「もうこれはもうとりあえず天災と思ってまず対処していかないといけない、そのあとにじっくりとどういう責任になるかっていうのをやればいいのに、はじめっから責任、政治の責任、何もしてくれないとか、で情報をださない、と、その初動動作が自分は憤慨してましたね。」
有機農家
20130518 梅谷勝義 2
「学生のころからある意味放射能と一緒に共存していこうかなと思ってて」
20130518 梅谷勝義 1
「道の駅で販売するときに有機の里のなんかワッペンとかあるんですよ。シールを、それを元気シールっていうんですよ。(シールがあるないだとお客さまの見る目は)違うようですよ。」
20130526 渡部健光、小山要一、穴沢幸広、香坂敏也 6
(転職して就農された理由)
穴澤さん: まあ、一番やってて楽しいっていうのは失礼かもしれないんですけど、まあ小山さんのところで働かせてもらって、まあ、自分なりに、こちらで勤めさせてもらえれば、それでまあこれからあとは地元、まあ地元を盛り上げていくという形でも、こっちの方で仕事させてもらえればと思いまして。あとは家も林業とか、まあちょっと違うんですけど、まあ、地元で仕事させてもらってるのもあるんで。まあ、そういう理由で。
20130526 渡部健光、小山要一、穴沢幸広、香坂敏也 5
小山さん: まあ実際、あれですよ、事故のすぐ後、有機農業は辞めようと思ってました。実際どうなるかわかんないし。で、まあもちろん有機農業自体は辞めないんですけど、あの、結局、市場に出すのをやめようと。有機農業の製品として。は、考えました。ただ、あの、まあ色々、ね、調べてみると別に危険がないと。で、危険がないのに辞める必要っていうのは、もう思いつかないんで。で、まあ辞めるのをやめた。うん。一時期やっぱり、だいぶ考えましたよ。これ、こんなもんを市場に出していいのかと。「こんなもの」って、まだあんまり状況がわからなかったんですけど。まああの頃はもう福島県全体が汚染されたっていうようになってましたから。
(質問)その、辞めようと思ったのをやめたのは、事故からどれぐらい・・・
小山さん: そうですね・・・まあ、半年ぐらいですかね?ちょうどあの、半年まではいかないかな?ちょうど地方が冬だった。で、作物がない。で、作物を実際出す段階で決めなくちゃなんないっていう段階で。でまあ色々検査とかして。で、出ないと。で、出ないんなら出そうと。もちろんそこで放射線が出てたら辞めてたかもしれない。ただ、出てないのに辞めるっていうのは、自分の意思ではない。
20130526 渡部健光、小山要一、穴沢幸広、香坂敏也 4
渡部さん: ここで楽しくやってるっていう、福島県で農家で。っていうのはアピールできると。まあちょっと変わってんのかなって思われるかもしれないですけど。「原発事故の後に就農したんだ」って。それが一番興味あると思うんですけど。俺も変わってるなとは思うんですけどね。
20130526 渡部健光、小山要一、穴沢幸広、香坂敏也 3
(質問)検査の要請がだんだん薄れてきたんですか?
小山さん:そうですね。もうこっちの方はほとんど出るってことがないですからね。もうほとんど数字で出てこないんですね。会津の方っていうか、こっちの地域は。通常だと、まあ出てればやるんでしょうけど、出てないんで。だんだんまあやる意味がなくなってきた。ただそれをね、県外の人には知らされてないと。
(質問)あの原発からの距離が、会津の距離が、仙台と変わらないって聞いたんですけど・・・
小山さん: そうですね、ちょうど100キロぐらい。直線で。
(質問)仙台と会津若松だとどうしてもこう、「福島県」っていうのがあるので、やっぱりお客様からの考え方が変わってくるわけじゃないですか。そういうことについてはどう思われますか?
小山さん: しばらくはしょうがないでしょうね。だってね、そう思った人はね。
渡部さん: 「いやでも距離一緒です」って言ってもね。しょうがないですからね。
小山さん: まあそこまで言う必要もないですし。
渡部さん: 言う必要もないですし、言う気もないですし。ね、栃木の那須とか、あれも距離的にはあんま変わらないですから。直線距離は。うん。まあそこ測ってないのになんでうちばっか測るんだって言っても、子供のケンカじゃないんで。まあもちろんこちらもそんなに数値的にも全然出てないっていう安心感もあるから言えることなんでしょうけど。うん。
20130526 渡部健光、小山要一、穴沢幸広、香坂敏也 2
(質問)特に有機のものを買う人って健康意識が高い人が多いって聞いたんですけど、やっぱり風評被害みたいなものは・・・
小山さん:ありますね。で、こっちの方でお米にしろ野菜にしろ、全て検査して、あの、放射線量っていうか、まあセシウムがどれくらい含まれてるかっていうのを検査してもらうんですけど、それで出ないっていうのがどうも信用できないらしくて。うん。まあ今は多少変わってきたんでしょうけど、えっとまあ、「1ベクレルも出ないのはおかしいだろう」っていう人が必ずいて、ええ。で、この辺は、あの風向きの関係でちょうど流れてこなかったんですね。で、まあ「福島県なのに1ベクレルもでないのは嘘だろう」っていうので、もうだいぶ客離れました。
20130526 渡部健光、小山要一、穴澤幸広、香坂敏也 1
小山さん:たぶん農業が、あんまりこう、そうだな、儲かる職業じゃなくなったってのもあるんじゃないですか。昔からすれば。昔この辺は米が主流で、えっと米は、それこそ、新潟県抜けば、日本で一番高い米作ってたんですよ。この辺は。だから、米農家であれば、何もしなくても生活できる。で、米農家って忙しいのは春と秋だけなんですよ。あとは、何もしないでいられると。だから、親父たちは結局、そういう世界で。うん。で、あの、まあ仕事もそんなに忙しくないから、息子にやらせようとは思わないし。で、息子はなんか職業作って、で、自分らは米で食ってくからいいぞって世界。昔は。で、今米はどんどん安くなっていて。で、まあこれからまた安くなるでしょうと。となると、やっぱり、まあ、お米って、毎年収量が違いますよね。収穫量とか。あと値段も毎年違いますよね。となると、まあ博打みたいなところありますんで。で、そういう職業に就くよりも、なんだ、一般の職業に就いた方がまあ生活が安定するだろうっていう発想なんですかね。まあだから、親の世代はたぶんそんなに「農家継げ」っては、今は言わないと思いますね。で、こっちの方の親の世代は、逆に言うと、米だけ作ってれば生活できるっていう世界で飛び込んだんで、おそらく喜んで飛び込んだんじゃないですか。農家に。親の世代は。ただ、まあ、私ぐらいの世代になると、もう米はもうどんどん安くなってきてたんで。やろうっていう人は、私のときはいなかったですね。私ぬかして。”
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