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慰霊碑

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遠藤伸宏さん

インタビュー一覧へ戻る 閖上生まれ閖上育ちの遠藤伸宏さん。閖上への想いや、復興の現状を熱く語ってくれました。 借り上げ住宅 Q: その以前はどちらに住まわれていたんですか? 仙台の白丸ってとこの借り上げ住宅。仮設じゃなくて借り上げ住宅。 Q: 借り上げ住宅ってすいませんよくわからないんですけれども。 用は長沼さんとかここは仮設住宅で市の土地やいろんな土地にポンポンポンって建ててもらってる。でもうちの被災した住民たちは全部まかなえきれないくらい住んでるわけ。住みきれないのよ仮設住宅に。全員が。うちの住民たち被災した人たちが。そうすると空いてるアパートとか市の住宅に入っていいよって。この震災ってあまりにも被災したから空いてるアパートに入ったら、補助金上限いくらだったら出しますよって。契約して1年とか2年とかで契約して、だから仮住まい。そこは仮設とか違うシステムかもしれないけど他では出せなくて生活費は出すけどお金は出さなくていいですよ、家賃は払わなくてもいいよってとこに我慢して2年かな、2年半ぐらい住んだのか。2年半ぐらい狭い3畳の部屋とかに。 Q: 住み心地はどうでしたか? 家に帰んない、帰りたくないからね、だって自分うちの町の人ってほとんど半分以上は多分半分以上って6割7割は持家だったのね。自分ちの家なのね。アパートとかじゃなくていくら古くたろうとちっちゃくても自分の家。だからそうゆうところにこうゆう共同生活したことなければ、俺もうちもそうゆう共同生活したことないから慣れないんだよんね。しかも全然顔見知りじゃ、うちはここ名取市だけど、俺行ったの仙台市だから空いてないから仙台市行ったわけ。そうするともちろん近所に知ってる人いなければ、そうするとうちの家族だけ。不安になるよねやっぱり。みんなバラバラだし。あの人あっちにいるこっちにいるあっちにいるとか。 Q: じゃあ近所付き合いとかは全然なかった? ない。ないまま2年半過ごしてきたからね。そこはストレスになるよね多分。逆にあとうちはそうでもないかもしれないけど言えないってのもあったらしいよ。被災して借りてるんですってって言えないって。あの人被災したんだって周りから言われるし、全然知らない人となりのアパートの人があの人被災してるからあの町から来たんだよって言われるからいやだって人もいる。支援物資とか寄付金とかももらってるんだってってそうゆう変なうわさたつと嫌がらせもあったって、中にはあった人も中には聞いたことある。だからあんまり自分のね、私はどっかから引っ越してきたんですってあんまり言いたくなかったって人もいた。うちはそこまでいわなかったけど。仮設とはまた違うんだよね借り上げ住宅っていうシステムは。 行政に求めること Q: 遠藤さんはどのようなことを市に求めて。。。 市に求めるのは住民と市の話し合いをもっとしろっていうだけで、全然しないようにイメージなのねしてないっていうかもっとこまめにするべきであって。お互い言い分あるからどんどんいいだして、だからこっちいいよこっちだめだよやっぱ中間とりましょとかそうゆういくら話し合いしてもいいのに、話し合いの場がなかったからこうなっちゃうと思うんだよね。だから住民のこっち側の意見は法律的にはもう全然クリアできないんだよね、だからうちのほうのんでください、いやいや頑張ってじゃあ半分とってくれとか、じゃあ頑張ってアピールしてきますとかそうゆう話し合いしてかないと、ある日突然これしかねえこれしかねえこれしかねえって毎回押し付けられて、それだったらあんたらあなたたち誰もすまないよねって行政の人たち結局。俺らの町だよねってもともと。俺らのこうしてくれって望んでるのになんで上からこうゆう市にしかしねえってそれおかしくないってなるよね。だってあの日復興ってたぶん俺あの日自分その町に住んでる人たちがどうゆうその町のなかのどこで住みたいかだと思うんだよね。自分は怖いから自分の町出て山のほうに引っ越したいって言えば引っ越す人たちにはこうゆう補助あっからこれで終わりですよってそれで終わりだと思うんだよ。それ単純なんだけど、それがないんだよね初期のやつが。だからこうなっちゃうんだと思うんだよね。たしかに人数多いかもしれないけど、被災した市町村の1地区にすれば多分うちの町1番多いはずね宮城県の中で。その復興の1地域の対象があまりにも多すぎるから言い分なんて100人いて100人違うかもしれないから、それはまとめるの大変かもしんないけど、でも少しずつやってけばすむわけで。やってる気配が見当たらなかったのがこうゆう結果だと思うよねまだ。 閖上 うちの閖上の人ってほんとちっちゃい町だよ多分ね。7200人ぐらいなのかなあの日まで。でも俺は特にだけど東京行ってもどっから来たの言われたら閖上から来ましたって言っちゃうんだよね。それってどこにあるのって言われっと仙台の、仙台空港の隣町なんですとかって説明しちゃうんだよね。仙台の人宮城県だったら多分宮城県で仕事しててあんたどっから来たのーとかって言われっと俺閖上ですっちゅうとだいたいみんな分かるわね、あー閖上ねーなんちゅって。だからそのぐらい自分の町、名取から来ましたて閖上の人絶対言わないからね閖上の人は。宮城県の人も東京行っても宮城県から来ましたって言わないんだよね仙台から来ましたって言うんだよね。それと一緒なんだよね。閖上はもう飛び越しちゃってるんだよね。仙台も飛び越して自分の町だけアピールしてるみたいだけど。そっからちょっと説明するのがうちの町の人の習性なのかな。だから自分の町いかに好きだったか誇りに思ってたかちゅうあらわれなのかなって思うよね。一つの本当の立派な町だったからさ昔はさ。市に合併される前は。だからそこの中でそうやって育ってきてっから俺はずっとそうやって教えらってきってからは、ましてこの漢字1個しかないからね。閖上ちゅう漢字中国の字でもないから、この字世界に1個しかない漢字だからさ。閖上としか読めない漢字だからそこにも誇りあるんだろうね多分ね。 慰霊碑 Q: 今度慰霊碑が日和山のほうに建てられる計画があるって、たぶん知ってると思うんですけれども。 見てきた。まだまだ途中途中。 Q: それはどうして見にいかれたんですか? 見に行かれたっちゅうか毎日閖上に足はこんでっから今日こうゆう状況なんだって見るからね俺は毎日ほぼ毎日のように行くから朝から晩。 Q: 慰霊碑についてはどう思われますか? 慰霊碑はうちの町に関してはあれ多分市でやるんだよねね。ちょっと遅いかなと。遅いよね多分3年半3年過ぎてるんだからもう。別にたしかに復興の事業に関係ないかもしれなけど慰霊碑なんてっていう人もいっけど別に大きさとか形の問題じゃないから本当にちっちゃくてもこの町でなくなった人たちの為の慰霊碑だからちっちゃくてもいいからやるんだったらすぐできることだったと思うのね。今他の市町村終わってるから何もかも遅いのかなってうちの町。だってうちの町いくとお寺もお墓さんも全部ないのよ見てれば分かると思うけど。でも今仮のあるのねお寺さんとかは。でもやっぱ地元に帰って手合わせたいよねお盆とかお彼岸とかそうゆう時ね 防災教育の必要性 Q:震災も過去のことだと思うんですけれども最近風化が進んでいるというふうにメディアなどを通しても感じるんですけれども、今後震災などで起きたことを伝えていくべきだとは思いますか、それとも過去のことは過去だと割り切って。 いや、日本だから災害は絶対ね水害もあるし津波もあるし火山の国だからね、噴火とかもあっからどこで何が起きるか分からないから本当だったらうちはちっちゃいうちから小学校とかからなんちゅうの防災教育みたいなのを小学校とか中学校で取り入れるべきな国だと思う最低でもね国として火山はここに火山があるよとか本当に小学校の授業とかで教えて。それも津波もこうやってこうゆうことがありましたよとか水害こうゆうとこのダムが撤回するとこうゆうことがありますよとかちっちゃいころから教えてトラウマになる前から教えてもいいよね国としてね。地域も市とか県とかじゃなくて国がやるべき。授業の国語、英語教えてるなら防災教えたほうがいいと思うね日本のほんとに。徳川家康がどうだこうだっていう前に明日起きるか分からない災害に備えて子供たちに知識を植え付けてないといざ何かあったとき何にもできない人になっちゃうよね、そういえば学校で習ってたからこうゆう時はこうゆうとこに避難したほうがいいとかって。まあそれはね、ないほうにはこしたことないんだけど。そうゆうふうに落ち着いて行動できると思うんだよねちっちゃいときから教えていれば。それを教えてる学校なんで多分どこもないないはずだから教えてくっていうか、そうやって教えていくべきだし、津波来ました、ね、でどっかで火山噴火しまいした、もう終わったことで次また違うとこでだから風化もそのことに対して風化してるかもしれないけど違うことはもう始まってるわけで別のことが逆に言うと震災前なんだよねまた新しいことゆうと次の何が起きっか分かんねえ俺らは前にいるんだよね。この起きたことに対してまだ同じいことを起きるにしたってこれもう終わっちゃっただから次俺らはここに生きてっけど、ここにあるか分かんない震災前を近づいてってるどっかの違う何かの現象に。だからやっぱもっと学校の風化させるとかしないとかどうか分かんないけどもっと国として阪神だったりこうゆう地震の多い国だったり水害多い国だから小学校なったら少しずづ教えてってもいいのかなって思う。今すぐこのへんの地域で教えろちゅうとトラウマの子供とかいっから言葉でも敏感に過敏に反応する子供たちもいっからやっぱりちょっとずらして後3年5年後ぐらいから教育に取り入れてくとか小学校だったら5年生から教えていくよとか俺はしてもいいと思うねほんとにね。だって英語よりは教えるべきだよね最初にって思う。だって日本なのに英語ペラペラしゃべるより自分の国のことの何か分かんないといけないし、大人になったら旅行とかいって海外に旅行とか行ったら海外とかでも地震起きたり噴火起きたりして巻き込まれる事故あるわけでしょ日本人が。その時対処できなくなるでしょ自分の町でその地域だけでその防災教えてたって地域にしか役に立たないんだったら国としておっきい防災の授業が週に何時間あってもいいのかな子供のころからって思う。だから国でどうにか取り入れないと、この名取市教育委員会だけの問題じゃなくて宮城県とかじゃなくて国から率先してやってもらえる国になってもらわないと多分何回やっても同じこと繰り返すんだよねと思ってこんな大きいこととかちっちゃいことのたんびに。ある程度知識、まあそこのなかでの授業全国のなかでの共通の知識あってあとは地域の特性でその市とかが教えるべきで、うちは山に囲まってからとか、うちは海に面してる学校だからとかそうやって少し違ったなかで教えていけば俺は多分ね、最低でもみんな命だけは守れると思うんだよね。だって命なくすと何も面白いことね、周りの人だってつまんないからねやっぱり。形なくなっても命さえ守れれば、そこだけは最低でも自分の命は自分で守れるような授業を、風化させないとかそうゆう関連していくとそこまでたどり着くのかなって思うね。 インタビュー一覧へ戻る Advertisements

木皿俊克さん

インタビュー一覧へ戻る 閖上生まれ閖上育ちの木皿俊克さん。現在は東部愛島仮設の自治会で会計士をやっているそうです。 震災前の閖上について 二階だったんですが、流される家が二階だったんですけどほんとに海が見えてほんとにこう波の音が聞こえて、夏にはもう潮風が入ってきてクーラーが要らないくらい寒いくらい夏でも、そんな時もありました。 暮らしやすそうな、、 そうですね。暮らしやすかったですねー。今はある程度愛島にも慣れてこの生活にも慣れたんですけれど、でもやっぱり時たま閖上のことを思い出してあーもう朝になると散歩にでかけたり、こんな時だったら日曜日の朝頃からたぶん松林の所をぐるぐるぐるっと一時間くらいかけて散歩してたりしますね。 Q: 今思い返しても閖上という町は暮らしやすかった、、 木皿:暮らしやすかったですねー!はい。やっぱりこう愛島の東部仮設という形でこうだいたい地元の人というか、前四丁目っていうですけども、海の近く低山彫りっていう所があって低山彫りも東にあの四丁目、三丁目とひる山に五丁目、六丁目があってっていう形なんですけれども、そこの人たちの暮らしぶりっていうのは良かったっていう。遠藤会長と愛島東部仮設の遠藤会長とも町内会で一緒でしたもんですからそうゆう関係で結局地元のつながりがすごいこう深いっていうかそうゆう感じは思っていましたね。やっぱりこう暮らしやすかった。結構でかけても”おお”みたいな感じで。 Q: 出かけると顔見知りの方と、、 そうですね。挨拶とかするんで、はい、私はでも若い頃はそんなにこう町内会と仲良く付き合ったわけじゃないんで、逆に50代の頃から町内会の役員を始めていろんな人と仲良くなって、そういった面で暮らしやすい、私だけじゃなくってみんな言うんですが、コミュニティーというか、隣近所の仲が良いというそういった場所柄でしたね。 仮設での暮らし Q: 最初こちらにいらした時は仮設住宅の印象はどうでしたか? ああ!まぁえっと、良いのか分からないですけれど暮らしやすかったですね。最初に思っていた時は隣の人の声が聞こえるとか、冬寒くて夏暑いって言われてて、でもそんなことなくてすごく快適で、はい。愛島東部仮設は私としては暮らしやすいですね。一人で暮らしているんですが、暮らしやすいです。 Q: こちらにいらした時は昔からの閖上の知り合いの方はいましたか? いましたね。遠藤会長をはじめ。こちらが知らないと向こうが知っていて、向こうから声をかけられてもこっちが分からないという、そういう恥ずかしいこともありますね。 Q: そういう方がやっぱりいらっしゃると、、 気持もやっぱり違ってきますね。大河原にいた時はすごい便利というか楽だったんですがなにも自分ですることもないし、でもやっぱりちょっと寂しいっていう感じはあって、やっぱりこちらにきて俺もしょっちゅう出かけてる方だからあんまりこう付き合いとかがある方ではないんですが、心強いですね。知っている人たちがいるってことは。やっぱり昔の閖上をちょっと思い出させてくれる。すごい大事な所かなと。 Q: そうすると以前と比べてご近所さんとのつながりと言いますか、というのはあんまりこちらでも変わっていないという、、 そうですね。ちょっとこう場所が変わっただけで、コミュニティー自体は変わってないという。 Q: 現在は仮設住宅にお住いになっていて何か特に困ったこととかありますか? いや、ないですね。もうちょっと細かく言えばあるんでしょうが、まぁ暮らす分には本当にすごい暮らしやすいですね。会社も私は仙台の方にあるものですから近いんで、生活するにはもう、会社も近いんで、はい。通勤もしやすいですね。 神戸での経験 Q: 自治会に参加するにあたってその役員をするにあたって生活の変化というかありましたか? 変化というかただ楽しいですよね。自分でまぁあの去年たまたま、今年か。たまたま神戸に行く機会がありまして、冗談半分にちょっと去年の夏か秋ころに神戸に行かないかって言われて、行く行くって手を挙げて、だいたいそういう話って近くになってそういう話あったっけってなるんだけれども、具体的な話になってそろそろ神戸に行かなきゃ行けないんだけどってみたく言われてあー本当なんだって。そういう形で行かせてもらってすごい自分の今でもこう宝物みたくなっていて、それはすごい自分でも良かったなって思ってます。で、そういった声かけてくれた会長を始めみなさまに本当に感謝しているというか、それはありますね。 Q: 神戸に行かれたことでなにが一番大きかったですか? あーまず一番はあのやっぱり神戸の人たちも同じ痛みっていったらなんですが抱えているっていうのが分かりまして、私自身も阪神淡路大震災の時はこうやっぱり人ごとだったですね。で自分たちがなってこうそんなにこう聞いたりなんだりしないけども、こう1.17の阪神淡路大震災のイベントを通じて、こういろんな人から聞こえたりしてみると、未だにやっぱり揺れたりなんだりすると心配なんだよね、って歩いていてもきこえるわけですよね。あーちょっとやっぱり同じこうやっぱり痛みを抱えてるし、やっぱり忘れてはいけないし、みたいな形でやっぱり、うーん、忘れるってことがやっぱり一番悲しい。まあ、忘れていいってこともあるけども、やっぱり忘れないでいてもらいたいっていのもあるし。そういったものを、すごい感じたし。いろんな人の、人との交流っていうのもやっぱりあったし。そういっためんでは、すごいこう、まあ、うん、阪神淡路大震災の教訓もあるし、今回の東日本大震災のやつもあるし。あとやっぱ人とのつながりっていうか、そういったものをすごい感じさせてもらった従う集いだったと自分では思っています。繰り返しになりますけど、そういったのに参加できたのがやっぱり自分自身のやっぱり幸せだなって感じてるんで、そういっためんではやっぱりすごいこう、自治会に入って良かったなって感じてます。 将来やりたいこと Q: 今木皿さんご自身で、なんか希望っていうか、こうなって欲しいなっていう得に強い思いってありますか? あー。やっぱりこう。上手くは言えないんですけども、やっぱりこう前向きなかたちっていうか、そういったやっぱりいろんなかたちで。私なんかもうテニスとかやってるんで、まあ先ほど、テニスをやってきたんですけども。友達とかとまーいろいろテニスの旅行に出かけたりとか、あと、そういった生活だけじゃなくて趣味とかの部分でもやっぱりこういろんな可能性あるじゃないですか。はい。そういう例えばカラオケが好きな人はカラオケやったりとか。そういった形でこう趣味とか、サークルみたいなの作って、やっていけたらなーって思ってるんですけども。 慰霊碑 Q: 先ほど、震災に関しての記憶というか、今後に伝えていくべきだど、ということをお話されたと思うんですけども、何かそういうものを形として何か残しておきたいってそういう思いっ慰霊碑でしたりとか、、 そうですね。できれば、まあいろんな考え方があって、具体的なものを残しておいたほうがいいって人もいるし、でもなんらかの形で残してもらいたいみたいな。それが、直接、間接かは分からないですけども、そういった形で、まあどっか忘れないような形で残しておいてもらいちなっていうのはありますね。まあ、いろいろ若者にしても、建造物にしても、残したほうがいいってなんかこう、賛否両論あるんですけどねー。でもやっぱりどういう形であれ、忘れないでほしいっていうのはありますねー。 Q: 賛否両論あるっておっしゃったんですけど、こう賛成の方と賛成ではない方の、どういう意見の違いがあるんですか? やっぱりこう、あまりにも、残しておくことによって昔のことをトラウマにとらえちゃうと、それは結局マイナスのイメージになるみたいな形、で、やっぱり賛成の方にすれば、そういったやつのことでそういった大きなことがあったんだよって知らしめたいって2つありますよねー。だからねー。ある意味でそういった教訓にしたいって形のと、あとその、呼び起こすことによってトラウマの形ってそういう人たちのことを考えると、やってはいけないんだっていう2つの意見に分かれちゃいますよね。それは私はどうこう言うつもりはないですけど。 Q: 木皿さんてきには、どうお考えですか? 私的には何らかの形で残してもらいたいなーっていうのはありますね。それが直接じゃなくても、あるいはこうなんらかの形ではやっぱり残しておいてもらいたいっていうのはありますねー。 インタビュー一覧へ戻る

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