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高橋 英悟

高橋英悟さんは大槌町吉里吉里地区にある吉祥寺の住職さん。吉祥寺は指定されていた避難所ではありませんでしたが、震災当時は急遽お寺の一角を避難所として開放されました。 「保護司っていう仕事。ボランティアなんだけども、法務大臣の委嘱を受けて間違ってその罪を犯してしまった人達の更正の手助けをするっていう仕事があるんですよ。保護司会っていうのがあってそこの中ではお付き合いはあったんですけども。震災を契機に仏教会が出来て。今会長は釜石の仙寿院さん(せんじゅいん)。和尚さん方が力を合わせて、今やれる事なにかっていうと、一生懸命もうとにかく拝む事しかできないんですよ。だから、みんなそれぞれ和尚さん方が安置所を回ったり。安置所でお経をあげたり。あとは火葬場でずっとあの無償のボランティアをしたりっていう、そういう事を通して、みんなで力を合わせてこうっていう思いが本当強くなった。仏教会の主催っていう事で各種いろいろな法要、お勤めもするようになった事はあります。一周忌。ちょうど一周忌のときにはコラボレーションで法要をやりました。」 「最初のお盆の時もいろんな支援がきたんですけれども、とにかくお寺を解放してできることは何でもやろうって思って、避難所をやっててとにかくみんな頑張ってるんですよ。みんなの前でしくしくめそめそ泣いてる人は誰もいなかったの。これは本当びっくりするくらい。でみんな心の中では大変なんだけれども、自分よりももっと大変な人がいると。家族の中で3人4人なくした人、子供までなくした人もいるからね。そういう人がいる中で泣けないって思って頑張ってる人がほとんどだったんだけれども、4月のはじめ音楽の慰問っていうのが来てくれたんですよ。その時に初めてみんなで泣いたの。もう誰の事も気にしないで声あげてわんわん泣いたの。これはと、自分でも音楽、芸術の大切さというのはすごく感じて、今に至ってるんです。」 Advertisements

芳賀 衛

消防団員として、また地域のリーダーとしても活躍した経験から、遺体の身元確認の役割を任されていた。 「俺しかいなかったからって自分で言い聞かせて。知ってる顔だし、特徴も知ってるしな。」 震災直後の、壊滅的な状況の中で現場の責任者として動いていた芳賀さんから、当時の避難所のことなどを伺いました。 「メインになってたのはまあ、吉里吉里小学校の講堂とお寺の吉祥寺。あとはいとこ親戚の方に分散して家族の方に、我々みたいに分散して、とこう3つに分かれたんだな。」

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