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津波

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千葉 正人さん

題名: 千葉 正人さん インタビュー一覧へ戻る 元々消防隊の一員として55歳で早期退職、その後お蕎麦屋さんを開店。現在は雄勝の仮説商店街から少し離れた実家の跡地であった場所でお蕎麦屋さんを奥さんと営んでる千葉正人さん。趣味は人との会話。これからの雄勝、そしてふるさとへの想いを語ってくれました。 ふるさと 俺ね、俺雄勝好きなんですよ、自分の生まれた場所だから。どんなに廃れてもさ、ふるさとはふるさとって想いたい気持ちが強くて、で、まあ、あの、私が、うーんと、消防職をね55で早期退職して、そば屋やったんですよ。 Q:自分が生まれたからって言う理由以外にもここがふるさととして好きな理由ってありますか? A:だからそこに生まれ育ってきたからあのね、誰しもふるさとはあると思うんだけどもさ、まああの、あのお父さんが転勤族でさ、転々してればさ、特に国家公務員の家族とか北海道に行ったり、遠くに行ったりさ、どこぞと転々すると本当にふるさとがあってもないもんだがさ。小学校半分でさ、あの転向だと、小学校高校はまだこっちだ、小学校だったらまるっきり、高校だったらまったく違う所だった。そういう人もいっぱいいるちゃ。どんどんそういう人がふるさとってどうなんだろうって思うんだけども。でも小学校…6年だか5年までいた子供がさ、いまだに還暦の同級会なんかに来る。そういうもんだとおもう。だから幼き時代の思い出っていうのは本当大事なんじゃないですかね。だからもしここで生まれ育てなくてもふるさと思うってことは、生まれ育ってなかったら第二のふるさとだとよく言うけどもさ。でもやっぱりうん、やっぱり家族がいて、育ててもらって、そしてその地域の学校に行って、ここで見慣れた風景があったらさ、あぁ、あの世に行くときにはその風景が絶対その頭によぎったままあの世に行くと思うな。うん、それがふるさとでしょう、思う。 お店(震災後) まあ、あのいずれそのまあ店は流されてさ、もうすっかり屋根の天辺まで汐被ったんだけども、で、店残ってて。そういう、瓦礫撤去しますっていう風な張り紙貼られたから、なんとかもうもったいないから、あの今までそばで使った道具洗っとこうかなと思ったらさ、またこう来るのさ、そしたら「あぁ、千葉さん店大丈夫でしたか?」とかさ、そんなの多くて。で、色々考えたさ、う~~ん、200件300件超えるぐらいのこう、着信履歴があってさ、それ本当そういうのは前のお客さんだったんだよな。う~ん、だったらなあ、そんなにこう、心配してもらってたんだと思って、それにこう、背中押されるような気持ちでさ、でやっぱりそば屋もう一回やろうかなって。まあ、色々ボランティアさんのお陰で本当に、言葉、どんな言葉も尽くせないほどの、本当に感謝の想いがあって、いっぱい手伝ってもらってさ。で、これ本当は自分でちんたらちんたらね、1人で作業してたら3年、今でもまだ大工仕事してるかもしれない。それが6ヶ月で出来上がってしまった。ありがたかったな。一昨年の9月20日にまだ外壁も半分ぐらい張ってないのに、うーん、あのお彼岸でさ、お墓参りの人が来るわけさ、ああ、そういう人がもしね、あのなんか屋ある所でさお茶飲むぐらいでも一腹できたらいい所提供したらわって言うんで、じゃあ、うーん、そば簡単なものだけ出しても、ここは最初開店するかっていうんで、うーん、9月20日にプレオープンしたの。 雄勝の復興 あの雄勝人は入れっことを考えればいい。雄勝のこんなん、僻地っていったってもう、海がまったく一番がゆうに向けた、この天然に恵まれた魚介類さ。津波っていうイメージを怖がらすからおかしいんであってさ。そもそも津波が来なかった時はどうっだったのっていう世界もあるんだから。こういうね、例えば雄勝ってね、本当はあの天然の良港としての非難港なんの。時化があったら漁船がいっぱい昔は入ってきて、もうすごかったのね。それが今まあ、200回規制なんとかってさ、漁船今あの、仕事する人がいなくなってきたから、あの時化なんていうのはそんなそんな船は渓流することもなくなった。ましてこのご湾はこの通りだからあの夜、ご湾ではビットって言われてさ、そこにロープを絡んで、ご湾に寄せて、渓流する施設があるんです。だから、もしそのあの、まあね、雄勝がどうなったらいいかって言ったら、マリン事業しかないの。マリン事業。これなんでかってったら、とりあえず防潮堤はいらないの。で、津波が来たら、高台に逃げて、で、全部やられるんだから、あんな津波来たらそうすっと、高台にシェルター設けてさ、一週間暮らせるだけの施設をさ二方向非難でシェルターと作ってくれればそれでいい。そしたら膨大な予算なんていらないのさ。で、さらにそれはあの物はあってそれは地域コミュニティーで管理できるようにしておけば、ずーとずーとそれを守られていくのさ。っていうことはそれはいわいる、防災のなんつうの、言い伝えとなってさ、あの忘却じゃないけれども、忘れ去られる事なく、いじゅうされていくと思うんだよ。まあ、地域コミュニティーセンターみたいなのが、高台にポツンとあって集落ごとにあったら十分それであのソフト面の防災は、ハード面はだからシェルターと作ってあとソフト面は言い伝えっていうのはそうあの何かあれば、それは言い伝えしていく事ができるんだからそれやればいいって。 若い世代 Q: 若い世代にはドンドン来てほしいと思いますか。 A: うーん、まーね、ルール守る人が来て欲しいと思うけどな。うーん、あのマリンレジャーって言ったら、あの水上バイクとかでしょ、あいうののね、あれのこうあのなんだあの水上ボートみたいにこう水槽でこう水にいってあの陸に船上げてずーと行くでしょ。あれと同じ機能でさ、水上バイクっていうのは海水だったらあれ全部こう真水を通してさ、あのあれエンジンの中を洗わないとダメなのよ。それにはそういうプール、専門のプールが必要なのさ。どこにもないんだよ。だからみんな川でやってるんだよ。川でビュンビュンビュンビュンやってるのがそのためなのよ。で、ここ波ないでしょ、おもしろいように例えば交差点を作ってさ、色々こうやって走るとか、うーん、そういうなんかもう作ったら凄いと思うんだよ。いづれ一気にさ、商大のそこでこうプールを作って、川のあのポップ、ポップアップしてる真水あるんだからさ、それをこちらに返してきて持ってきてそこでプールを作ったらさ、もうみんなして来るのよ。黙ってたって、色んな発信しなくても、みんなあの口伝てで、雄勝こんなのあるんだって、おー行ってみよう行ってみような世界なのよ。うん、みんな水上バイク持ってる人多いんだよ。そしたらそういうなんていうのさ、例えばデモンストレーションなんかこう水上バイク祭りなんかのイベントでやったらすごいと思うしさ、そしてそういう機能が燃料きゅうも出来る、そしてそういうコースもあるからさ、そこでなんつうのアマチュア競技なんかもできるようなあの場所があるんですよ。雄勝の魅力っていうのは黙っててもよい所になれば、そういうことをさね、提供できるあの、膨大な予算はいらない、天然のままでさ、それができるんだもんな。 将来の雄勝 あまりにぎやかなる必要はないだけどな。うーん、やっぱりこう、静かなこう、まあ、なって、なるって言う静かな町でいいから、まあ、雄勝の良さをわかって入ってくる人が常にこうね、(おうれい?)するような、そういう町になってくれたらいいなと思うな。雄勝の、雄勝のより所をなんていうの、行ってみたいってなふうに雄勝にさ、足を運ぶ、そういう魅力な町があったらいいかなとも思うな。 インタビュー一覧へ戻る Advertisements

高橋 武彦さん

インタビュー一覧へ戻る 南三陸観光バス会社社長であり、奥様と雄勝町内の地区自治会もまとめていらっしゃいます。明るく「当たり前に感謝」とおっしゃる非常に前向きなご夫婦でした。 雄勝の町 高橋氏:生まれも育ちも雄勝町、震災にあうまで雄勝です。 Q:その中のどの部分 高橋氏:雄勝の中心で上雄勝地区、海岸から250メーター Q:その町の様子っていうのは小さいころからどんな感じでしたか 高橋氏:小さいころから育ったんで海の幸も山の幸もいいとこ、ただちょっと田舎で不便なとこもあるんだけど、そこがいいとこで・・・だからやっぱり雄勝町ものもの私らもかえることにしたんですけど ふるさと Q:やっぱり3年すんで慣れてきたっていうことで、生まれ育った前の場所と比べてもどうですか 高橋氏:やっぱり遠く感じるね、雄勝の町たまにいこうとするんだけど、結構遠く感じるんだよね。同じ距離なんだけど。でもいけばねいいなって Q:遠く感じるのは心の距離が遠くなっちゃったっていう感じですか 高橋氏:いやー1か月に1回私行くか行かないかちょっと今親戚がいて一か月休み・・・・て、だからちょっと雄勝はねようがないといかないんだよね、気持ちの中では遠くなったかもね、でもいざ帰るとやっぱりいいよね Q:故郷っていう感じはしますか 高橋氏:しますね、やっぱり何じゅうねん60年近く、わし今63だから、60年も生まれ育ったところなんで、まぁなんにもなくなってしまうとこんなに狭いところだったんだなって、まえはうちぎっしりだったでしょ道路んとこまで、だから雄勝町広いとこだなと思ってたけど、いざなくなってしまうとやっぱり 夫婦の連携 雄勝に帰って好きなことやろっかって女房と言ってるんだけど、で、いま雄勝地区の中心地に30世帯くらいもどるんですよ、これからうちつくるんですけど、でそのことで今一生懸命動いてるのがうちの女房でして、わしは何もしてないから、最初は何年越しの計画立てて、会社どうやってって1年後にこうしよ2年後にこうしよ3年後にこうしよ4年後にこうしよって、ないよね、わしはその時の勘で、代表っていうのは決めなくちゃ、専務とかなら社長今いないからわかりませんて、ところが社長がいいかわるいかって決定しなくちゃいけない、勘だよ勘 インタビュー一覧へ戻る

永沼 清徳さん

インタビュー一覧へ戻る サラリーマンとして東京でも働いていた経験のある永沼清徳さんは、現在養殖業と定置網漁をしている漁師さんです。春には綺麗なオレンジ色をしたホヤの養殖に力を入れていました。奥さんの永沼のり子さんと一緒に船の上で仕事をする「夫婦船」がとても印象的でした。 震災前の桑浜 永沼氏: いや、やっぱりあのねぇ、こんなに小っちゃいので、漁業以外にはなかったですね、漁業だけっていうか。まぁ、漁業っつってもこう色々ほらアワビを捕ったりウニを捕ったり、あと磯の、なんだろ海藻類をこう捕ったりして、まぁ、なんだかんだと一年中こう、何かしらはできるような浜なんですここは 生徒: なんかあの、十五浜あるっていう風に雄勝町の人にきいたんですけど、なんか桑浜は他の集落とかとこう違うとかっていうのってありますか 永沼氏: うーん、小っちゃい?規模が小っちゃいですね。あの、あるボランティアさんが「かわいい浜」という表現を使いました。かわいい浜。かわいいって 生徒: それはなんか、小さいからこそできることとかってあるんですか 永沼氏: まとまりはあるかな。うん、ほいで、意見が通りやすい。要するに、あのいろんな問題起きるんだけども、まぁ皆で話し合うと比較的まとまり早いですね。もう向かうととにかく仕事早いですんわ。 震災後の桑浜 永沼氏: 石巻とか国で決まるよりは、震災のね、四月の七日からもうあちこちの浜で瓦礫をどうしようかって問題なってるときに、ここの浜は四月の七日からスタートです。もう個人で連れて来て、業者を、やってと。んで四月の七日から、えーと、瓦礫の撤去を自前で初めて、この地区の人が頼んでね、業者を頼んで。そいで、六月の十日には瓦礫の撤去終わりました、全て。そのころやっと動き出してる浜のが多かったですから。仕事早いんですここ 生徒: それ、それって何で 永沼氏: あっ何でかなー。あの比較的皆こう自分の得意ってか、知ってる人が結構いて。じゃそっち頼んでみるよと。もう、し、じゅ、ここのところが小っちゃいってのは皆分かってっから、あの市とかにお願いしてもたぶん後回しにされる可能性が高いですよね。でもまぁそれこそかわいい浜なんで、だったらもうかえって自分のねコネをフルに使って業者呼んじゃおうと、そしたらたまたま知ってる人がいて、じゃやりましょうというんで始まりました、すぐ 生徒: 活発な 永沼氏: えぇ、比較的だから進みが早いんですよ。こうと思ったらもうやっちゃうって感じ 生徒: えっそっれてなんか、どう 永沼のり子氏: あれだよね、震災後皆で逃げるときもね、最後の最後まで、皆が知ってるから誰一人残さないように、こう皆で声掛け合って 永沼氏: 比較的まとまりは強いですね、団結が強いっていうか。かと言って皆友達ってなぁなぁではないんですよ。皆意見はしっかり持ってるし、ただ向かったら真っ直ぐですね、ここは 変わらない気持ち 永沼氏: うん、あの震災直後はね、やっぱり、テレビなんかでもよくあの出てたけど、負けてたまるか状態だったけど。うーんやっぱり、ねぇ別に海を憎んでる訳じゃないし、やっぱり今まで通りこう共存していかなくちゃいけないので、あんまりこう心境の変化ってのはないねぇ。だってほら色んなこと起きるんですよ。今回は津波だったけども、湿気でダメになったりね、あと施設同士が絡まったりして、自分、人間のこう自分たちが失敗してやる訳じゃない、もう自然の潮でほら絡まったりするので、なんだろ、毎日心配ですよね、それを言えば。えぇ、絡まって落ちてしまったらねぇ水揚げできないわけですから。津波だけが心配ではなくて、毎日が心配ですわ 目標 永沼氏: うんやっぱ今やってる仕事をこう継続っていうかね、そんなに無理しないで継続できるように。てっか無理はしたくないので、とにかくこう女房と二人で仲良くやりたい仕事ですよね。無理しちゃ、一日二日は無理できてもやっぱりね一週間二週間で無理できなくなるので、楽しく出来れば、目標は楽しく!まぁ、あと二人でこう、子どもたちがねもう大きくなって自分の手から離れていけば、もう二人で楽しく生活できればいいかなと思って インタビュー一覧へ戻る

加納 竜司さん

インタビュー一覧へ戻る 雄勝町にある店子屋(仮設商店街)でお寿司屋さんを経営している加納竜司さん。長い修行を経て開店したお寿司屋さんは津波によって、流されてしまいました。雄勝町でお店続けようと思った理由や雄勝の現状などについてお話していただきました。 伝八寿司を続ける理由 あのね、まずはその、外にあるんだけど、うちの看板すか。伝八寿司って同級生に売ってもらった看板なんで木のね、それが流されてたんだけど、なんか見つかったっていうのがまず一つで、あとうち卵焼きに伝八って焼印をしてんだけど、それがほんと店の、流された店のところに、地面に刺さってたのね。あれ、これって。そういうのもあったし、包丁とかも残ってたし。んで、まぁ一番はあの、食べ物屋さんがね、誰もやらないって言うんすよ。他の。要はあの、みんな歳なんすよ、60過ぎる人たち…俺が飲食店で多分一番若かったんで、でみんななんか、いや俺は仮設店舗になんかはいらねー、今更やったって無駄だべ、とかみんな…でそれでまぁ、まぁ雄勝に残ってる人たちにも、雄勝食い物屋ねぇと大変なんだろうなっていう話もされてたから。もういっぱつ、じゃぁとりあえずで、最初はね、でとりあえずやってみっかって。そんだけ大変だって言うなら。まぁ最初の動機はそうだな、でやってみようって…まぁ俺もほら、家族いるから。食わせていかないといけないからね。無謀なチャレンジはできないっすよ。 雄勝町に残るか残らないか あの雄勝に残ることに関しては、全然苦じゃないんですよ。まぁ自分が生まれ育った町なんで、全然もう、嫌だとかそういうのはないんです。ただ、うちの、なんていうんすか、家族がなんかまぁ、もう戻りたくねーっていうこともやっぱあるんすよ…うちの親とかは、その、一旦、今うちは俺ら雄勝にはいないんでね、河北町ってとこにいるんすけど、あの…その高台移転ってあるじゃないですか、そん時に、あんたら好きな方選んでいいよ、言ったんですよ、親に。雄勝に戻るのもいいし、こっちの河北町に残るのもいいし…そしたら迷わず河北町選んだから、なんでや、って言ったら、いや、もう今度あんな津波来たら逃げらんね、っていうのと、あともう病院もねーし、なにもねーし、大変、年寄には大変だと思う。 加納さんにとっての雄勝町 ああ、やっぱりねー。一番落ち着、落ち着くっていうのが一番かなぁ。でやっぱあの、やっぱり、昔っからいるし…で残ってる漁師さんとか結構残ってるし、別に雄勝いて、こう退屈するっていうことがそんなないすよね、うん。なんか普通にいる、みたいな。たのしい…楽しいわけじゃないですけど、まぁいて一番楽なところです。雄勝。その河北町とかにいるより、雄勝にいた方が楽だっていうことです。楽っていうか、気持ちが。まぁあんな津波とかもあったんだけど…一番いやすいところです。だから残ってるっていうところは、まぁそういう感じですか。 伝えたいこと ぜひ、機会があったら雄勝にきてもらって、自分の目で見てもらって、まぁ雄勝のいいところとか、あ、こんなに復興とかがこんなに進んでないんだな、とかを見てもらって、まぁ…こうなんつったらいいんだろうね、言ってもらいたいつーかね。まぁ自分たちも言っていきますけど、外の人にもなんか知ってもらいっていうか、かな。 インタビュー一覧へ戻る

阿部 善規さん

インタビュー一覧へ戻る 雄勝町熊沢で現在暮らしている阿部善規さん。もともと浜の麓にあった家は流されてしまいました。漁業を通して感じてきたこと、自然と共存することに対して、震災を通して阿部さんが感じてきたことを話してくださりました。 震災に強い漁業 だから災害に、私が思うのは災害に強いって言ったら、もう少しね、この自然を利用したおんなじその手を加えるのも自然に利用、自然を利用したそのやり方をね。それをやればほら、結局は最初は経費かかっても後後はいいと思うんですよ。だからもうちょっと自然に近いやり方でね。最初は手を加えても、自然にその近いやりかた。 震災について だからその、津波もねー、あの私の、私らはその津波っていうのはおじいさんが昭和8年の津波を経験して、こううるさかった人なんですよ。ものすごいあの津波に対して、あの神経質で、ずいぶんと自分の親が神経質じゃないかと思うくらい神経質でね、地震のあれはとにかく、もう逃げることだったんですよ。もう逃げる、逃げる。地震になったらとにかくみんな起こしてね、もうテレビつけて、自分で起きてきて、テレビつけて、もう玄関もなにもみな開けてね、もうなんていうか早い話、車もなにももう全部エンジンかけなさいで、逃げるそういうね、神経質な親だったんですよ。だから、津波、津波になった時もやっぱり逃げるっていうことはどこか頭にはあったんですけど、ほれで一番うちは下にあったから、とにかく津波に対して神経質だったし、私らはほら、こういう土地であるから、あればこそ、いくら津波来たって、1メーター逃げれば1メーターあがるっていうのは感じたから、それこそ津波そこまで来ても、もうそりゃ命とられるようなことはないんですよね。ただ、結局親の言うことには、結局津波は3回目あたりには、大きいの来るから、っていうから、波が引いていけば、引いて行っただけ大きいのが来るなって思うから。もう引いて行ったとこさは、もう行かないんですよ。だから3回目だから、1回目ここまできたら2回目多分それより多いんだろうって上で見てるわけですよ。そういうなんていうか今まで経験はしていないんだけど、そういう親からなにされたことが自分ではわかってて、結局はほら、思うんですよね。だからまぁあまりこの部落には被害っていうのはないんですよ。船はなんかは流されたけどもね。大抵は流されたけっども、あの、人間が流されたとか、死んでしまったとか、この浜にはないんですよ。みんなそういうことをあれしてるからね。 住めば都 ああ、やっぱりねー。一番落ち着、落ち着くっていうのが一番かなぁ。でやっぱあの、やっぱり、昔っからいるし…で残ってる漁師さんとか結構残ってるし、別に雄勝いて、こう退屈するっていうことがそんなないすよね、うん。なんか普通にいる、みたいな。たのしい…楽しいわけじゃないですけど、まぁいて一番楽なところです。雄勝。その河北町とかにいるより、雄勝にいた方が楽だっていうことです。楽っていうか、気持ちが。まぁあんな津波とかもあったんだけど…一番いやすいところです。だから残ってるっていうところは、まぁそういう感じですか。 インタビュー一覧へ戻る

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