吉田圭俊さん

取材当時26歳、仙台市泉区出身の吉田さんは現在NPO法人六郷七郷コミネットで勤務。震災をきっかけに復興関係の仕事につくことを決めたそうです。

1.将来への展望の変化、就活をやめるきっかけ

Q. 東京に行かれてたってことで、就職先とかって最初は東京の方で考えてた・・・

A. 最初は東京の方で考えてたんですけど、まあ震災のえいきょうもまあ少なからずあるにはあるんですけどね!まあ結果的には就職活動やーめた、と(笑)震災を機に全く就活はしてないですね。

Q. じゃあその震災、その3.11の前に掲げてたじぶんの将来設計図じゃないですけど目標と、やっぱりその日が起きてからって何か大きく変わった部分ってありますか?

A. そうですね、まず仙台からは当初出る予定にしてたんですね。震災をきっかけにですね、まだ離れられんなと。いうきもちはどっかにあったのかなって。今の仕事に就く前に、半年だけ別の仕事をしていたものですから、まあむしろその卒業したあとにその気持ちは強くなったっていうほうが正しいんですけど。

Q. 一応じゃあきっかけとしてはその、3.11が心境的に影響したっていうのは

A. 少なからずあるなと。

Q. どういう気持ちがあってこちらに残ろうと思ったんですか?

A. まず一つは家族ですよね。両親、父親が単身赴任で東京にいますけど、母親はずっと仙台ですし、兄たちがいたんですけど当時震災直後くらいはちょうど仕事で実家を離れてましたんで、まあ母一人っていうのはあって、まあはなれにくいかなっていう、心配っていうのがあって。それから、純粋にその自分の生まれ育った町っていうのが震災でかなり大きな打撃を受けて、でも自分はそのふっこうにかんして何もできないのかな、何か貢献できることはないのかな、あるんじゃないかなって言う気持ちはあったかな。ほんとにそれは卒業した後ですね。どちらかというと前まではあまりそういうことは考えてなくて、むしろ大学を卒業することに必死で(笑)っていう状況ではありましたね。

Q. そういう思いもあって今のお仕事に就かれているっていうのがあるんですか?

A. そうですね、まあ結果的には。まあなにかしらそのずっと、なんていうんですかね、その震災直後は泥かきながらとか、何かしらかかわりはあったんですけど、その後大学が始まったあとは卒業研究の方で忙しくなってしまってなにもそういったことに関われずに、大学卒業して。で、それから仙台にしばらく働いてて、まあある日その被災した沿岸部まで車で行った、出かけたんですよね。あれが、震災から1年3か月?ごろに沿岸部に行ったら、基礎だけの。前は家がいっぱいあったんだろうなっていう後だけ残って、でもそこにそのまあ人の暮らしはもちろんもうないんですね。そういう惨状をみて、あーまだまだ復興・・・仙台駅前なんかね、1年3か月たったらもう綺麗になってましたけど、まだまだ沿岸部はそうじゃないんだなと思って。自分何やってるんだろうなっていうふうな思いになったですね。でそれで、たまたま縁あって去年の10月からなんですけど、平成24年10月からいまの仕事についたんですけども、まあこういった仕事を挑戦してみないかとお誘いを受けて。まあその知人からの紹介というか、知人がこういう仕事あるよって紹介してくれて、でとりあえず応募だけしてみればって言われて、わかりましたーじゃーやってみるーって。そして前までやってた仕事辞めて、で今の仕事に就いたっていう経緯ですね。震災っていうよりも、震災から復興してたような気がしてたのに、1年3か月たってなお全然そうじゃなかったっていう事実を知ってしまったことがどちらかというと僕にとって大きな今の仕事に就いたきっかけなんですね。むしろ。最初から、大学卒業した四月から震災の復興に関わる仕事をするんだ!っていう気持ちで卒業したわけではなく、どちらかというと卒業したあとに被災地をみて、なんかしなきゃっていう。ていうのがあります。

2.不謹慎⇒ポジティブに。震災直後の「若者的発想」

なんか特別、話すのがはばかられる、ていうのはない。まあ逆にその被災された方、実際今仮設にお住いの方とお話してるときに、じゃああの日はどうだったの何だったのみたいな話はね、どん!とはいきなり聞けないですけど、ただあの日内陸にいた連中でそのまあ大学の同期の中での話だと、当初はわらいがなかったのでわらいを生み出すためになんか面白いことやろうとかいっつも考えてましたんで、震災から1か月後にそれこそTwitterとか使ってみんなで男たちはみんなで水もろくに使えなかったので、ひげそらずにひげを伸ばして誰が一番カールおじさんになれるかとか(笑)そういう選手権をやったりとか、あとその関東地方でその、あの年の花見って自粛ムードだったんですけども、そんなんじゃ経済まわんなくなんじゃんっつって、まあ不謹慎っちゃ不謹慎なんですよ、一か月後にそんなことやるなんて。じゃあ仙台でも花見スポットで有名なつつじヶ丘っていう公園があるんですけど、そこでじゃあ2泊3日で花見やろうぜ!とか言って(笑)ずっと公園泊まり込んで花見やってたりとか、あえてそういうバカなことをしようっていうか、その若者的発想ですよね。ひとつね。だからまあそういうことをしたねっていう笑い話くらいはしますけど、ただ、ほんとにそのことについて友達同士で話すっていうことに関しては、まあ今さらってか、まあ笑い話には出ないですよね。なんかちょっと話すのがこう、今更?っていうような感じはあんまりしないかなと。まあでも僕がこういう仕事やってるって言うのは周りのみんな知ってるので、まあ自然とね、そういう話になったりもしますし、うん。

3.10年後の自分、復興にかかわることについて

震災当初って、泥かきとか、肉体労働ですね、そういうわかりやすい支援がいっぱいあって、そういうボランティアがいっぱい求められてたっていう背景があるので、じゃあこの3日間だけボランティアしよう!っていうのはやりやすかった。でも、いまってそれないんですよね。いまってどちらかというと継続的に支援をしてっていうようなボランティアで、あと専門性の求められるボランティアとか。そういうのが増えてきてしまって、実際じゃあ若い人にできるボランティアってなんだろう、あるいは時間のあるひとにできるボランティアってなんだろう。若い人って皆さん忙しいんで、なかなかその継続的にとか、あるいは平日の昼間っからって難しいと思うんですね。だからそういう人たちがどういう支援ができるかなあって僕もその辺すごい、こう、考えちゃいます。まあひとつ、やりかたとしてはチャリティーイベントを企画して寄付をっていうのはありかなと思いますし、僕個人的に勝手に、外側の支援なんて言い方してるんですけど、その、このチャリティーイベントの収益金は被災地の復興のために使いますよっていうような、まあそういったそういうような機関に、あの、現金として送られますっていう名目で、まあイベントを起こしたりとか、あとはその実際被災地に観光というか、まあその被災地見学とかを通して現地にお金を落としてもらうようなそういうツアーを組んだりとか。まあそういうツアーに参加してもらうことで、その、被災地の現状を知ってもらったり、あるいは飲食あるいはモノを買うということでお金を落としていってもらう。それはその、被災地域の活性化につながるので、まあそういったところで・・・まあほんとにお金お金お金!みたいな(笑)話で嫌なところなんですけど、実際に行っていただいてお金を落としていただくか、そのイベントなんかをやって、まあその、間接的に現金という形でまあ復興のために活動していただいたりですとか。あとはそうですね、ほんとにその若い人にできる事ってなんだろうっていうのは、実際関東関西の若い人たちにとってももっと難しいと思うんですけど、こっから支援ってなにすればいいんだろうっていうか。地元に住んでても、やっぱり大学生が支援をしたい、けど何が出来るのかっていうのがわからなくて、何もできないって言うのは聞きます実際。支援の入り方が分からない。

佐藤 ちかさん

佐藤ちかさんは、東北学院大学の3年生で現在はお祭りサークルで仙台市の人々と関わりを持っている。元々は栗原市に住んでいるが、今は大学に通う為仙台市在住。

Clip1: 「コミュニティーについて」

Q. 〜〜〜仙台市内で今必要とされているコミュニティーのつながりとか〜まあ3.11があったからこそ今必要なんじゃないかっていうご自身の意見も含めて〜

あ〜えーっと、集落移転?ってあったじゃないですか〜とかってじっさいどうなんだろうって思うときありますね〜その辺まだ勉強中なんで〜なんともいえないんですけどー本当に集落移転がいいのか〜個人個人で動いた方がいいのか〜次ぎ住むところ早く決めた方がいいのか〜もし個人個人で動いてしまうと孤独死とか見えずらくなっちゃうから〜集落っていいのかなーとかそういう事ってなんとなく考えちゃいますね〜。。で。。もし自分も一人暮らしだしこのまま結婚もしなくてーとか考えるとーそういうコミュニティーって必要だなっておもうし〜えーっとアパートでも隣の人の顔をしらないのはどうなんだろうって思う時はありますね。

Q. それって結構東京ではありがちな話なんですけど〜みんなマンションにすんでるひとは〜隣の人の顔もしらない名前もしらないって仙台ではそれって一部ではあることなんですね〜。。

でもなんかー私は田舎出身なんでーそういうコミュニティーがなくなることは寂しいって思うんですけど〜そういう仙台とか東京とかの人だと〜そういうコミュニティーとか付き合いが煩わしいっていう感じる人もいるのでまあいろんな価値観があるから〜もうちょっと(たかく?)的にいろんな情報を知りたいなーとは思いますね〜。

Clip2:「仙台を離れる理由」

Q. その地域を作るとかコミュニティーを大切にしたいいてそれを将来に活かしたいっておっしゃってましたけど〜それは〜ここの仙台、宮城県の中でやっていきたいのか〜それともまあこの県外をを出る事を考えいたりだとかーしてますか?

県外も考えていますね〜なんかまあこの時はどこにでも存在すると思うので〜いろんなところを見るのも経験かなっと思ってますね。なので地元一つだけにするつもりもないかな〜うん

Q. で〜そのコミュニティーとか関わりっていう面ではあまりその3.11後の影響しているのでは〜?それとも逆に

まあきっかけとなったとは思いますね〜。。よりそういう事についてしりたいと思ったし〜また似たような災害って絶対出てくると思うので〜今回の3.11をベースっていうか知識として身につけておいて〜他のところに行って伝えるような〜感じの人にはなりたいなーって思いますね。

Clip3: 「10年後の自分」

Q.今後の事についてお伺いしてもいいですか?何年後の自分はどうしているかとかじゃないですけど〜例えばじゃあゆうなら10年後?どうしてるかなって今の時点で〜

10年後ってもう31とかですよね?そうえすよね〜wなにしてるかな〜そういうコミュニティーには何かしらの形では参加したいなーと思いますね〜市民センターとか結構活動してるので〜そういうところに参加したりとか〜あとまあ仙台で言ったら光のページェントがあってこれは違うなw〜あーこれは学生のうちにやりたいことだなw合唱も昔やってたんでーまたやりたいなって言う思いはあるしー書道も習ってたんで〜書道もやりたいなって思います。そういう自分ができる事から〜またコミュニティーに参加していろんな人と繋がってってーいろんな話きいてーって言うのは未だに思いますね〜。。それはこれからも続けていきたいなーと思います。

五島 優希さん

現在東北学院大学に所属している五島優希さんは、災害ボランティアステーションというボランティアサークルで活動されている。

Clip1: 「もっと大変な人がいる」

Q.やっぱり自分の地元の仙台が被害にあったからっていうそのなんとかしなきゃって思ったんですか?

もっと大変な人とかもいるので、自分はそんなにまあ食料とかはなかったですけど、そんなに被害もなく命に別状があったわけでもないのでそれ以上にひどい人たちを助けようと思ってなんかしたいなと思って、思いました。

Clip 2: 「事前学習をしてきてほしい。。。」

Q.それをも全国のたぶんあんまり報道されてない部分ってたぶん仙台のテレビでもあまり報道されてないっていっていた方もいたので、全国ネットはもっともっと報道してないんですよ。。それについてどう思いますか?

そうですね〜やっぱりもっと報道するのは大切ですし〜復興が進んでるっていう報道もいいんですけどー全然進んでない地域も活動先であるんですよ。。そこのーやっぱり陰の部分をもっと報道するべきですし〜いろんな活動先〜いろんな県から来て下さる人もいるんですけど〜やっぱり現地のことを知らないで入ってくる人もいるのでーしっかりそこは事前学習というか〜土地の事について深く調べてからくるっていうのも大切だと思います。

Clip3: 「楽しんでやるっていうか。。。」

Q. 例えばそう思ったなんていんですか〜例っていうのはありますか?ボランティアこの人なにも知らないなって思った例ってありますか?

あーなんかボランティアをすごく楽しんでやるっていうか。。。楽しんでやるのもいいんですけど〜。。。やっぱその人の為になんかやりたいなって思ってきてくれる人はすごく思いやりがあってお手伝いとかも積極的にやるんですけど。。。やっぱ楽しむっていうか。。あ宮城に来たいえーい!感じの人とかだと少し漁師の方とか現地の方の気持ちを考えずに。。ずばずば聞いたりとか〜はちょっと困るっていうか自分がこの土地に住んでいるんですけど〜やっぱりちょっとそこは気にしてもいいのかな。。っておもいます。