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近所付き合い

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石川ふき子さん

インタビュー一覧へ戻る 震災があった年の6月に、妹さんと愛島仮設に移ったそうです。 移転、将来の住まい Q:いつからこの仮設に移動されたんですか。 えっとね、6月。3年前の6月だから何年だろ。20、23年。23年か。の6月、始め。うん。だから1年更新の契約。1年契約なの。ここに入ってるの。だからなんかあれば、もうなんか出てってくださいって言われたら、はいそうですかって出ていかなきゃなんないのね。何か問題起こせばね。うん、だから6月になったらまた新しく、また、契約。更新、更新かな。なんていうのかな、そういう、そういうのをしなくてはなんないのね。だからそろそろ来るなーと思って。みんな最初は言ったときは1年契約だと思うのね、ここね。うん。 Q:これからってどういうところに住みたいとか決まって・・・ いや、ありますねー皆さんやっぱし。西、あの、ん、高速道路。西川。西川ってとこの気候は好きなんだけど、まあ正直帰りたくないね。私は津波は見てないんだけど、やぱっし映像で流れる、てるのを見る、てポンていうのをしたらあれだけども、あの、津波のときはもう私、もうすぐにね、上に行ったから。映像で見てね、あれが恐くてね。うん。(10:47・・・)やっぱし、住むとこないから。うん、公営住宅?そういうとこに入るより他にないですよね。 もし代替地。お金も、うんぬんで代替地もらったとしても閖上なんですよね。うん。閖上からちょっと離れたとこ。そったらもう同じことだなあと思って。うん。閖上に、戻るほか、ないなあって。ちょっと若い人たちの子供さんもいるしね。なんか将来的にさ、子供たちの将来もあるし。若い人たちは家、土地、求めてね。うん。出てってる人もいるし。準備してる人もいると思うのね。うん。私は私で60過ぎると、この、市の、やってることに従うほかないです。行くとこないですもん。うん。自分で食べなさいって言われても資金ないしね。子供たちも独立してまあお母さんに迷惑をかけないようにとね。うん。 仮設でのくらし Q: 仮設の、この生活っていうのはどうですか。どのように感じてますか。 ねー。ちょっと贅沢言う、うーん。苦痛に感じるときがある。で私、狭いって言ったらばあれだけど、まあ私は、贅沢させられてきたと同じなのね。嫁に来て新しい家に住まわせてもらって。失礼だけど貸家ってとこには、あの、そういうとこに入ったことないから。もう、来たときはね、狭いし、二部屋分も、二部屋分しかなくて、もう圧迫感が凄かったの。うん。そういう贅沢っていえば贅沢、ね。新しい家に住まわせてもらって。貸家なんて入ったことないから。だ、戸惑うとこもあるのね。やっぱしこういう思いには聞こえんだけど、生活音って聞こえるわけじゃない。水道の流れた音とかね。そういうの経験したことないから。やっぱし凄い圧迫感はあって。そーだなー。夜眠れないでしょ。眠れないから家で(13:13・・・)家の娘って帰ってくるの遅いのね。んーなんかあの。朝方の1時半とか2時半に帰ってくるから。私寝ないで待ってる、待ってる時もあるんだけど、やっぱし体が具合悪くなる。寝てないし。だから導入剤っての。あれ飲んで眠りはしてるんだけど。あれ飲んでも一晩でも眠れないときあるの。そうすっとおかしくなってくるんだろうね。だから夕方でも、車でどっかいこうって。私が運転できないから。お父さん、車でどっかにいこーって。誰、誰が運転するんだーと。俺運転するんだぞーって。うん。ほんとにほら、本当に、申し訳ないんだけど、もう、ここに居たくないときあんのね。うん。あの部屋もう、一人でいると思うと。うん。贅沢な悩みね。これね。住むとこないひともいるんだから。んな、贅沢な悩みだなーと思うんだけど、やっぱし、ね、一軒家。貸家でもいいから一軒家には住みたいなと思う。でも2階っとかは私嫌いだから。しんどい。年とってるから二階に上がんなきゃいけないでしょ。一軒家。うん、一軒家に住みたいなー。それを今希望してるんだけど、抽選になれば。抽選だから。抽選外れればどこにいくかもわかんないし。ここ2年くらいでできれば。あと何年ぐらいかかるか。ちょっとね。一応28年とか29年にできるっていうけどもね。うん。一戸建てのほうができるの早いんですって。だけど、そこに入りましょってすぐはいれないでしょ。 心の支え Q:そういう生活をされてる中で、なにかこう、支えとな、石川さんにとって何か支えとなるものってありますか。 うん、うん。特にね、あの、第2水曜日と、第4水曜かな。手芸の先生が来てね、教えてくれる。お裁縫教えてくれるの。お裁縫教えてくれるの。今そこに、ああいうのね。(15:24・・)うん。そういうの教えてもらって。縫ってるのね。今は、これ3月だけど、今5月バージョンで、男の子も作ってんの。うん。糸とか針とか持ったことないんですよ。うん。針とかね糸とかなんかとおしたことない。雑巾ぐらいは縫ったことあるけど、それお裁縫なんてしたことなかったの。ここ来てから、いろいろ、ね。うん。 Q:その手芸を始めたいって、そういうイベントに参加したいって思ったきっかけはなにかありますか。 うーんやっぱしね、やろうっていう人から誘われて、やってます。できるから、私らも初めて、ね。針とかぬったこともないのにできてるんだから、できるから大丈夫だよって声かけられて、やるようになったのね。うん。本当にね、恥ずかしい話、糸の種類、針の種類、全然わかんなかったの。この歳になるまで。うん。あっと、やっぱし糸があるっていうのはわかってたけど、針にね、あのー、絹針とかいろんなの、全然わかんなかった。初めて分かった。ほほ。(笑い声)恥ずかしい話。わかります?全然そういうのわかんなくて私。うん。ね。針も種類あったんだーと思って。この歳になるまで。ほほ。(笑い声)これやってる感じで、あ、絹糸はこれだなーとおも、木綿とか。あと、穴糸っていうのもわかんないね。そういうのやってみないと。うん。 Q:そこで初めて知り合った方とかいらっしゃいますか。 閖上はね、顔見知りはいたんだけど、名前が分からなかったの。こんにちは、おはようございますって挨拶するぐらいで、なんも話したことはないんだけどここに来て、お友達になってね名前分かって、同じ2町目の人なんだ~って、うん。ここにきてからやっぱりみんなと話してね、名前分かって、話するようになって、あと夕方6時くらいかな、散歩。みんなで歩いて。 インタビュー一覧へ戻る Advertisements

遠藤伸宏さん

インタビュー一覧へ戻る 閖上生まれ閖上育ちの遠藤伸宏さん。閖上への想いや、復興の現状を熱く語ってくれました。 借り上げ住宅 Q: その以前はどちらに住まわれていたんですか? 仙台の白丸ってとこの借り上げ住宅。仮設じゃなくて借り上げ住宅。 Q: 借り上げ住宅ってすいませんよくわからないんですけれども。 用は長沼さんとかここは仮設住宅で市の土地やいろんな土地にポンポンポンって建ててもらってる。でもうちの被災した住民たちは全部まかなえきれないくらい住んでるわけ。住みきれないのよ仮設住宅に。全員が。うちの住民たち被災した人たちが。そうすると空いてるアパートとか市の住宅に入っていいよって。この震災ってあまりにも被災したから空いてるアパートに入ったら、補助金上限いくらだったら出しますよって。契約して1年とか2年とかで契約して、だから仮住まい。そこは仮設とか違うシステムかもしれないけど他では出せなくて生活費は出すけどお金は出さなくていいですよ、家賃は払わなくてもいいよってとこに我慢して2年かな、2年半ぐらい住んだのか。2年半ぐらい狭い3畳の部屋とかに。 Q: 住み心地はどうでしたか? 家に帰んない、帰りたくないからね、だって自分うちの町の人ってほとんど半分以上は多分半分以上って6割7割は持家だったのね。自分ちの家なのね。アパートとかじゃなくていくら古くたろうとちっちゃくても自分の家。だからそうゆうところにこうゆう共同生活したことなければ、俺もうちもそうゆう共同生活したことないから慣れないんだよんね。しかも全然顔見知りじゃ、うちはここ名取市だけど、俺行ったの仙台市だから空いてないから仙台市行ったわけ。そうするともちろん近所に知ってる人いなければ、そうするとうちの家族だけ。不安になるよねやっぱり。みんなバラバラだし。あの人あっちにいるこっちにいるあっちにいるとか。 Q: じゃあ近所付き合いとかは全然なかった? ない。ないまま2年半過ごしてきたからね。そこはストレスになるよね多分。逆にあとうちはそうでもないかもしれないけど言えないってのもあったらしいよ。被災して借りてるんですってって言えないって。あの人被災したんだって周りから言われるし、全然知らない人となりのアパートの人があの人被災してるからあの町から来たんだよって言われるからいやだって人もいる。支援物資とか寄付金とかももらってるんだってってそうゆう変なうわさたつと嫌がらせもあったって、中にはあった人も中には聞いたことある。だからあんまり自分のね、私はどっかから引っ越してきたんですってあんまり言いたくなかったって人もいた。うちはそこまでいわなかったけど。仮設とはまた違うんだよね借り上げ住宅っていうシステムは。 行政に求めること Q: 遠藤さんはどのようなことを市に求めて。。。 市に求めるのは住民と市の話し合いをもっとしろっていうだけで、全然しないようにイメージなのねしてないっていうかもっとこまめにするべきであって。お互い言い分あるからどんどんいいだして、だからこっちいいよこっちだめだよやっぱ中間とりましょとかそうゆういくら話し合いしてもいいのに、話し合いの場がなかったからこうなっちゃうと思うんだよね。だから住民のこっち側の意見は法律的にはもう全然クリアできないんだよね、だからうちのほうのんでください、いやいや頑張ってじゃあ半分とってくれとか、じゃあ頑張ってアピールしてきますとかそうゆう話し合いしてかないと、ある日突然これしかねえこれしかねえこれしかねえって毎回押し付けられて、それだったらあんたらあなたたち誰もすまないよねって行政の人たち結局。俺らの町だよねってもともと。俺らのこうしてくれって望んでるのになんで上からこうゆう市にしかしねえってそれおかしくないってなるよね。だってあの日復興ってたぶん俺あの日自分その町に住んでる人たちがどうゆうその町のなかのどこで住みたいかだと思うんだよね。自分は怖いから自分の町出て山のほうに引っ越したいって言えば引っ越す人たちにはこうゆう補助あっからこれで終わりですよってそれで終わりだと思うんだよ。それ単純なんだけど、それがないんだよね初期のやつが。だからこうなっちゃうんだと思うんだよね。たしかに人数多いかもしれないけど、被災した市町村の1地区にすれば多分うちの町1番多いはずね宮城県の中で。その復興の1地域の対象があまりにも多すぎるから言い分なんて100人いて100人違うかもしれないから、それはまとめるの大変かもしんないけど、でも少しずつやってけばすむわけで。やってる気配が見当たらなかったのがこうゆう結果だと思うよねまだ。 閖上 うちの閖上の人ってほんとちっちゃい町だよ多分ね。7200人ぐらいなのかなあの日まで。でも俺は特にだけど東京行ってもどっから来たの言われたら閖上から来ましたって言っちゃうんだよね。それってどこにあるのって言われっと仙台の、仙台空港の隣町なんですとかって説明しちゃうんだよね。仙台の人宮城県だったら多分宮城県で仕事しててあんたどっから来たのーとかって言われっと俺閖上ですっちゅうとだいたいみんな分かるわね、あー閖上ねーなんちゅって。だからそのぐらい自分の町、名取から来ましたて閖上の人絶対言わないからね閖上の人は。宮城県の人も東京行っても宮城県から来ましたって言わないんだよね仙台から来ましたって言うんだよね。それと一緒なんだよね。閖上はもう飛び越しちゃってるんだよね。仙台も飛び越して自分の町だけアピールしてるみたいだけど。そっからちょっと説明するのがうちの町の人の習性なのかな。だから自分の町いかに好きだったか誇りに思ってたかちゅうあらわれなのかなって思うよね。一つの本当の立派な町だったからさ昔はさ。市に合併される前は。だからそこの中でそうやって育ってきてっから俺はずっとそうやって教えらってきってからは、ましてこの漢字1個しかないからね。閖上ちゅう漢字中国の字でもないから、この字世界に1個しかない漢字だからさ。閖上としか読めない漢字だからそこにも誇りあるんだろうね多分ね。 慰霊碑 Q: 今度慰霊碑が日和山のほうに建てられる計画があるって、たぶん知ってると思うんですけれども。 見てきた。まだまだ途中途中。 Q: それはどうして見にいかれたんですか? 見に行かれたっちゅうか毎日閖上に足はこんでっから今日こうゆう状況なんだって見るからね俺は毎日ほぼ毎日のように行くから朝から晩。 Q: 慰霊碑についてはどう思われますか? 慰霊碑はうちの町に関してはあれ多分市でやるんだよねね。ちょっと遅いかなと。遅いよね多分3年半3年過ぎてるんだからもう。別にたしかに復興の事業に関係ないかもしれなけど慰霊碑なんてっていう人もいっけど別に大きさとか形の問題じゃないから本当にちっちゃくてもこの町でなくなった人たちの為の慰霊碑だからちっちゃくてもいいからやるんだったらすぐできることだったと思うのね。今他の市町村終わってるから何もかも遅いのかなってうちの町。だってうちの町いくとお寺もお墓さんも全部ないのよ見てれば分かると思うけど。でも今仮のあるのねお寺さんとかは。でもやっぱ地元に帰って手合わせたいよねお盆とかお彼岸とかそうゆう時ね 防災教育の必要性 Q:震災も過去のことだと思うんですけれども最近風化が進んでいるというふうにメディアなどを通しても感じるんですけれども、今後震災などで起きたことを伝えていくべきだとは思いますか、それとも過去のことは過去だと割り切って。 いや、日本だから災害は絶対ね水害もあるし津波もあるし火山の国だからね、噴火とかもあっからどこで何が起きるか分からないから本当だったらうちはちっちゃいうちから小学校とかからなんちゅうの防災教育みたいなのを小学校とか中学校で取り入れるべきな国だと思う最低でもね国として火山はここに火山があるよとか本当に小学校の授業とかで教えて。それも津波もこうやってこうゆうことがありましたよとか水害こうゆうとこのダムが撤回するとこうゆうことがありますよとかちっちゃいころから教えてトラウマになる前から教えてもいいよね国としてね。地域も市とか県とかじゃなくて国がやるべき。授業の国語、英語教えてるなら防災教えたほうがいいと思うね日本のほんとに。徳川家康がどうだこうだっていう前に明日起きるか分からない災害に備えて子供たちに知識を植え付けてないといざ何かあったとき何にもできない人になっちゃうよね、そういえば学校で習ってたからこうゆう時はこうゆうとこに避難したほうがいいとかって。まあそれはね、ないほうにはこしたことないんだけど。そうゆうふうに落ち着いて行動できると思うんだよねちっちゃいときから教えていれば。それを教えてる学校なんで多分どこもないないはずだから教えてくっていうか、そうやって教えていくべきだし、津波来ました、ね、でどっかで火山噴火しまいした、もう終わったことで次また違うとこでだから風化もそのことに対して風化してるかもしれないけど違うことはもう始まってるわけで別のことが逆に言うと震災前なんだよねまた新しいことゆうと次の何が起きっか分かんねえ俺らは前にいるんだよね。この起きたことに対してまだ同じいことを起きるにしたってこれもう終わっちゃっただから次俺らはここに生きてっけど、ここにあるか分かんない震災前を近づいてってるどっかの違う何かの現象に。だからやっぱもっと学校の風化させるとかしないとかどうか分かんないけどもっと国として阪神だったりこうゆう地震の多い国だったり水害多い国だから小学校なったら少しずづ教えてってもいいのかなって思う。今すぐこのへんの地域で教えろちゅうとトラウマの子供とかいっから言葉でも敏感に過敏に反応する子供たちもいっからやっぱりちょっとずらして後3年5年後ぐらいから教育に取り入れてくとか小学校だったら5年生から教えていくよとか俺はしてもいいと思うねほんとにね。だって英語よりは教えるべきだよね最初にって思う。だって日本なのに英語ペラペラしゃべるより自分の国のことの何か分かんないといけないし、大人になったら旅行とかいって海外に旅行とか行ったら海外とかでも地震起きたり噴火起きたりして巻き込まれる事故あるわけでしょ日本人が。その時対処できなくなるでしょ自分の町でその地域だけでその防災教えてたって地域にしか役に立たないんだったら国としておっきい防災の授業が週に何時間あってもいいのかな子供のころからって思う。だから国でどうにか取り入れないと、この名取市教育委員会だけの問題じゃなくて宮城県とかじゃなくて国から率先してやってもらえる国になってもらわないと多分何回やっても同じこと繰り返すんだよねと思ってこんな大きいこととかちっちゃいことのたんびに。ある程度知識、まあそこのなかでの授業全国のなかでの共通の知識あってあとは地域の特性でその市とかが教えるべきで、うちは山に囲まってからとか、うちは海に面してる学校だからとかそうやって少し違ったなかで教えていけば俺は多分ね、最低でもみんな命だけは守れると思うんだよね。だって命なくすと何も面白いことね、周りの人だってつまんないからねやっぱり。形なくなっても命さえ守れれば、そこだけは最低でも自分の命は自分で守れるような授業を、風化させないとかそうゆう関連していくとそこまでたどり着くのかなって思うね。 インタビュー一覧へ戻る

佐藤 ちかさん

佐藤ちかさんは、東北学院大学の3年生で現在はお祭りサークルで仙台市の人々と関わりを持っている。元々は栗原市に住んでいるが、今は大学に通う為仙台市在住。 Clip1: 「コミュニティーについて」   Q. 〜〜〜仙台市内で今必要とされているコミュニティーのつながりとか〜まあ3.11があったからこそ今必要なんじゃないかっていうご自身の意見も含めて〜 あ〜えーっと、集落移転?ってあったじゃないですか〜とかってじっさいどうなんだろうって思うときありますね〜その辺まだ勉強中なんで〜なんともいえないんですけどー本当に集落移転がいいのか〜個人個人で動いた方がいいのか〜次ぎ住むところ早く決めた方がいいのか〜もし個人個人で動いてしまうと孤独死とか見えずらくなっちゃうから〜集落っていいのかなーとかそういう事ってなんとなく考えちゃいますね〜。。で。。もし自分も一人暮らしだしこのまま結婚もしなくてーとか考えるとーそういうコミュニティーって必要だなっておもうし〜えーっとアパートでも隣の人の顔をしらないのはどうなんだろうって思う時はありますね。 Q. それって結構東京ではありがちな話なんですけど〜みんなマンションにすんでるひとは〜隣の人の顔もしらない名前もしらないって仙台ではそれって一部ではあることなんですね〜。。 でもなんかー私は田舎出身なんでーそういうコミュニティーがなくなることは寂しいって思うんですけど〜そういう仙台とか東京とかの人だと〜そういうコミュニティーとか付き合いが煩わしいっていう感じる人もいるのでまあいろんな価値観があるから〜もうちょっと(たかく?)的にいろんな情報を知りたいなーとは思いますね〜。 Clip2:「仙台を離れる理由」   Q. その地域を作るとかコミュニティーを大切にしたいいてそれを将来に活かしたいっておっしゃってましたけど〜それは〜ここの仙台、宮城県の中でやっていきたいのか〜それともまあこの県外をを出る事を考えいたりだとかーしてますか? 県外も考えていますね〜なんかまあこの時はどこにでも存在すると思うので〜いろんなところを見るのも経験かなっと思ってますね。なので地元一つだけにするつもりもないかな〜うん Q. で〜そのコミュニティーとか関わりっていう面ではあまりその3.11後の影響しているのでは〜?それとも逆に まあきっかけとなったとは思いますね〜。。よりそういう事についてしりたいと思ったし〜また似たような災害って絶対出てくると思うので〜今回の3.11をベースっていうか知識として身につけておいて〜他のところに行って伝えるような〜感じの人にはなりたいなーって思いますね。 Clip3: 「10年後の自分」   Q.今後の事についてお伺いしてもいいですか?何年後の自分はどうしているかとかじゃないですけど〜例えばじゃあゆうなら10年後?どうしてるかなって今の時点で〜 10年後ってもう31とかですよね?そうえすよね〜wなにしてるかな〜そういうコミュニティーには何かしらの形では参加したいなーと思いますね〜市民センターとか結構活動してるので〜そういうところに参加したりとか〜あとまあ仙台で言ったら光のページェントがあってこれは違うなw〜あーこれは学生のうちにやりたいことだなw合唱も昔やってたんでーまたやりたいなって言う思いはあるしー書道も習ってたんで〜書道もやりたいなって思います。そういう自分ができる事から〜またコミュニティーに参加していろんな人と繋がってってーいろんな話きいてーって言うのは未だに思いますね〜。。それはこれからも続けていきたいなーと思います。

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