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大槌

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佐藤幸弘さん

インタビュー一覧へ戻る 名取市出身の佐藤幸弘さん。閖上の人と関わるうちに、閖上の人の温かさを感じ、恩返しをするために閖上たこ焼きを販売しているそうです。 閖上たこ焼きの将来 Q: やっぱりこれからもこの閖上たこやきをみなさんに伝えていく、おいしく食べていただくって形で続けていきたなって感じてますか? そうですね。できる限りは続けていって、僕が仙台とかいってたこやきをやることによって、閖上っていう名前がついてるんで、閖上っていうのを知ってもらえるいいきっかけかなと思います。 Q: 仙台とかでも売られたりするんですか? そうですね。仙台行ったり千葉、福島、東京も行ったね。 Q: ほんとですか? 2回ほど行きましたね。 やっぱりそういうこともどんどん発信していけると、やっぱり知るっていうことが一番大事じゃないなっていう 閖上っていう字も読めないっすよね最初。 すごい面白い字かくなっ思って。 それでね、閖上たこやき売って、閖上っていうのを知ってもらって、少しでも被災したところに目を向けてもらえるきっかけになれば。やっていく意味あるのかなって思いますね。 将来のビジョンとしてはそうやってどんどん全国に浸透していけばいいかなって ですね。できれば全国。秘密の県民showとかに出られれば なるほど。 一気に知名度が広がりますね。 はい 防災教育 Q: これからやっぱりあの小さいお子さんとかいらしゃってて。被災した地域としてお子さんにどういうふうに3、11のことを伝えていこう。また伝えないでそこはっていう子供に対する対応は? 被災したっていうことよりは僕は防災。海は楽しいものだけど、こういう一面もあるっとか、こうなった時はこういう風にしないといけないっていうのをまあ今回いろんな形で学んだのでそれをやっぱ子供たちに伝えたいっすね。 Q: やっぱりこう地震がきたら次は津波が来るから高台に逃げろとかそういう取組というかそういう子供に防災を教える取組っていうのは名取市では行われているんですか? どうなんですかね。名取市でしているかは分からないんですけど、自分も防災について勉強しているとこなので、それをやっぱ閖上の人と触れ合うことによってやっぱなくなった、家族とかなくなったっていう人もいるじゃないですか。そういう涙を見てるのでそういう思いをする人が一人でも少なくなるように子供たちに防災っていうのを教えて、そういう被害がもう二度とないようにしてもらいたいですね。 行政に求めること Q: やっぱり行政の土地改革の問題だったりとか意見が対立するものが多いと思うんですけれども、今佐藤さんがこう行政に求めることというか、どういうことしてほしいとかってありますか? 求めることはやっぱり住民の声を聞いて、少しでもそのできるかできないかじゃなくて心のケアというか、みんなが望んでることを少しでも耳を傾けるような政のありかたであって欲しいなって思いますね。 Q: 今あの状態だと閖上の方々からしてみればあまりこう名取市のこう政策にちょっと意見を合わせることが出来ない人がおおいのかって思うんですけれども、そういうことに対してはこれから変えていかなきゃ、変われるってお考えですか? 変われるっていうか変わってほしい。やっぱり住民あっての町じゃないですか。ただね、町を作る基本って行政にあると思うんですけど、行政のやり方はやり方であっていいと思うんですけど、そこに住民の希望とか意見を少し反映できるような町になってほしい。内陸に、現地に戻る人もいるじゃないですか。そういう人たちはね。そういう人たちの自分たちの町を作るにあたって精いっぱいサポートしてもらいたいと思うし、内陸に戻る人は内陸に戻る人のサポートを一生懸命にしてもらいたいし、他にもともと内陸に住んでいる人たちもいるわけですからね。閖上だけっていうわけにはいかないと思うんですけど、そんななかで、住民あっての名取市であってほしいかなと、希望は。それはね僕だちがなにかできるもんじゃないので、議員さんとか、そういう代表の方たちが一生懸命やってくれてるので、僕たちがあまり言うことではないけど希望はそうであってほしいと思いますね。 閖上の人 Q: 先ほど閖上の人は困ったときに助けてもらえるっておっしゃってたんですけど、やはりその名取市に住まれてて閖上に住んでない、外からみても閖上の人は地域の人と比べて違うと感じますか? 僕の場合たこやき閖上のたこやきをやるにし、やっぱりお金の面でも、何かの面でもやっぱり大変な時があるじゃないですか。その時に味だったりとか、味も結局閖上の人が食べてくれないとわからない。そういう時にこう事細かにアドバイスくれる人が出てきたりとか、場所がないって言ったときに、じゃあうちの場所使ったらって言ってくれたりとか、今までずっと車を借りてやってるんですけど、車が借りれなくなるっていうときに、金かしてやっから車買えよって言ってくれるのも閖上の人だったし。困ったときにそっと手を差し伸べてくれる人が閖上の人だった。だからそういう感謝っていうかそういうのが自分にとってはプラスになっているので、そういうめんで違う形で恩返しをしたいっていうのがありますね。 コミュニティー Q: やっぱり閖上の方々は、一緒にこういう仮設で住んででコミュニティーを築かれてて、バラバラになるのがやっぱり嫌だっていう方がいらっしゃると思うんですけど、そういう気持ちを持った方との、やっぱり、その場で移転されて、一緒になればまたそこで新しいコミュニティーを築けるっていうふうに考えられますか? まあその時点で新しいコミュニティーはできると思いますけど、時間かかりますよね。それまでがやっぱり、自分もこう知らない土地に行ったときに、やっぱり最初からコミュニティーって作れないじゃないですか。 やっぱり、そうですよね。先ほど玉田さんとお話をしてたんですけど、やっぱり3年間ここに、ここのコミュニティーに住んで、やっとこうこの仮設に住んでみんなと仲良くなれたっておっしゃってたんで、移転した先でもそれが一番変わっちゃうのかなっていうふうに思うんですけれども。そこはやっぱりこう助け合いで解決できたりとか。 そうですね。僕去年の4月かな。初めてここにきて、たこ焼きを無料で配布しますっていって来たんですよ。その時にまあ、その時と、この間ここにきて、まあ1年ちょっとたって。まあみなさんの表情も違うし、コミュニケーションの強さっていうか大切さっていうのを、改めてこないだ、見て感じたので。それまでは、仮設自体が少なくなっているのは復興の1つとしていいことなのかなって思ってたんですよ。でもこないだ来て、おばちゃんとかの顔をみて、コミュニティーがあるからこそ、みんなで強く生きられるっていうのを感じたので。そのコミュニティーがね、やっぱバラバラになったり、最初から築くっていうのは難しいことだと思うので、ぜひこのままいい形で続けられたらいいんじゃないかなって思うけど。 インタビュー一覧へ戻る Advertisements

遠藤伸宏さん

インタビュー一覧へ戻る 閖上生まれ閖上育ちの遠藤伸宏さん。閖上への想いや、復興の現状を熱く語ってくれました。 借り上げ住宅 Q: その以前はどちらに住まわれていたんですか? 仙台の白丸ってとこの借り上げ住宅。仮設じゃなくて借り上げ住宅。 Q: 借り上げ住宅ってすいませんよくわからないんですけれども。 用は長沼さんとかここは仮設住宅で市の土地やいろんな土地にポンポンポンって建ててもらってる。でもうちの被災した住民たちは全部まかなえきれないくらい住んでるわけ。住みきれないのよ仮設住宅に。全員が。うちの住民たち被災した人たちが。そうすると空いてるアパートとか市の住宅に入っていいよって。この震災ってあまりにも被災したから空いてるアパートに入ったら、補助金上限いくらだったら出しますよって。契約して1年とか2年とかで契約して、だから仮住まい。そこは仮設とか違うシステムかもしれないけど他では出せなくて生活費は出すけどお金は出さなくていいですよ、家賃は払わなくてもいいよってとこに我慢して2年かな、2年半ぐらい住んだのか。2年半ぐらい狭い3畳の部屋とかに。 Q: 住み心地はどうでしたか? 家に帰んない、帰りたくないからね、だって自分うちの町の人ってほとんど半分以上は多分半分以上って6割7割は持家だったのね。自分ちの家なのね。アパートとかじゃなくていくら古くたろうとちっちゃくても自分の家。だからそうゆうところにこうゆう共同生活したことなければ、俺もうちもそうゆう共同生活したことないから慣れないんだよんね。しかも全然顔見知りじゃ、うちはここ名取市だけど、俺行ったの仙台市だから空いてないから仙台市行ったわけ。そうするともちろん近所に知ってる人いなければ、そうするとうちの家族だけ。不安になるよねやっぱり。みんなバラバラだし。あの人あっちにいるこっちにいるあっちにいるとか。 Q: じゃあ近所付き合いとかは全然なかった? ない。ないまま2年半過ごしてきたからね。そこはストレスになるよね多分。逆にあとうちはそうでもないかもしれないけど言えないってのもあったらしいよ。被災して借りてるんですってって言えないって。あの人被災したんだって周りから言われるし、全然知らない人となりのアパートの人があの人被災してるからあの町から来たんだよって言われるからいやだって人もいる。支援物資とか寄付金とかももらってるんだってってそうゆう変なうわさたつと嫌がらせもあったって、中にはあった人も中には聞いたことある。だからあんまり自分のね、私はどっかから引っ越してきたんですってあんまり言いたくなかったって人もいた。うちはそこまでいわなかったけど。仮設とはまた違うんだよね借り上げ住宅っていうシステムは。 行政に求めること Q: 遠藤さんはどのようなことを市に求めて。。。 市に求めるのは住民と市の話し合いをもっとしろっていうだけで、全然しないようにイメージなのねしてないっていうかもっとこまめにするべきであって。お互い言い分あるからどんどんいいだして、だからこっちいいよこっちだめだよやっぱ中間とりましょとかそうゆういくら話し合いしてもいいのに、話し合いの場がなかったからこうなっちゃうと思うんだよね。だから住民のこっち側の意見は法律的にはもう全然クリアできないんだよね、だからうちのほうのんでください、いやいや頑張ってじゃあ半分とってくれとか、じゃあ頑張ってアピールしてきますとかそうゆう話し合いしてかないと、ある日突然これしかねえこれしかねえこれしかねえって毎回押し付けられて、それだったらあんたらあなたたち誰もすまないよねって行政の人たち結局。俺らの町だよねってもともと。俺らのこうしてくれって望んでるのになんで上からこうゆう市にしかしねえってそれおかしくないってなるよね。だってあの日復興ってたぶん俺あの日自分その町に住んでる人たちがどうゆうその町のなかのどこで住みたいかだと思うんだよね。自分は怖いから自分の町出て山のほうに引っ越したいって言えば引っ越す人たちにはこうゆう補助あっからこれで終わりですよってそれで終わりだと思うんだよ。それ単純なんだけど、それがないんだよね初期のやつが。だからこうなっちゃうんだと思うんだよね。たしかに人数多いかもしれないけど、被災した市町村の1地区にすれば多分うちの町1番多いはずね宮城県の中で。その復興の1地域の対象があまりにも多すぎるから言い分なんて100人いて100人違うかもしれないから、それはまとめるの大変かもしんないけど、でも少しずつやってけばすむわけで。やってる気配が見当たらなかったのがこうゆう結果だと思うよねまだ。 閖上 うちの閖上の人ってほんとちっちゃい町だよ多分ね。7200人ぐらいなのかなあの日まで。でも俺は特にだけど東京行ってもどっから来たの言われたら閖上から来ましたって言っちゃうんだよね。それってどこにあるのって言われっと仙台の、仙台空港の隣町なんですとかって説明しちゃうんだよね。仙台の人宮城県だったら多分宮城県で仕事しててあんたどっから来たのーとかって言われっと俺閖上ですっちゅうとだいたいみんな分かるわね、あー閖上ねーなんちゅって。だからそのぐらい自分の町、名取から来ましたて閖上の人絶対言わないからね閖上の人は。宮城県の人も東京行っても宮城県から来ましたって言わないんだよね仙台から来ましたって言うんだよね。それと一緒なんだよね。閖上はもう飛び越しちゃってるんだよね。仙台も飛び越して自分の町だけアピールしてるみたいだけど。そっからちょっと説明するのがうちの町の人の習性なのかな。だから自分の町いかに好きだったか誇りに思ってたかちゅうあらわれなのかなって思うよね。一つの本当の立派な町だったからさ昔はさ。市に合併される前は。だからそこの中でそうやって育ってきてっから俺はずっとそうやって教えらってきってからは、ましてこの漢字1個しかないからね。閖上ちゅう漢字中国の字でもないから、この字世界に1個しかない漢字だからさ。閖上としか読めない漢字だからそこにも誇りあるんだろうね多分ね。 慰霊碑 Q: 今度慰霊碑が日和山のほうに建てられる計画があるって、たぶん知ってると思うんですけれども。 見てきた。まだまだ途中途中。 Q: それはどうして見にいかれたんですか? 見に行かれたっちゅうか毎日閖上に足はこんでっから今日こうゆう状況なんだって見るからね俺は毎日ほぼ毎日のように行くから朝から晩。 Q: 慰霊碑についてはどう思われますか? 慰霊碑はうちの町に関してはあれ多分市でやるんだよねね。ちょっと遅いかなと。遅いよね多分3年半3年過ぎてるんだからもう。別にたしかに復興の事業に関係ないかもしれなけど慰霊碑なんてっていう人もいっけど別に大きさとか形の問題じゃないから本当にちっちゃくてもこの町でなくなった人たちの為の慰霊碑だからちっちゃくてもいいからやるんだったらすぐできることだったと思うのね。今他の市町村終わってるから何もかも遅いのかなってうちの町。だってうちの町いくとお寺もお墓さんも全部ないのよ見てれば分かると思うけど。でも今仮のあるのねお寺さんとかは。でもやっぱ地元に帰って手合わせたいよねお盆とかお彼岸とかそうゆう時ね 防災教育の必要性 Q:震災も過去のことだと思うんですけれども最近風化が進んでいるというふうにメディアなどを通しても感じるんですけれども、今後震災などで起きたことを伝えていくべきだとは思いますか、それとも過去のことは過去だと割り切って。 いや、日本だから災害は絶対ね水害もあるし津波もあるし火山の国だからね、噴火とかもあっからどこで何が起きるか分からないから本当だったらうちはちっちゃいうちから小学校とかからなんちゅうの防災教育みたいなのを小学校とか中学校で取り入れるべきな国だと思う最低でもね国として火山はここに火山があるよとか本当に小学校の授業とかで教えて。それも津波もこうやってこうゆうことがありましたよとか水害こうゆうとこのダムが撤回するとこうゆうことがありますよとかちっちゃいころから教えてトラウマになる前から教えてもいいよね国としてね。地域も市とか県とかじゃなくて国がやるべき。授業の国語、英語教えてるなら防災教えたほうがいいと思うね日本のほんとに。徳川家康がどうだこうだっていう前に明日起きるか分からない災害に備えて子供たちに知識を植え付けてないといざ何かあったとき何にもできない人になっちゃうよね、そういえば学校で習ってたからこうゆう時はこうゆうとこに避難したほうがいいとかって。まあそれはね、ないほうにはこしたことないんだけど。そうゆうふうに落ち着いて行動できると思うんだよねちっちゃいときから教えていれば。それを教えてる学校なんで多分どこもないないはずだから教えてくっていうか、そうやって教えていくべきだし、津波来ました、ね、でどっかで火山噴火しまいした、もう終わったことで次また違うとこでだから風化もそのことに対して風化してるかもしれないけど違うことはもう始まってるわけで別のことが逆に言うと震災前なんだよねまた新しいことゆうと次の何が起きっか分かんねえ俺らは前にいるんだよね。この起きたことに対してまだ同じいことを起きるにしたってこれもう終わっちゃっただから次俺らはここに生きてっけど、ここにあるか分かんない震災前を近づいてってるどっかの違う何かの現象に。だからやっぱもっと学校の風化させるとかしないとかどうか分かんないけどもっと国として阪神だったりこうゆう地震の多い国だったり水害多い国だから小学校なったら少しずづ教えてってもいいのかなって思う。今すぐこのへんの地域で教えろちゅうとトラウマの子供とかいっから言葉でも敏感に過敏に反応する子供たちもいっからやっぱりちょっとずらして後3年5年後ぐらいから教育に取り入れてくとか小学校だったら5年生から教えていくよとか俺はしてもいいと思うねほんとにね。だって英語よりは教えるべきだよね最初にって思う。だって日本なのに英語ペラペラしゃべるより自分の国のことの何か分かんないといけないし、大人になったら旅行とかいって海外に旅行とか行ったら海外とかでも地震起きたり噴火起きたりして巻き込まれる事故あるわけでしょ日本人が。その時対処できなくなるでしょ自分の町でその地域だけでその防災教えてたって地域にしか役に立たないんだったら国としておっきい防災の授業が週に何時間あってもいいのかな子供のころからって思う。だから国でどうにか取り入れないと、この名取市教育委員会だけの問題じゃなくて宮城県とかじゃなくて国から率先してやってもらえる国になってもらわないと多分何回やっても同じこと繰り返すんだよねと思ってこんな大きいこととかちっちゃいことのたんびに。ある程度知識、まあそこのなかでの授業全国のなかでの共通の知識あってあとは地域の特性でその市とかが教えるべきで、うちは山に囲まってからとか、うちは海に面してる学校だからとかそうやって少し違ったなかで教えていけば俺は多分ね、最低でもみんな命だけは守れると思うんだよね。だって命なくすと何も面白いことね、周りの人だってつまんないからねやっぱり。形なくなっても命さえ守れれば、そこだけは最低でも自分の命は自分で守れるような授業を、風化させないとかそうゆう関連していくとそこまでたどり着くのかなって思うね。 インタビュー一覧へ戻る

越田昭江

越田さんは魚や海藻の加工食品の商売をしている。大槌は海鮮が美味しく、わざわざ大槌へ買い物しに来る人もいるという。漁師のみんなも一生懸命 仕事をしていて、生きていくために頑張っているという。 「まあ、海がらあがる、あがる物をみんなそして手作り。だがら知ってる人がここに来れば手作りの物、大槌の物、今もお客さんが大槌の物だから買いたい、欲しいって来てったんです。うん。やっぱりここで獲れたあの、大槌はね、海で津波でこう、津波に災害にあってさ、みんな逆に我々もね、海のありがたさを一番分かった。うん。私はね、あの、やっぱ色々さ、市場こさあの、あれが来んのね。あの、ほら、取材に。そしたらね、あれ一番おかしかったのはね、韓国のね、あのテレビ局が来た時。何したけ言ったと思う(笑)お母さんはこのね、お魚をどう思う。はあ、銭だねって。銭の前に宝の前ですねったって。あっはははってみんな大笑い。なんで笑うんですか。お母さんが宝っていう表現がすごくいいってさ(笑)そうだよね、命の綱だもの。ここで海から物があがんないと、あの、なんの取り得はないよ。今はワカメでしょ。あの、一般、全部。だっ、今、焼き、今私は焼きウニ作ってたんだけども、ウニだよ。ね。そして普段は漁師さん達にがやっぱ養殖してるのに、ホタテやってるし、ホタテが今、ホタテやってるし後は歩様ってあの、ほら、その水槽の中には生きた魚がいて、生きた魚で穫って来る人。そっからタコを穫ってる人。みんなね、それぞれにね、あの、一生懸命だ。それは、生きてくために。でもいかさ、あの、今回はみんな生かされた為って言うな(笑)生かされたから、がんばっぺって、がんばっぺ。 これ、ほらほらほらほら(笑)タコ、うん。みんなの話が聞くってみんなの仲間と入りたいって(笑)」

東谷 寛一&幸子

大槌で漁業をしている東谷さん。 今回の大きな津波のあと、今の海への想いなども聞かせて頂きました。 主人:うん、変わったね。さっきも言ってたように自分の人生が津波でそれこそ流されたし気持ちも流されたし今までやってきた人生が津波でね、それこそ流されたような感じで、破壊されたような感じで。。そしてどうやってまた震災前の形のように復帰できるのかっていう、失望感だけに襲われる。そういう理念、考えだったね。 奥さん:もう元気がなくなって、震災前はね挑戦するっていうかね、そういうのは全然無くなってしまったの。今まではね、歳関係なく仕事をね挑戦するとかねこの地域では本当に挑戦者だったのこの人。私が見ててね。だから次なにやるのかなっていう考え、次何やるのかなってここの地域の人たちもそのように思ってたような人だったのこの人≪主人に対して≫。だけどそれがなくなったの全然もう。津波のあとはね。だからすごく皆流されてしまったんだなあって思ってる。。。。。。

関 洋次

関洋次さんは大槌町の安渡公民館分館長であり、今は仮設住宅に住んでいる。震災当時はいろんな方から支援をいただき、それは国だけにとどまえらず世界各国、宗教問わず助けてくれたという。 「だからねぇ、あの、今一番俺が言いたいってのは日本全国じゃなく、世界各国ど、どこでこういう自然災害が起きても不思議じゃねえ。うん。だっ、こういう笑い話あるんだよ。あのう、日本全国 世界各国から支援際でみんなこれ、認識した。でね、中国で地震あったでしょ、四川省で。そしたらね、俺、俺がもし赤十字だとかそういうとこであの、基金を求めれば、出すか?その、その日の内に千円、二千円持って来た人がいる。まだ俺取り組みしてねぇがら返したけど。震災を受けてあの、みんなに助けられたっていう思いみんな持ってる。だっどっかで何があったらば助けなきゃならない、そういう思いを持ってるっていうのも事実。この、小さな仮設でも。だっあの大槌町内が、あの、岩手県全体、沿岸全体で見たら、こんなの.. ちょっとわかんないけど。おそらくみんなそう思っていないがらっていう。今まではあの.. 考えもしてなかった。震災前に例えば.. 交戦があったとか、アメリカで竜巻があったとか、ってあっても震災前はそんなに感じなかった。大震災でみんなに支援された。ホントここでね、キリスト教とユダヤ教とイスラム教と一緒に炊き出ししたんだから。わら、笑い話だけど。ほんどあの、その団体がそれぞれ交流しながらやってっていうのも日本全国で初めてだべって。だけど、本当、宗派問わず人種問わず、本当ここではそんな支援をされたっていう。だから自分でこう心の中には何かがういつかされたっていう。それを私自身が感じたり、うん。」

黒澤 豊勝

大槌漁協ではトップにいた黒沢さん。新しく出来た新おおつち漁協の一員でもあるそうです。 震災によって起きた漁業の変化についてお話して下さいました。 Q:あの頑張ろうは何年続く予定とかありますか? 黒沢さん:いや大体5年から、国の方ではある程度頑張ろうで、俺は俺が自立できるよう­になった所で切るよっていうことで話はしてるけども。だからその自立が10年になろう­が何年になろうが、本当は5年くらいが目途ではないかなぁということは言われてるけど­。まだそれが「いつ切るか」ってのははっきりしてないけど自立できるようになったらこ­の人はもう生活できるなぁってなった時には切るって言ってるけども、俺の方は別に国の­支援がなくってもやれたけど、それくらいのあれがあったけど。今言う通り、一番のネッ­クが大きい方の貝を買うのにお金がかかった。それは自分が自分で出してだめだべ。あと­は資材なんかの大きななども国が出してり引いたり、何パーセントの割合で引いてて。そ­の何百万あっても国の支援だからつって国の方で調整しながらやってるからどんなように­なってるかはね、国の方でいつごろ自立できて人を切り離そうといつ出るかわからない。­国だとすればで、今自立できる能力はついたなって言う時に切るっていうからいつ切られ­るかわからない。そんだから、いつまでも貰ってれば貰ってるだけ、まずなんつーか、儲­けてないというか。

岡本 三男

岡本さんは安堵で酒屋さんを営んでいます。お店に入ると岡本さんが描かれた大槌の風景画や書が壁に貼ってあり、とても暖かい空間でした。震災後2年が経ち、物資的なケアがから「心のケア」にニーズがシフトしているということ。そしてまず「心のケアとは?」というような事をじっくりお話して下さいました。 「これからは自分で心のケアをしなければと思って、と思ったのね最初は。でも、どうやったらいいんだろうなー、自分で心のケアってそしてこう一人で店に居るときは、何をしようかなー。もちろん仕事はしてますよ。自分でできる事はやってる訳。だけどそれだけじゃ、ダメな訳ね。うん。手持ち無沙汰になって飽きちゃうと外に行って草むしりをしたり。花が好きでしたから、花の種を植えたり、そういう風にして散らかすようにした訳、自分の気持ちをね。そしてまた自分で俳句をやって、ちょうど前に俳句をやってたもんで、俳句をやったり、盛岡の先生、このときは入ってなかったんだけど、ずっと休んじゃったから、そういうカセキにはいってなかったからそういう先生に勧められて、やりなさいってことで、俳句をやった訳、そして後は何かをもの足りなく感じて、お酒も全然動きが悪いから、この辺でうちのオリジナルでもやろうかなって言う感じで、頭に浮かんできて、色んな事初めて、心のケアに結びついたなって、そして、お酒もね、前はワインくらいだったらのめたのね、うちで、二人で、すこしぐらいだったら、おかずが悪いんで、食事がおいしくいただけるワインでものもうかってことで。ワインを飲んで、食事をおいしくいただけるワインでも飲もうかってことで食事をした事ずーっとあったので。でもお酒は量が多くなったのね。小さいのが。だって、隣に私と同じ年配のいる、もう震災になってからずーっと友達になった訳。前はすぐそばだったけど、二人で一緒に飲みにいくような仲じゃなかった訳。奥さんとは家の店の奥さんと仲良かったから結構よく話してたけど。今はもう色んな事を学び取りにいったり、もう、山菜採りに行ったり、今年はかなり山菜いただきましたよ、その方に。それで、そんな悪友が居るもんだから、同じ歳だからね。その方とは、家に居なかったら、うちにきて焼酎を掛け飲みしたり、そういう感じでぐっと近くなったんで、その方と。でもその方は私に、面白くないって言う訳。なんぼ飲んでも顔にもでないし酔っぱらわないし面白くないって言う訳。うん。だからそういって、よしこれから飲み屋さんに行こうか、タクシーに乗って飲み屋さんに行く訳。で、そこで、それで、そこのママ達も知ってる人だったんで。私も前は行った事無いんですね。でも、知ってる人だったんで、元々ね。世信者ってことで、カラオケ歌ったり、由相手は、カラオケしないんで、一人で踊る訳。こっちは歌って、うんで相棒は踊り踊る訳。そんな雰囲気でずーっと。だからね、しぜーんに自分の心のケアになっていった訳だよ。自分でやっぱりケアをしないとダメだね。もう人を頼ってても、やっぱり私の心の気持ちを分かる人は居ないんだもの。やっぱりみんな同じだと思うんだけども、自分自分で心のケアをしないとなーって私は自分で感じる訳ね。でも大変な思いしたよ。」

佐々木 正志

佐々木さんは安堵で養殖業を営んでいる漁師さん。私たちがお話を聞きに伺った時は大きな牡蠣をたくさん収穫していました。作業場や船が流されて自分のお金で一から再会した事をはじめ、津波が漁業に及ぼしたとてつもなく大きな影響について教えて頂きました。 佐々木さんの職場の映像

大萱生 良寛

震災で江岩寺が被害を受けたため今は同じ場所に仮設のお寺を建てていて、そこでお話をお伺いしました。大槌の方々とお寺との間にはとても強い繋がりがあること、そして災害時や災害後のお寺の役割についてお話していただけました。 「私は忘れない」「あの日を忘れない」という私たちが毎日のように目にするメッセージの与える思わぬ影響について

上野 ヒデ

上野さんは婦人会を引っぱっていて、とてもアクティブに復興という課題に向き合っている女性でした。ここまでアクティブに町やコミュニティーと関われるようになったのも実は最近なのだそう。 「本当あの当時はね、自分の名前も書けなかったし。人の話も聞けなかったしね。」 上野さんの提案で実行にうつされた、新しい献花台についてお聞きしました。 「みんなの善意でできたもんだから。そういう事であの、仏具なんかも仏具屋さんが、いいよ、って提供してもらってね。ね、そういうみんなの善意を無にしたくないからね。ここにあの「献花台を見守る会」を結成して、そしていつでも花がね、周りに咲いてるようにしよっていうね今その準備をしてるの。 であの今あの、植えてあるあのひまわりはね、これよその献花台からひまわりの種を植えて。ちょうどお盆の頃に咲くようにね、やってます。でそれが終わったら次はこの花を植える。ゆ、あの、冬はじゃ何をって、じゃハボタンがいいよ、って。だ花をきらさないようにあれはいつでも、冬でもね咲いてる花を植えようって今ね、やってんだけどね。みんながね、あの、段々この。まあ町がこうなってるからみんな防災のあれは分かってんだろうけども、町が出来上がった時みんな忘れます。忘れますよ。私はあの、チリ地震も知ってるの、津波も。もうね、3年経ったらみんな忘れてたからね。うん。だ忘れないようにあそこの役場の庁舎を残して、あの、お勉強の場にして欲しいって私が」

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