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針生 敏夫さん

インタビューページへ戻る 現在、農業のお仕事をされている針生敏夫さん。震災直後、多くの人を高台に避難させ人命を救いました。夜中に震災の悪夢を見て眠れない夜が続いたと言います。 人とのかかわりや仮設での生活 んーそういったのでストレスは溜まってないとおもうんだけどね。あー、みんなおんなじなんだもん。みんな被災してんだもん。 Q: 結構、前の方々と話しされたりとか、心強い環境ではあったんですか。 うん、そう。やっぱりほら、みんなと仲良くしなきゃいけないなあっていうそういう思いを持って接すれば、やっぱり揉め事って起きないもんですよ。 Q: その二ヶ月後に仮設に移られて、仮設住宅での生活ってどうですか。 んーと、まあ、外に出てるわけじゃないですからね。風も当たんないように。まあある程度は、ほら、話し声とかテレビの隣の音とか、しますけどね。まあ、くしゃみとか話し声は聞きますけどね、うん。それはお互い様だから、うん、仕方ないと思う。橋の下に寝てるんじゃないからね。暖房ひいてね。また、こういったとこに、住めるだけでも、ありがたいなーっとおもうですけどね。 震災から年月が経った今…未来への不安 ストレス溜まってるかはわかんないけども、んー…多少はやっぱり…あるかもしんない。仮設に暮らしてっからじゃなくて、やっぱり、先を見たときにやっぱり。先を途中..見なければいいんだけど、先を見てしまうと不安があるじゃない。うん…その日を大切に生きれば、そう感じないんだけども。どうしても..その人その人の事情があるからね。そういった時にやっぱり、不安とか感じるとやっぱりストレスも溜まるかなあ…うん。 3.11のこの震災を、絶対に忘れてはいけない んーちょっと辛い時もありますね。辛い時も..あるんですよ。でも、風化させてはね、ダメなんですけどね。やっぱり伝えていかないと。 インタビューページへ戻る Advertisements

荒川 裕一さん

インタビュー一覧へ戻る 生まれも育ちも名取市閖上の荒川裕一さん。閖上への思い、震災を通しての経験や現在の心境を語ってくださいました。 閖上の魅力 楽しかったね、閖上っていうのは。まあ、自分んちの前バス停だったから賑やかだったんだよね、ずっと。朝から、だからそういうのでもね、今何時ですかーって聞きに来たりね。ははは。 Q: 荒川さんの所のドアって開けっ放しとかだったりするんですか? だいたいはね、開けっ放し。余計バス通りだからね、開けっ放しで。鍵けるのは夜だけ。寝る前にかけて、そんな感じだったね。 Q:いろいろおすそわけとかもあったり・・・ うん、だね。小さい頃から魚とかはね、いろんな人からもらえてね。そういうのはあったよね。まあ、あの人しばらく見ないんだけど、どうしたんだろうねって、話になるね、表にでるとね。うん。 震災直後の様子、避難所での生活とは… ほんでその夜だよね。閖上に行こうとしたんだけれども、もう息子から電話きて、閖上ないよって言われて、でも自分は信じられないから向かったんだよね。ほんでやっぱり行けなくて。そしてしばらく1時間くらいねどうしたらいいかわからなかったの。うん。どうしようかなって。避難所っていう(考えが)の頭になかったの。そしたら、あれって避難所ってあるよなって思って、で名取に来たんだけれども、そしたら文化会館っていうとこだけが非常灯ついてたのちょうど。そこに立ち寄ったら人いっぱいいるのね。そんで一人だしねまあ、俺よりもねやっぱり年配の人たちもいるし、その人たちも立っているし、ここにいてもダメかなあって思って、市役所に戻りに行って、ええ。でそこは電気もついてたしテレビもずーっと見ててね。幸いにそこに暖かいコーヒーがあったんだよね。自販機があって。だからそういうのでね少し助けられたんだなって思って。避難所にもうねえ3日か4日くらいしかいなかったんだよね。 Q: 寝る場所って布団ひくだけとかですか、それともなんか段ボールの上とか…? そうそう、段ボール、毛布ね渡されたんだけれどもやっぱかけないでみんな敷くんだよね。だからそれをみんな敷いて、まああと知り合いの人からね、毛布とか布団よこされる人はそれをかけていたけれど。ほとんどはみんな敷いてたね毛布。俺行ったときはもうなかったのかなあ。毛布。確かなかった。 Q: そしたらもうじゃあ地べたに直で? うん。俺はね、その震災の夜と次の日の夜はねずっと寝てないの。結局閖上もどうなっているかもわからないし、そしてそのころまだ母親の消息っていうのはわからなかったからだから気にはなるし、なんか寝付けなかったね、ずーっと。 閖上への熱い思い で閖上に戻ってきたくもなったよね。一人になれば。他に行く気にはなれなかったね。閖上に行ってまたみんなと会えるんだあって思って。閖上好きだしね。 Q: 閖上の何が好きですか? 何がってねえ。まずね、海が近くにあるっていうのがいいよね。そして車があれば便利だしね、閖上は。友達とも会えるし。近所の人たちともなんもトラブルなくやっていたしね。知らないとこに行くよりはやっぱりいい閖上の方がね。 仮設での生活 まずここ来てね一番はまずほっとしたね。自分が落ち着いて寝れる場所があるって。気を遣わずにねただやっぱねこういう作りだから物音とかそういうのを気にしながらなんだろうなって思いながらだったけれども、でもほっとしたね。だって好きな時に横になれるし、風呂にも入れるし。だからそんでもねまだ閖上の多くはまだ仮設に入れない人がいっぱいいたから先に入って申し訳ないなあっていうのもあったしね。 これからの閖上 今?今ね、わからない。たぶん戻らないかも。戻ってもそんな知っている人いないんじゃないかなって。俺もともと現地再建っていうのも嫌だったからね。本当に安全な現地再建だったら戻るけれども、今のあれではね。また津波が来たら浸水しってなったら嫌だよね。 将来ねえ。だから閖上がどうなるかだよね。なにも見えないから不安だらけ。未来に関しては。 Q: 荒川さん自身はどんな町にしたいとか、閖上を思いますか? だからね、本当だったらね、前くらいの震災前の人口に戻らなくてもせめてね、5000人くらいは戻ってまたね、わいわいやりたかったっていうのはありますね。 震災を通しての人間関係の変化 あのね、特にあれだよね、親戚関係。今までだったらね閖上にいたころっていうのはもう何かあるたびにちょくちょく行ってたけど、今全く行かなくなったしね。よっぽどなにかないかぎりね、不幸あったとか、祝い事があったとか、っていう以外は会わなくなってるね 。前は普通に合えば挨拶とかもしてたけど。親戚すらね、どこに住んでいるかわからない人もいるし。まあ遠い親戚だけどね。 Q: 連絡とかあんまり…? だよね。本当に連絡先とかもわからないし。今って本当に血の濃い親戚だけしかわからないよね。 Q: それは震災でバラバラに バラバラになって、ええ。 震災を通して、今後、人々に伝えていきたいこととは… まずね、伝えたいことっていうのは本当に風化させないってことだね、このことをね。自分だってそうだったのかもわかんないってあるんだよね。いろんなこと、いろんな自然災害、事件事故もだけど。それを自分たちがどう頑張ったら本当に忘れずにいくのかなっていうのはね、もっと考えないといけないのかなって思うんだね。そして今から閖上の町がどうなるかはわからないけども、閖上の町っていうのはこういう楽しい町があったんだっていうのを、それもずっと伝えていかなきゃいけないのかなって思うよね。まあ、あと今からだと思うんだよね、いろいろわかってくるのが、もっともっと。ええ。今はまず、あれだよね、落ち着いてはきたけどやっぱりまだ何をしたらいいかっていうのがわからないよね。うん。ただ本当こういうことがあった、そしてこういう町があったっていうのは、覚えてるだけじゃなくてもっと伝えていきたいね。今はそう思うね。 インタビュー一覧へ戻る

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