上野 ヒデ

上野さんは婦人会を引っぱっていて、とてもアクティブに復興という課題に向き合っている女性でした。ここまでアクティブに町やコミュニティーと関われるようになったのも実は最近なのだそう。
「本当あの当時はね、自分の名前も書けなかったし。人の話も聞けなかったしね。」

上野さんの提案で実行にうつされた、新しい献花台についてお聞きしました。

「みんなの善意でできたもんだから。そういう事であの、仏具なんかも仏具屋さんが、いいよ、って提供してもらってね。ね、そういうみんなの善意を無にしたくないからね。ここにあの「献花台を見守る会」を結成して、そしていつでも花がね、周りに咲いてるようにしよっていうね今その準備をしてるの。
であの今あの、植えてあるあのひまわりはね、これよその献花台からひまわりの種を植えて。ちょうどお盆の頃に咲くようにね、やってます。でそれが終わったら次はこの花を植える。ゆ、あの、冬はじゃ何をって、じゃハボタンがいいよ、って。だ花をきらさないようにあれはいつでも、冬でもね咲いてる花を植えようって今ね、やってんだけどね。みんながね、あの、段々この。まあ町がこうなってるからみんな防災のあれは分かってんだろうけども、町が出来上がった時みんな忘れます。忘れますよ。私はあの、チリ地震も知ってるの、津波も。もうね、3年経ったらみんな忘れてたからね。うん。だ忘れないようにあそこの役場の庁舎を残して、あの、お勉強の場にして欲しいって私が」

高橋 英悟

高橋英悟さんは大槌町吉里吉里地区にある吉祥寺の住職さん。吉祥寺は指定されていた避難所ではありませんでしたが、震災当時は急遽お寺の一角を避難所として開放されました。

「保護司っていう仕事。ボランティアなんだけども、法務大臣の委嘱を受けて間違ってその罪を犯してしまった人達の更正の手助けをするっていう仕事があるんですよ。保護司会っていうのがあってそこの中ではお付き合いはあったんですけども。震災を契機に仏教会が出来て。今会長は釜石の仙寿院さん(せんじゅいん)。和尚さん方が力を合わせて、今やれる事なにかっていうと、一生懸命もうとにかく拝む事しかできないんですよ。だから、みんなそれぞれ和尚さん方が安置所を回ったり。安置所でお経をあげたり。あとは火葬場でずっとあの無償のボランティアをしたりっていう、そういう事を通して、みんなで力を合わせてこうっていう思いが本当強くなった。仏教会の主催っていう事で各種いろいろな法要、お勤めもするようになった事はあります。一周忌。ちょうど一周忌のときにはコラボレーションで法要をやりました。」

「最初のお盆の時もいろんな支援がきたんですけれども、とにかくお寺を解放してできることは何でもやろうって思って、避難所をやっててとにかくみんな頑張ってるんですよ。みんなの前でしくしくめそめそ泣いてる人は誰もいなかったの。これは本当びっくりするくらい。でみんな心の中では大変なんだけれども、自分よりももっと大変な人がいると。家族の中で3人4人なくした人、子供までなくした人もいるからね。そういう人がいる中で泣けないって思って頑張ってる人がほとんどだったんだけれども、4月のはじめ音楽の慰問っていうのが来てくれたんですよ。その時に初めてみんなで泣いたの。もう誰の事も気にしないで声あげてわんわん泣いたの。これはと、自分でも音楽、芸術の大切さというのはすごく感じて、今に至ってるんです。」

芳賀 衛

消防団員として、また地域のリーダーとしても活躍した経験から、遺体の身元確認の役割を任されていた。
「俺しかいなかったからって自分で言い聞かせて。知ってる顔だし、特徴も知ってるしな。」
震災直後の、壊滅的な状況の中で現場の責任者として動いていた芳賀さんから、当時の避難所のことなどを伺いました。

「メインになってたのはまあ、吉里吉里小学校の講堂とお寺の吉祥寺。あとはいとこ親戚の方に分散して家族の方に、我々みたいに分散して、とこう3つに分かれたんだな。」

佐野安信  八重子

震災後中型イカ釣り漁船第81明神丸を新しく造り、遠洋漁業を行っている佐野さん。佐野さんが遠洋に出ている間、奥さんは家と家族をしっかり守り、お互い支え合っている様子が伝わってきました。
だから私は言いたいのは、船の船頭と丘の船頭とそんなように思ってましたね。
と奥さんがおっしゃっていたのが印象的でした。

佐野さんは海に出ている分、近年の自然の変化を肌で感じているようです。

「まあ、なんだかんだいって自然には逆らえないからね。竜巻だって、今テレビではすごいやるようだけど。いろんなとこぶつかってったり。」
「今は何て言うんだか、何年か前の津波があって突発的なのが来るよね。昔竜巻ってのもこんなに出なかったのに、今じゃ低気圧が来るたびに出る。』

木藤 養顕

蓮乗寺 木藤養顕さん

木藤養顕さんは末広町に位置する蓮乗寺の住職さん。震災当時、津波から避難することができたが、お寺は火事になってしまい今は仮設の建物でお寺の運営をしている。

「一年から一年半くらいの間には、まず全員の方がお葬式された。もちろん遺体が見つかった方はなるべく早くして、ちゃんと埋葬してあげたいっていう気持ちが強かったから。そういった方に関しては結構早く出来たんだけど、問題は見つかってない方ね。」

大萱生 修明

大念寺 大萱生 修明さん

大萱生修明は大槌町上町にある大念寺の住職さん。震災当時、地震で建物のなかの物が散乱してしまったが、津波と火事からは逃れた。しかし、大萱生修明のいとこでもある大萱生良寛さんのお寺、江岸寺、は火事の被害を受け大念寺へ避難し、お寺の一角を江岸寺としてお仕事をされていた。他に30人ほど町の人が3ヶ月ほど大念寺へ避難した。避難所を運営すると同時に住職さんとしてのお勤め、お葬式、檀家さんのお遺灰のお預かりや身元不明のお遺灰も管理していた。

「なんかこう、印っていうか。自分が大切にするべき物を何か持ちたいっていうのが最近ったったんだべな。んだからまず。遺体が見つかっても見つかんなくても、やっぱ最後は葬式してけど、戒名書いてっけど遺灰を用意してくれって形になって、それを自分の手元に置いてなんか少しほっとするっていうか。そういうのはあったったね。」