羽賀 慧さん

宮城県柴田町出身、お住まいの20歳。取材当時、東北学院大学の2年生。佐々木さんや神さんと同じく、東北学院大学のサークル・災害ボランティアステーションのメンバー。現在その活動の一環で、私たちのビデオインタビュープロジェクト同様の「メッセンジャープロジェクト」のメンバーとして2013年の夏に主に活動されていたという。

1.メッセンジャープロジェクトを通して: 被災地⇒「復興地」

Q.実際に自分たちが、たとえば事前で調べて分かった情報とか、テレビでうつされている情報じゃない、本当に生の声を聴けたことってありますか。

A. 一番衝撃的だったのが、あの、気仙沼唐桑町の、唐桑旧小学校仮設っていうところがあるんですけど、そこの会長さんに言われたことで、その被災地っていう言葉を使わないでほしいってことを言われたんですよ。それにはほんとにハッとして。まずメディアでも、被災地の今っていう番組があるんですよ。もうこの時点で被災地っていう枠でくくってるじゃないですか。でも実際、現地の人にしてみれば、瓦礫は片付いたし、生活のインフラは安定してきたし、別に被災はしたけど、現在進行形で被災地ってわけじゃない。過去が被災地であっただけど、今は「復興地」みたいな言い方をしなきゃいけないのに、メディアとかはその被災地って言葉をまだ押し付けているってことですかねえ。なんでやっぱりこういうことが聞けるので、現地にはいかなきゃいけないって風には思いますね。

2.ボランティアとは「両立」: 自分のためのボランティア、人のためのボランティア

Q. 羽賀君が思うボランティアってなんだと思いますか?

A. そうですね。俺が思っているのは、自分のためのボランティアと人のためのボランティアっていうのを両立する、と思いますね。人の為だけにやるって言うのは、ちょっとおれは間違ってると思うんですよ。人の為、100パーセントひとのためっていうのは無いと思うんですよ、ボランティアから自分がまなぶことを否定してると思うんで、まあ半分くらいは人のため、あとは半分くらいは自分の為、自分がまなぶためって風に考えて、俺はそういう風に考えてボランティアしてますね。

3.将来への目標、計画:近場で復興に携わる

Q. 羽賀君自身が今後自分の将来においてなにか建ててる目標とか計画とかっていうのは何かありますか?

A. そうですね、今の時点で、また変わるかもしれないんですけど、今の時点では、結構具体的になってくるんですけど、自分はその宮城県職員として、宮城県の為に働けたらいいなっていう。で、それで行政職だとそういういろんな企画とか、ボランティア関係の企画とかっていうのもできますし、宮城県全体の仕事もできるので、なんかそういう人のためになるような仕事ができたらいいなっていう。で、それを通じて近場で復興、復興だけじゃないですけど、近場で復興を自分で考えていきたいし、少しでも力になっていきたいと思っています。