業 上山氏: で結構ね、皆さんは、その雄勝は、その漁師町だっていう、ことを言うんですけど、意外とそうじゃない部分も多いんですよ。あの漁師は漁師なんですけど、昔のーそのうちなおやじもそうなんですけど、遠洋漁業、に乗ってる人が多くて、そこでまず一つのその財をなすっていうか、ある程度の資金を貯めて、それでまぁあの体が動けるうちに、養殖の、をしたりとか。まぁ、養殖をおそくやってんのを、拡大するために一旦船に乗って、あのお金を貯めてっていう 生徒: 遠洋漁業の方が生計は立てやすい 上山氏: 昔はそうだったんです。今あの、まぁ今分かるかどうかあれなんですけど、昔はちょっと二百海里問題とか、あってその、今すんごいあの、漁業ってかその、漁船は色んな規制があるじゃないですか、そこ、他の諸外国と。それが結局、二百海里規制が入って、で、まぁ、言い方悪いと乱獲だったんですよね、日本の船っていうのは。まぁ、そういう部分にたぶんとらえられたのかなっていうのがあって。まーだからとにかく、うちらのおやじだって、おやじ世代の人がたぶん多いと思うのは、その中学校卒業したら、もうそのまま船乗っちゃえみたいな。うちのおっちゃんたちもそうなんだけど、とにかく中学卒業して、あのー、船に乗って、まぁお金を稼ぐ。体丈夫だったらもう一年我慢すれば家建つって言われたくらい、稼げたっていう 震災後の気持ち 上山氏: 震災に、そのー、あって、仕事がどうこうとかっていうのをすごい考えたんだけど、まやんなきゃないのは、とにかく、神楽やんなきゃないなって思って。で例えばその、例えば神楽をね、してて、で震災でもう雄勝なんてもう働ける場所もねぇから、もうもう、まだ、なんとか頑張れる年齢だから、仙台とか東京行って、お金稼ぐかっては考えなかったね。とにかくまずは、道具は流出して、それ探しに行って、なんとかそれこれやんねぇとやばいよねっていう感じ。やばいよねっていうか、やらなダメでしょってみたいな感じ、だったから。だからその、なんだろ、その、あの津波を、またぶん、人生で二度と見たくはない津波だったけど、ま見てしまって。でも、なんか、この世の終わりだって一瞬は思ったんだけど、まぁその波がひけたあとには、まぁ、何とかしなきゃいけないんだろうねっていう感覚。あー、皆建物なくなってしまったけど、ま自分らも生きてんだし、何とかなんでしょっていう。ちょっと楽観的なとこもあったかなっていう感じ 将来の目標 上山氏: うん、でっかい夢ってのは、やっぱりあれですよ。ま、この、今せっかく立ち上げた、その飲食店を極端に大きくする気はないんですけども、まぁ、なんてかな、親しみられやすいお店にして、まぁ誰かにちょっと任せて、で、自分は神楽の方に専念したいなっていうのは、うーん、ありますね。その神楽に専念するっつうのは、なんてのその雄勝のその地域のコミュニティの方に力を入れたいっていう。で、やっぱり、ま、その、自分が神楽をやりたいだけじゃなくて、その後継者の問題がすごい、あのー、やっぱり、なかなか若い人たちが、若い世代がやるっていう、魅力が、魅力作りっていうのがやっぱり欠けてるので。で、ま、うちらは、その歴史上の中では、神楽を継承していく中の通過点の人間なので、これをまた次世代に残すっていう役割がたぶん一番重要だと思うんですよ。なので、そのー、昔からあるものを、聞いた、聞いてみて、伝えて、それをまた次の世代に、そのバトンを渡す役割をしっかりやりたいんだってのが今の自分の中での夢かなっていう インタビュー一覧へ戻る

佐藤幸弘さん

インタビュー一覧へ戻る 名取市出身の佐藤幸弘さん。閖上の人と関わるうちに、閖上の人の温かさを感じ、恩返しをするために閖上たこ焼きを販売しているそうです。 閖上たこ焼きの将来 Q: やっぱりこれからもこの閖上たこやきをみなさんに伝えていく、おいしく食べていただくって形で続けていきたなって感じてますか? そうですね。できる限りは続けていって、僕が仙台とかいってたこやきをやることによって、閖上っていう名前がついてるんで、閖上っていうのを知ってもらえるいいきっかけかなと思います。 Q: 仙台とかでも売られたりするんですか? そうですね。仙台行ったり千葉、福島、東京も行ったね。 Q: ほんとですか? 2回ほど行きましたね。 やっぱりそういうこともどんどん発信していけると、やっぱり知るっていうことが一番大事じゃないなっていう 閖上っていう字も読めないっすよね最初。 すごい面白い字かくなっ思って。 それでね、閖上たこやき売って、閖上っていうのを知ってもらって、少しでも被災したところに目を向けてもらえるきっかけになれば。やっていく意味あるのかなって思いますね。 将来のビジョンとしてはそうやってどんどん全国に浸透していけばいいかなって ですね。できれば全国。秘密の県民showとかに出られれば なるほど。 一気に知名度が広がりますね。 はい 防災教育 Q: これからやっぱりあの小さいお子さんとかいらしゃってて。被災した地域としてお子さんにどういうふうに3、11のことを伝えていこう。また伝えないでそこはっていう子供に対する対応は? 被災したっていうことよりは僕は防災。海は楽しいものだけど、こういう一面もあるっとか、こうなった時はこういう風にしないといけないっていうのをまあ今回いろんな形で学んだのでそれをやっぱ子供たちに伝えたいっすね。 Q: やっぱりこう地震がきたら次は津波が来るから高台に逃げろとかそういう取組というかそういう子供に防災を教える取組っていうのは名取市では行われているんですか? どうなんですかね。名取市でしているかは分からないんですけど、自分も防災について勉強しているとこなので、それをやっぱ閖上の人と触れ合うことによってやっぱなくなった、家族とかなくなったっていう人もいるじゃないですか。そういう涙を見てるのでそういう思いをする人が一人でも少なくなるように子供たちに防災っていうのを教えて、そういう被害がもう二度とないようにしてもらいたいですね。 行政に求めること Q: やっぱり行政の土地改革の問題だったりとか意見が対立するものが多いと思うんですけれども、今佐藤さんがこう行政に求めることというか、どういうことしてほしいとかってありますか? 求めることはやっぱり住民の声を聞いて、少しでもそのできるかできないかじゃなくて心のケアというか、みんなが望んでることを少しでも耳を傾けるような政のありかたであって欲しいなって思いますね。 Q: 今あの状態だと閖上の方々からしてみればあまりこう名取市のこう政策にちょっと意見を合わせることが出来ない人がおおいのかって思うんですけれども、そういうことに対してはこれから変えていかなきゃ、変われるってお考えですか? 変われるっていうか変わってほしい。やっぱり住民あっての町じゃないですか。ただね、町を作る基本って行政にあると思うんですけど、行政のやり方はやり方であっていいと思うんですけど、そこに住民の希望とか意見を少し反映できるような町になってほしい。内陸に、現地に戻る人もいるじゃないですか。そういう人たちはね。そういう人たちの自分たちの町を作るにあたって精いっぱいサポートしてもらいたいと思うし、内陸に戻る人は内陸に戻る人のサポートを一生懸命にしてもらいたいし、他にもともと内陸に住んでいる人たちもいるわけですからね。閖上だけっていうわけにはいかないと思うんですけど、そんななかで、住民あっての名取市であってほしいかなと、希望は。それはね僕だちがなにかできるもんじゃないので、議員さんとか、そういう代表の方たちが一生懸命やってくれてるので、僕たちがあまり言うことではないけど希望はそうであってほしいと思いますね。 閖上の人 Q: 先ほど閖上の人は困ったときに助けてもらえるっておっしゃってたんですけど、やはりその名取市に住まれてて閖上に住んでない、外からみても閖上の人は地域の人と比べて違うと感じますか? 僕の場合たこやき閖上のたこやきをやるにし、やっぱりお金の面でも、何かの面でもやっぱり大変な時があるじゃないですか。その時に味だったりとか、味も結局閖上の人が食べてくれないとわからない。そういう時にこう事細かにアドバイスくれる人が出てきたりとか、場所がないって言ったときに、じゃあうちの場所使ったらって言ってくれたりとか、今までずっと車を借りてやってるんですけど、車が借りれなくなるっていうときに、金かしてやっから車買えよって言ってくれるのも閖上の人だったし。困ったときにそっと手を差し伸べてくれる人が閖上の人だった。だからそういう感謝っていうかそういうのが自分にとってはプラスになっているので、そういうめんで違う形で恩返しをしたいっていうのがありますね。 コミュニティー Q: やっぱり閖上の方々は、一緒にこういう仮設で住んででコミュニティーを築かれてて、バラバラになるのがやっぱり嫌だっていう方がいらっしゃると思うんですけど、そういう気持ちを持った方との、やっぱり、その場で移転されて、一緒になればまたそこで新しいコミュニティーを築けるっていうふうに考えられますか? まあその時点で新しいコミュニティーはできると思いますけど、時間かかりますよね。それまでがやっぱり、自分もこう知らない土地に行ったときに、やっぱり最初からコミュニティーって作れないじゃないですか。 やっぱり、そうですよね。先ほど玉田さんとお話をしてたんですけど、やっぱり3年間ここに、ここのコミュニティーに住んで、やっとこうこの仮設に住んでみんなと仲良くなれたっておっしゃってたんで、移転した先でもそれが一番変わっちゃうのかなっていうふうに思うんですけれども。そこはやっぱりこう助け合いで解決できたりとか。 そうですね。僕去年の4月かな。初めてここにきて、たこ焼きを無料で配布しますっていって来たんですよ。その時にまあ、その時と、この間ここにきて、まあ1年ちょっとたって。まあみなさんの表情も違うし、コミュニケーションの強さっていうか大切さっていうのを、改めてこないだ、見て感じたので。それまでは、仮設自体が少なくなっているのは復興の1つとしていいことなのかなって思ってたんですよ。でもこないだ来て、おばちゃんとかの顔をみて、コミュニティーがあるからこそ、みんなで強く生きられるっていうのを感じたので。そのコミュニティーがね、やっぱバラバラになったり、最初から築くっていうのは難しいことだと思うので、ぜひこのままいい形で続けられたらいいんじゃないかなって思うけど。 インタビュー一覧へ戻る

松岡 孝一 10

エピソード クリップ1 クリップ2 クリップ3 クリップ4 クリップ5 クリップ6 クリップ7 クリップ8 クリップ9 松岡孝一 クリップ1 「南三陸の好きなところはコミュニティがしっかりしてるところ」

松岡 孝一 5

エピソード クリップ1 クリップ2 クリップ3 クリップ4 クリップ6 クリップ7 クリップ8 クリップ9 クリップ10 松岡孝一 クリップ5 「苦労ないです。自分で全てやろうと思うから大変だけ、 ここの仮設は協力体制がすごい」 http://youtu.be/YBi1tAW2eh0

松岡 孝一 4

エピソード クリップ1 クリップ2 クリップ3 クリップ5 クリップ6 クリップ7 クリップ8 クリップ9 クリップ10 松岡孝一 クリップ4 「なんでもやってくれる。そういうのがここの強み」 http://youtu.be/iNmvNY8hmQk

松岡 孝一 3

エピソード クリップ1 クリップ2 クリップ4 クリップ5 クリップ6 クリップ7 クリップ8 クリップ9 クリップ10 松岡孝一 クリップ3 仮設住宅設置の経緯 http://youtu.be/zX6DprvY7O8

九頭見淑子さん

インタビューページへ戻る 九頭見さんは、福島県いわき市、湯本にある操業100年の和菓子屋 「久つみ」を経営しています。実際九頭見さんのお店で3.11の震災後の生活への影響や、現在の状況、震災後の様々な心境などのお話をお聞きしました。 3.11の震災後の変化(街の変化、商売の変化) 売上的にはね、三分の一だね。例え…簡単に言ったら100万…一か月100万売れてたとしたら30万…もう本当に観光客がいない町になっちゃったからね。もう今は旅館25軒位あるんだけどね、ちゃんとした営業でお客さん…観光客だけでやってる旅館1軒しかいない。後の24軒のうち泊めて仕事してる…あの…観光地・観光客以外の作業員の人みんないるのでどこの旅館も、その他はね、三分の一くらいのお部屋をね、一般の観光の人に状況なので…もう本当にヒドイもんだよ。だからバスをね、まず見ないから、バス通んないから…いつも、今まではね、今日もう土曜日でしょ…土曜日だから道せまい所をやっとおっきい観光バスが曲がるのが大変そうなのをしょっちゅうみてたりね…駐車場には5台6台とバスが停まってたけど…今いないからバスが。まずこない! バスが来ても「ハワイアンズ」には東京からね、直接無料バスみたいなバスが通っていて…後観光バスも「ハワイアンズ」は作業員の人がいないのでそういう意味では一人勝ちだね…「今は観光客がのびてきている」ってハワイアンズ言うんだけども…その伸びてるひとつの理由は国とか東京都とかそういう所で補助金を出していて補助金を出して、1人例えば5,000円なら5,000円を補助します…いわきとかに泊まった場合。けどこっち(いわき市)泊まる所ないでしょ?だからみんなハワイアンズにバスで行っちゃうわけよ。だから「ハワイアンズ」はそれで潤っているで…今、結構、お客さんはいるよ。 震災以降の変化について、心境 それなりに努力はしても努力は努力として、でも何もやらないよりはね、人を呼ぶように、子供はここで学際をやったりね…よく学校とかで文化祭をやるけれども町で小学校中学校高校とかみんなきてね、演劇…演劇はやらなかったな、歌と吹奏学とか後は剣道は剣道の人が盾とかやったりだとか、いろいろレスリングだとか、子供たちが集まると親も来るし、おじいちゃんおばあちゃんも来るし結構いっぱい一日だけでも人が集まって賑やかだった日があったのね。で、それ毎日やって欲しいなあーっとか思っちゃったりとかね、でもそんなことできるはずもないんだけどもね。本当に、夜ここで立ってここの道路350メートルもあるんだけど、向うまで見えるわけよ、人が通っていないから、寂しいよね。もうだって駅から降りてくる人なんか前から見たら全然減っているし、駅の自動券売機なんか連休っていったって売上金が例えば目標が50万とか100万とかだとしても全然やっぱり売れないって駅でも嘆いている。 今の状況、悲しみ、人々の思い 今ちっちゃかった子供が大きくなったときにきけん児が産まれたら、なければいいけど、あったらね、もう私たちの都合で呼んでなっちゃったら目回ってられないので、安心する所があるので、今いってもらっているんだけど、そういう人も旅館も若い人達はすぐに出てちゃったからね、子供たちに影響があるっていうからね、まして女のこのいる家族なんかお嫁に行くにも「福島の家があるの」って言うと絶対なんかなるって思われるらしく結構遠くにいっちゃったし。ここの角でお土産屋さんやってる所もやめちゃって、長野の方に行ってね、お店もだんだんだんだん減っていく一方でこれから….ゆったり館に行くには通らないか….一番の旅館のメイン通りの童謡館の近くあるんだけど、なーんにもなくなっちゃった壊してそのあとに出来ないから、もう戦後の終戦後の第二次世界大戦の焼け野原にぽつらぽつら家があるみたいな感じになっちゃってて、恥ずかしいというな投げ悲しいというか、でも後継者がいなければ家を建てる人もいないでしょー、だからなーって思うんだけども。本当の出来る事ならあの日の前で戻りたいって気持ちはあるけどもそれは出来ないことだから、これからの事を考えるって事だけで…自分達はもう家もあるしお店もなんとかね、自分達が食べて行く分はねなんとか、3分の1でもね、やらないよりは少しは利益が出るのでやってるって感じですね。 福島のイメージ、原発への思い 原発の事故がなければね、確かに300人以上いわき市も津波で亡くなっているので、沿岸沿いね、今もまだ復興していないのだけども、それと地震だけだったらね大丈夫だったとは思うけども、自分達の努力ではもう…フォローしきれない原発でね…この頃そんなに歩かなくなったけども…1年目、2年目は今ころの時間皆作業から帰ってきた人が本当にぞろぞろ、ぞろぞろものすごくいっぱい居たから。もう町がまるで観光地の色ではなくなっていた。 メディア/報道について でも一番最初のもう何が何だか報道もめちゃめちゃ、何が起きているのか、何ベクレル…何…そういう単位の話しもねどっちが大きくてどっちが少ないのかも分からないその原発に対しての知識って…だいたい皆もっていなかったので、何が起きてるんだろう…って思ったけど…本当にバスでねその送り迎えして作業員の人が朝の3時ころ行くんだよね、各旅館回っていくバスなんか見るとなんか本当戦地に向かう兵隊さんみたいな感じで、それが行ってきてまた帰ってきてってのを繰り返しで…異様だったね..そういう時の様子から今は落ち着いて見えるけれども原発そのものはみんな知ってるように汚染水でもう…うそばっかり言ってるしね、次から次からあっちこちから漏れてまた何十万ベクレルが出たとか言ってるけど新聞にのるのは本当に3行か4行ぐらいで。すごい大変な事が起きてるのにあんまり報道それなくなってきているし、実際はもうまもなく3月でね3年になるのに「何か変った事ありますか?」って聞かれても特にないですねえ…お客さんも戻ってきてるわけじゃないしね、逆にだんだんだんだんこれをいつまでもこんなことを5年たっても40年、10年たっても40年って40年40年ってのがせばまらずにもう私らの世代が、せいぜい平均寿命だとしてもあと20年ちょっとだからさ、その時代にはこのままいっちゃうのかなーっていう思いもいっぱいあってね。 今後への不安、考えについて そういう不安ね、そういうのは考えれば考えるほど不安が多くなるので、考えないようにしようとは思うのだけど、でも現実に毎月放射能検査はちゃんと来てね、わりと少なくなってきたんだよ、わりとね、測ってもらってるんだよ、そういうのはみんなやっているとは思う。後、食品の検査ね、それも保健所でやってもらって、「大丈夫です」をもらってやっているのだけども…それだってさ一日一日そんな、例えば菓子あけました、ここには放射能はこうですだのが一番上にあったら食べたくなくなっちゃうでしょー…だからそれは聞かれた時だけ言うことにしているのだけども、でも現実は…まあーお菓子はそれほどでもないけども、あの米とかねなんかやっぱり自分のところで作って子供にあげようと思っている人もいるけれども、子供は「もう結構です」って断られるしね、魚も得にそうだし、私なんかも親戚とかに毎年いまぐらいになったらサンマとか送ったりとかしてたけど、あの事故以来向うから「もう、結構ですから」とか断られたし、逆に果物とかも送ってきた人たちもパターっと送ってこないし…もうなんか…きん…親戚付き合いもそういういみでなくなっちゃうよね。じゃ、何を送ろうかと思うと全国共通の洗剤とかさ、ビールだとかさ、携わりないもの送ると…「お母さんのそういうお心遣いがよくわかります」みたいなお礼状がきたりしたりね…. インタビューページへ戻る

佐藤 英介さん

インタビューページへ戻る 佐藤さんは社会福祉法人楽寿荘の統括事務長です。震災直後、屋内退避地域との境界地域で物資のない中、高齢者施設の運営を継続しました。施設建物直前まで津波が押し寄せた時には、入所者を避難させました。 福島県と宮城県岩手県との違いについて 放射能の被害と津波の被害について 「まーね考えてみたら放射能の問題さえなければ…だから宮城県とか岩手県の方の災害も大変だと思うけど…一点ねそれだけの問題に対して福島県は放射能のかかってるんでね。2重にこう、避難を被害を受けた人と放射能だけの人と2通り分かれているんですね、福島県の人はね。放射能だけで逃げた人と津波の人とそれから津波と両方やられた人。で津波と両方やられた人は逃げた人と同じ、その帰れない地区は同じ扱いになるとは思うんだけども、でもやっぱり皆温度差があるから大変だと思いますね」 放射能、援助、除染 「これ広げてみてください。 ちょうど37キロなんですここ。で30キロ圏までは色々恩恵があるんですけどもその隣は全く、全くないんです、わたしらの所。直線で37キロなんです。今でもその窓際に出すと0.6−0.7マイクロシーベルトくらいあるかな。でそこの桜の木の下の根っこあたりはしたにおろすと1.3マイクロシーベルトくらい。今でも。で、除染をする予定ではあるらしいんですけど、建物関係は全部除染しちゃったんで、自分らで。高圧除染で、もう最初の頃に。その頃はね、屋上の雨水の先の落ちくずね、あのあたりで10.0越えるくらいの濃度はあったんですよね。ですからこの辺の松林はたぶんあると思うんですよ。逃げるところがないんで、多分放射性物質が付着して。松の葉っぱでもなんでも落ちちゃうでしょ?その辺が残ってるんでね、まだね、だから37キロ、こういう感じでとんだみたいですね。」 コミュニティー、避難所、仮設 「で現実にいわき市の行政区域からみた時はみなさん全部一緒になって、こうグループグループになって各町にね。ですから同じ仮設になって、ここは(一つの仮設は)大隈町、ここは、、、町、そしてここはいわき市の津波で家なくなった人たちって、同じグループの中でこうやって分かれてるんですね。ようはみんなバラバラに入ってるでしょ?だからそれぞれの付き合いが出てもそれぞれも直接、点と点の繋がりしかないから。」 施設職員 「これどこの施設も困ったんだけども、職員いなくなっちゃって。残って一生懸命やっている人と、どうしよっかって事になったんですよね。かたっぽペナルティーでかたっぽご褒美やんなきゃなんないのかって。そういう風にこう人を区別しちゃうと来づらくなるんじゃないかとか、そのあと職員同士で感情的におかしくなるんじゃないかっていう。なった施設が結構あったんですよ。わたしんとこ結果的に何もなかったんですけど。最終的に500万使ったんですけど、ようするに2週間毎日いた人には25万あげましょうと。で、今度ペナルティーの方はどうしようかって考えた時に、給料を下げるとかいろんな事やった施設もあると思うんですけれども、給料を下げたままだと一生ついてくと相当なマイナスになるじゃないですか。なんで、一回でいいだろうと。じゃあ賞与をカットしようと。で賞与をカットするのもいっぺんにカットすると大変だから、2回に分けてカットしようと。できるだけ負担がかからないように。だって本来はみんないなきゃなんないのに、家族の関係でみんな逃げたっていう人が多いんですよね。家族がいるからお前も一緒に来いっていう事で一緒に行ったんだけども家族を置いて戻ってきたっていう、そういうケースが多かったんですね。まあ、そういう事で一応ペナルティーとご褒美あげたけれどもそういうトラブルは私の施設ではなんもなかったですね。いさかいも何にも。他の施設では結構あったみたいです。でいずらくなって辞めた人もいるって。」 政治、風化、福島県と他の都道府県 「だったら当たり前だって。忘れられたって当たりまえじゃないのって。私もそう思うんだよね。本当にそうだったらそういう意思表示をしなきゃなんないからね。東京だってもう放射能そんなに響かないでしょ? 私は日常茶飯事だから。原発だって誰も信用してないですから。わたしらは。あのいちいち発表しててもみんなうそだろうって。後から後から。 まえから話聞いてたのが後から出てくるから。ひどいはなし。」 原発事故後のいわき市 「40年、60年くらいかかるなんて言われてるから。いま ものすごいですよ、いわき市。他県ナンバーがものすごくて。それから飲み屋もゴチャゴチャしてるし。朝になるとワーって双葉郡に行って、夕方になるとワーって戻ってくる。これが何十年も続いてるって言うんで、みんあうーんなんて思ってるけど。でそういう人と避難して来てる人とみんなごちゃ混ぜになってるんで。ここがね。そんなの東京の人分かんないでしょそんな。多分、私はここ、こういう恩恵がなくなったときあなたら注目して見てた方が良いと思うよ。なくなった時避難してた人たちがどういう動きするかって事だと思います。 インタビューページへ戻る

須藤 ひろみ 2

エピソード クリップ1 クリップ3 クリップ4 クリップ5 クリップ6 クリップ7 クリップ8 須藤ひろみ クリップ2 「この辺の人でも、人と話したい、情報知りたい、っていう人いっぱいいると思う」

須藤 ひろみ 1

エピソード クリップ2 クリップ3 クリップ4 クリップ5 クリップ6 クリップ7 クリップ8 須藤ひろみ クリップ1 「同じ場所で被害を受けていても、皆さん状況が違うので、津波の話なんか、地区の人としないし、したことないし。知らない人にだと、言い易いんですよ」

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