佐藤 洋一

佐藤洋一さんは石巻商工会議所に勤めています。

若い人達の為の石巻とは

まずは若い方が安心して子育てできる街、作り、で、若い方が、安心して、あのー、なんて言うんですかね、さらに若い方が働く場所があって、で、石巻に住んで子育てできる環境。だから仕事が先なのか、安心が先なのか色々どっちが先なのかあるんですけど、要するに石巻に住んで、もともと住みやすい場所なんです、もともと。あの、海があって山があって自然があって、食べ物がおいしいんですよ。あの、一年中通して雪がそんなに降らないんですよ。大雪降らないんです。比較的気候が安定してましてですね、住むにはいい街なんです。ただ今回の震災で凄いマイナスイメージ、凄い被害ありましたよね。だからそこらへんで凄く思うんですけども、住むには良い街なんだけども、やはり若い方たちとかがここに落ち着くためにはやはり働く場所があって、あー、家が建てられる、家が建って、持ち家が持ててですね、そういう人間の再建のきもちを満たすものはというと、安心安全、住みやすい街作り、を作るのが一番。あの、働く場が一番かもしれません。働く場がなければ子育てできないですもん。それでみんなね、働く場所が無くて仙台に、東京のほうに行くんですよ。若者は。

(止めようとは思わないんですか。)
いや、もう止めるすべもないっていうか、結局、あの、費用はあるんだけどもある程度ひとは充足してますというか、震災前はね、だから若い優秀な方々は高校を出て、東京の大学行って、東京の大学で就職見つけて、あの、東京のほうに住んじゃうとかね。で、意外と石巻のほうでは若年層高校生大学生のほうを採用する企業って少ないんです。意外と。

(それはなんでなんですかね。)
何ででしょうね。そんなあんまりないですよね。大卒募集とか。あの、高校卒で十分だったみたいなのかな。で、大卒募集してる会社とかもありますよ、銀行さんとかね。それは全部毎年一人か二人、そういう枠。底にもあります、市役所の職員とか、本当に数少ないんです。

人間に悪い人はいない、松島の避難所での話

結局人間っていうのはもともと悪い人っていうのはいないと思うんですよ。
うん。私人間が好きなんですけども、本当に悪い奴っていないとおもうんです。ただ付き合う相手によって、こう悪くなったり、こう色んなパターンがあると思うんですね。まずその石巻で、生き残った十五万のしみんがまず共通点っていうのは全員被災者なんですよ。全員被災を受けたんです。津波の被害を受けたの。家族無くなったかと思います、友達無くなったかともいます。周りにいっぱいいます。そういう一瞬にして同じ被災を受けた市民なんです。同じ市民同士ってお互いに支え合おうとか助け合おうとかってなるんです人間って。ね、同じ境遇になっちゃうとね。自分だけ良ければいいんじゃないんですよ。やっぱりみんなと同じ気持ちになっちゃう。同時になるんですよ一瞬で。それってなかなかないんですよ人間社会では。こういう震災を受けたときしかないんです。あとはみんな勝手なんです。どっちかっていうと、普段の生活から。何不自由なく自分のことだけ考えて。あの、人との交流も必要ない方いっぱいいます。でも、今回石巻で全員一緒に被害を受けて、同じ立場があって、そうするとあの、お互いを支え合うっていう気持ちになるんですね、人間って。助けようとか助けられたいとかっていう気持ちになるし。で特に年上の方も多いですから、若い方は何とかしようとかそういう気持ちに戻るみたいですよ。みんなで頑張ろうとか。ですから、まあ震災がよかったなんていうわけにもいかないですけども、何かとこう人間社会が孤立している、自分だけ良ければ良い、ような時代に向かっているわけですよね。人との交流っていうのがなかなか希薄になってきている時期ですから。こういう震災をみんなで受けて、ものを共有して、一緒の体験をして、一人じゃ生きられない、みんなに助けられて、みんなで助け合いながらいこうっていう雰囲気が自然に出たんです。ともに頑張ろうって。ともに頑張ろうですよ。

一番はですね。地元の人たちがとにかくですね、2,3日間、もの食べず、みんなで支え合いながら、こう助け合いながら生きたという瞬間がありましたので、その時に人間性がやっぱり出たんでしょうね。良い話があったんですよ。東松島の、避難所に、50人くらいあの、逃げたの。で、食べ物もない、ほとんど食べ物ないですからね。水もないっていう状態の中で、ペットボトル2本しかなかったのかな。たまたま会ったんですね、ペットボトル2本。50人の方が、このペットボトル2本をみんなで分け合ったそうです。少しずつ飲んで、次の人に渡したっていう美談があるんです。そして、あの、びっくりしたのは、飲んだふりして飲まなかった人たちもいたみたいで、で、おばあさんとか子供たちに、こう自分が口付けたふりして飲まないで、どうぞって。ペットボトルうんと200、2リットルかな。50人まわしても、まだ一本余ってたっていう話なんです。恐ろしい話なんですよ。って、その避難所にいた人が、いや、私はこの避難所に来て良かったってみんな言ってんだよ。それだけ人のことを思いやれる。はじめて会った、人たちがペットボトル1本を50人で分け合えるような、メンバーがたまたまいたと、言う話を聞いて凄いなって、これってすご良い話だなって。

山本 寿則

山本寿則さんは山本歯科医院で歯科医として働いています。

理想ねー。やっぱりちょっとあまりにもね、あのう。私、小学校中学校 門脇小学校 門脇中学校で、南浜町とか大街道どか、いわゆるごっそりなくなってしまった地域出身者なんで。あのう。復興が全く新しいものを作っていくのか、それとも前の状態に戻すのかっていう言葉に定義からも大分違ってくると思うんだけども、この先ね。ただやっぱり一番は人口を、は確保、ってか人口はね。あのう、増やしていける町に、増えていく町にしていきたいって思うのがやっぱり石巻に住んでる人間、離れなかった人間がみんな思ってる事だと思うし。ん、あのう住んでいく離れていかなっていうかね、そういうような形を目指して、ん。た町にしてい、いきたいなと、うん、思いますね。うん。

(そういうような町を作る為には、次のステップは… とういうのはどんなものですか)

んー、やっぱりなんだろうね自分だけで考えないでもうちょっとねっ、あのう集まって。んん、あのう話、まあよく言われてくるところだけれどもやっぱりどうしても聞こえてくんのは、あのあんまり行政には頼ってたりは何も進まないがら自分達で動かなきゃダメだろうと、いう風なのはあのう。やっぱり最初は何かあったらば行政に頼みに行って、あの回されて回されて、なんだ自分達でやった方が早がったやっていう話はよく聞くんで。でもね、自分ひとりでやるよりかやっぱりいろんな知恵持ち寄って少しね。まっ勉強会つったらおかしいけれどもね、うん、そういうようなのやりながらあのう、ある程度まとまって。うん、動いていった方が。多分それぞれみんな考えてる事って違うと思うし、うん。批判ばっかりじゃなくてね出し合ってなんかワイワイと楽しく、ん、あのうテーマ、テーマってかね、うん。あのう作って、まだその段階じゃないかなとは、ん。地域地域年代によってもこうあって欲しい、こうあって欲しいってのは全員違うと思うから、ん。そこをなんか少しちょっと少人数だけでもまとめるような勉強会みたいなのがね、沢山出来て、話し合えるような場とか作っていけばいいんじゃないかなとか、うん思ってます。まだ明確にこういう形でっていうは、ちょっと難しいんじゃないかなとは、うん、思ってますね、うん。

(その自分達の経験を他の地域に発信していきたいってのは、山本さんの思いでの。それを例えばどいう形で発信していきたいってのは)

なかなかやっぱり仕事しながらそういう形取るってのは難しいけれども。まあ、なんだろう。ネット上に書き込む、ぐらいがまず自分が今出来てる事。あとそれと、今度あのう、6月に去年もでき、去年やりたかったんだけれどもtやっぱり6月の段階ではできなく、年に一回あのう、ひとつ学会では発表毎年しようかっていう風に。まあ殆どは歯科の症例のほうだけども。今年は歯医者としてあのう、震災で経験した事として、あのう、そういうような震災が起きた時に、まっ雇用をどうしたらいいかっていうような問題とか、ウチら治療すんのに建物ダメで、他の所をあてにした時に収入どう、収入とかまあ患者さんとかのあのう、ね、やり取り。どうしたらいいのか、どういう風な形を取ったかっていうような情報をまあ、学会で発表してこようかなとか、ね、少しでも歯医者の、他の地域の歯医者の人達に、まっ院内でね、防災でなんなりあった時のプログラムって言ったらおかしいけども。あのう、院内マニュアルっていうのかな?うん、そういうのをなんか起きた時のマニュアルを作るのに役立ててもらえたらいいなと思って、うん。来月再来、来月か。学会の方で一応発表してくると。それぐらいはし、うん、今 今年やっと出来るかなと、うん、は思って動いてます、ん。

まあ、年代関係なく先ほど言ったようにやっぱりちょっとでもね、あのうみんなが住んでる地域地域のあのなんか起こった際のかつ、う、動きの仕方、うん。あのう、地震起きた時でもいいし台風来た時でもいいし、自分が住んでる土地で起きる自然災害に、を想定して。あのう、いわゆるその際のマニュアル、をその場所その場所で戻って作ってもらいたいなとか、あのそういう事を考えてあのう、もらえたら一番多分、あのう被災地にとっては嬉しいと思ってます、うん。で、まあ、学生っていう風に言ったけどもそれは多分そんなに被災と関係ないんじゃないかな。あっ被災地、あのうてっ、地震とか天災とかはあのう、から、学生20代どう思って欲しいとかいうのは、うん。今回の天災があったから若者にはどうして欲しいって一律に来ますからね。うん、天災はね、その場所に、うん。今回の天災からそういう風に年代に分けてどうの、まあね、若いのに体力あんだからおばあちゃんきちんと助けなさいよって言ったってね。やっぱ助けに行って失敗したケースも亡くなったケースも沢山訳だし。年代関係なくなんかあったらば自分で策定、あのう自分ででもそこの職場ででも学校ででも作った防災、あのう震災起こった際の後によくマニュアルを作ってそれに沿ってあのう、動いて、なんかあったならば、もらいたいと、うん、いう風に思いますかね、うん。