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漁師の妻

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永沼 のり子さん

インタビュー一覧へ戻る 仙台で生まれて育ち、結婚されてから雄勝町に引越してきた永沼のり子さん。雄勝に来たときのことや漁師の妻としてのお話をしていただきました。家事と海での仕事を両方こなしている姿が格好良いお母さんです。 雄勝の良いところ 生徒: 何か仙台と、なんかここが一番驚いた、なんか違いで驚いたとか、なんかどのような違いがありましたか? 永沼氏: あっ、あのね、まず自然は綺麗ですよね。空も綺麗だし、夜空も、星とかね、あと海もすごく綺麗だし。あと、人がねやっぱり、この辺の人は除け者にしないんです。うん、一応人間だから、誰々さんがあぁいう風に言ったとか言うんだけども、いざこうまとまると、必ずどの人も入れるっていうか。うん、そういうところは何かすごいなって。町場だと、もう全然孤立しちゃったり、もう全然話しなかったりっていうのがあるんだけども、もうこっちは全然。うーん、そういうのはすごくびっくりしました 気持ちの変化 永沼氏: うちの主人が五年前位に脳梗塞になってから、一緒に海に行くようになって、初めてこう何か、こうなんていうの、自分の中にあったものがすっきりしたっていうか。うん 生徒: それはなんか、なんだろ 生徒: もやもやしたことが 永沼氏: うん、なんかこう、今までは、そんな、そんなに海とか行ってなくって、なんか私海いーなーって、こうなんか、あんまりいい感じじゃなかったんですね、自分の中で納得できないっていうか。なんでここにいるの?みたいな感じもあったんだけども。でも、病気して、いや、行かなくちゃいけないんだって思ってからは、何かもう、きれたって感じ、です 生徒: じゃその当時の、その海に対する印象とかも全然今 永沼氏: 違います。うん、だから海に行くようになってから、お婆さんも変わったし、私に対して、うん。で、前にね、ちょっと聞いたことあるんです、何年か経ってからね。そしたら、私が途中でここから出ていくと思ったらしいんです、最初の頃。うん、だからなんか、信用できなかったみたいなことを、前に話してくれたことがあって 生徒: それって何年位かかって、そのー 永沼氏: あー、結構ー。このお爺さん、お婆さん亡くなってからくらいかな。うん 気持ちの変化 -漁業に携わる女性- 生徒: なんか、そのお義母さんがなんか認めてもら、海に出てから認めてもらったってことなんですけど。やっぱりここにずっと住んでた人は、海に、で働くってことについて、なんか、しっかり考えとかを持ってたっていうか、そういう何かあったんですかね? 生徒: 特別な想いみたいな 永沼氏: うーん。あのね、ここの地区だけが割と女の人も海に行くんですね。他の地区は、もうお父さんだけとか、ま、ほとんどなんですね、うん 生徒: それってなんで、なんでなのかって 永沼氏: だから、お婆さんは私が海に行くことによって、あっすごいなって逆に思ってくれたみたいなんです。仙台から来て、海に行ってくれてみたいな。うん 生徒: そういう風に、信用に繋がった、あー 生徒: 実際、海出て、なんかすごい大変だったこととかってありますか? 永沼氏: あっ、そういうのはあまりなかったです、うん。だから、自分の中で、こう、なんか、あっこんなことで自分がなんかウジウジしてたんだって、逆に。うーん、そういう感じがありましたね。行ってみたら、全然、何でこんなことで、あっ、こうなんか、悩んでたのかなーって 伝えたいこと ま、風化させないってよく言うけどもそれはたぶん無理だと思うんですよね。ここに住む人以外の方は、やっぱり自分の生活でたぶん一生懸命になっちゃって、新聞とか雑誌を見て、あっ思い出すって感じだと思うんですね。だから、やっぱり、自分の身にそういうことが起こったら、どうしようっていう判断をしてもらえれば、ま、犠牲者を出さないようにね。一人一人が私たちの二の舞にならないようにしてほしいなっていうのはあります 生徒: 判断っていうのは、どういう判断ですか? 永沼氏: うん、やっぱり、ここでは今まで津波が来ても、上まで上がってこないっていうのがもう何十年もあって、昔からそういう風に言われてきたんです。だから、この浜まで来るはずがないみたいな。でも、実際に来たから。だから、やっぱり、来なかったから来ないんじゃなくて、来るかもしれないっていうのを皆いつでも持っててほしいなって、うーん。だから、子ども達にも言うんですね。地震がきたら、まずどこに逃げようかっていうのを、必ず思っててねーって。で、親は親で逃げるから、やっぱり自分の身が一番大事だからっては、一応言っとくんです。うーん インタビュー一覧へ戻る Advertisements

永沼 清徳さん

インタビュー一覧へ戻る サラリーマンとして東京でも働いていた経験のある永沼清徳さんは、現在養殖業と定置網漁をしている漁師さんです。春には綺麗なオレンジ色をしたホヤの養殖に力を入れていました。奥さんの永沼のり子さんと一緒に船の上で仕事をする「夫婦船」がとても印象的でした。 震災前の桑浜 永沼氏: いや、やっぱりあのねぇ、こんなに小っちゃいので、漁業以外にはなかったですね、漁業だけっていうか。まぁ、漁業っつってもこう色々ほらアワビを捕ったりウニを捕ったり、あと磯の、なんだろ海藻類をこう捕ったりして、まぁ、なんだかんだと一年中こう、何かしらはできるような浜なんですここは 生徒: なんかあの、十五浜あるっていう風に雄勝町の人にきいたんですけど、なんか桑浜は他の集落とかとこう違うとかっていうのってありますか 永沼氏: うーん、小っちゃい?規模が小っちゃいですね。あの、あるボランティアさんが「かわいい浜」という表現を使いました。かわいい浜。かわいいって 生徒: それはなんか、小さいからこそできることとかってあるんですか 永沼氏: まとまりはあるかな。うん、ほいで、意見が通りやすい。要するに、あのいろんな問題起きるんだけども、まぁ皆で話し合うと比較的まとまり早いですね。もう向かうととにかく仕事早いですんわ。 震災後の桑浜 永沼氏: 石巻とか国で決まるよりは、震災のね、四月の七日からもうあちこちの浜で瓦礫をどうしようかって問題なってるときに、ここの浜は四月の七日からスタートです。もう個人で連れて来て、業者を、やってと。んで四月の七日から、えーと、瓦礫の撤去を自前で初めて、この地区の人が頼んでね、業者を頼んで。そいで、六月の十日には瓦礫の撤去終わりました、全て。そのころやっと動き出してる浜のが多かったですから。仕事早いんですここ 生徒: それ、それって何で 永沼氏: あっ何でかなー。あの比較的皆こう自分の得意ってか、知ってる人が結構いて。じゃそっち頼んでみるよと。もう、し、じゅ、ここのところが小っちゃいってのは皆分かってっから、あの市とかにお願いしてもたぶん後回しにされる可能性が高いですよね。でもまぁそれこそかわいい浜なんで、だったらもうかえって自分のねコネをフルに使って業者呼んじゃおうと、そしたらたまたま知ってる人がいて、じゃやりましょうというんで始まりました、すぐ 生徒: 活発な 永沼氏: えぇ、比較的だから進みが早いんですよ。こうと思ったらもうやっちゃうって感じ 生徒: えっそっれてなんか、どう 永沼のり子氏: あれだよね、震災後皆で逃げるときもね、最後の最後まで、皆が知ってるから誰一人残さないように、こう皆で声掛け合って 永沼氏: 比較的まとまりは強いですね、団結が強いっていうか。かと言って皆友達ってなぁなぁではないんですよ。皆意見はしっかり持ってるし、ただ向かったら真っ直ぐですね、ここは 変わらない気持ち 永沼氏: うん、あの震災直後はね、やっぱり、テレビなんかでもよくあの出てたけど、負けてたまるか状態だったけど。うーんやっぱり、ねぇ別に海を憎んでる訳じゃないし、やっぱり今まで通りこう共存していかなくちゃいけないので、あんまりこう心境の変化ってのはないねぇ。だってほら色んなこと起きるんですよ。今回は津波だったけども、湿気でダメになったりね、あと施設同士が絡まったりして、自分、人間のこう自分たちが失敗してやる訳じゃない、もう自然の潮でほら絡まったりするので、なんだろ、毎日心配ですよね、それを言えば。えぇ、絡まって落ちてしまったらねぇ水揚げできないわけですから。津波だけが心配ではなくて、毎日が心配ですわ 目標 永沼氏: うんやっぱ今やってる仕事をこう継続っていうかね、そんなに無理しないで継続できるように。てっか無理はしたくないので、とにかくこう女房と二人で仲良くやりたい仕事ですよね。無理しちゃ、一日二日は無理できてもやっぱりね一週間二週間で無理できなくなるので、楽しく出来れば、目標は楽しく!まぁ、あと二人でこう、子どもたちがねもう大きくなって自分の手から離れていけば、もう二人で楽しく生活できればいいかなと思って インタビュー一覧へ戻る

佐藤 きみ子さん

インタビュー一覧へ戻る 雄勝町大須で生まれ育った佐藤さんはご主人と結婚した際に羽坂へ越してきました。避難所での生活について、婦人防火クラブの会長として12年も役を務めてきた思いについて、話してくださりました。  避難所での生活 Q. 避難所で、まとまりができたのはもともと浜で、みなさん力を合わせて生活していたからっていうことは関係ありますか。 A. ん、そんなことはなかった。うん、やっぱり自分のことでみんな…うん、自分は小さくなってね、足も延ばせないのに、なんであの人だけが足伸ばして寝てんだって思ったりね、やっぱり自分の個性が出てきたのよね、みんな。あの人はああいう人でなかったと思ったら、ああいう人だったのかなーって思ったりして、嫌な面、良い面いっぱい見ました。あれが本音なんだろうなーって思ってね。 Q. 何日くらいいらっしゃったんですか。 A. 私はあの、石巻にうちが二か所あったから、だからボランティアの方に、神戸のね、ボランティアの方に入ってやってもらってたから、最後までは、いれなかったのね。(中断)そうですね。うーん…やってきたのね。で私はね、なにもしないでみてるの。そうするとね、なんていうんだかね、あの、調子のいい人いるんだよね、やっぱり、ごはんの時とかそういう時はぱっとどっからか顔見せるんだけど、ほんでなにも自分はしないくせに、あれはこうしたほうがいいんだよ、こうした方がいいんだよ、って言ってるの。(中断)だから、こいつは、おかしいっちゃ。だから人の、私は仕事しないで、誰がどういうことしてるか見てるのね、でこういう目に余るようだから、で、30人態勢で、一回でみんなごはんの、あの、そういう炊き出ししたって、まとまんないから、これを3班に変えようと思ってるんだけども、どうしたらいいかね、って私が言ったのね。そしたら、できるわけねーとかでもなんとかなんの、って色々出たんだけども、やってみなきゃわかんないから、やってみて、だめだったら、また考えっぺ、って。一応この線でやってみたらどうだ、って、やってみましょ、ってそれが上手くいってね。やっぱり分担決めたから。10人なら10人つうとやっぱり1人でも少なくなれば、自分が人に迷惑かけるって意識をもつもんね、そうやってやって、そうすると2日休めるから、中二日休めるっちゃ、3班あれば、そうするとうちも後片付けもできるし、30人体制ってやっていつでも帰られないっちゃね、だからこれはうまくないなーって思って、やったらね、うまくいったんだよねーあれは嬉しかったね。うん。 周りの支え でも震災したときは、ほんとにみなさん一生懸命ね、協力してくれたんだよね。私の方がかえって落ち込むような、わたし、あの、うちがなくなっても、家族がなくなっても、その方がね、「会長、わたしらが応援するんだからがんばっぺ」って。そういわれると、ああ、自分はしっかりしなくてはいけないんだなぁって。うん、みなさんに励まされてほんとにここまで来ました。だからいっぱいいっぱいこういうことしなければ、やっぱり、こういうこともわからなかったんだろうなーっと思ったりね、うん。これしたんだから、こういう勉強もできたんだなーとやっぱり教えられたこともいっぱいありますよね。 伝えたいこと うーんそうだね。やっぱりこっちの雄勝の方知らない人もいっぱいいるだろうしね。やっぱりこういうのを通して知るっていうあれが力は大きいんですよね。さっきお話ししたみたいにりんかい、林間学校があるっていうこと知らない人もいっぱいいると思うのね。そういうものかねて広めてもらえれば私は嬉しいなと思って。今まで色んなことをしてきて、やってきたことが報われるかなって。 インタビュー一覧へ戻る

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