アーカイブ

元気復興委員会

This category contains 8 posts

松本 俊彦

松本俊彦さんは(株)松弘堂 印刷会社の代表取締役、石巻元気復興委員会の会長としてご活躍されています。会社は倒され、事務所と工場は浸水。その後、同じく会社が被災してしまった経営者、次期経営者の方々を集めて元気復興委員会を作りあげた。以前はライバルだったとしても、今は一緒に力を合わせて頑張る時なのです。石巻の復興への思いや復興委員会で誕生したコラボレーション商品についてお話していただきました。 大変な事もあるけど今が楽しい、復興委員会について さっき石巻は大変な状況だっていう話しましたけど、それとは反面で石巻にはすんごい事が起きてる事もいっぱいあって。まっ、当然、国がこう、石巻に対していろんな、あの、なんて言うんでしょう。国のお金を投入するわけじゃないですか。例えば新しい町を作るっていう事に対して何十億、何百億もお金を投入したり、専門家をいれてきたり、っていう事を石巻は今あるし。日本中の大きなトップクラスの企業が、その企業の価値をどうしようかって。この東日本大震災を通して自分のこの会社の企業価値をどう高めていくかっていう事で、日本中の大手企業が今集結してるんで。で、なにができるか一生懸命さがしている訳ですよ。そんな事が石巻で起きてるし。もう単純な事から言えば、芸能人がわんさと来るわけじゃないですか。 震災前に全く想像しなかった事が、今ここで起きてんです。それってすごい素晴らしい事だし、前は絶対あり得ないことだったんで。たまたま不幸も事がいっぱいあるけど、良い事を探しだす事がどんどん起きてるんで。自分はやっぱそういう事を使って、一緒にその中に飛び込んでいって、非常にこう、自分の人生としてすごい良いんじゃないかなぁ。だからここを離れるつもりもないし、ここにいる事が楽しいですよね。 ボランティアさんも全国から来て。お手伝いいただいて、お手伝いしていたかと思うとここに住みたいって言い出したりとか。そういう若い人達もいますし。だから面白いっすよね。休んでる暇ないですよ。休んでる暇ないって言ったらおかしいですけど。楽しい事もいっぱいあるから、楽しみ続ければいいですよね。 この我々のメンバーもなんかそんな感じだと思いますよ。私と同じように全部、会社がなくなって。まっ全社じゃないですけど。設備を失ったり。まっ中には社員を失ったりっていう方々もいっぱいいますし。でも、根本的にはある程度若めの経営者の人たち、ぜんぶ経営者なんですけど。もしくは時期経営者の方々なんですけど。こういった方々も、やっぱり私と同じようにこう、なだれて、どうしようかって思ってたと思うんですよ。で自分が、この指止まれ、と。同じような人たち、この指止まれ、と。でみんなで力合わせてやろうよ、と。一社でやろうと思うなよ、と。一社でなんかできる訳ないんだ、と。この機会にみんなで力合わせてやろうよ、という事を言ったらみんな、うーん 何になるかわかんないけど一人で悩んでるよりいいな、と。で集まり始めて。でそこに、こんな事できるんじゃないの、あんな事できるんじゃないの、って。大阪行こうよ、大阪行って自分の商品PRしてこようよ、と。いや、大阪行っても通用しないっすよ、って行ってみなきゃわかんないだろ、と。で行けばやっぱ、美味しい、とか言われる訳ですね。是非商品を取引したいと、いう話になってくる訳ですよ。今そういう事をどんどんやって外に向かってどんどん我々はやっていこうよ。震災前は全くやってなかった事だけど、今やれば、目立つ。目立つし、みんな聞いてくれる。だから今がチャンスなんで今一生懸命そんな事をみんなでやりましょうよ、と。 商品を広める、コラボ商品の開発、わかめ専用ドレッシング 今この商品をとにかくどんどん世の中に出していくっていうのが一つ。でそれは詰め合わせセットでもそうですし、そうじゃなくて企業で、例えばどこどこのなんて言う商品を記念品で使いたいとか、そういうニーズがいっぱいあるんでそういうのをどんどんPRしていく事と。後はみんなで力を合わせて色んな商品を開発していこうと、いう事を今一生懸命やっています。 この機会にどんどんどんどん外に自分の会社の商品が出て行って。で最初は、例えばそれが支援というきっかけかもしんないですけど、やっぱり最後は美味しいから買うっていうところまで持っていかなきゃないので。それをみんなと協力しながら自分の会社の商品だけじゃなくて、隣の人の会社の商品も。例えばお宅はこういう技術があるんだから、こういう事をやれば良い商品ができるよね、とか。ウチのこういう技術を使ってお宅のと合わせればこういう物ができるよね、とか。そういうのを今一生懸命みんなで、飲みながら、楽しくみんなでやっています。それをどんどんやっていきたい。 (これからも) うん、商品を良くする事と、広めていく事と、2つとにかく一生懸命やろうと。 ひとつ出来た商品があって。ワカメの、塩蔵ワカメを売っている会社があって、ワカメですね。ワカメを売っている会社があって、それをこう、展示会にみんなで行った時にワカメを試食してもらうのにタレが必要になる訳ですよ。でそれを、タレ必要だったんですが山形屋さんっていうつゆを、まあ醤油味噌を、つゆを作っている会社がありますね。それから東北で結構いろんなそば屋さんにおろしている丸平鰹節っていうダシ屋さんがいた訳ですね。でそれを、んじゃ2社で、この二つの商品をこう上手くくっつけて美味しいタレだきんじゃねぇの、ってこう遊びながらやってたんですよ。でそしたらエライ美味しいつゆが出来て。おっこれ良い、って、これ商品かしようっていう話になって山形屋さんと丸平さんとコラボしたワカメ、ワカメ専用ドレッシングという名前で、ワカメ用のドレッシングを今回作って、今ワカメと一緒に殆ど売っているとう。だから3社コラボですよね、要は。でそれがワカメだけじゃなくて肉にも合ったり。牛タンつくねそこで売ってんすけど、牛タンつくねにも合うし色んな物に合うので。今すごいウケてます。そういった物をどんどんどんどん作っていけば、楽しいですよね。 Advertisements

阿部 由貴子

阿部由貴子さんは100周年を迎えようとしている割烹滝川の若女将として勤めている。震災を機に女将として母親から継いだ阿部さんは2児の母でもあります。震災当時はママ友やいろんな方から支えられた阿部さんは子供たちの事や信頼できる仲間についてお話していただきました。 割烹 滝川~石巻の旬の味 でもうちの子達。割と強いっていう訳ではないんですけど。あのう、仕事の状況を分かってるのか、特に上の子は3年生、4年生。まあ2、3、4ですね。だった、2年生で被災して3年生がうちにあって、今が4年生なんですけど。あんまり泣き事言わなくて。むしろ手伝ってくれた事が多くて。 あの、ちょっとスタッフ足りなかった時とか、手伝いに来てって言って。ああのう、お小遣いあげるからって言って手伝ってもらったり。うん。でそれを、そのお姉ちゃんを見ててか下の子も、まあ初めは本当に離れなかったりしたんですけど今回運動会も見に行けなかったけど、何で見に来れなかったの、とかそういう事は全然なくって。だからそういう点では子供達に助けられて。あたしだけが、なんか可愛そうなんじゃないかとか。なんか、辛い想いしてんじゃないかとか思ってるんですけど、子供達の方が以外とその状況を楽しんでくれてるっていうか。その分あのう、休みの日にはガッツリ遊んだり。あとなるべく朝はお話をしたり。とにかく会話をするようにしてるので。あとこう、抱きしめたりとかしてるので。ううん、以外と思ったよりは彼らの方が落ち着いてる(笑)そこはすごい助け、うん。で、こう、今でも娘とかに滝川なくなって不安じゃない、とか。だったまたやればいいじゃん、みたいな。どこでもできるじゃん、みたいな(笑)感じなので。ううん。ですね。うん。 あのベンチャークラブって言って、あのう国際ソロプチミストっていう会があるんですけど、その親会なんですが、その方々が作ったまあ、ような、20歳30歳、40代の女性が、あっ働く女性のボランティア団体だったのですね。で石巻は13名いるんですけどやっぱり色んな職業の方が集まって。でもやっぱりそのメンバーの中でもやっぱりあのう、メンバー達では色々情報交換したり、物々交換したりとか、やっぱりそういうのはありましたね。でも13人中、そうですね全員被災してましたので。みんなそれぞれ家の事が大変だったので、その後はいっ、2回ぐらい集まったんですけどやっぱり全員は揃えなくて。やっぱり被災してひどい人は仙台に引っ越しちゃってるのが何人かいましたので、うん。 でもねベンチャーのメンバーも本当に明るい人達だったので。その震災で困った事をみんななんだろう、こう言ってはすごい変なんだけど、笑いに変えていくっていうか(笑)うんうん、そういう事もすごくあったから、その気分の、その話してるうちにどんどんどんどん落ち込むよりはむしろ、うわああそういう事もあったよねって感じでこう、気持ちがどっちかっていうとこう晴れやかになるっていう感じのメンバーだったので。そういう点ではもう話はしてて。こうおっ、あっ、なぁ、すごい言い方変かもしれない、楽しかったですね。

阿部 司

阿部司さんは割烹滝川の代表取締役と料理人としてご活躍されており、石巻元気復興委員会にも所属しています。地元の食材を使った日本料理を提供してきました。また、創業からつづく釜飯とうなぎ料理が自慢。「いまだから出来る事」に集中し、より良いお店づくりをしている。「戦時中に建て替えをした先代の思いを考えると、震災の被害に負けずに建物を残していきたいと思っています。来年の丑の日には本店でうなぎを焼きたい」先代への思いや石巻への思い、震災で気づかされた事についてお話していただきました。 割烹 滝川~石巻の旬の味 自分の指名、役目を震災後改めて確認できた 改めて食の力っていうか、みんな涙ぐんで喜ぶんですよね。やっぱりその、美味しいのは美味しいし、あったかいものは美味しい、あったかいものはあったかいままそのまま食べるのがおいしいんだとかですね。なんかそういう、はい、あの、(0:21・・)とか仮設にいる方が買いに来てくれたり、色んな機会あって寄ってくれたときにね、本当にね、そういった中で、ああ、おれの指名っていうのはそうなんだなって、食を通してみんなに元気になってもらう、あとは法要ですか、仏前にその、特に石巻っていうのはその、8000円も1万円もかけたご霊前っていうのがですね、法要の(0:53・・・)を作るんですけど、それをこう、あげて、仏さんにあげて、こうく酔おうするんですけど、震災後何もそういう店もなくて、コンビニから弁当買ってきて、その、それじゃあ情けなくて、仏さんに申し訳ないっていう家族の方の話をいただいたりして、そういった要望にも応えたいと思って、本当に、お米借りれなくて、魚屋さんやる前にも自宅で作って、もう材料もないんで本当になんかちょっとした野菜の煮物とか、適当に寄せ集めて作ったのを何とか友人だったりとかのご霊前に届けたりしたんです。そういった流れでやっぱり自分はあの、なんとかしたい、してあげたい、家族のその色々応えたいし、やっぱり地元の(1:52~1:53・・・・)魚に色々手を加えたり、手料理にしてお渡しするとかですね。やっぱりその、自分の使命というか役割みたいのを本当にその、明確になったと思いますね、うん本当に。(2:07~2:08・・・)ところ絵の変化ですかね、やっぱり震災前震災後で、やっぱりその、そういった思いで人生またやっていこうというか、はい。 震災で気づかされた事。人との繋がりや絆を実感した時、ああいう雰囲気はどうやってまた作れるのか。 そういった自分の、財産て言うかなんですか、気付かせてもらったんですよね、人だったり、ああいう古い店だったり、自分のそのやる割だったり、まあその、石巻はそういったものは、あって素晴らしかったんだなっていうのを全部こう、教えてもらったっていうかそういった意味では凄く、これ以上ない場所を教えてもらったっていうか。自分でもそれは本当に忘れないでいてそういうのは続けてこれからも生きていこうかなってそういう感じですかね。ダメだったんだな、元に戻したいな、ここもなくなったそこもなくなった、ダメなことばっかりじゃなくてやっぱりそういう風にやっていこうと思います。 (1:16) お金も意味がなくなった。結局は店もなければ流通も。お金あったってしょうがないって震災の後は思ったりして、そうすると近所の方とかも今までは話したことない人もちょっと打ちで作った梅干し食べてとかそういうやりとりがあったり。みんなでも一緒なんですねみんな一緒の思いをして、みんな食べれないし、凄かったし、暗かったし。なんかあの時、みんあ一体感あってよかったですけどね、凄く。ものは無かったけどそういう、楽しいっていうか充実して、外で焚火して子供たちと交流を作って。 (2:21) 今後どうしていきたいかって言ったら、そっちのほうが、そういった人とのね、繋がり(2:28・・・・)また打ちに来てもらえるんだったらまた会えるなとか、とっても良いなとか思ったり、それはありますよね。

千葉 尚之

千葉尚之さんはヤマトミ通販サイトで代表を務めております。   もっと人が居ればなっていうか。うん。もっとね、なんかね、今沢山ボランティアの­方も随分ね知り合ったんですけど、あの、若い方もずいぶん来てもらって、でこんな風に­ね、沢山若い人たちがこう、来てもらってこう、もうちょっと活気が出ればなと。で、あ­の、そうやって観光をあの、する施設なりなんなりが整ったら、そのそうやってね、人が­たくさん来てもらえるような街になればなって思うんです。それでその大市場がねその国­際的な年になればあのー、その、ねえ、色々と海外から沢山の人が来るでしょうし、で、­その市場色々ともっと整備して、そこに付随他商業施設なりなんなりを付け加えたらまた­そこに人が集まってくれるんじゃないかなとかね。今ね、本当色んな構想があって、うん­。ただ、やっぱ折角水産関係でやってるんで、ね。そういう部分で人が来るような形にな­ればなーとは思うんですけどね。 後今、あのー、私の会社も今参加してる「がんばっぺ石­巻」っていうサイトがあるんですけども、そこは被災企業の方たちが集まって、あのー、­なんだ、なんて言うか、がんばろうとしてるサイトなんですけどその、あの、なんだ、一­口一万円で、支援していただいた方にはその復旧後3000円くらいの商品を後でその、­お送りしますっていうもともとはあの、そういうサイトだったんですけど、それでね、あ­の、海外からもずいぶん注目されて、でそのサイトは英語版ていうのも今出来たんですね­。なんで、今今後私のお付き合いのあるボランティアグループが、外国人の多い、カナダ­人が主催してるグループで、で、私英語全然しゃべれないんですけど、うん、そうですね­、そういう人たちにもたとえば、あのヤマトミって部分でね、なんか知ってもらう部分で­はたとえば、その英語のページの部分っていうのはしたほうがいいのかなって思ったりし­て、まあ商品が海外まで行くには時間がかかると思うんですが、でもね、とっかかりとし­て、うん。   今興味を持っていただいてる部分が大きいと思うんですね。だから、それがあの、う­れしいし、あのそれがたとえば今日みたいにこうやってきて、こうやってお話しできるの­もうれしいし、こういう方の、だからボランティアの時もそうでしょうし、あの、ね、あ­の、毎日ガレキ撤去だなんだいって疲れ果ててる時に、でもボランティア何で週末メイン­で土日休み、休み、ああやっと休み加奈なんて思ったらボランティアさん来るから一緒に­しなきゃいけないとかいうんじゃやる、よしやるかって小さなことだしね、折角来てもら­ってるんだからってことでやって、そうして一緒にやるとまたね、疲れ果ててるんだけど­またね、全然知らない人達が来てくれてがんばってくださいなんて言われるともう、ああ­そっかなんて言って、まあそうすると逆にモチベーションが上がって、そういう部分も大­きかったですね今回。なのでそういう部分でやって今回4月からこうやって会社出来たん­ですけど、こうやって、自社の仕事も少しずつ、少しずつっていうか人が足りないせいで­凄い忙しいんですけど、な部分でもやってながらも、未だにね、こうやって興味持ってい­ただける人が居るっていうのはね、うん本当にね、うれしいんですけどもね。だから、そ­うやって、うん、また何年か後でも良いんですけど、またね、なんか遊びにきてもらえた­らねなんて、あ、こんなに良くなったとか、ここがまだこうなのかとか、わかんないです­けどね。非常にそうやって来てもらって感じてもらえれば、良いのかなと思って。うん。­それまで何も注目も、て言うか全然注目度のなかった街が、今こうやって注目されてるっ­ていうことが珍しいことなんで。多分ね、人がそうやってまた、たとえばボランティアで­昔来たとか言う人たちもまた見に来てみようとか、ということでいいと思うんですね。な­んか。

阿部 信也

阿部信也さんは丸平かつおぶしの代表であり、石巻元気復興委員会にも所属しています。 阿部さんにとって会社を続けるための「かすかな希望」とは。 実際水産会社はこっち加工関連の水産なんかは200社位あって、そのほとんどがまあ壊滅してるとそれで、みなさん当然施設も設備も、うーん、あと原料も5万トンくらい被害を受けてるわけ、全体で。金額にすると350から400位になるのかね。400億くらいなのか。その中で原料もない、設備もない中で、もう解雇せざる終えなかった。ただ打ちはたまたまこの建物が残った、んで上野3階部分は水が来ていないていう、うーん、ところだったんで、やっぱりかすかな希望って言うか可能性があれば、それはできるかもしれないと、まだ。でも内部も被害状況もわかんないわけだから、まだ。出来るかもしれないと、で、従業員もやると言っている。うーん。もう、だったら、やってみようかと。そんな責任感とか、まあ、うーん。その当時はあんまりそういう所よりも、とりあえずさっき言った従業員解雇せずにやるといった、ずーっと前にそう決めた、だからそういう風に忙殺されてたって言うのが現状だった。 他企業との話し合い、コラボ商品、情報交換などについて。 (話し合いとかってされたりしますか?) ん、ほかの会社と? それはえっとやってまして、復興センターとかで、最初はみんなで集まって業種は違うんだけど、こうやって銀行は貸し渋るねとか、どうなのとか、そっちはどうなのとかこんな制度があるんだけど使えないかとかそういう情報を共有する場として始まったんだよね。そこでそのだんだん水産商品も出来るようになって、じゃあちょっとセットにして売ってみる、じゃあって。一緒に大阪のシーフード展持って上がったんですけど、そこに、一緒にそこに行って、展示して売ってみようかとか。でそれがじゃあこんどはお店が出来るっていうんでじゃあちょっとやってみるかってだんだんなってきて。 だけどこう200社もいっぺんにやられたもんだからそういう動きで、一緒に売ろうか一緒にものを作ってみようと、うちも(1:17・・・・)といっしょにふりかけを作って2社で作ってひとつって名前で、味噌鰹節と合わせてごまもいれて、そういう動きとかもやってるし、そういうのがどんどん発展すればいいなと思って。 最初はやっぱり2,3人の(1:44・・・・)で共有しました。そういうのも、あの、がんばっぺ石巻っていうホームページにのってるから。一同みんな集まって、今、現在の情報、たとえば、こういう本部も、まあ社団法人化してるんで、こういう販促をして、大手の企業さんが販促として使いたいとか、支援する、とか支援するために使いたいんだとかって言う情報が入ってくる。それにもっと対応して、ものももっと売れると思う。そういうメリットがありますよね。一緒にやるって言うことには。 石巻のコミュニティーについて。 これは絶対必要さ。間違いなく、この町内でも避難所に、この町内の方々集まって、まあ俺は2カ月だけど、(0:17・・・・)あと、やっぱり反対した人もいるし、でもやっぱりばらばらじゃあなかったから、みんな助け合って最初、みんな水、飲む水もないんで、4時間ぐらい並んで、水をもらって、あとトイレの水も水が詰まっちゃうから、近くの小学校のプールからバケツひっくり返して、そのまままずトイレを清掃するとか、そういうはなしも、あとは、うーん、そうね。そういうのをやって、みんなでやっぱ一緒に、一緒で中央公民館みたいなフロアで、知り合いがやっぱいるわけですよ。そうするとね、あんまりうちはこうプライバシーとか言って(1:07・・・)もしなかったし、で、また、そうね、そういうコミュニティがたとえば阪神淡路のときにも、みたいに、復興、公営住宅を造っても、ばらばらになっちゃうわけです。公営住宅っていうと公平にしなくちゃなんないから、抽選で入る人を決めるとか。この地区の人だけ住まわしてくださいっていう、これはダメなんですね。いまはこここういった地区に建てる、ここに戻ってきた人は、まあアンケート取ったら7割くらいの人がこっちで出来るならそういう所に住んでもいいて言う人もいるし。そのほうがさ、だって、年寄り、70、80にもなって、ローンで家なんてまた建てられないでしょ。家は建てられないんだったら公営住宅でいいわって、家賃払うからって言ったって隣近所わかんないとかって、それで阪神淡路の時は孤独死とかさ、孤立死とか増えてくるわけさ。ここで誰がね、なんだあの人最近みてないなってなったら、ちょっと聞いてみるかってなるしね。

佐々木 孝寿

佐々木孝寿さんはヤマサコウショウの代表と、元気復興委員会の一員としてご活躍されています。 震災前と震災後、変わった事 3.11以降は震災前より以上ですね、地域の、えー、活動て言うのにですね、積極的に、えー、協力していこうということで、震災前までは、どちらかというとですね、単独で行動することが多かったんですが、震災後はですね、同じ、同僚の皆さんと歩調を合わせてですね、協力できることはしていく、それから、石巻の、そのー、異業種の人たちなんかもお付き合いも積極的にするようにしています。 (震災前と震災後でいろいろ変わりましたか?) あ、変わりました。私が一番変わりました。 (はあ、どういう感じで。) ですから、先ほど言ったように、独立独歩であの、進むっていうだけじゃなくて、お仲間の人たちに、それから石巻で働いている、仕事をしている会社さんの人たちとかね、コミュニケーションをよくとって当社の事をよく知ってもらうのも大事。無効、先方様のこともよく知る、で、出来ることは手を取り合いながら、一緒にやろうよという風に。 石巻の良いところ、お客様から励ましの声 石巻の一番いい例、石巻の一番いいところはね、まずなんていうのかね、食べ物がうまいですね。魚は最高に上手いです。魚は美味しい。それから、お米も良いお米がいっぱい取れます。お水もいいです。野菜も美味しい、お肉も良い、食べ物が良い、良い食材がいっぱいあります。高くないです。東京と比べたら全然安いです。そういうね、石巻は食べ物の、食材の宝庫ですよ。景色も海を、太平洋を前にして非常にね、素晴らしいロケーションがあります。そういった良い点をね、今はみんな放射能とかで怖がってますけど、それが済めば、また石巻に来てもらえれば必ず満足してもらえるから。あります。それだけ美味しいですから。 (元に戻るには結構な時間がかかると思うんですけど。) 懸ります。しょうがないですね。あー、3年じゃ厳しいかな5年、もしくは10年かもわからないですね。 (必ず元には戻せると。) はい、もとにっていうか、もっと仲良しになってよくなると思います。そうですね。地元、私はここで生まれて、ここで育ったから、責任ていうよりもここが好きなんです。責任じゃないです。好きなんです。それでいいんです。お客さんも待っていてくれてるんです。いっぱい励まされましたよ。頑張れ、待ってるから、いっぱい励まされました。そのお客さんたちが待ってくださっているから、頑張ろうっていう気持になれるんです。 (やはりそれは人が、) 人です。そうです。人です。

平塚 隆一郎

平塚隆一郎は山徳平塚水産の代表であり、石巻元気復興委員会にも所属している。 あのう震災前から、私に関して言うとですね、震災前からやっぱり、このままの状態ではこの業界も立ち行かなくなるのは目に見えるっていうなってのは思ってたんで、まあそれがより。かと言って震災、震災が来てこう機械とかが無くなるのはよりそれが深まったっていう事だけであって。 そういう「元に戻す」ではなくて、違ったもっとこう、儲かる構造っていうか。そう、そういったものに変えていかなくちゃいけないだろうという事で。あの、単に3月10日の段階まで戻す、っていう事はちょっと考えずに、違った形、違った売り先とかそう言ったものを考えながら。後はあのう、色々と同じ用な機械が入ってたりとか震災前はね。で価格で競争して、いやこっちが安いとか、っていうような形だったので、それをこう絶世して、できるだけ。あと、もう、儲かる構造というか。価格競争じゃなくて、あのう石巻のブランド価値を高めてみたいな感じでええ、構造の業界の形を変えていかなくちゃいけないだろうというような事を考えて今。そっちょの分科会っというかあれですけど、ワーキンググループの方か毎、毎週一回集まって、色々検討は続けているんですけど。 今はまあ見ての通り周りも更地になってそういうのはまあ、あるとしても重機でやるからいいよみたいな感じですからあれなんですけど。やっぱりあの、こうやって来てもらって、あるいはこうやってその取材してもらって今現状石巻の、こうなってて、まあなんにも無くなってるみたいな状態なので(笑)あの相当時間もかかるし。ええ、そういった事を。まっさっきも言いましたけど、その見に来てもらっただけでもいい訳ですよ、あの、バスツアーで被災ツアーみたいな感じでもいいので。あの、見に来てもらって、あの、都会でわかんない人達に、いやまだまだあの 長く掛かるこりゃぁ、っていうのを伝えてもらうっていうのが一番良いかなとは思いますけどね。ね、その。あんまりこう気合い入れてガッていくと、あの 長く持たないので。こう細く長くでもいいので、こう、多分ね、あの最低年、最低5年ぐらい掛かるってここ。あの、長く言えばまあ10年は、10年ぐらいはある程度まっ、あの。阪神大震災なんかの例でいっても、まあ10年ぐらいは楽勝で掛かるので。その、皆さんも学生じゃなくなるかもしれないですけども既に、あの、あの気に止めていただいて時々思い返してどうなったかなっていう関心を持ってもらうっていうのが一番大切なのかなっていう風に思いますね。 あのまあ一応ね結構そのメディアの方とか取材には来てもらっていて。うん、で今、今となっては出来るだけ出るようにしている。あのう、結局その、震災直後だと頼まなくても来て取材してきますけど。まっ実際にはね、震災直後メディアもなにも、自分たちが見れないから、どんな内容なのか全然わかんないんですけど、テレビも無いから。ラジオは聞けましたけど、テレ、テレビが無いので。いっ、今は、今は立場としては来てもらったらあのう、やっぱりあのう、どんどんこう忘れさられてってしまうとか、もう1年も経ったんだから復旧してんでしょ、みたいな感じに成りかねないので。できるだけそうでもない、もっと長くかかるんだっていう事をお知らせしたいので。あのう、メ、メディアの取材があったら必ずまっ、出たりとか協力は惜しまない(微笑)形でやってますけど。 結局まああのう、こっち側の現状を見ないで結構、多分そうなんじゃないか、仮説の元に来てるので。まあ話を聞けば あっそういうあの趣旨であの取材したいんだねっていうのは分かるので。その、できるだけその、乗ってあげたいっとは思うんだけど、現実と違う事を折り曲げて(笑)グルっと。あの、嘘は言えないので。できるだけまあ趣旨は分かったけどちょっと難しいんじゃないって。まあ、協力できる範囲ではしますけどみたいな感じなんですけど。た、多分まあ、だい、だいたい、だいたいそうなんだけどそう、そういう、最初からあの、こういうシナリオみたいなのがあって来るんでね、だいたい。それが検討違いだと困っちゃうんですよ。 まっ、遺体の安置所のところに、えっとですね、なんか、家族がね、こう縋りついて。こう、ずっと永遠と泣き崩れてるわけですよ。そういうのって、俺がお坊さんとか牧師さんとかがいればさ、あの、もう、次の段取りっていうか。こ、これがね、周りで見ててこうやって。もうそろそろいいだろって言う事もできないし。で、まあ、なんだ、ドウ、同窓っていうか、棺に入れてこう仮の埋葬、埋葬するんだけど。それが、そこでもずっとこう、ね、泣きつ、泣き続けてる家族がいて。救われないんだ、な、なんか普通にこう、お坊さんとか牧師さんとか誰でもいいんだけど、な、なんか、次は読経をしてくれるとか、そういうのがないと。これってこう、無宗教だとこういう状態になるのかなという(笑)いうので、あの、ホントに見てて辛いし本人たちも救われないし。ほ、本人っていうか亡くなった人はどうなん、(笑)それはわか、わからんけど、周りのカ、家族もどうにもならないし。いや、いやっこれってさとか言ってうちの、ホントにその宗教っつうのがさ、人間にとってい、あの、残された人にとって必要なんだなっていうふうに すごく思ったんで。 あの、あんまり日本人ってなんとか、なんとか、欧米の人と違って私はキリスト教徒ですとかイスラム教徒ですとかっていうふうにしないで、あの、生活の中に染み込んだ、習俗化した宗教だからあれですけど。そういうのもやっぱり、必要なんだなっていうふうな、すごくその、あの。人間にとって必要な物なんだなっていうふうには思いましたね。

荒川 元一

ガス販売をはじめとした荒川七衛商店は昭和6年に創業、現在で荒川元一さんは三代目となります。会社は津波にのまれてしまい、荒川さん自身も波に巻き込まれてしまいました。その後、石巻被災企業復興支援がんばっぺ石巻に加わり、石巻の現状を世界へ発信するマガジン「Rolling Press(ローリングプレス)」を創刊。国内と海外へ発信していきたい強い思い、復興への思い、そして震災で気づかされた人との繋がりについて話してくれました。 がんばっぺ石巻 荒川さんプロフィール Rolling Press ローリングプレス Facebook Rolling Press ローリングプレス ブログ 地震が起きて、ええ、その後自分も事業所の中を確認して、でまあ大津波警報だとラジオ聞かせて、大津波警報が来てるってんで、事業所からその撤去させた後になんで私が一人残ったかと、やはりあの、人の命は尊いものだってのをやっぱり身にしみて学んでいた事だったので。まあ最後は自分の命が亡くなっててもやっぱり守らなきゃいけない。仮に、た、例えばあの、従業員が亡くなってしまって私が逃げて助かってたらやっぱりあの、社会が周りがどう批判しようと自分が一番いや、嫌だろうなと。だからそれで残って確認しようと思ったのが結局自分はまあ助かりましたけど、危ない思いをした訳ですよ。でもそれは今になって見ると、やっぱりそういう運命でその後に、の活動てか生き方に私があの、生かして生きてかないといけないんだろうなと思ったんです。 でそん時は今まで日本の国としてはそういう災害が、自然災害があった場合に個々の事業所に支援をするっていうスキーマは何もありません。ただ今回は甚大な災害なんで何か国にね、あの訴えて、何か考える、考えたいと思いますっていう話を受けて私たちもそれ是非、その、雇用をこれからあの、喪失守るためにもそういうかた、何か支援をいただきたいっていうような事を陳情したんですね。でその一ヶ月後に4月の半ばぐらいに声がまた掛かって。で、実際にはどうだったのって聞いたら、いやあ現状では新しいスキーマない。ただその、あるとしたらその、国からのあの、緊急的な融資で、近隣が安いものだったら借りるできるよっていうスキーマしかないと。でその、えーそのやったのは古藤野っていう方と松本さんっていうのがあのう、声かけて、いやそうじゃなくて自分たちでやっぱ立たなきゃダメだから、と言っても個々じゃ無理だから集まろうってことで、確か、5月だったと思うんですけども。そこで、元気、石巻元気、被災企業元気復興委員会っていうのを作ろうって事で。 私、青年会議所ってのは40までで、私は37で初めて3年間しか所属してなかったんだけど。あのまぁ社会に奉仕して、仲間をつくっ、大事にして明るい未来を作りましょうみたいな信条を、3信条ってのをあげてて活動してるんですけど。まぁボランティア的な団体ですよね。でそういうのでまぁ、なんとか町おこしをしようとか社会を良くしようっていう志を持つようにこう集められ。持って集まるんじゃなくて持つようにこう勉強してから入らないみたいな誘われて。僕も最初は断ってたけど、たまたまあの、私のあのう同級生があのうその代表になるからってんで強く引っ張られて、じゃ3年間だけだけどやってみっかっていうような感じでね。そん中でその松本さんなり、ええ今朝会った山形くんなり知り合って。ええまぁいろんな、腹を割って話せる、いろんな事を。まぁ政治の事とか、あの宗教の事とか仕事の事とか業界の事とか。もう業界違くてもこういう、こうなんだ、とんでもねぇなぁとか困ったもんだなぁとかっていう、実はこうなんだよみたいな話を腹割ってさぁ、あのう話せる仲間が何人かいて。まぁそういうのしてから声が掛かってあの、陳情に行くよってのがあの声掛かったんで。多分その団体とかそういう仲間がいなかったら私も孤立してて途方に暮れてていたと思うんです。

カテゴリー(地域別)

Access Counter

  • 91,976 hits
Advertisements